学校の「起立・礼・着席」はいつから始まったのか — 明治の学制と軍隊式号令が生んだ授業の作法

歴史と変遷の話
スポンサーリンク
スポンサーリンク

「起立、礼、着席」――日本の学校で授業の始まりと終わりに必ず行われるこの動作。当たり前すぎて疑問を持つこともありませんが、実はこの習慣、明治時代の学校制度づくりと、軍隊式の集団行動から生まれたものでした。

「起立・礼・着席」、答えはこの3つ

いつから始まったのか 明治後期、軍隊式の号令文化が学校に取り入れられてから
なぜ集団で同じ動作をするのか 学制発布で、大勢の児童を一斉に管理する必要が生まれたから
なぜ今も続いているのか 起源は意識されなくなったが、授業の区切りを示す習慣として形が残っているから

ここから、それぞれの背景を詳しく見ていきましょう。

江戸時代の寺子屋には、一斉の号令はなかった

寺子屋は、ひとりひとりが自分のペースで学ぶ場

江戸時代の寺子屋では、子どもたちは決まった時間に集まり、それぞれ自分のペースで読み書きやそろばんを学んでいました。先生への挨拶はあっても、全員が同じ動作を同じタイミングで行うような号令文化は基本的に見られません。

「全員で同じ動きをする」発想自体がなかった

寺子屋では、生徒の年齢も学ぶ内容もまちまちで、授業の開始や終了の時間も厳密ではありませんでした。「起立・礼・着席」のような、集団全員が一斉に同じ動きをする習慣は、この時代にはまだ必要とされていなかったのです。

「一斉に動く」必要が生まれたのは、学制発布がきっかけ

着席している小学生たちのイラスト

明治5年の学制発布で「学校」という場が生まれた

明治5年(1872年)の学制発布によって、全国に「学校」という、大勢の子どもが同じ教室で同時に学ぶ場が生まれました。それまで個別に学んでいた寺子屋とは、学びのスタイルが大きく変わったのです。

数十人をひとりの教師が管理するという課題

ひとりの教師が数十人の児童を相手にする授業では、誰がいつ立つのか、いつ静かにするのかを揃える必要が出てきます。こうした集団管理の必要性が、「号令で動きを揃える」という発想の土台になりました。

「起立・礼・着席」は、軍隊式の号令文化が学校に持ち込まれたもの

起立をしている女の子のイラスト

「兵式体操」を学校に取り入れた森有礼(もりありのり)

明治後期、富国強兵(ふこくきょうへい)の流れの中で、当時の文部大臣・森有礼は、軍隊の教練をもとにした「兵式体操」を学校教育に取り入れました。整列・行進・号令といった軍隊式の動作を通じて、規律正しい国民を育てることが目指されたのです。

号令ひとつで切り替える、集団行動の発想

「起立・礼・着席」という一連の動作は、号令ひとつで全員の姿勢と注意を切り替えさせる、軍隊式の集団行動の考え方と共通しています。授業の始まりと終わりにこの号令を入れることで、生徒の気持ちを切り替え、教師への礼儀を示す習慣として、日本の学校文化に根づいていきました。

今では、起源を意識せずに続く”儀式”になっている

現代では、軍隊式の規律という起源を意識する人はほとんどいません。「起立・礼・着席」は、今では授業の始まりと終わりを示す一種の”儀式”として、形だけが受け継がれているといえそうです。

日々何気なく行っているこの動作の裏には、明治の学校づくりと軍隊文化という、意外な歴史が隠れています。次に号令がかかったとき、その背景に少し思いを巡らせてみると、見慣れた教室の風景が違って見えるかもしれません。

 

なぜ日本では義務教育が9年なのか?—学制発布からの教育制度の変化
義務教育とは何か?基本の定義から、学制発布をきっかけに整えられてきた日本の教育制度の変化をわかりやすく解説します