十二支の順番は誰が決めたのか、猫はなぜ入れなかった?

肩車したネズミたちと猫のイラスト 歴史と変遷の話
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年賀状の干支はネズミで始まり、猪で終わります。その順番を決めたのは、動物ではありません。子・丑・寅という十二の字の並びは三千年以上前の殷(いん)の時代から日を数えるのに使われ、ネズミや牛はあとから当てはめられました。ネズミが一番乗りした競争の民話は、すでにあった順番を説明するために語られた話です。猫がいないのは、動物が当てられたころの中国に家猫がまだいなかったからだ、と考えるのが自然になってきました。

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十二の字はもとは日と月の順番の記号

広げた巻物のイラスト

子から亥までの十二の字は、もともとただの順番を表す記号です。並びそのものは殷の時代には使われていて、ネズミや牛が登場するずっと前に決まっていました。

殷では日の名前に使われた

設楽博己(したらひろみ)編著『十二支になった 動物たちの考古学』(新泉社)を紹介した東京大学のページによると、干支は紀元前十六世紀にさかのぼる殷の時代に、日の名前として使われていました。十日をひとまとまりの「旬」とし、六つの旬で六十日。その六十日をひと回りとして、日付を呼び分けていたのです。戦国時代になると、年や月、時刻や方角にも使われるようになりました。

十二か月の順番を表す呼び名

国立国会図書館の電子展示「日本の暦」は、十二支をもとは十二か月の順番を表す呼び名だったと説明しています。一年が十二の月でできている以上、十二の札が要る。精選版日本国語大辞典はさらに、木星がおよそ十二年で天を一周することから、天を十二に分けた呼び名でもあったと書いています。

字の意味は植物の育ち方とされた

後漢の時代にまとめられた歴史書『漢書』律暦志(りつれきし)には「孳萌於子、紐牙於丑」とあります。子で芽が増えはじめ、丑で芽が結ばれる、という読み方です。漢の学者たちは、十二の字を種から実りまでの植物の一生になぞらえて説明しました。ここにもネズミや牛はまだ出てきません。

動物が当てられたのはいつ?

荷物を背負って忍び足で歩く泥棒のイラスト

動物との組み合わせが見えてくるのは、遅くとも秦の時代(紀元前三世紀)です。ただし最初の顔ぶれは、いまの十二匹とは少し違っていました。

最古の記録は秦の竹簡

一九七五年、中国湖北省の睡虎地(すいこち)にある秦の墓から、大量の竹簡が見つかりました。そのうちの『日書(にっしょ)』という占いの書に、十二支と動物を結んだ記述があります。子は鼠で丑は牛。寅の虎と卯の兎まで、ここは今と同じ並びです。

※ 竹簡(ちくかん)とは、紙が広まる前の中国で、細長く削った竹の札に文字を書いてひもでつないだ書物のことです。

午が鹿、未が馬だった

中国非物質文化遺産網に載った解説によると、睡虎地の『日書』では午が鹿・未が馬・戌が年老いた羊でした。同じ秦の時代でも、甘粛省の放馬灘(ほうまたん)から出た竹簡は午が馬・未が羊・戌が犬で、こちらは今の顔ぶれに近い。顔ぶれは土地や書き手によって揺れていたようです。

しかも用途は、生まれ年ではありませんでした。物を盗まれた日の十二支から、盗んだ人の見た目や癖を占うためのものです。子の日なら盗人はネズミに似た顔つき、というふうに使われました。

今の十二匹がそろうのは後漢の『論衡』

今と同じ十二匹がそろって書かれた最古の例は、一世紀の後漢の学者・王充(おうじゅう)が著した『論衡(ろんこう)』物勢篇です。王充は、動物どうしが争うわけを十二支と五行の相性で説く当時の考え方を取り上げ、その理屈に疑問を投げかけました。人の生まれ年に動物を当てる使い方がはっきり見えてくるのは、さらに後の南北朝時代だとされます。

ネズミが一番になった競争の民話

杖を持って雲に乗る神様のイラスト

順番が先にあり、動物があとから乗った。そうなると「なぜネズミが先頭なのか」を説明する話が欲しくなります。いちばんよく知られているのが、神様のもとへ向かう競争の民話です。

元旦のあいさつに来た順

琉球大学附属図書館が紹介している沖縄の民話では、唐の国の神様がネズミを呼び、こう言いつけます。元旦に新年のあいさつに来た者から順に、月々の神にする。ほかの動物たちにもそう伝えなさい、と。ここでいう唐の国は実際の唐王朝ではなく、極楽とほぼ同じ意味で使われる言い方だそうです。

牛の背中から飛び降りた

ネズミは牛に「足が遅いのだから、元旦の二、三日前から歩きなさい」と勧めました。そして自分はこっそり牛の背中に乗ります。元旦の朝に神様の屋敷の門が開くと、ネズミは背中から飛び降りて一番に駆けこみました。真面目に早く出た牛は、二番手です。

主催者は国によって変わる

競争を開く神様は、語られる土地で入れ替わります。中国では道教の最高神・玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)や、伝説の帝王・黄帝として語られる版があり、ベトナムにも玉皇大帝が競争を催す話が伝わっています。日本の昔話では、ただ「神様」とされることが多い。主役がだれでも、ネズミが知恵で一番を取る筋はほぼ変わりません。

民話では猫はなぜ入れなかった?

横たわるお釈迦様のイラスト

民話の答えは単純で、ネズミにだまされたから。ただ猫がネズミと組まされて損をする話は、十二支の外にもあります。

一日遅れの日を教えられた

先の沖縄の民話では、ネズミは猫にだけ、元旦より一日遅い日を伝えました。言われた日に神様のもとへ着いた猫は、もう十二の仲間に入れてもらえません。怒りの収まらない猫はそれからネズミを追い回すようになった、というのが話の落ちです。猫がネズミを捕る理由まで、ひとつの話で片づけています。

お釈迦様の涅槃図にも猫はいない

お釈迦様の最期を描いた涅槃図(ねはんず)には、ゾウや獅子やネズミなど五十種を超える動物が集まるとされます。ところが猫は、たいてい描かれません。理由のひとつとして伝わるのが薬袋の話です。母の摩耶夫人(まやぶにん)が天から投げた薬袋が沙羅双樹の枝に引っかかり、ネズミが取りに行こうとすると猫が邪魔をした。ここでも猫は、ネズミとの因縁で外された役回りです。

もっとも例外はあります。京都・東福寺の大涅槃図は縦およそ十二メートルの大作で、室町時代の画僧・明兆(みんちょう)の作。製作中によく遊びに来た猫を描き入れた、という言い伝えが残ります。

動物が当てられた頃、中国に家猫はいなかった

ヤマネコのイラスト

民話を離れて考えると、もっと手前に答えがあります。十二支に動物が当てられた秦や漢の時代、中国の人里に家猫はまだいませんでした。いない動物は、選びようがありません。

人里にいたのはベンガルヤマネコ

北京大学の研究チームは、中国十四か所の遺跡から出た二十二体のネコ科動物の骨のDNAを調べ、二〇二五年に科学誌『Cell Genomics』に発表しました。新石器時代の終わりから後漢の終わりまで、およそ三千五百年のあいだ、人里でネズミを捕っていたのはベンガルヤマネコという野生のネコだったといいます。紀元二二〇年ごろまでの骨は、すべてこのヤマネコでした。

かつて約五千年前の村の遺跡から出た骨が「中国最古の家猫」と話題になったことがあります。その骨も、あとの分析でベンガルヤマネコだと分かりました。

家猫が来たのは唐の時代

同じ研究で、中国で確認できるいちばん古い家猫は、陝西省の統万城(とうまんじょう)遺跡から出た西暦七〇六〜八八三年の骨でした。唐の時代です。遺伝子はアフリカのリビアヤマネコの系統に近く、シルクロードの交易に乗ってやって来たと考えられています。

『論衡』が書かれた一世紀から数えると、家猫の到着はおよそ六百年以上あと。十二の顔ぶれが固まったとき、猫はまだ旅の途中だったことになります。

足の指の数で並んでいるという説は本当?

陰陽をあらわす太極図のイラスト

競争の民話とは別に、学者が理屈で順番を説明しようとした例もあります。目をつけたのは、動物の足の指でした。

明の郎瑛は陰と陽の交互で説明した

明の時代の文人・郎瑛(ろうえい)は随筆集『七修類稿(しちしゅうるいこう)』巻四で、十二支は陽と陰が交互に並び、動物もそれに合わせて選ばれていると書きました。奇数は陽、偶数は陰。指が五本の動物は陽の位置に、四本や蹄が割れた動物は陰の位置に来る、という理屈です。

ネズミは前足が4本、後ろ足が5本

この説でネズミが先頭に立つ理由は、足にあります。ネズミの前足の指は四本、後ろ足は五本。陰と陽の両方を一匹で持っているわけです。郎瑛によれば、子の刻(夜十一時〜一時ごろ)の前半は前の夜の陰で後半は今日の陽。その境目に立つ子の字に、ネズミがふさわしいと説きました。

12匹それぞれの「しるし」

郎瑛が残り十一匹に挙げた根拠を、陰陽の順に並べると次のとおりです。

十二支動物陰陽郎瑛が挙げた根拠
子ネズミ陰と陽前足4本(陰)・後ろ足5本(陽)
丑牛陰蹄が割れている
寅虎陽指が5本
卯兎陰唇が割れ、指が4本
辰龍陽爪が5本
巳蛇陰舌が割れている
午馬陽蹄が丸い(割れていない)
未羊陰蹄が割れている
申猿陽指が5本
酉鶏陰指が4本
戌犬陽指が5本
亥猪陰蹄が割れている

表の中で、足では数えられない行が二つあります。足のない蛇は舌、龍は想像上の爪で帳尻を合わせました。答えの決まった順番に、あとから理由を貼りつけた跡がよく見えます。

ベトナムではウサギの代わりに猫がいる

水牛のイラスト

猫が十二支に入っている国もあります。ベトナムでは四番目の卯がウサギではなく猫で、二〇二三年の旧正月には各国のメディアが「ベトナムはウサギ年ではなく猫年」と報じました。

丑も牛ではなく水牛

違いは猫だけではありません。ベトナムでは二番目の丑が水牛になります。田んぼを耕す水牛は、稲作の国ならではの顔ぶれといえます。十二のうち残りの十は、中国と同じ顔ぶれです。

猫になった理由は三つの説

ベトナムの新聞トゥオイチェーが紹介した説明は三つです。卯を表す中国語の「マオ」が、ベトナム語で猫を指す「メオ」に音が近かったという説。稲を荒らすネズミを捕る猫が、農家に好まれてきたという説。そして、ネズミとウサギは似た動物に見えるので、似た年が並ぶのを避けたという説です。どれが決め手かは定まっていません。

子と午は時刻と方角にも残っている

方位磁石のイラスト

十二支の順番は、暦の外でも働いてきました。時刻と方角です。今も使う言葉の中に、その名残が見つかります。

正午の「午」は馬の刻

一日を十二に分けると、子は真夜中の零時ごろで午は真昼の十二時ごろ。正午はその午の刻のちょうどまんなかで、午前と午後はその前と後ろを指します。時計を見るたびに、私たちは馬の名前を口にしているわけです。

子午線は北と南を結ぶ線

方角では子が北で午が南。卯は東、酉は西。北と南を結ぶ経線を「子午線」と呼ぶのはこのためで、明石市を通る東経一三五度の線は日本の標準時子午線として知られています。ネズミと馬が向かい合う線の上で、日本の時刻が決まっていることになります。

猫が十二支に入れなかったのは、一日遅れたからではありませんでした。席が決まったのは一世紀、猫が中国に着いたのは八世紀ごろ。遅刻はおよそ六百年です。それほど遅れて来たのに、猫はいまや年賀状にも招き猫にもいて、ベトナムでは席まで手に入れました。出遅れた分は、もう十分に取り返しているのかもしれません。

参考