「県庁所在地」が県名と違う県はなぜあるのか — 廃藩置県後、「人心一新」のため県名だけ変えられた

歴史と変遷の話
スポンサーリンク
スポンサーリンク

神奈川県の県庁所在地は横浜市、兵庫県の県庁所在地は神戸市。学校の地理の授業で、「県名と県庁所在地名が違う」という組み合わせを覚えさせられた経験がある人は多いと思います。北海道・宮城県・神奈川県など、こうした”ズレ”のある都道府県は全国に18道府県もあります。なぜこんなにたくさんのズレが生まれたのでしょうか。

県名と県庁所在地名がずれているのは「あとから県名だけ変わった」から

この記事で取り上げる4つの問いと、その答えを先にまとめておくと、次の表のようになります。

問い 答え
県名と県庁所在地名が違う県はいくつあるのか 北海道・宮城県・神奈川県など、全国で18道府県ある
なぜ名前がずれてしまったのか 廃藩置県の直後は県名=県庁所在地名だったが、その後「人心一新」を理由に県名だけ変更された県があったから
「戊辰戦争で負けた藩の名前が消された」は本当か 1941年に唱えられた俗説で、史実とは異なるとされている
県名が変わっても県庁所在地名が変わらなかったのはなぜか 都市そのものは変わらず、行政区画としての「県」の名前だけが切り替えられたため

それでは、ひとつずつ背景を確認していきましょう。

廃藩置県(1871年)の時点では、県名=県庁所在地名だった

1871年(明治4年)、政府は江戸時代から続いていた「藩」を廃止し、すべてを「県」に統一する廃藩置県を実施しました。この時点で誕生した県は305にものぼり、それぞれの県名は、県庁が置かれた場所の地名がそのまま採用されていました。つまり、廃藩置県のスタート地点では、県名と県庁所在地名は基本的に一致していたのです。

市役所のイラスト

統合・改称を経て、現在の18道府県でズレが生まれた

305もあった県は、その後の統合によって数を減らし、明治21年(1888年)には現在とほぼ同じ47都道府県の枠組みに落ち着きます。この統合の過程で、いくつかの県では「県名」だけが変更されました。県庁が置かれた都市はそのまま行政の中心地として残ったため、結果として「県名」と「県庁所在地名」が異なる組み合わせができあがったのです。現在、次の表の18道府県がこのパターンに当たります。

県名 県庁所在地名
北海道 札幌市
岩手県 盛岡市
宮城県 仙台市
茨城県 水戸市
栃木県 宇都宮市
群馬県 前橋市
埼玉県 さいたま市
神奈川県 横浜市
石川県 金沢市
山梨県 甲府市
愛知県 名古屋市
三重県 津市
滋賀県 大津市
兵庫県 神戸市
島根県 松江市
香川県 高松市
愛媛県 松山市
沖縄県 那覇市

なぜ県名だけ変えたのか — 「人心一新」のための改称

仙台県が宮城県になったのは1872年のこと

代表的な例が、現在の宮城県です。廃藩置県の直後、県庁所在地である仙台にちなんで「仙台県」という名前がつけられていました。しかし明治5年(1872年)、政府から派遣された県令(現在の知事にあたる役職)が「人心一新」を理由に改称を願い出て、郡の名前から取った「宮城県」へと変わりました。旧仙台藩は戊辰戦争で政府軍と戦った側だったため、「負けた藩の名前を消すための改称だ」という説が広まりましたが、これは1941年にジャーナリストの宮武外骨が著書の中で唱えたもので、実際の史料からは確認できない俗説とされています。

松山藩・高松藩・松江藩も郡名を新しい県名にした

同じように県名だけが変更された例は他にもあります。松山藩を中心とした地域は「愛媛県」に、高松藩を中心とした地域は「香川県」に、松江藩を中心とした地域は「島根県」に、それぞれ郡の名前を採用した新しい県名へと改められました。県庁が置かれた松山市・高松市・松江市の名前は変わらず、行政区画としての「県」の呼び名だけが切り替えられたわけです。こうした改称の積み重ねが、現在の県名と県庁所在地名のズレにつながっています。

木の看板のイラスト

「戊辰戦争で負けた藩の名前が消された」は都市伝説

1941年に宮武外骨が唱えた説が広まった

「戊辰戦争で幕府側についた藩は、その名前を県名として残してもらえなかった」という説は、ちょっとドラマチックで、いかにも本当らしく聞こえます。この説のもとになったのは、明治・大正・昭和を生きたジャーナリスト、宮武外骨が1941年に発表した著書での主張でした。発表からすでに80年以上が経ち、雑学として広く語られるようになっていますが、政府による公式な方針として記録されているわけではありません。

実際には当てはまらない例も多い

この説の弱いところは、例外が多すぎることです。戊辰戦争で政府軍(新政府側)についた藩の中にも、県名と県庁所在地名がずれている県があります。逆に、幕府側についた藩の名前がそのまま県名として残っている例も少なくありません。つまり、勝ち負けという単純な基準では、現在の県名のパターンをうまく説明できないのです。県名の変更は、勝敗への報復というよりも、新しい行政区画としての一体感を持たせるための、個別の事情による改称だったと考えるのが実情に近いといえそうです。

知っておくと面白い豆知識

18道府県の組み合わせは地域によって偏りがある

県名と県庁所在地名が違う18道府県を見渡すと、関東(茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・神奈川県)や東北(岩手県・宮城県)など、特定の地域にまとまって存在していることが分かります。これは、廃藩置県後の統合の過程で、もともと複数の県や藩が入り組んでいた地域ほど、新しい県名を選び直す必要に迫られたためと考えられています。

県名は「行政区画」、県庁所在地名は「都市」の名前

県名と県庁所在地名が違う、という事実を整理すると、結局のところ「県」と「都市」は別の成り立ちを持つ名前だということが見えてきます。県名は、明治政府が新しく作った行政区画につけた名前であり、政治的な事情で変更されることもありました。一方の県庁所在地名は、城下町や港町として、その土地に古くから根づいていた都市の名前です。地図記号としては同じ場所に重なっていても、その名前の由来や変遷の歴史は、まったく別物なのです。

普段は何気なく覚えている県名と県庁所在地名ですが、その裏には、明治政府が新しい国の形を作るために試行錯誤した跡が残っています。次に地図を眺めるときは、県名と都市名のどちらが先にあった名前なのか、想像してみると面白いかもしれません。