「油を売る」の油は、江戸時代に売り歩かれていた髪油のことです。髪油の行商人が客を相手に世間話をしながら商っていたところから、仕事の途中で無駄話をして怠けることを指すようになりました。用例は川柳集『柳多留拾遺』(1801年)にあり、二百年以上使われている言い回しです。
慣用句は、二つ以上の語が結びついて全体で別の意味になる言い方を指します。ここでは辞典に見出しとして載っているものから30語を選び、五つの系統に分けました。由来がはっきり残っている語もあれば、辞典自身が断定を避けている語もあります。
一覧で見る:30の慣用句と意味

先に30語を並べておきます。どれも耳にしたことのある言い回しのはずですが、由来まで知っているものはいくつあるでしょうか。
| 慣用句 | 意味の芯 |
|---|---|
| 頭が下がる | 相手に敬服して、自然と敬意がわく |
| 目から鱗が落ちる | きっかけを得て、急に物事がよく見える |
| 耳が痛い | 弱点を突かれて、聞くのがつらい |
| 手を焼く | 扱いに困る。てこずる |
| 足を洗う | 好ましくない仕事や生活から抜け出る |
| 腹を割る | 本心を包み隠さず打ち明ける |
| 口が滑る | 言ってはいけないことをうっかり言う |
| 鼻が高い | 誇らしい。得意である |
| 顔が広い | 交際範囲が広く、知り合いが多い |
| 首を長くする | 今か今かと待ち焦がれる |
| 舌を巻く | 非常に驚き、感心する |
| 肝を冷やす | 危ない目に遭って、ひやりとする |
| 猫の手も借りたい | 手が足りず、非常に忙しい |
| 猫を被る | 本性を隠して、おとなしそうに見せる |
| 馬が合う | 気がよく合う。意気投合する |
| 犬猿の仲 | きわめて仲が悪い間柄 |
| 鶴の一声 | 議論を鎮める、有力者のひと言 |
| 雀の涙 | ごくわずかなもの |
| 油を売る | 無駄話をして仕事を怠ける |
| 板に付く | 経験を積んで、動作や態度がしっくり合う |
| 元の木阿弥 | よくなったものが、再び元に戻る |
| 胸を借りる | 実力のある相手に稽古をつけてもらう |
| 御破算 | それまでの行きがかりを捨てて元に戻す |
| 拍車をかける | 物事の進み方を一段と速める |
| 流れに棹さす | 物事が思いどおりに進む |
| 檄を飛ばす | 主張を広く知らせ、決起を促す |
| 白羽の矢が立つ | 多くの中から選び出される |
| 鯖を読む | 数を実際よりごまかす |
| 図に乗る | いい気になって勢いづく |
| 二の足を踏む | 思い切れずにためらう |
体の部分を使った慣用句は、どこを借りているか

慣用句にいちばん多く登場するのが体の部位です。誰にでも同じものがあるので、説明なしで通じるという強みがあります。
頭から耳までを使った三つ
顔から上だけで、敬意・理解・自省の三つを言い分けています。
頭が下がる
相手の行いに敬服して、自然と頭が下がる。感謝や敬意を表すときに使います。
よく似た「頭を下げる」は自分の意思でする動作ですが、こちらはそうせずにいられない状態を指します。動詞が自動詞になっているところが要です。
目から鱗が落ちる
何かをきっかけに、急に物事の実態が見えるようになること。出どころは新約聖書の「使徒行伝」第9章です。
日本語としての古い例は『引照新約全書』(1880年)にあり、聖書の翻訳とともに入ってきた言い方でした。三十語の中では珍しく、ヨーロッパから来た語になります。
耳が痛い
他人の言葉が自分の弱点を突いていて、聞くのがつらい。
「耳が痛いです」と受ける形で使われることが多く、言われた側が非を認めたという合図にもなっています。返答として定型化した、珍しい慣用句でしょう。
手足と腹を使った三つ
こちらは動きのある三つ。焼く・洗う・割ると、どれも動詞が生々しいのが特徴です。
手を焼く
扱いに困る。てこずる。熱いものをつかんだときの感覚を、手に負えない状況に重ねた言い方です。
近い語に「手に余る」がありますが、余るのは量や力量の話。焼くのは、扱いにくさそのものを指します。
足を洗う
汚れた足を洗うように、悪事や好ましくない職業から抜け出ること。もとは娼妓や芸人が勤めをやめて堅気になる意でも使われました。
古い用例は『玉塵抄』(1563年)にあり、室町期までさかのぼります。いまは煩わしい仕事をやめる場面にも広く使われています。
腹を割る
本心を包み隠さず打ち明ける。腹が本心のある場所だという見方が前提にあります。
用例は長塚節の『開業医』(1909年)。「腹を探る」「腹が立つ」と並べると、腹をめぐる語の多さに気づきます。
気持ちが体に出る慣用句には何があるか

前の系統が動作なら、こちらは感情です。心の動きを、体の変化に置き換えて言い表します。
顔まわりで言う三つ
口・鼻・顔と、外から見える場所ばかりを使った三つです。
口が滑る
言ってはいけないことを、うっかり言ってしまう。
口が自分の意思とは別に動いた、という捉え方になっています。言い訳としても使えるのは、この他人事のような言い方のおかげでしょう。
鼻が高い
誇らしく、得意である。身内の活躍を喜ぶときによく使われます。
同じ鼻でも「鼻にかける」となると、自慢して嫌味だという評価に変わります。高いのは誇り、かけるのは自慢。鼻ひとつで褒めも貶しもできるわけです。
顔が広い
交際範囲が広く、知り合いが多いこと。
「顔が利く」は知られているだけでなく、融通がきくところまで含みます。広さと効き目の違いです。
待つ・驚く・恐れるを言う三つ
首を伸ばし、舌が止まり、肝が冷える。感情の強さを、体の反応の大きさで測っています。
首を長くする
今か今かと待ち焦がれること。遠くを見ようとして首を伸ばす仕草が、そのまま語になりました。
待つ対象は、人でも知らせでも構いません。ただし悪い知らせを待つ場合には使いません。
舌を巻く
非常に驚き、感心すること。あまりの見事さに舌が動かなくなる様子を指します。
驚きを表す語ですが、使われるのはほぼ感心の場面だけ。恐怖や不快な驚きには使われません。
肝を冷やす
危ない目に遭って、ひやりとすること。肝は昔から、度胸や勇気の宿る場所とされてきました。
だから「肝が据わる」は落ち着いていること、「肝を冷やす」はその逆ということになります。
動物が出てくる慣用句は、何をたとえているか

動物の慣用句は、その動物の評判をそのまま借りてきます。猫は役に立たず、鶴は格が高い。昔の人の見立てが、そのまま残った形です。
猫と馬で言う三つ
身近な動物ほど、たとえに使われる回数が多くなります。猫は二つも引き受けています。
猫の手も借りたい
手が足りず、非常に忙しいこと。用例は浄瑠璃『関八州繋馬』(1724年)にあります。
ここでの猫は、役に立たないものの代表として選ばれています。その猫の手まで借りたいほど、という誇張が効いている語です。
猫を被る
本性を隠して、おとなしそうに見せること。用例は歌舞伎『盲長屋梅加賀鳶』(1886年)。
前の語では役立たずだった猫が、ここではおとなしい生きものの代表になります。同じ動物でも、借りてくる性質は語ごとに違うわけです。
馬が合う
気がよく合う。意気投合すること。辞典は「馬とその乗り手の呼吸がぴったり合うの意からの語か」としています。
末尾の「か」に注目してください。よく知られた説明であっても、辞典は断定を避けている。由来がはっきりしない慣用句は、実は少なくありません。
犬と鳥で言う三つ
仲の悪さ、声の大きさ、体の小ささ。動物のどこを借りるかが、三つとも違います。
犬猿の仲
きわめて仲が悪い間柄のこと。犬と猿は仲が悪いものとされてきました。
同じ意味の「水と油」と比べると、違いがはっきりします。あちらは混ざらない物どうし、こちらは争う生きものどうし。剣呑さが見える分、犬猿のほうが強く響きます。
鶴の一声
多くの人の議論を一度で鎮めてしまう、有力者のひと言。用例は『有馬大鑑迎湯抄』(1678年)にあります。
辞典にはもうひとつ、胡銅製で無紋の花入れの名という語義も載っています。同じ言葉が、会議の場と床の間の両方にあったわけです。
雀の涙
ごくわずかなもののたとえ。退職金や昇給の額について使われることが多い語です。
小さい鳥のさらに涙という、小ささの二段構え。少なさを嘆く場面で、角を立てずに言える言い方になっています。
仕事や芸から生まれた慣用句は、どんな現場の言葉か

由来がはっきり残っているのは、この系統です。商い・芝居・相撲・算盤と、どれも人が毎日通っていた場所から出ています。
商いと芝居から出た三つ
江戸の町の景色がそのまま残っている三つ。一つは武将の名前まで残しています。
油を売る
無駄話をして仕事を怠けること。髪油を売り歩く者が、客を相手に話し込みながら商っていたところから来ています。
用例は『柳多留拾遺』(1801年)。怠けているのではなく商売の一部だったはずですが、外から見ると油を売る姿が長話に見えた、ということでしょう。
板に付く
経験を積んで、動作や態度がしっくり合うこと。ここでの「いた」は舞台を指します。
もとは役者の芸が舞台に調和することを言いました。いまは服装や肩書きが似合う場合にも使われ、織田作之助の『夫婦善哉』(1940年)にも例があります。
元の木阿弥
一度よくなったものが、再び元の状態に戻ること。戦国武将の筒井順昭が病死した際、死を隠すため、子の順慶が成人するまで声の似ていた木阿弥を身代わりに立てたという話に基づきます。
役目が終わると、木阿弥は元の身分へ戻りました。慣用句に個人名がそのまま残っている、珍しい例です。
相撲と道具から出た三つ
稽古場と、馬具と、算盤。三つとも、現物を知らないと意味が取りにくい語です。
胸を借りる
相撲で、上位の力士に稽古の相手をしてもらうこと。転じて、実力のある相手に練習相手になってもらう意で使われます。
借りるのが力でも技でもなく、胸だというのが独特です。胸を出す側と、ぶつかる側の関係がそのまま言葉になっています。
御破算
そろばんの珠を全部払い、新しい計算ができる状態にすること。「御破算で願いましては」の掛け声でおなじみです。
そこから、それまでの行きがかりを一切捨てて元に戻す意になりました。計算のやり直しが利く、という前向きな含みも残っています。
拍車をかける
物事の進み方を一段と速めること。拍車は乗馬靴のかかとに付ける金具で、馬の腹に当てて進ませる道具です。
用例は菊池寛の『恩讐の彼方に』(1919年)。すでに走っている馬をさらに速める道具なので、止まっているものには使えません。
由来をたどると意外な慣用句は、もとは何を指したか

最後は、いま使われている意味と、もとの意味がずれている語です。ずれ方にも種類があります。
本来の意味からずれてきた三つ
三つとも、辞典が本来の意味をはっきり書いている語。にもかかわらず、別の意味で使われることが増えました。
流れに棹さす
棹を川底に突いて水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進むこと。
「時流に逆らう」の意味で使うのは本来の用法ではありません。棹は流れを止める道具ではなく、進むための道具です。文化庁の世論調査でも、たびたび取り上げられてきました。
檄を飛ばす
自分の主張を広く人々に知らせて同意を求め、決起を促すこと。
「激励する」という意味で使われることが多いのですが、辞典はこれを誤用が定着した例として補説に挙げています。「檄」と「激」は別の字です。
白羽の矢が立つ
人身御供を求める神が、望む少女の家の屋根に人知れず白羽の矢を立てるという俗説から。もとは犠牲者として選び出されることを指しました。
いまは多くの中から抜擢される、という明るい意味で使われます。誤用というより、意味が反転したまま定着した例でしょう。
数と足取りから出た三つ
ずれの方向が違う三つ。由来そのものが、辞典でも確定していないものが混じります。
鯖を読む
数を実際よりごまかすこと。年齢を若く言うときによく使われます。
魚市で鯖を数えるとき、わざと急いで数をごまかしたといわれますが、辞典はこれを「一説に」として載せています。広く知られた由来が、確定していない一例です。
図に乗る
いい気になって勢いづくこと。「ず」には「頭」の字を当てることも多いとされます。
もとは、思うように事が運ぶという意味でした。そこから、うまくいってつけあがるほうへ意味が傾いています。褒め言葉が悪口に変わった形です。
二の足を踏む
一歩目は踏み出したものの、二歩目はためらってその場で足踏みする。思い切れずに迷う様子を指します。
ためらいを、歩数という具体的な数で言い分けたところが独特。まったく動けないのではなく、一歩は出ている点が肝です。
豆知識:慣用句とことわざは、どこで線が引かれるか

30語を並べてみて気づくのは、ことわざとの違いが意外にはっきりしていることです。見分ける手がかりは二つあります。
文の形になっているかどうか
まず形で分かれます。「猿も木から落ちる」は主語と述語がそろった文ですが、「油を売る」は述語だけ。誰が油を売るのかは、使われる場面が決めます。
内容も違います。ことわざは教訓や風刺を述べますが、慣用句は状態や動作を言い表すだけで、教えを含みません。「足を洗う」に、足を洗えという勧めは入っていないわけです。
意味が足し算にならないのが慣用句
もうひとつの手がかりは意味の作り方です。「油」と「売る」の意味を足しても「怠ける」にはなりません。語の意味を足しても全体の意味にならないこと。これが慣用句の定義の核にあたります。
そのため直訳が利きません。「足を洗う」を wash one’s feet と置き換えても意味は通らず、辞書は別の言い回しを当てることになります。
逆にいえば、足し算で意味が通るなら、それは慣用句ではなくただの語の組み合わせだということです。
| 見る場所 | ことわざ | 慣用句 |
|---|---|---|
| 形 | 主語と述語がそろった文 | 述語だけの句 |
| 内容 | 教訓や風刺を述べる | 状態や動作を言い表す |
| 意味の作り方 | 語の意味からおおむね読める | 語の意味を足しても読めない |
| 例 | 猿も木から落ちる | 油を売る |
30語を並べてみると、慣用句が借りているのは体と動物と、仕事の現場でした。どれも、説明しなくても誰もが知っているものばかりです。身近なものを借りたからこそ、短い一言で通じるようになりました。
慣用句が長く残るのは、たとえが巧みだからではありません。借りてきたものが身近すぎて、古びなかったからです。髪油の行商はとうに消えましたが、油を売るという言い方だけが残っています。
参考
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