2001年10月、北海道苫小牧市(とまこまいし)の高速道路で事故が起きました。キツネをよけようとして止まった車に後ろの車が追突し、運転していた人が亡くなったのです。遺族は道路の管理者を訴え、札幌の裁判所の判断は二転します。2010年3月、最高裁判所は「管理者に責任はない」と答えました。裁判所のサイトで公開されている判決文と法学者の論文を読み比べながら、その分かれ目をたどります。
苫小牧の高速道路で起きた追突事故

現場は原野を抜ける見通しのよい直線だった
2001年10月8日の午後7時51分ごろ、苫小牧市の郊外を1台の乗用車が走っていました。現場は道央自動車道の苫小牧西インターチェンジと苫小牧東インターチェンジの間です。判決文によると、まわりは原野でした。道路はほぼまっすぐで、見通しをさえぎるものはありません。午後8時の少し前で、10月の北海道ならもう真っ暗です。
中央分離帯から出たキツネをよけ、車は車道で止まった
キツネが出てきたのは、道路の左右の林からではありません。上り線と下り線を分ける中央分離帯のあたり、約100メートル先からでした。運転者は衝突を避けようとして、急にハンドルを切ります。ところが車は横すべりして中央分離帯にぶつかり、そのまま車道の上で止まってしまいました。最初の事故そのものは、車が1台で起こした単独の事故です。
止まった車に2分後、後ろの車が追突した
命を奪ったのは、その2分後の追突です。夜の高速道路に止まった車へ、後ろから来た車がぶつかりました。運転者は頭の骨を折る大けがを負い、まもなく亡くなります。キツネをよける一瞬の判断が、思いもよらない2度目の事故につながったことになります。
道路の柵はなぜキツネを防げなかったのか?

9か月で46匹がはねられ、柵には10センチのすき間があった
この区間では、道路に入ったキツネが車にはねられて死ぬ事故がたびたび起きていました。判決文が認めた件数は、1999年が25件、2000年が34件です。事故のあった2001年は、10月8日の時点ですでに46件に達していました。年を追うごとに増えていたことが分かります。
動物よけの柵は、有刺鉄線の柵と金網の柵がありました。ところが有刺鉄線の柵は鉄線と鉄線の間が20センチあいていて、金網の柵も地面との間に約10センチのすき間がありました。キツネくらいの大きさなら、くぐり抜けられる幅です。
よりよい防ぎ方は公団の1989年の資料に書かれていた
しかも、もっとよい防ぎ方は道路公団自身が知っていました。公団が1989年に出した資料「高速道路と野生生物」には、小さな動物の入り込みを防ぐ方法が書かれていたのです。柵を金網にして地面とのすき間をなくし、動物が穴を掘って下をくぐらないよう地面にコンクリートを敷く。遺族はこの資料を手がかりに「防げたはずだ」と主張しました。では、その主張はどんな法律にもとづいていたのでしょうか。
なぜ運転者ではなく道路の管理者が訴えられたのか?

道路に「瑕疵」があれば管理者が償う、国家賠償法2条
遺族は、キツネが入り込めるような道路にしておいた管理者が悪いのではないかと考え、当時の管理者だった日本道路公団を訴えました。使ったのは国家賠償法(こっかばいしょうほう)という法律の第2条です。道路そのものに問題があって事故が起きたとき、その道路を管理する側がお金で償う。そういう仕組みを定めています。
国家賠償法2条1項は、道路や河川のような「公の営造物(えいぞうぶつ)」の作り方や管理のしかたに瑕疵(かし)があって人に損害が出たとき、国や公共団体が賠償すると定めています。瑕疵とは、ひとことでいえば「本来あるべき状態に欠けているところ」のことです。
※ 国家賠償法2条1項とは、道路・河川などの公の営造物の設置または管理に瑕疵があったために他人に損害が生じたとき、国または公共団体がその損害を賠償する責任を負うと定めた条文です。
管理者のミスでなく道路の状態で、事件ごとに決まる
この条文で大事なのは、管理する人に「うっかりミス」があったかどうかを問わない点です。見るのは道路の状態のほうで、裁判所はこれを「通常有すべき安全性を欠いていること」と言い表してきました。ふつうの道路ならあるはずの安全さが欠けていれば、管理者は責任を負います。
何をもって「ふつうの安全さ」とするのか。ここに決まった物差しはありません。判例は、道路の作り・使われ方・場所のまわりの様子・利用のされ方などを全部合わせて、事件ごとに判断するという立場をとってきました。キツネの事件も、この物差しで測られることになります。
追突した後ろの車の運転者も訴えられていた
遺族が訴えた相手は、道路公団だけではありません。止まっていた車に追突した後ろの車の運転者にも、賠償を求めていました。中京大学の長尾英彦教授の判例研究によると、こちらの責任は3つの裁判所すべてで認められています。
ただし、まるごと後ろの車のせいになったわけではありません。キツネをよけて急ハンドルを切り、車道に止まる原因を作った点で、亡くなった運転者にも落ち度があるとされました。割合は亡くなった運転者が3割、追突した運転者が7割です。このように被害者側の落ち度の分だけ賠償を減らすことを、過失相殺(かしつそうさい)といいます。
札幌地裁は管理者の責任を否定した

最高裁まで争われたのは道路の側の責任だった
最高裁まで争われたのは、事故の責任のうち「道路の側にも責任があるのか」という部分でした。道路の管理者が責任を負うなら、キツネが入り込める道路だったこと自体が事故の原因の一つになります。この一点で、3つの裁判所の答えはきれいに割れました。
日本の裁判は、原則として地方裁判所・高等裁判所・最高裁判所の3回まで争えます。この事件の答えは、札幌地方裁判所が「管理者に責任なし」。2番目の札幌高等裁判所が「責任あり」で、最高裁判所が再び「責任なし」です。
札幌地裁は「キツネよけの柵はまだ全国の標準ではない」と見た
2007年7月の札幌地裁判決は、事故の原因がキツネをよけたことにあると推し量っています。それでも管理者の責任は否定しています。理由の中心は「ほかの高速道路と比べてどうか」という比較でした。
長尾教授の論文が引く判決文によると、公団は新しく作る高速道路では小さな動物への対策に気を配り、古い道路の柵も順に直していました。けれども、そうした柵が全国やその地域の高速道路で標準になっていたとまでは言えない。だからこの道路は、高速道路のふつうの水準から見て安全さに欠けてはいなかった、という判断です。
動物の飛び出しは一般道でも起き、柵の作り直しは費用が大きい
地裁はさらに、動物の飛び出しは一般道でも起きることで、高速道路だけの問題ではないとも述べました。全国の高速道路の柵をすべて作り直せば多大な費用がかかる。だから「動物注意」の標識やパトロールで当面の対策をとるのは筋が通っている、という結論でした。
札幌高裁はなぜ一転して管理者の責任を認めたのか?

キツネの多さ自体が欠陥で、標識は決め手にならない
2008年4月の札幌高裁判決は、正反対の結論を出しました。高速道路を使う人は、一般道よりも速く安全に走れると信じて走っている。それなのにキツネがこれほどの頻度で現れるのは、それだけで道路が安全さに欠けているということだ、という考え方です。
標識についても手厳しい見方をしています。速度の規制もないのに、出るかどうかも分からない動物にそなえて運転者がゆっくり走るとは考えにくい。パトロールで死がいを片づけても、生きたキツネの飛び出しは止められない。高裁は、標識や巡回は事故を防ぐ決め手にならないと判断しました。
柵は事故区間だけ直せば足り、現に9,000万円で改修した
費用の点でも、高裁は公団の言い分を退けています。問題なのはこの区間でキツネの入り込みが多いことなので、全線ではなく一定の区間に柵を作れば足りる。現に公団は事故のあと、9,000万円をかけてこの付近の柵を作り直していたのです。高裁はそこから「事故は防げなかった」とは言えないと結論づけ、管理者の責任を認めました。
最高裁はなぜ再び管理者の責任を否定したのか?

裁判官5人の全員一致で高裁の判断をくつがえした
2010年3月2日、最高裁判所第三小法廷は裁判官5人の全員一致で、高裁の判断をくつがえしました。最高裁はまず、柵のすき間をキツネがくぐれたことは認めています。そのうえで、論点を「キツネが入ること」から「入ったキツネが人の命をどれだけ脅かすか」へ移しました。
通常は,自動車の運転者が適切な運転操作を行うことにより死傷事故を回避することを期待することができる
(最高裁判決「理由」4より)
年に数十匹はねられても、運転者の死傷はうかがわれない
その裏づけに使われたのが、高裁と同じロードキルの数字です。この区間では年に数十匹のキツネが車にはねられていたのに、それで運転者が死傷した事故はうかがわれない。函館から名寄までの路線全体でも、キツネをよけようとした死亡事故は1994年の1件だけだった。最高裁はそこから、小さな動物の侵入は人の命に直結する危険とまでは言えないと読みました。
柵と標識の見方は、高裁と最高裁で正反対だった
責任を認めた高裁と認めなかった最高裁の見方を並べると、次のようになります。
| 見たところ | 札幌高裁(責任あり) | 最高裁(責任なし) |
|---|---|---|
| キツネが出ること | これほど頻繁に出ること自体が安全さの欠け | ぶつかっても運転者が死傷する危険は高くない |
| 柵の作り直し | 事故区間だけなら可能。現に9,000万円で改修した | 全国や北海道で広く採られた対策ではなく、多額の費用がかかる |
| 「動物注意」の標識 | 速度規制もなく、事故を防ぐ決め手にならない | 運転者への適切な注意の呼びかけになっていた |
最高裁は差し戻さずに自分で結論まで出す破棄自判(はきじはん)を選び、道路公団への請求を退けた地裁の判決が正しいとしました。では、この判決はハンドルを握る私たちにとって何を意味するのでしょうか。
3つの裁判所で分かれた判断

同じ事故と同じ柵を見ながら、3つの裁判所は管理者の責任について「なし→あり→なし」と答えを変えました。分かれ目になったのは、キツネが入り込むことをどこまで危険とみるかと、柵を直す費用をどう考えるかです。追突した運転者の責任は、3つとも同じ結論でした。
| 裁判所 | 判断 |
|---|---|
| 争点 | キツネが入り込める道路は、国家賠償法2条の「瑕疵(かし)」にあたるか |
| 札幌地裁(2007年7月) | 管理者の責任なし。キツネよけの柵はまだ全国の高速道路の標準ではない |
| 札幌高裁(2008年4月) | 管理者の責任あり。キツネがこれほど出ること自体が安全さの欠け |
| 最高裁(2010年3月2日) | 管理者の責任なし。ぶつかっても人が死傷する危険は高くない。柵の作り直しにかかる多額の費用と「動物注意」の標識もあわせて考えた |
| 追突した運転者 | 3つの裁判所すべてで責任あり。割合は亡くなった運転者が3割、追突した運転者が7割 |
高速道路のロードキルは今も年に約5.1万件

高速道路のロードキルは年に約5.1万件
判決から15年以上がたったいまも、高速道路で動物がはねられる事故は減っていません。国土交通省がまとめた高速道路会社6社の集計によると、高速道路のロードキル処理件数は2022〜2024年度のいずれも約5.1万件でした。1日に140件ほどの計算になります。
動物の内訳では、タヌキ・キツネ・イヌ・ネコといった中くらいの大きさの動物が半分ほどを占めます。シカやクマ、イノシシのような大きな動物は1割に届きません。キツネの事件で問題になった「小さな動物」は、いまも道路で最も多く出会う相手です。
柵のかさ上げや動物の通り道づくりも進んでいる
管理する側も手をこまねいているわけではありません。NEXCO中日本は柵のかさ上げを進めていると発信していますし、国土交通省は動物が道路の下や上を渡れる通路づくりを紹介しています。それでも件数は横ばいで、柵だけですべてを止めるのは難しいのが実情です。
動物が飛び出してきたら運転者はどうすればよいのか?

JAFの答えは「急ハンドルを切らずにブレーキ」
最高裁が前提にした「運転者が適切に操作すれば避けられる」という考え方は、運転する側の心得にもそのまま重なります。目の前に動物が飛び出してきたら、どうすればよいのか。JAF(日本自動車連盟)は、急ハンドルを避けるよう案内しています。ブレーキで止まりきれないなら、よほど大きな動物でない限りまっすぐぶつかるしかない、という答えです。
高速での急ハンドルは、キツネとぶつかるより危ない
冷たく聞こえるかもしれません。けれども苫小牧の事故がまさに示したように、高速で急にハンドルを切れば車は簡単に横すべりします。キツネとぶつかる危険より、よけたあとの危険のほうが大きい。最高裁が「接触すること自体による死傷の危険は高くない」と述べたのは、裏を返せばこのことでもあります。
ぶつかったら警察へ、はねられた動物は「#9910」へ
ぶつかってしまったあとの手順も、JAFは示しています。車の保険を使うには事故の証明が要るので、警察には必ず連絡する。動物との衝突は単独事故として扱われます。高速道路ではねられた動物を見つけたときは、道路緊急ダイヤル「#9910」に知らせます。
キツネより大きなエゾシカなら結論は変わるのか?

1995年のエゾシカ事故は、高裁が管理者の責任を否定した
似た事件として長尾教授が挙げるのが、エゾシカの衝突事故です。1995年、札幌自動車道を走っていたタクシーが、中央分離帯から飛び出したエゾシカとぶつかって車が壊れた事件です。
こちらも裁判所の判断は割れました。一審の札幌地裁は、高速道路の利用者は安いとはいえない通行料金を払ってでも安全に速く走れることを信じているとして、管理者の責任を認めます。ところが控訴審の札幌高裁は、運転者が前をよく見ていればもっと手前でシカに気づけたとして、責任を否定しました。最高裁は上告を受け付けず、高裁の判断で確定しています。
人が死傷する大きな動物の場合は、判決も答えていない
ただし、こちらは人のけががない物損事故でした。キツネの判決は「小さな動物との接触で人が死傷する危険は高くない」という理屈で組み立てられています。体の大きなシカやクマで人が死傷する事故が続いた場合に同じ答えになるのかどうか、判決ははっきり述べていません。その線引きの難しさは、判決文の細部にも表れています。
同じ判例が正反対の根拠に使われた

1970年の高知落石事故は、道路の瑕疵を認めた判例
最高裁の判決文は5ページの短いものです。高裁の判決や法学者の論文と並べて読むと、同じ材料が正反対の結論に使われていたことが見えてきます。道路の事故で必ずといってよいほど引かれる判例があります。1970年の最高裁判決、いわゆる高知落石事故です。国道を走っていたトラックに山の上から石が落ちてきた事件で、最高裁は道路の管理に瑕疵があったと認めました。
同じ落石の判例を、高裁と最高裁は逆向きの根拠に使った
札幌高裁はこの判例を引いて、道路は最初から予想される危険にそなえて作るべきもので、予算が足りないことは責任を逃れる理由にならないと述べました。ところが最高裁も、同じ1970年の判例を引いています。こちらは「瑕疵があるかどうかは諸般の事情を合わせて判断する」という物差しの出どころとしてでした。そして最高裁は、事情の一つとして「多額の費用がかかること」を数えています。
長尾教授は「費用がかかれば免れる」読み方を危ぶんだ
長尾教授はこの点に注目し、予算の限界は「それだけで責任を免れる理由にはならない」にとどまるのではないかと書いています。そのうえで「費用がかかれば免れることもある」という読み方がひとり歩きすると危ういとも指摘しました。同じ一つの判例から、どちらの結論も引き出せてしまうのです。
法学者が最高裁の判決に残した疑問

「1件にとどまる」か「現に1件ある」か
最高裁は、キツネをよけた死亡事故が7年前に1件あったことを「1件あったにとどまる」と書きました。長尾教授はここに異を唱えています。1件とはいえ現に人が亡くなっているのだから、単なる抽象的な危険とは言えないのではないか、という読み方です。
教授は「瑕疵なし」という結論そのものは理屈の上ではやむを得ないとしながら、高速道路という施設の役割を思うと割り切れないものが残るとも書いています。9か月で46匹という数字も、教授には決して少なくは見えませんでした。高速で走る道路に動物が入り込むことの危うさを、もっと具体的に論じてほしかったという評価です。
同じ数字を逆に読み、柵は判決の前に直されていた
同じ数字を、高裁は「キツネがこれほど出る危ない道路」の証拠と読みました。最高裁は「これほどはねられても人は無事だった」証拠と読んでいます。判決の結論を分けたのは、新しい事実ではなく数字の読み方でした。
もう一つ、判決文に書かれていない事実があります。最高裁が「なくても瑕疵とはいえない」とした対策の柵は、判決が出る前に、9,000万円をかけて作り直されていました。法律が求める最低限の線と、道路を守る側が実際に引く線は、はじめから別のところにあったのです。キツネの事件が決めたのは前者の位置だけで、後者はいまも柵のかさ上げという形で少しずつ動いています。
参考
- 裁判所 裁判例検索「損害賠償請求事件 平成20(受)1418 最高裁判所第三小法廷 平成22年3月2日判決」
- e-Gov法令検索「国家賠償法」
- 長尾英彦「動物との衝突事故と道路の設置・管理責任」中京法学45巻1・2号(2010年)
- 国土交通省「高速道路会社の落下物処理件数」
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