子どもが遊んでいて、うっかり人にけがをさせてしまったら、親はどこまで責任を負うのでしょうか。この問いに最高裁判所がはっきり答えた裁判があります。きっかけは、小学生が校庭で蹴った一つのサッカーボールでした。ボールは道路に転がり出て、バイクで通りかかったおじいさんが転び、その後亡くなりました。遺族が訴えたのは、ボールを蹴った子ではなく、その父母です。
2015年4月、最高裁判所は「親に責任はない」と判断しました。ゴールに向けてボールを蹴るのはふつうの遊びであり、日頃からふつうのしつけをしていた親にそこまでの責任は問えないという理由です。ただし、この判決は「子どもが何をしても親は無関係」と言ったわけではありません。どこまでが親の責任で、どこからが違うのか。裁判所のサイトで公開されている判決文をたどりながら、その線の引き方を見ていきます。
校庭で何が起きたのか?

舞台は愛媛県の小さな町の小学校です。2004年2月25日の放課後、11歳の男の子が友だちと校庭でフリーキックの練習をしていました。この小学校は放課後に校庭を開放していて、校庭の南のはしにはネット付きのサッカーゴールが置いてあります。
ゴールに向けて蹴ったボールが道路に出た
午後5時16分ごろ、男の子がゴールに向けて蹴ったボールがゴールを外れ、後ろにある門の上を越えました。ボールはそのまま門の前の小さな橋を転がって、道路に出てしまいます。判決文には、ゴールから道路までの位置関係がとても細かく書かれています。
- ゴールの後ろ約10メートルに、高さ約1.3メートルの門
- 門の左右には、高さ約1.2メートルのネットフェンス
- 校庭と道路の間には、幅約1.8メートルの側溝(門の前だけ橋がかかっている)
- 道路のまわりは田畑で、車やバイクの通りは少なかった
つまりボールが道路に出るには、門かフェンスを越えたうえで、側溝まで越えなければなりません。この数字が、あとで裁判所の判断を分ける材料になります。
バイクの男性が転倒し、1年半後に亡くなった
ちょうどそこへ、85歳の男性がバイクで走ってきました。男性はボールをよけようとして転び、左足の脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)を折る大けがをします。入院は長引き、翌2005年7月、誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)で亡くなりました。事故から1年5か月後のことです。
男性の遺族は、ボールを蹴った男の子の父母を相手に、損害賠償(そんがいばいしょう)を求めて裁判を起こしました。損害賠償とは、相手に与えた損害をお金で償うことです。
なぜ11歳の子ではなく親が訴えられたのか?

ボールを蹴ったのは子どもなのに、訴えられたのは親です。これは遺族の気まぐれではなく、民法の決まりから自然にそうなります。
12歳くらいまでの子は、法律上の「賠償の責任」を負わない
民法712条は、自分のしたことがどんな責任につながるかを理解できない子どもについて定めた条文です。そういう子どもは人にけがをさせても賠償の責任を負わない、としています。この「理解できる力」を法律の言葉で責任能力(せきにんのうりょく)といいます。
条文に年齢は書かれていません。これまでの裁判の積み重ねから、だいたい12歳前後が分かれ目とされています。小学校を卒業するころ、と考えると分かりやすいでしょう。事故のとき男の子は11歳11か月で、判決文は「責任を弁識(べんしき)する能力がなかった」と認めました。つまり本人には賠償を求められないので、請求できる相手は親だけになります。
代わりに親が責任を負う。ただし「きちんと見ていた」なら別
子どもが責任を負わないなら、被害者は泣き寝入りになるのでしょうか。そこを埋めるのが民法714条です。責任能力のない子を監督する立場の人、ふつうは父母が、子どもの与えた損害を賠償する。これが原則です。
ただし、同じ条文に続きがあります。「監督する義務を怠らなかったとき」は責任を負わない。親が「きちんと見守り、しつけていた」と認められれば、賠償しなくてよいのです。この事件で争われたのは、まさにこの一点でした。父母は、義務を怠ったのか、怠らなかったのか。
※ 民法714条は、責任能力のない人が他人に損害を与えたときに、その人を監督する法律上の義務がある人(未成年の子なら親権者)が代わりに賠償の責任を負うと定めた条文です。ただし書きで、監督の義務を怠らなかった場合は責任を負わないとしています。
裁判所の意見はどこで分かれたのか?

日本の裁判は、原則として3回まで争えます。地方裁判所、高等裁判所、そして最高裁判所です。この事件も3つの裁判所を通りました。最初の裁判所と2番目の大阪高等裁判所は「親に責任あり」、最後の最高裁判所は「親に責任なし」。同じ事実を見て、結論が正反対になっています。
高裁の考え「ゴールの後ろは道路。蹴らないよう教えるべきだった」
2012年6月の大阪高裁は、事故の場所の形に注目しました。このゴールに向けてボールを蹴ることは、その後ろにある道路に向けて蹴るのと同じである。蹴り方によってはボールが道路に飛び出す危険がある。だから親は、そもそもこのゴールに向けてボールを蹴らないよう指導すべきだった。それをしていなかったのだから義務を怠った、という筋道です。
高裁はこの考えで、父母に賠償の一部を命じました。結果から逆にたどれば、たしかに筋は通っています。
最高裁の考え「ゴールに向けて蹴るのは、ふつうの遊び」
2015年4月9日、最高裁判所は裁判官4人全員一致で、高裁の判断をひっくり返しました。理由は3つに整理されています。
| 見たところ | 高裁の見方 | 最高裁の見方 |
|---|---|---|
| ゴールに向けて蹴ること | 道路に向けて蹴るのと同じで危険 | 開放された校庭で、使えるゴールに蹴るのは日常的なふつうの行為 |
| ボールが道路に出ること | 蹴り方次第で飛び出す危険がある | 門・フェンス・側溝があり、道路に出るのがいつものことだったとは言えない |
| 親がすべきだったこと | このゴールに向けて蹴らないよう指導すること | 危ないことをしないよう日頃からしつけていれば足りる |
最高裁が重く見たのは、男の子が「わざと道路に向けて蹴った」わけではないことです。判決文には「殊更(ことさら)に本件道路に向けてボールを蹴ったなどの事情もうかがわれない」とあります。ゴールを狙って外れただけなら、それはふつうの遊びの範囲だという判断です。
もう一つの決め手が、父母のしつけです。危ないことをしないよう日頃からふつうのしつけをしていた、と認められていました。親の目が届かない校庭での行動について、親ができる指導はどうしても「一般的なもの」にならざるを得ない。ふつうは危険でない遊びでたまたま事故が起きた場合、その事故を具体的に予想できたなどの特別な事情がない限り、親が義務を怠ったとは言えない。最高裁はこう述べて、遺族の請求をすべて退けました。
この判決で親の責任はどこまでになったのか?

この判決は、責任能力のない子どもを持つ親にとって、責任の上限を示したものとして受け止められています。日常の場面に引き寄せると、次のように整理できます。
日頃の「危ないことはするな」で足りる場面
公園でのキャッチボール、校庭でのシュート練習、自転車の練習。その場所で当たり前に行われている遊びなら、親は「危ないことはしないように」という日頃のしつけをしていれば足りると考えられます。どの場所で何をしていいかを、先回りしてすべて禁じておく義務はありません。
親の責任が残る場面
判決を「親はいつでも無罪」と読むのは危険です。裏側には、責任が残る場面がはっきり書かれています。
- 石を投げる、エアガンを人に向けるなど、それ自体が危ない行為だったとき
- 以前にも同じ場所でボールが道路に出て苦情が来ていたなど、事故を具体的に予想できたとき
- しつけを放ったらかしにしていたとき
こうした「特別な事情」があれば、親は責任を免れません。逆に言えば、最高裁が親を守ったのは、こうした事情が一つも無かったからです。
もう一つ気をつけたいのは、この判決が「12歳くらいまでの、責任能力のない子」の話だという点です。中学生や高校生になれば、本人が自分で賠償の責任を負う場面が出てきます。判決の意味を広げすぎないことも、判例の読み方のうちです。
同じ条文が問題になった、認知症の男性の事故
民法714条が問題になるのは、子どもの事故だけではありません。翌2016年3月、最高裁は認知症の高齢男性が線路に立ち入り、列車と衝突した事故を扱いました。鉄道会社は、同居していた妻と離れて暮らす長男に賠償を求めます。子どもの代わりに親が払うという714条の考え方を、家族にそのまま当てはめられるかが争点でした。
最高裁は、同居の妻だからといって当然に「監督する義務がある人」になるわけではない、と判断しました。そのうえで、この事件では妻も長男も責任を負わないとしています。サッカーボール事件が「親の義務の中身」を絞ったのに対し、こちらは「誰が義務を負うのか」を絞った判決といえます。
判決文を読むと分かる、もう少しの話

裁判所のサイトに載っている判決文は、全部で5ページしかありません。それでも、ニュースではあまり触れられない細かな事実が残っています。
「サッカーボール事件」は正式な名前ではない
裁判所の記録上、この事件の名前は「損害賠償請求事件」です。「サッカーボール事件」という呼び名は、法律家や報道が中身を指して付けた通称で、判決文のどこにも出てきません。有名な判例の多くが、こうした通称で呼ばれています。
事故から判決まで11年
事故は2004年2月、最高裁判決は2015年4月です。裁判を起こした人は判決を待たずに亡くなり、途中で遺族が引き継ぎました。判決文の主文に「承継前被上告人」という見慣れない言葉が出てくるのは、そのためです。一つの判例が生まれるまでに、当事者の人生のかなりの部分が使われています。
最高裁が自分で結論を出した
最高裁は多くの場合、下の裁判所の判断に問題があると「もう一度やり直しなさい」と差し戻します。この事件では差し戻さず、最高裁が自分で「請求を退ける」という結論まで出しました。これを破棄自判(はきじはん)といいます。事実はもう固まっていて、あとは法律の当てはめ方だけが問題だった。最高裁はそう見ていたことになります。
親の責任はどこまでかという問いに、最高裁は「日頃のしつけをしていれば、ふつうの遊びの事故までは負わない」と答えました。ただしその答えは、校庭の門の高さや側溝の幅まで数えたうえでのものです。同じ問いでも、場所と事情が変われば答えは動きます。判決文が数字だらけなのは、そのことを最初から知っているからなのでしょう。
参考
- 裁判所 裁判例検索「損害賠償請求事件 平成24(受)1948 最高裁判所第一小法廷 平成27年4月9日判決」
- e-Gov法令検索「民法」(第712条・第714条)
- 裁判所 裁判例検索「損害賠償請求事件 平成26(受)1434 最高裁判所第三小法廷 平成28年3月1日判決」
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