ことばと論理

歴史と変遷の話

暖簾分けの暖簾はもともと何のための布だったのか

暖簾(のれん)は、もともと店の看板ではありませんでした。禅寺で冬の寒さをしのぐために、簾(すだれ)のすきまをふさいで掛けた布。それが「暖簾」という言葉のはじまりです。屋号を染め抜いて店先に掛けるのは、布としての歴史からすればずっと新しい使い...
モノと道具の話

貯金箱の豚は600年前のジャワ島にもいた、なぜ豚ばかりなのか

豚の貯金箱の由来として、イギリスの陶工が「pygg(ピッグ)という粘土で壺を作ってくれ」という注文を「pig(豚)」と聞き違えた、という話がよく紹介されます。話としてはよくできているのですが、言葉の歴史をたどる人たちはこの筋書きを支持してい...
からだの話

つむじはなぜ渦を巻いているのか、日本人は右巻きと左巻きが半々

つむじは、おなかの中にいたころ、ふくらんでいく脳に頭の皮膚が外へ引っ張られてできた渦の中心だと考えられています。髪は頭皮から垂直に生えているわけではなく、少し斜めに寝た状態です。その傾きが引っ張られた向きにそろうと「毛の流れ」ができ、流れが...
言葉と論理の話

こむら返りの「こむら」とは何か、なぜ寝ている間に足がつる?

「こむら返り」の「こむら」は、ふくらはぎの古い呼び名です。平安時代の辞書にはすでに「古无良(こむら)」と書かれていて、江戸時代の後期に「ふくらはぎ」という新しい言葉が広まるまでは、こちらがふつうの名前でした。いまの共通語では、ほぼ「こむら返...
言葉と論理の話

「姑息」は卑怯という意味なのか、姑はしゅうとめではなかった

「姑息(こそく)」の本来の意味は「一時しのぎ」「その場しのぎ」で、「卑怯(ひきょう)」という意味はもともと含まれていません。「姑」はしばらく、「息」は休むを表します。しばらくの間息をつくことから、一時の間に合わせにすることを指すようになりま...
言葉と論理の話

「潮時」を終わりと取る人が多数派に、本来はどんな時を指す?

「潮時」は、本来は物事を始めたり終えたりするのにちょうどよい時を指す言葉です。もとは海の潮が満ちる時・引く時のことで、潮の具合がよい時という使い方から「好機」の意味が広がりました。辞典の語釈には「始める」と「やめる」が並んで書かれていて、「...
言葉と論理の話

「ずさん」はなぜ「杜撰」と書くのか、杜は人の名前?

「ずさん」を漢字で書くと「杜撰」です。「撰」は詩や文章を作ること、「杜」は中国・北宋の詩人である杜黙(ともく)の名字だとする説がよく知られています。杜黙の作る詩は漢詩のきまりに合わないものが多く、そこから「きまりに合わないもの」を杜撰と呼ぶ...
言葉と論理の話

「気が置けない」は何が置けないのか、半数近くが逆に取っている

「気が置けない人」は、遠慮も気づかいもいらずに打ち解けられる相手をほめる言葉です。「油断できない人」「気をつかう相手」という意味ではありません。「何となく打ち解けられない」を表す「気が置ける」を、「ない」で打ち消した形だからです。ところが文...
言葉と論理の話

「縁起」はどこから来た言葉か、万葉集ではいきさつの意味だった

「縁起」は、もともと仏教の言葉です。正式には「因縁生起(いんねんしょうき)」といい、あらゆる物事は原因と条件が重なって起こる、という教えを指します。この教えには、良い縁起も悪い縁起もありません。その言葉が「物事の起こり」の意味に広がり、日本...