「情けは人の為ならず」は、情けをかけるとその人のためにならない、という意味ではありません。人にかけた情けは巡り巡って、よい報いとなって自分に返ってくる。これが本来の意味です。文化庁の国語に関する世論調査では、本来の意味で理解している人と逆の意味で取る人がほぼ半々という結果が、複数回にわたって出ています。
ここでは辞典に見出しとして載っていることわざから、よく使われる30語を五つの系統に分けました。意味に加えて、その言い回しがどこから来たのかも添えています。たどってみると、覚えていた形と辞典の形が食い違っている語がいくつもありました。
一覧で見る:30のことわざと意味

まず30語を一息に見渡せるようにしました。読みに迷う語はほとんどないので、意味の芯だけを並べています。
| ことわざ | 意味の芯 |
|---|---|
| 猿も木から落ちる | その道に優れた者でも、時には失敗する |
| 弘法にも筆の誤り | 書の名人でも書き損じることがある |
| 河童の川流れ | 泳ぎの達者な者でも水に流されることがある |
| 急がば回れ | 急ぐときほど、確実な道を行くほうが早い |
| 石橋を叩いて渡る | 用心の上にも用心を重ねる |
| 転ばぬ先の杖 | 失敗しないよう、前もって手を打っておく |
| 石の上にも三年 | 辛抱して続ければ、やがて報われる |
| 千里の道も一歩から | 大きな事業も、手近なところから始まる |
| 塵も積もれば山となる | わずかなものでも積もれば大きくなる |
| 七転び八起き | 何度失敗しても、そのたびに立ち直る |
| 好きこそ物の上手なれ | 好きなことは熱が入るので上達が早い |
| 雨垂れ石を穿つ | 小さな力でも続ければ成し遂げられる |
| 情けは人の為ならず | かけた情けは巡り巡って自分に返る |
| 親しき中にも礼儀あり | 親しい間柄でも、守るべき礼儀はある |
| 類は友を呼ぶ | 気の合う者どうしは自然と集まる |
| 朱に交われば赤くなる | 人は交わる相手によって変わる |
| 出る杭は打たれる | 頭角を現す者は、とかく妬まれる |
| 船頭多くして船山に上る | 指図する人が多いと、見当違いの方へ進む |
| 百聞は一見に如かず | 百回聞くより、一度見るほうが確かだ |
| 井の中の蛙大海を知らず | 狭い世界しか知らずに得意になっている |
| 灯台下暗し | 身近なことは、かえってわかりにくい |
| 覆水盆に返らず | 一度してしまったことは取り返せない |
| 光陰矢の如し | 月日の過ぎるのは矢のように早い |
| 良薬は口に苦し | ためになる忠告ほど、聞くのはつらい |
| 二階から目薬 | 遠回りで、思うように効き目がない |
| 馬の耳に念仏 | いくら説いても、相手に通じない |
| 花より団子 | 見た目の風流より、実のあるほうを取る |
| 棚から牡丹餅 | 思いがけない幸運が転がり込む |
| 二兎を追う者は一兎をも得ず | 二つを同時に狙うと、どちらも逃す |
| 犬も歩けば棒に当たる | 動けば災難にも、思わぬ幸運にも出会う |
うっかりを戒めることわざは、誰の失敗にたとえたか

失敗を戒めることわざは、たいてい誰かの失敗を借りて語られます。名人が落ちる姿を先に出すことで、凡人の失敗を許す方向へ働くのがこの系統の特徴です。
名人でも落ちることを言った三つ
同じ内容を、別の名人に置き換えて言った三つ。辞典も、この三つを互いの類語として並べています。
猿も木から落ちる
木登りの上手な猿でも、時には誤って落ちる。その道に優れた人でも失敗することがある、というたとえです。確かめられる古い用例は俳諧集『鷹筑波』(1638年)にあります。
失敗した相手を慰めるときに使う言葉で、自分の失敗に当てると言い訳めいて響きます。
弘法にも筆の誤り
書の名人である弘法大師でも、書き損じることはある。用例は滑稽本『笑註烈子』(1782年)までさかのぼれます。
三つの中ではいちばん格が高く、相手を持ち上げながら失敗を流せる言い方でしょう。
河童の川流れ
水の中を自在に泳ぐ河童でも、流されることがある。三つのうちこれだけが、実在しない生きものを引き合いに出しています。
用例は滑稽本『浮世名所図会』(1829年)にあり、三つの中では新しい部類に入ります。
先に備えることを説いた三つ
こちらは失敗したあとではなく、起きる前に手を打つ側の言葉です。用心の深さが少しずつ違います。
急がば回れ
急ぐときほど、危険な近道より遠回りでも確実な道を選んだほうが早く着く、という意味。宗長の歌「武士のやばせの船は早くともいそがば廻れ瀬田の長橋」が出典とされがちです。
ところが辞典の見方は違います。この歌からことわざが生まれたのではなく、すでに知られていたことわざを歌に詠み込んだものだろう、というのです。歌のほうが後でした。
石橋を叩いて渡る
壊れるはずのない石の橋まで、叩いて確かめてから渡る。用心の上に用心を重ねることを、誇張して言った形です。
「叩いても渡らない」と続ければ、慎重すぎる人への皮肉になります。
転ばぬ先の杖
転んでからでは杖は間に合いません。前もって用心しておくことと、そのために用意しておくものの両方を指します。
辞典は英語の Prevention is better than cure(予防は治療にまさる)を近い言い回しとして挙げています。
続けることの値打ちは、どう言い表されてきたか

続ければ報われる、という教えは数の多い系統です。何をもって「続いた」と見るかが、ことわざごとに違います。
時間や量で言った三つ
長さや積み重なりを、目に見える形に置き換えた三つ。数字が入ると急に手ざわりが出ます。
石の上にも三年
冷たい石の上でも三年座り続ければ温まる、という意から。三年は具体的な年限ではなく、長い間のたとえです。
『毛吹草』(1638年)に見え、江戸の前期にはもう使われていました。四百年近く、同じ数字のまま残っている言い方になります。
千里の道も一歩から
どんな大きな事業も、手近な一歩から始まる。辞典は「千里の行も足下に始まる」を類語に挙げます。
同じ意味を漢文調にした形で、異形として「千里の道も一歩より起こる」も載っています。
塵も積もれば山となる
ごくわずかなものでも、数多く積み重なれば大きなものになる。出どころは仏典『大智度論』の巻九四だと辞典は記しています。
千数百年前の経典の一節が、いまは貯金や勉強の話で持ち出されているわけです。
立ち直る力を言った三つ
一度で終わらないことを前提にした三つ。失敗を織り込んでいる点が、前の三つと違います。
七転び八起き
七度転んで八度起き上がる、という意から。何度失敗してもそのたびに奮起することを言います。
転んだ数より起きた数が一つ多く、最後は立っている形で終わる。人生の浮き沈みそのものを指すこともあります。
好きこそ物の上手なれ
好きなことには自然と熱が入るので、上達が早い。江戸期の俳諧書には「器用さとけいことすきと三つのうちすきこそものの上手なりけれ」という狂歌が引かれています。
器用さ・稽古・好きの三つを並べ、そのうち「好き」を最上位に置いた形です。
雨垂れ石を穿つ
小さな力でも根気よく続ければ、いつかは成し遂げられる。『漢書』枚乗伝の「泰山の霤は石をも穿つ」が出どころで、紀元前二世紀の文章です。
たとえに選ばれたのが、雨垂れという最も弱い力だという点。そこにこの語の妙があります。
人づきあいを言ったことわざは、何を戒めているか

人との距離をどう取るかを説く系統です。褒め言葉に見えて、裏に戒めが隠れているものが混ざります。
相手との距離を言った三つ
近づきすぎることと、離れすぎることの両方を扱う三つ。どれも相手ありきの言葉です。
情けは人の為ならず
人にかけた情けは巡り巡って、よい報いとなって自分に返ってくる。「その人のためにならない」と取るのは本来の意味ではありません。
文化庁の国語に関する世論調査では、本来の意味で理解している人と逆に取る人がほぼ同じ割合という結果が、複数回の調査で続いています。誤りというより、二つの読みが並び立っている状態に近いでしょう。
親しき中にも礼儀あり
親しい間柄でも、守るべき礼儀はある。ここで注意したいのは表記です。辞典の見出しは「仲」ではなく「中」になっています。
人と人の「仲」ではなく、親しさの只中という捉え方。変換候補につられて「仲」と書いてしまいがちな語の一つです。
類は友を呼ぶ
気の合う者や似た者どうしは、自然と寄り集まる。『易経』繫辞上伝の「方は類を以て聚まり、物は群を以て分かる」から来ています。
褒め言葉にも皮肉にもなり、どちらに転ぶかは文脈しだいです。
集団の中での身の処し方を言った三つ
集団に入ったあとの話をする三つ。個人より場のほうが強い、という前提が共通しています。
朱に交われば赤くなる
人は交わる相手によって、よくも悪くも変わる。朱は赤色の顔料で、触れれば染まるという実感がそのまま語になっています。
子の友人関係を案じるときなど、悪い影響を心配する場面で使われるのがほとんど。良い方向に染まることを言うのには、まず使いません。
出る杭は打たれる
才能を現す者はとかく妬まれ、出過ぎたふるまいをすれば非難される。辞典は「出る釘は打たれる」という形も併記しています。
打たれるのは出たからで、出なければ打たれません。挑戦を止める側の言い分にも、覚悟を促す側の言い分にもなる語です。
船頭多くして船山に上る
指図する人が多すぎると統一が取れず、とんでもない方向へ物事が進む。見出しは「登る」ではなく「上る」です。
船が山を上がっていくという、ありえない絵を出すことで混乱の度合いを示しています。
ものの見方を変えることわざには何があるか

自分の立っている場所を疑わせる系統です。教訓を授けるというより、視点の切り替えを促します。
自分の狭さに気づかせる三つ
見えている範囲がすべてではない、と告げる三つ。二つは中国の古典から来ています。
百聞は一見に如かず
百回聞くより、一度自分の目で見るほうが確かでよくわかる。『漢書』趙充国伝が出どころです。
前漢の将軍が、遠方の敵情について意見を求められた場面の言葉。伝聞で判断せず現地へ行く、という行動とセットの一句でした。
井の中の蛙大海を知らず
井戸の中の蛙は、外に大海があることを知らない。狭い知識にとらわれて得意になっている様子を言います。
略して「井蛙」とも。蛙の側に悪気はなく、知りようがないだけだという点が、この語の苦みでしょう。
灯台下暗し
灯台のすぐ下はかえって暗い。身近なことほど、案外わかりにくいというたとえです。
この灯台は港の灯台ではなく、油皿を載せる室内の燭台を指します。用例は先の「石の上にも三年」と同じ『毛吹草』(1638年)にあり、西洋式の灯台が日本に建つ二百年以上前の言葉でした。
取り返しのつかなさを言った三つ
時間や言葉が戻らないことを扱う三つ。どれも過ぎたあとに効いてくる言葉です。
覆水盆に返らず
一度こぼした水は盆には戻らない。周の呂尚(太公望)を離縁して去った妻が復縁を求めたとき、呂尚が盆の水をこぼし、戻せたら応じようと言って断った故事から。
盆は平たい鉢のこと。夫婦の縁について言うのが本来で、いまは失敗一般に広く使われています。
光陰矢の如し
月日の過ぎるのは飛ぶ矢のように早い。光は日、陰は月を指します。
用例は『曾我物語』(南北朝頃)にあり、六百年以上前から人は同じことを嘆いていたことになります。
良薬は口に苦し
よく効く薬は苦くて飲みにくい。同じように、ためになる忠告ほど聞くのはつらい、という意味です。『孔子家語』六本から。
忠告する側が前置きに使うことが多く、言われる側から持ち出すと覚悟のほどが伝わります。
たとえが面白いことわざは、何を持ち出したか

教訓の中身より、たとえの絵づらが記憶に残る系統です。かみ合わない組み合わせほど、長く生き延びています。
かみ合わない組み合わせの三つ
届かない、通じない、噛み合わない。うまくいかない状態を、絵で見せた三つです。
二階から目薬
二階から下にいる人へ目薬をさそうとする。もどかしくて効き目がないことのたとえです。
届かないことを言うために、わざわざ高低差を持ち出した構図。思いどおりにならない苛立ちまで含んだ語になっています。
馬の耳に念仏
馬にありがたい念仏を聞かせても、何の意味もない。いくら説いても通じない相手を言います。
通じない理由が相手の能力ではなく、聞く耳の種類が違うという点にあるのが面白いところです。
花より団子
花見に行っても、花を眺めるより団子を食べるほうがいい。風流より実利を取ることのたとえです。
非難のようでいて、どこか肯定的に響く語。言う側が自分について使うと、開き直りの味が出ます。
欲と偶然を言った三つ
思いどおりにならないことと、思いがけず転がり込むこと。運を扱った三つです。
棚から牡丹餅
棚の下で口を開けていたら牡丹餅が落ちてきた。思いがけない幸運が転がり込むことをいいます。
略して「たなぼた」。略された形のほうが日常でよく使われる、珍しいことわざでしょう。
二兎を追う者は一兎をも得ず
二匹の兎を同時に追えば、結局どちらも捕まえられない。これは日本古来の言い方ではなく、西洋のことわざの翻訳です。
辞典によれば、幕末にオランダ語・フランス語・英語から並行して入り、明治十年(1877年)の『西洋諺草』で紹介されました。
犬も歩けば棒に当たる
この語には正反対の二つの意味があります。ひとつは、何かをしようとすれば災難にも遭うという戒め。もうひとつは、出歩けば思わぬ幸運に出会うという励ましです。
いろはがるたの最初の札としておなじみですが、どちらの意味で覚えたかで、読み手の性格が少し見える語かもしれません。
豆知識:辞典の見出しは、覚えている形と違うことがある

30語を辞典で引き直したとき、いちばん驚いたのは意味ではなく表記でした。見慣れた形で検索すると、そもそも項目が出てこない語がいくつもあります。
「仲」ではなく「中」、「登る」ではなく「上る」
今回引いた30語のうち、こちらの記憶と辞典の見出しが食い違ったのは三つでした。「親しき中にも礼儀あり」は「仲」ではなく「中」、「船頭多くして船山に上る」は「登る」ではなく「上る」、そして「急いては事を仕損ずる」は「仕損じる」ではありません。
どれも意味は変わらず、日常では通じます。ただ辞典を引くときには引っかかる。変換候補が先に出てくる形と、辞典が見出しに採った形がずれている、というだけのことでしょう。
覚えている形で出てこなかったら、語が無いのではなく書き方が違う。そう思って別の字を試すと、たいてい見つかります。
ことわざ・慣用句・故事成語・四字熟語はどう違うか
まぎらわしい四つですが、分け方の軸は「文の形か」と「出どころが特定できるか」の二つです。下の表に整理しました。
ただし境目はきれいに引けません。「覆水盆に返らず」は故事成語でありことわざでもあり、「一騎当千」は四字熟語であり故事成語でもある。辞典によって、どの分類に入れるかが変わる語も珍しくないのです。
| 分類 | 見分ける軸 | 例 |
|---|---|---|
| ことわざ | 文の形をとり、教訓や風刺を述べる | 猿も木から落ちる |
| 慣用句 | 二語以上が結びつき、全体で別の意味になる | 油を売る |
| 故事成語 | 中国などの古典の故事に出どころがある | 覆水盆に返らず |
| 四字熟語 | 漢字四字で一つの意味をまとめた語 | 不撓不屈 |
こうして並べてみると、ことわざは教訓を伝える道具であると同時に、昔の人が何を見て暮らしていたかの記録でもあります。石の上で三年、雨垂れが石を穿つまでの時間、二階から目薬をさす無理。どれも、実際にその光景を知っている人が作った言い回しです。
では、いま私たちが毎日見ている光景のうち、数百年後まで言葉として残るのはどれでしょうか。
参考
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