「士農工商」は実はなかった——教科書から消えた身分制度の話

歴史と変遷の話
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「江戸時代には士農工商という身分制度があり、武士を頂点に農民・職人・商人と続いた」——そう習った記憶のある方は多いはずです。ところが今の教科書には、この「士農工商」という言葉がもう載っていません。

じつは近年の研究で、士農工商は身分の序列を表す制度ではなかったことがわかってきました。では本当の江戸社会はどんな仕組みだったのか、そしてなぜ「厳しい身分制度」という話が広まったのか。教わった常識が書き換わった経緯をたどってみましょう。

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まず、通説と今の理解の違い

細かい話に入る前に、「よく知られた通説」と「今の理解」を並べておきます。ここが今回の記事のいちばんの骨です。

よくある通説今の理解
4段階の身分制度があった職業を並べた言葉で、序列の制度ではない
武士→農→工→商の順に偉い農・工・商のあいだに上下はなかった
農民は商人より身分が上百姓と町人に上下関係はない
江戸時代からの厳格な制度「序列」という理解は明治以降の後付け

「士農工商」はもともと何を指す言葉か

四つの職業=すべての民

そもそも「士農工商」は、日本で生まれた言葉ではありません。古代中国にさかのぼる表現で、世の中のあらゆる職業の人、つまり「すべての民」を意味していました。四つの職業で人々の全体を代表させた言い方なのです。

四民(しみん)とは、士・農・工・商の四つをまとめた呼び方で、古代中国では「国じゅうのすべての人々」を指しました。特定の階級の上下を表す言葉ではありません。

「老若男女」と同じ並べ方

イメージとしては「老若男女」に近いと考えるとわかりやすいでしょう。老人も若者も男も女も、と並べて「みんな」を表すのと同じで、士農工商も四つを並べて「あらゆる人」を言い表していました。そこに「どれが上」という順位の意味は、もともと含まれていなかったのです。

序列ではなく分類だった

上下を表す言葉ではない

「士が最初に来るのだから、やはり順位では」と感じるかもしれません。けれども並び順は、必ずしも偉さの順ではありません。書き出しの語呂や、生活に欠かせない順など、序列以外の理由で並ぶ言葉はいくらでもあります。

日本に伝わってからの変化

この言葉が日本で使われるうち、17世紀の半ばごろには「士」が武士を指すようになっていきます。さらに時代が下ると、四つの職業に上下があるかのような読み方が重ねられていきました。もとの「すべての民」という意味が、少しずつ別の色を帯びていったわけです。

江戸時代の本当の社会構造

では、実際の江戸社会はどう分かれていたのでしょうか。四段のピラミッドではなく、もっとシンプルな形でした。

区分住む場所おもな仕事人口のめやす
武士城下町など政治・軍事(支配層)約7%
百姓(ひゃくしょう)農業・漁業・林業など約85%
町人城下町商い・手仕事残り

大きくは武士と、それ以外

支配層の武士は約7%

江戸時代の社会は、まず政治や軍事を担う「武士」と、それ以外の人々に分かれていました。武士は支配する側でしたが、人口に占める割合は約7%ほど。実は全体からすれば、ごく少数派だったのです。

残りの大多数が百姓と町人

のこりの大多数は、村に住む「百姓」と、城下町に住む「町人」でした。とりわけ百姓は人口のおよそ85%を占めます。武士以外の人々を、職業ではなく「どこに住んでいるか」でざっくり分けていた、というのが実態に近い見方です。

百姓と町人に上下はない

分けたのは職業でなく居住地

ここが通説といちばん食い違う点です。百姓と町人は、農業か商業かという職業で線引きされたわけではありません。村に暮らすか、町に暮らすか——住む場所による区分でした。同じ人が場所を変えれば、その区分も変わりうるものだったのです。

序列は設けられていなかった

そして百姓と町人のあいだに、「どちらが上」という序列は置かれていませんでした。農民が商人より偉い、という決まりもなかったわけです。「農は工より上、工は商より上」というピラミッドは、江戸社会の実像とは重ならないといえます。

「農民」のイメージも実は違う

通説がくずれると、その中の「農民」という言葉のイメージも見直す必要が出てきます。百姓は、私たちが思う「農家の人」より、ずっと幅の広い言葉でした。

百姓=農民だけではない

漁業や林業の人も百姓

「百姓」と聞くと田畑を耕す農民を思い浮かべますが、実際にはもっと広い意味を持っていました。海で魚をとる漁師や、山で木を扱う林業の人々も、村に住んでいれば百姓に含まれます。農業だけを指す言葉ではなかったのです。

村に住み年貢を納める人々

百姓をひとことで言えば、村に暮らして年貢(ねんぐ)を納め、社会の生産を支えた人々です。「農民」と訳してしまうと、こうした漁業や林業の広がりがこぼれ落ちてしまう。言葉のずれが、イメージのずれを生んでいたわけです。

町人は商人と職人

城下町に暮らす人たち

一方の町人は、城下町など町に住む人々のことです。こちらも一つの職業を指すのではなく、町という場所に暮らす人のまとまりを表しました。武士でも百姓でもない、町の住人という位置づけです。

商いも手仕事も町人

その中には、店をかまえる商人もいれば、ものを作る職人もいました。つまり「工(職人)」と「商(商人)」は、身分の別々の段ではなく、同じ町人の中の仕事の違いにすぎません。四段のうちの下二段という見方が、いかに実態から離れているかがわかるのです。

では、差別はまったくなかったのか

「序列はなかった」と聞くと、では江戸時代はみな平等だったのか、と早合点しそうになります。そこは慎重に見る必要があります。序列の身分制度がなかったことと、差別がなかったことは、別の話だからです。

武士という支配層はいた

武士だけが持つ特権

まず、武士とそれ以外の人々のあいだには、はっきりとした立場の違いがありました。武士には名字を名乗り刀を差すといった特権があり、政治を動かす側にいました。社会全体が平らだったわけではなく、支配する層は確かに存在したのです。

移動や職業の制限はあった

また、人々が自由に住む場所や仕事を選べたわけでもありません。生まれた身分や土地に応じて、暮らし方に一定の枠がはめられていました。「四段の序列」はなくても、今の感覚での自由や平等とは大きく異なる社会だった、という点は押さえておきたいところです。

別に置かれた被差別身分

「えた・ひにん」と呼ばれた人々

武士・百姓・町人という区分とは別に、「えた」「ひにん」と呼ばれて厳しい差別を受けた人々がいました。住む場所や交わりを制限され、社会の周縁に置かれた立場です。これは士農工商の話とは別の、実際に存在した差別の歴史です。

「制度はなかった」で終わらせない

つまり「士農工商という序列はなかった」という話は、「江戸に差別はなかった」という意味では決してありません。むしろ、実在した差別を正しく見つめるためにも、事実でない図式は手放しておく必要がある。通説をただすことと、過去の重さに向き合うことは、両立するものです。

なぜ「身分制度」だと広まったのか

実態と違うのなら、そもそもなぜ「士農工商=厳しい身分制度」という理解が、これほど広まったのでしょうか。そのきっかけは、江戸のあとの時代にありました。

明治以降に生まれた理解

「四民平等」というスローガン

明治になると、新政府は「四民平等」を掲げて、それまでの身分の区分をあらためていきます。この「平等にする」という掲げ方は、裏を返せば「江戸時代は不平等な身分社会だった」という前提とセットでした。ここで士農工商が、序列の制度として語られやすくなったと考えられています。

「江戸は不平等だった」の物語

新しい時代が自らの正しさを示すには、前の時代を「乗り越えるべき古い世」として描くのが都合よいものです。士農工商のピラミッドは、その物語にぴったりの図でした。こうして後付けの理解が、いつしか「昔からの常識」として定着していったのです。

教科書から消えていった

1990年代末に小中学校から

実証的な研究が進んだのは、1990年代のことでした。近世史の見直しを受けて、1990年代の末には小学校や中学校の教科書から、「士農工商」という表現そのものが姿を消していきます。かつては太字で習った言葉が、静かに退場していったわけです。

2020年、高校からも消滅

そして2020年(令和2年)には、高校の教科書からも士農工商が消えました。今の中学生や高校生は、この言葉を習わずに大人になっていきます。私たちが「常識」と思っていたことは、じつはひと世代ぶんの、限られた時期の教え方だったのかもしれません。

士農工商は、身分の階段ではなく、もとをたどれば「すべての人」を指すおおらかな言葉でした。それが時代の都合で序列の図に描きかえられ、研究によってまた描き直された。歴史の常識は、こうして更新され続けます。私たちが「昔からの常識」と信じているものの中にも、案外あたらしい思い込みが混じっているのかもしれません。