「親の七光り」の七つの光を並べた一覧は、どの辞書にも載っていません。七つの何かが実在しないからです。
この言葉の「七」は、数えるための七ではありません。では何を指しているのか。もとの形をたどっていくと、光の持ち主が親とは限らなかったことまで見えてきます。
言葉を四つの部品に分けてみる

答えは、いったんばらしてみると出てきます。四つの部品それぞれに、辞書が与えている意味を当てはめてみましょう。
| 部品 | この言葉での意味 |
|---|---|
| 親の光 | 親の地位・名声・威光。実際の光ではなく、周囲に及ぶ影響力のたとえ |
| 七 | 数の七ではなく「たくさん」「あらゆる方面」を表す |
| 光り | 本人が発した光ではなく、そのおこぼれ。辞書のいう「余光」 |
| もとの形 | ことわざ「親の光は七光り」を縮めた言い方 |
四つに割ってしまえば、謎めいたところは一つも残りません。厄介なのは、この四つがくっついた瞬間に「七つの光がある」と読めてしまう点です。以下、部品ごとに来歴を追っていきます。
もとの形は「親の光は七光り」だった

今よく使われる「親の七光り」は、ことわざ「親の光は七光り」が短くなったものです。ただし記録をさかのぼると、事情はもう少し込み入っています。
いちばん古い用例は、親の話ですらない
1638年の俳諧書に出る「男の光は七光り」
『精選版 日本国語大辞典』が「七光」の項に挙げる最も古い用例は、俳諧の作法書『毛吹草(けふきぐさ)』のもの。松江重頼が編み、1638年の序を持つ書物です。そこに載るのは「おとこのひかりは七ひかり」という句で、光の持ち主は親ではなく男でした。
同じ辞典は「七光」そのものを、主君や親などの威光が大きく、その余光が長く及ぶことと説明しています。つまり光を放つ側は、はじめから親に限定されていません。仕える主君の威光もまた七光りでした。
1696年の雑俳に出る「親の七ひかり」
親と結びついた形の古い例としては、雑俳『住吉おどり』(1696年)の「千年もおきたや親の七ひかり」が知られています。ここで注目したいのは表記です。ことわざの完全な形ではなく、すでに「親の七ひかり」と縮まっています。
辞典が拾った用例で見るかぎり、略された言い方のほうが先に紙の上へ出てきたことになります。もちろん残った文献がすべてではありませんが、「最近の言葉が短くなった」たぐいの話ではないことは確かでしょう。300年以上前の俳諧が、すでに今と同じ縮め方をしていました。
明治の小説にも顔を出す
泉鏡花『黒百合』の台詞
1899年に発表された泉鏡花『黒百合』には、「親の光は七光じゃよ。こうやって二人並んで歩けば皆途を除けるわい」という台詞が出てきます。並んで歩くだけで人が道を空ける、という具体的な御利益として語られているところが面白いところ。
もともとは悪口ではなかった
鏡花の例は、明らかに得意げです。現代の「あいつは親の七光りだ」という使い方とは温度が違います。恩恵を受けている事実そのものは、かつて隠すべきものでも、後ろ指をさされるものでもありませんでした。
いつ批判の色が濃くなったのか、はっきりした時期はわかっていません。ただ、地位は実力で得るものという前提が行き渡るほど、恩恵を指摘する言葉は刺さるようになります。言葉のほうは変わらず、聞く側の物差しが入れ替わったということでしょう。
「七」は数えるための七ではない

「七」が具体的な七種類を指していない、というのが辞書類のおおむね一致した説明です。日本語には、この使い方をする「七」がいくつも転がっています。
日本語の「七」は「たくさん」の言い換え
なくて七癖、あって四十八癖
「なくて七癖」は、癖がなさそうに見える人でも七つはある、という意味のことわざ。完全な形は「なくて七癖、あって四十八癖」です。癖の多い人は四十八というのですから、数え上げる気がないことは一目でわかります。
ここでの七は「少なめに見積もっても、それなりの数」を表す目盛りにすぎません。四十八のほうも同じで、実数ではなく「やたら多い」を意味しています。
弁慶の七つ道具は中身が定まらない
もう一つの例が「七つ道具」。武蔵坊弁慶が背負ったとされる武具一式で、鉄熊手・大槌・大鋸・まさかり・つく棒・さすまた・そでがらめなどが挙げられます。ところがこの語が文献に出てくるのは江戸時代になってからとされ、しかも挙げられる道具の種類は資料によって一定しません。
七つと言いながら、その七つが確定していない。「七つ道具」の七も、ひとそろい・一式という意味で使われているためです。七光りの七と、まったく同じ働き方をしています。
それでも数えたくなる——後から付いた説明
八方から一つ引く「方角説」
七つの中身を説明しようとする話も、いくつか流布しています。よく見かけるのが方角説。方角は東西南北とその中間で八つあり、子ども自身が立っている一方向を除いた残り七方から親の光が届く、という理屈です。
六道に仏界を足す「七つの世界」説
仏教に結びつける説もあります。六道に仏界を加えた七つの世界を想定し、子がどの世界にいても親の恩恵が届く、という読み方です。「親の光は七所(ななとこ)照らす」という言い方が伝わっていることも、この説の後押しに使われます。
ただし、どちらも辞書が語源として採用している説明ではありません。数えられない七に後から数を当てはめた、いわば逆算の解釈と見ておくのが無難でしょう。「七」が先にあって、七つの中身が後から探されたという順序です。
「光」は本人が放った光ではない

部品のうち、いちばん見落とされやすいのが「光」のほうです。ここには、この言葉が皮肉に転びやすい理由が隠れています。
光は威光のたとえ
余光——沈んだあとに残る明るさ
辞典が「七光」の説明に使うのは「余光」という語でした。
※ 余光(よこう)とは、日が沈んだあとに残る明るさのこと。転じて、先人が残した恩恵という意味でも使われます。
同じ発想の語に「末光(ばっこう)」もあり、こちらもかすかな光から転じておかげ・恩沢を指します。日本語は、他人から受けた利益を光の届く距離で表現してきたわけです。
反射している側の話をしている
ここが肝心なところで、七光りと呼ばれる当人は光っていません。光源はあくまで親や主君であって、子はその光に照らされている側です。月の明るさを太陽の側から説明するようなもの、と言えばわかりやすいでしょうか。
本人の能力について何も述べていない構造だからこそ、この言葉は「実力ではない」という含みを持ちます。悪口として使えてしまうのは、七の曖昧さより、むしろ光の向きのせいです。
「照らす」と言うと範囲の話になる
七所(ななとこ)照らす
「親の光は七所照らす」「親の光は七とこ照らす」といった言い回しも伝えられています。光る、ではなく照らす。動詞が変わると、話の焦点が明るさの強さから、明るさの及ぶ範囲へ移ります。
届く距離が、そのまま恩恵の大きさ
親の威光が「長く及ぶ」「遠くまで届く」と説明されるのも同じ理屈です。強い光ほど遠くを照らし、遠くまで照らせるほど恩恵にあずかれる場面が増える。七という数は、その広がりを表す目盛りとして置かれています。
制度になっていた七光り——律令の蔭位

ことわざが生まれるはるか前、日本には親の地位が子の地位に直結する仕組みが法律として存在しました。蔭位の制です。
※ 蔭位(おんい)とは、律令制のもとで高い位を持つ人の子や孫に位階を自動的に与えた制度のこと。父祖の位に応じて子の位が決まりました。「父祖のお蔭(かげ)で位に就く」という意味です。
親の位で、子の出発点が決まる
21歳になると位が付いた
大宝律令で定められ、選叙令によれば子孫が21歳以上になったときに叙位されたとされます。対象は皇族のほか、諸臣では三位以上の子と孫、五位以上の子。裏を返せば、六位以下の家に生まれた子にこの恩恵はありませんでした。
| 父祖の立場 | 与えられる位階 |
|---|---|
| 親王の子 | 従四位下 |
| 諸王の子 | 従五位下 |
| 一位の嫡子 | 従五位下 |
| 従五位の嫡子 | 従八位上 |
| (参考)大学寮の最優秀卒業者 | 正八位下 |
嫡子と庶子、子と孫で一階ずつ下がる
庶子は嫡子より一階下、孫はさらに一階下と、続柄によって細かく段差が設けられていました。光の届く範囲が距離とともに弱まる、という「七光り」のイメージが、そのまま条文の形になっているような設計です。
学問の成績より、生まれが効いた
大学寮の首席と、五位の子が並ぶ
上の表の最終行が、この制度の性格をよく表しています。官人養成機関である大学寮で最も優秀な成績を収めた者、すなわち対策の上中及第者でも、叙されるのは正八位下にすぎませんでした。これは正五位の子が蔭位で自動的に得る位階と同じだとされます。
難関を突破した秀才の到達点が、ある家に生まれた子の出発点と等しい。もっとも平安前期までは四位以上の高位者がそれほど多くなかったため、大学寮はそれなりの権威を保っていたとも説明されます。
手本にした中国の制度より手厚い
蔭位は、唐の律令にあった任子の制にならった仕組みでした。ただし日本版は、資格者の範囲が中国より狭く、与えられる位階は高いという特徴を持ちます。少数の家に、より濃く光を集める形に組み替えられたわけです。
家柄を重んじる貴族社会の性格が、制度の設計そのものに出ていると評されています。ことわざが皮肉として使われるようになるより千年も前に、七光りは公式の制度でした。
「七光り」は日本語だけの発想ではない

親の威光で得をすることを一語で呼ぶ習慣は、ヨーロッパにもあります。英語のネポティズム(nepotism)がそれで、こちらの語源は数でも光でもありません。
語源は「甥」
ラテン語のnepos から
ラテン語のnepos は、もともと孫や子孫を意味し、のちに甥を指すようになった語です。ここからイタリア語のnepotismo、フランス語のnépotisme(1650年代)が生まれ、英語に入ったのは1669年ごろとされています。
枢機卿甥という役職があった
なぜ甥なのか。中世以降のローマ教皇が、自分の甥を高位聖職者に取り立てる慣行を続けたためです。
※ 枢機卿甥(すうききょうおい、cardinal-nephew)とは、教皇が自身の親族から任命した枢機卿のこと。中世に始まり、16〜17世紀に最も盛んになったとされます。
この「甥」は必ずしも本当の甥ではなく、公にできない実子を指す婉曲表現でもあったと説明されます。言葉の出発点からして、事情はなかなか複雑でした。
1692年に禁じられる
教皇自身が出した禁止令
最後の枢機卿甥が任命されたのは1689年。その3年後の1692年6月22日、教皇インノケンティウス12世が大勅書「Romanum decet pontificem」を出し、この職を廃止しました。以後の教皇が親族から枢機卿にできるのは1人までとされ、親族に与える収入にも年12,000スクードという上限が課されました。
禁じたあとも続いた
効き目のほどは、というと心もとない話が残っています。18世紀の教皇8人のうち、甥や兄弟を枢機卿にしなかったのは3人だけだったとされます。規則ができても、光を分けたい気持ちのほうが強かったということでしょう。
反対側から見ると、別のことわざが並ぶ

光を打ち消す側の言葉
「氏より育ち」は、人柄や振る舞いは家柄よりも育った環境で決まる、という意味のことわざです。上方いろはかるたにも採られた一句。七光りが生まれの効き目を語るのに対し、こちらは生まれの効き目を割り引く側に立ちます。
もう一つ、「親の因果が子に報う」を対に置く辞典もあります。親から子へ届くのが光ではなく報いのほう、という反転。どちらを口にするかで、同じ親子を正反対に描き分けられるところが、ことわざの怖さでもあります。
2022年に生まれた新しい呼び名
英語圏では2022年末、ネポティズムを縮めた「nepo baby(ネポ・ベイビー)」という俗語が一気に広まりました。きっかけはニューヨーク誌が同年12月に組んだ特集「The Year of the Nepo Baby」。有名人の子として業界に入った人々を一覧にして並べた記事でした。
17世紀の教皇庁から出た言葉が、SNSの流行語として蘇った形。日本語が「七」で表した曖昧な多さを、英語は「baby」という一語で言い換えたことになります。
七つの光を数え上げられないのは、この言葉の欠陥ではなく設計です。数が確定していないから、少しの恩恵にも、途方もない恩恵にも同じ言葉が乗る。そして光の量を決めるのは、いつも言われた側ではなく、言った側の見立てのほうです。
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