有効成分の入っていない錠剤で痛みが和らぐのは、「効くはずだ」と予想した脳が、痛みを抑える物質やドーパミンを実際に出すからです。ただし偽薬のあとに良くなった分のすべてがこの働きではなく、多くは病気の自然な回復などが重なったものとされます。体の不調は自己判断せず、医師や薬剤師に相談してください。
プラシーボの語源は「私は喜ばせよう」

死者のための祈りで歌われたラテン語
「placebo」はラテン語の動詞placere(喜ばせる)の未来形で、「私は喜ばせよう」という意味です。中世の教会では亡くなった人のために夕方に晩課(ばんか)を唱え、その冒頭の一句が「Placebo Domino in regione vivorum(生ける者の地で、私は主を喜ばせよう)」でした。旧約聖書の詩編116編9節をラテン語に訳した文です。
英語の聖書ではこの節は「主の前を歩もう」と訳されていて、「喜ばせよう」の語は出てきません。ラテン語訳でたまたま選ばれた一語が、のちに医学の言葉として世界に広まったことになります。
おべっか使いの意味を経て薬の名前へ
葬儀の席でこの祈りを歌い、遺族からごちそうや礼金をもらおうとする人がいたため、「プラシーボを歌う人」はおべっか使いを指す悪口になりました。14世紀のチョーサー『カンタベリー物語』にも、この意味で登場します。
医学の意味が辞典に現れるのは1785年のイギリスです。治すためというより病人を満足させるために出す薬、という説明でした。相手の機嫌をとる言葉が、患者の気持ちを落ち着かせる薬の名前になったわけです。
プラシーボとプラセボは同じ言葉
日本の医療の現場では「プラセボ」と書くのが普通で、日本語では偽薬(ぎやく)とも呼びます。「プラシーボ」は英語の発音に近い表記で、一般向けの本や雑誌ではこちらもよく使われます。
今のプラセボは錠剤だけではありません。MSDマニュアルは、電気刺激のふりをする装置や、切開だけで中身のない模擬手術もプラセボに含めています。「本物に見えるが効き目の成分や操作を抜いたもの」全般を指す言葉になっています。
「3割に効く」という数字はどこから来た?

1955年の論文「強力なプラセボ」
プラセボはおよそ3割の人に効く、という話の出どころは、アメリカの麻酔科医ヘンリー・ビーチャーが1955年に医学誌JAMAへ出した論文です。題名はずばり「The Powerful Placebo(強力なプラセボ)」でした。
ビーチャーは手術後の痛みや船酔い、頭痛など15の研究を集めました。偽薬を受けた1,082人のうち平均35%が満足できるほど楽になった、というのが論文の主張です。この数字は教科書や雑誌に繰り返し引かれ、プラセボの力を示す代表的な根拠になりました。
40年後の見直しで出た反論
1997年、ドイツの研究者キーンレとキーネがビーチャーの集めた15の研究を読み直しました。結論は厳しく、どの研究にもプラセボそのものの効果を示す証拠は見つからなかったというものです。
2人が挙げた理由は、病気が自然に治っていく経過や、症状の日ごとの波でした。偽薬と同時に受けていた別の治療の影響も見落とされていました。偽薬を飲んだあとに良くなっても、その全部が偽薬のおかげとは限らないということです。
偽薬のあとに良くなる四つの理由
研究者は、偽薬のあとの改善を「プラセボ反応」と呼び、本当に偽薬が引き起こした分(プラセボ効果)と分けて考えます。中身を分けると次のとおりです。
| 理由 | 起きていること | 偽薬のおかげか |
|---|---|---|
| 自然な回復 | かぜや腰痛は、何もしなくても日がたてば軽くなる | ちがう |
| 症状の波 | 頭痛や胃の不調は、日によって強い日と弱い日がある | ちがう |
| 平均への回帰 | いちばんつらい時に受診するので、次に測るとたいてい軽く出る | ちがう |
| 脳の反応 | 「効く」と予想した脳が、痛みを抑える物質などを出す | そう |
※ 平均への回帰とは、たまたま極端な値が出たあとは、次の測定でふだんの値に近づきやすいという統計の性質のことです。
上の三つは、偽薬の代わりに何もしなくても同じように起こります。最後の一つだけを取り出すには、偽薬を飲む人と何もしない人を比べる必要があります。
偽薬と「何もしない」を比べると何が残る?

130件の試験を集めた2001年の分析
2001年、デンマークの研究者フロービャルトソンとゲッチェが、偽薬を受ける組と何も受けない組をくじで分けた試験を130件集めました。対象の病気は40種類ほどにわたり、結果は医学誌NEJMに「プラセボは無力か?」という題で載っています。
血圧や検査値のように機械で測る結果では、偽薬の組と何もしない組にはっきりした差は出ませんでした。差が出たのは、痛みのように本人が答える結果のほうです。偽薬は体の数値を動かすというより、感じ方に働くということになります。
痛みは100ミリの物差しで6.5ミリ
痛みを扱った27件の試験では、偽薬に小さいながら確かな効果がありました。痛みの強さを100ミリの線の上に印で示してもらう方法で、偽薬の組は何もしない組より平均6.5ミリ軽かったのです。
「強力」とまでは言えないが、ゼロでもない。これが今の多くの研究者の見方に近いところです。その小さな差が体の中のどんな仕組みから生まれるのかは、20年以上前から調べられていました。
脳の中では何が起きている?

親知らずを抜いた患者で試した1978年の実験
アメリカのレバインらは、下あごの親知らずを抜いた患者の術後の痛みを調べました。手術から3時間後と4時間後に、偽薬かナロキソンという薬を、患者にも医師にもどちらか分からない形で与えます。
※ ナロキソンとは、モルヒネや、脳が自分で作る鎮痛物質(エンドルフィンなど)の働きを打ち消す薬のことです。
偽薬で痛みが和らいだ人にあとからナロキソンを与えると、痛みが強まりました。偽薬が効かなかった人には変化がありません。偽薬による鎮痛は、脳が自前の鎮痛物質を出すことで起きている、と考えられるようになった実験です。結果は1978年に医学誌ランセットに載りました。
パーキンソン病の患者でドーパミンが出た
2001年にはカナダの研究チームが、パーキンソン病の患者に偽薬を与え、PET(陽電子放射断層撮影)で脳を撮影しました。パーキンソン病は、体の動きにかかわるドーパミンが脳で足りなくなる病気です。
偽薬を受けた患者の脳では、線条体(せんじょうたい)という部分でかなりの量のドーパミンが放出されていました。チームは科学誌サイエンスで、プラセボ効果は傷んだドーパミンの回路を実際に動かしていると報告しています。「気のせい」ではなく、脳内の物質の量が変わっていたのです。
「予想」と「慣れ」の二つの道
脳がこう反応する道筋は、大きく二つと考えられています。一つは「この薬は効く」という説明や見た目から生まれる予想です。もう一つは、ベルの音でよだれを出すようになったパブロフの犬のような、体の覚え込みにあたります。
何度も薬を飲んで楽になった経験があると、錠剤を飲むしぐさそのものが体の合図になります。中身が偽物でも、飲んだという手がかりだけで体が先回りして反応するわけです。
値段や飲む回数で効き目が変わる

2.5ドルの錠剤と10セントの錠剤
2008年、行動経済学者ダン・アリエリーらが82人のボランティアで試したのが値段の実験です。全員に同じ偽薬を渡し、「新しい鎮痛薬」と書いたパンフレットを見せました。違うのは、1錠2.5ドルと伝えるか、10セントに値引きしたと伝えるかだけです。
手首に流す弱い電気の痛みで比べると、2.5ドルと聞いた組では85%の人が痛みが減ったと答えました。10セントの組では61%にとどまります。高いものほど質が良いという思い込みが、痛みの感じ方まで変えたことになります。この研究は2008年のイグ・ノーベル賞(医学賞)に選ばれました。
1日4回の偽薬で潰瘍の治りが違った
オランダの研究者らは1999年、十二指腸潰瘍の薬の試験79件で、偽薬の組の治り方を比べています。偽薬を1日4回飲んだ試験では4週間で44.2%が治ったのに対し、1日2回の試験では36.2%でした。
潰瘍の治りは内視鏡で確かめる客観的な結果なので、目を引く数字です。ただし、これは別々の試験を並べて比べたもので、患者をくじで「4回」と「2回」に分けたわけではありません。試験の年代や患者の違いが混ざっている可能性を、著者たち自身も認めています。
青い錠剤は眠そうに、赤い錠剤は元気が出そうに見える
1996年に英国医師会雑誌(BMJ)に載った研究は、錠剤の色と「どんな効き目がありそうか」の印象を調べた12の研究をまとめています。赤・黄・オレンジは気分を高める薬、青と緑は気持ちを落ち着ける薬に見られやすいという結果でした。
一方で、色によって実際の効き目が変わるかを調べた研究では、結果がそろいませんでした。色は「どう効きそうか」の予想は左右するものの、効き目そのものへの影響ははっきりしていません。
偽薬と知っていても効くのか?

瓶に「プラセボ」と書かれた錠剤
だまさないと効かないのなら、医療で使うのは難しくなります。そこでハーバード大学のカプチャックらは2010年、過敏性腸症候群の患者80人を、偽薬を飲む組と何もしない組に分けました。偽薬の瓶には「placebo pills」とはっきり印刷してあります。
※ 過敏性腸症候群(IBS)とは、検査で異常が見つからないのに、腹痛や下痢・便秘がくり返し起こる病気のことです。
患者には、砂糖の錠剤のように薬の成分は入っていないと説明したうえで、1回2錠を1日2回飲んでもらいました。前向きな気持ちは助けになるが必須ではなく、きちんと飲み続けることが大切だ、とも伝えています。
3週間後に「十分楽になった」人は59%
3週間後に症状が十分楽になったと答えた人は、偽薬の組で59%に上り、何もしない組の35%を大きく上回りました。偽物と分かっている錠剤でも、飲むという行為に体が反応したと考えられています。
ただし参加者は80人と少なく、期間も3週間だけです。結果も本人の答えに頼る症状でした。「知っていても効く」が他の病気や長い期間でも成り立つかは、研究が続いているところです。
アメリカでは偽薬の効き目が年々強まった

1990年から2013年の神経痛の治験
カナダのマギル大学のチームは2015年、神経の痛みに使う薬の試験を1990年から2013年までさかのぼって集めました。すると、アメリカで行われた試験だけ、偽薬の組の痛みの減り方が年を追って大きくなっていました。
ヨーロッパやアジアの試験では、この変化は見られません。同じ時期のアメリカの試験は、期間が平均4週間から12週間へ延びています。参加者も50人足らずから700人超へと大きくなっていて、研究者はこの試験の形の変化が関係していると見ています。
薬の効き目は同じでも差が縮む
この間、本物の薬を飲んだ組の効き方はほとんど変わっていません。偽薬の組だけが良くなったので、両者の差が縮み、新しい薬が「偽薬より効く」と示しにくくなりました。
製薬会社にとっては、良い薬が試験で落とされかねない問題です。プラセボ効果は、薬の開発ではむしろ手ごわい壁として扱われています。
逆向きに働く「ノセボ効果」とは?

副作用を予想すると副作用が出る
「この薬は頭痛が出ることがある」と聞いて飲むと、中身が偽薬でも頭痛を訴える人は珍しくありません。悪いことが起きると予想して実際に不調が出るこの現象は、ノセボ効果と呼ばれます。
「nocebo」もラテン語で、「私は害しよう」という意味です。プラシーボと対になるように、20世紀の半ばに作られた言葉でした。薬の説明書に並ぶ副作用の一覧に目を通すだけでも、ノセボ効果は起こりうるとされます。
スタチンをやめた60人の1年間
2020年にイギリスで行われたSAMSON試験は、コレステロールを下げるスタチンという薬を副作用でやめた60人が対象です。1年を12か月に分け、スタチンの月・偽薬の月・何も飲まない月を4回ずつ、本人に分からない順で過ごしてもらいました。
毎日つける不調の点数(100点満点)の平均は、何も飲まない月が8.0でした。スタチンの月は16.3、偽薬の月は15.4と、ほぼ並んでいます。スタチンで増えた不調のおよそ9割は、偽薬でも同じように出ていた計算です。試験のあと、半数の30人がスタチンを飲み直しました。
病院で偽薬を出してよいのか?

隠して渡すことには賛否がある
MSDマニュアルによると、効く薬がない場合や自然に治る軽い病気で、患者の気持ちを楽にするためにプラセボが使われることがあります。ただ、偽物と伝えずに渡すことについては、医師の間でも賛否が分かれるところです。
信頼関係を壊すので良くないという考えがある一方、何もしないよりはましだという考えもあります。プラセボ効果だけを狙って本物の薬を出すのは、副作用のおそれを負わせるぶん問題がさらに大きいというのがMSDマニュアルの立場です。
新薬の試験に偽薬が欠かせない理由
新しい薬の効き目を確かめる試験では、本物と偽薬を見た目をそろえて配ります。偽薬の組でも自然な回復やプラセボ効果で良くなる人がいるため、その分を差し引かないと薬の本当の力が分からないからです。
※ 二重盲検(にじゅうもうけん)とは、患者だけでなく医師も、誰が本物の薬を受けたか分からない状態で行う試験の方法のことです。
偽の手術でも膝の痛みは同じだけ減った
プラセボとの比較は手術にも使われます。2002年、アメリカのヒューストンの退役軍人病院で、膝の変形性関節症の患者180人を3組に分けた試験がありました。関節の中を削る手術・洗う手術・皮膚を切っただけの偽の手術です。
2年間追いかけても、本物の手術を受けた2組が偽の手術の組より痛みや動きが良くなることはありませんでした。広く行われていた手術の見直しにつながり、プラセボが「効かない治療」を見分ける物差しにもなることを示した例です。
偽薬は体の数値をほとんど動かさず、痛みや不快感の感じ方にそっと働きます。その働きは小さいものの、脳の中の物質が実際に動いた結果でした。ラテン語で「私は喜ばせよう」と名づけられた錠剤が喜ばせていたのは、医師でも神でもなく、効く薬を待っていた自分自身の脳だったのかもしれません。
参考
- MSDマニュアル プロフェッショナル版「プラセボ」
- Hróbjartsson A, Gøtzsche PC. Is the placebo powerless? N Engl J Med, 2001(PubMed)
- Levine JD, Gordon NC, Fields HL. The mechanism of placebo analgesia. Lancet, 1978(PubMed)
- Kaptchuk TJ ほか. Placebos without Deception. PLoS ONE, 2010
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