一週間が7日なのは、古代の人が夜空で見分けた7つの天体と、およそ7日ごとに姿を変える月のリズムに由来します。そのため5日や10日のような区切りのよい数にはなりませんでした。歴史の上では8日・10日・5日の週も試されています。それでも最後まで残ったのは7日の週で、曜日の名前にも同じ7つの天体が刻まれています。
なぜ一週間は7日なのか?

肉眼で見えた7つの天体
望遠鏡のない時代、夜空にはほかの星とちがう動き方をする天体が7つありました。太陽と月、それに水星・金星・火星・木星・土星です。星座の星はいつも同じ並びのまま空を回るのに対し、この7つだけは星座のあいだを少しずつ移っていきます。古代の天文学者はこれを特別な天体として記録し、7という数に重みを持たせました。
月の満ち欠けを4つに分けると約7日
もうひとつの手がかりは月です。新月から上弦、満月、下弦を経てまた新月へ。この一巡りはおよそ29.5日で、4つの節目のあいだはそれぞれ7日あまりになります。古代バビロニアでは、月の7日・14日・21日・28日を特別な日として扱っていたことが知られています。月の形が変わる節目に合わせて暮らしを区切ると、自然と7日前後の単位が生まれたわけです。
7日は月とぴったりは合わない
ただし7日を4回くり返しても28日にしかならず、月の一巡りより1日半ほど足りません。バビロニアの数え方では、月が替わるたびに区切りを数え直していました。月と切り離して7日をひたすら回し続ける今の週は、このあとユダヤ教の暮らしのなかで形になったとされています。
5日・8日・10日の週もあった

古代ローマは8日ごとの市の日
7日の週は、はじめから世界の標準だったわけではありません。古代ローマでは、8日ごとにめぐってくる市の日を軸にした「ヌンディナエ」という周期が使われていました。農民が町へ出て品物を売り買いする日で、暮らしのリズムはこの8日単位で回っていたのです。7日の週がローマで広まるのは、紀元前後になってからです。
古代エジプトは10日で区切った
古代エジプトでは、1か月30日を10日ずつ3つに分ける数え方がありました。1年を12か月と余りの5日で組み立てる暦なので、10日単位は計算のうえで扱いやすかったのでしょう。区切りのよさだけで決めるなら、10日の週が勝っていてもおかしくなかったことになります。
フランス革命とソ連は7日をやめようとした
近代にも7日の週を捨てる試みがありました。革命後のフランスは1793年から10日を一区切りとする暦を使いましたが、休みが10日に1度に減ったこともあって定着せず、1802年ごろには7日の週が戻っています。
ソ連では1929年から工場を休まず動かすために、5日ごとに休む「連続週」を取り入れました。家族で休みの日がばらばらになる不便もあり、1931年には6日週へ変わります。結局1940年に7日の週へ戻りました。
7日の週はどこから世界に広まった?

バビロニアの「7」の日
7日という単位のもっとも古い手がかりは、メソポタミアにあります。バビロニアでは先ほどの月の7日・14日・21日・28日を、不吉な日とみなしていました。ただ、この習わしが今の週へ直接つながったかについては、研究者のあいだでも見方が分かれています。
ユダヤ教の安息日が月から切り離した
月とは関係なく7日を回し続ける週は、遅くとも紀元前6世紀にはユダヤ教で使われていました。神が6日で世界をつくり7日目に休んだという教えにならい、7日目を「安息日(あんそくび)」として仕事を休みます。月の満ち欠けに縛られないので、この7日の輪は何千年も途切れずに回り続けてきました。
ローマ帝国で「星の週」になった
7日のそれぞれに天体の名をあてる「星の週」は、エジプトのアレクサンドリアで生まれ、ローマ帝国に広まったといわれます。紀元1世紀には帝国のあちこちで知られるようになりました。321年にはコンスタンティヌス帝が太陽の日(日曜日)を法で休日と定め、8日の市の周期はすたれていきます。
曜日の並びはなぜ「日月火水木金土」?

古代の天体の並びは「土木火日金水月」
古代の天文学では、7つの天体を地球から遠いと考えた順に「土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月」と並べていました。空をゆっくり動くものほど遠い、という考え方です。ところが曜日は日・月・火・水・木・金・土の順で、この並びとは一致しません。
1時間ごとに守り星が交代するという説
この食い違いを説明したのが、3世紀ごろのローマの歴史家カッシウス・ディオです。1日の24時間それぞれに「土木火日金水月」の順で守り星を割りあてると、次の日の最初の1時間は3つ先の星になります。24を7で割ると3余るためで、毎日の最初の星を拾っていくと日・月・火・水・木・金・土の順が現れるのです。
ディオはこのほかにもう1つの説を挙げており、どちらが本当の由来かははっきりしません。とはいえ、天体の並びと24時間から今の曜日の順が導けるのは、よくできた偶然といえそうです。
英語の曜日に北欧の神がいるのはなぜ?

土・日・月は天体の名が残った
ローマの曜日はラテン語で「太陽の日」「月の日」「火星の日」のように天体の名で呼ばれていました。英語の Sunday と Monday は太陽と月を、Saturday は土星の神サトゥルヌスをいまも指しています。この3つの曜日は、ローマから受けついだ天体の名がそのまま生き残った形です。
火・水・木はゲルマンの神々へ
のこりの曜日では、ローマの神がゲルマン人の神に置きかえられました。軍神マルスの火曜は軍神ティウの Tuesday に、旅や商いの神メルクリウスの水曜は主神オーディン(ウォーデン)の Wednesday になります。雷を操るユピテルの木曜は、雷神トールの Thursday です。性格の似た神どうしを対応させたことが、名前からも読みとれるでしょう。
金曜はフリッグかフレイヤか
金曜日は愛の女神ウェヌス(金星)の日で、英語の Friday は北欧の女神の名から来ています。ただ、その女神がだれなのかは、見方が2つに分かれるところです。古英語の形 frīġedæġ は、オーディンの妻フリッグの日と読めます。一方でスウェーデン語などの fredag は、愛の女神フレイヤの日と説明されることが多いのです。
国立天文台の暦Wikiも Friday の由来をフレイヤとしています。もともとフリッグとフレイヤは、地域によっては区別があいまいだった女神でした。どちらの名を当てても「愛の女神の日」という中身は変わりません。
日本の曜日は平安時代に伝わっていた

空海が持ち帰った『宿曜経』
曜日は明治に西洋から入ってきたもの、と思われがちです。じつは日本に七曜が伝わったのは9世紀のはじめでした。唐に渡った空海が持ち帰った『宿曜経(すくようきょう)』という占星術の経典に、七曜が書かれていたのです。当時の曜日は、その日の吉凶を占うための道具でした。
藤原道長の日記にも日曜日
平安時代の貴族は、陰陽師がつくった「具注暦(ぐちゅうれき)」という暦に日記を書きこんでいました。この暦には干支や吉凶と並んで、日・月・火・水・木・金・土の曜日まで記されています。藤原道長の日記『御堂関白記』には、1004年3月12日にあたる日が日曜日と書かれていて、計算しても確かに日曜日になるそうです。
日曜日は「密」と書かれた
鎌倉時代の具注暦を見ると、日曜日の欄に「密」という字が書かれています。中央アジアで交易を担ったソグド人のことばで太陽を指す「ミール」の音を写したものといわれます。シルクロードを旅してきた曜日の記憶が、漢字一文字に残っているわけです。江戸時代の暦に載っている曜日も、いまの曜日とそのままつながっています。
「日月火水木金土」の名前はどこから来た?

五行の名をもつ5つの惑星
日本の曜日の名前は、太陽と月、そして5つの惑星の漢字名からできています。中国では古くから、万物を木・火・土・金・水の5つで説明する五行(ごぎょう)の考え方がありました。5つの惑星はこの五行と一つずつ結びつけられ、火星・水星・木星・金星・土星と呼ばれてきました。
そのため日本の曜日と英語の曜日は、同じ天体を通じて意味が重なります。火曜は火星で、英語ではその神にあたる軍神の日です。木曜は木星で、英語では雷神トールの日になります。
東の国々には天体名がそのまま残った
ヨーロッパでは宗教の影響で、曜日の名がたびたび変わりました。フランス語やイタリア語では日曜が「主の日」、土曜が「安息日」に由来する名前になっています。一方で東へ伝わった曜日は形をあまり変えず、インドやタイ、日本や韓国では7つすべてが天体名のまま使われています。中国も昔は天体名でしたが、20世紀に「星期一」のような番号の呼び方へ変わりました。
曜日が暮らしに入ったのは明治から

江戸時代は曜日を気にしなかった
平安時代から暦に書かれてきた曜日も、庶民の暮らしで使われることはほとんどありませんでした。江戸時代の日付は月の満ち欠けにもとづく旧暦で数え、休みも決まった曜日ではなかったからです。曜日は暦のすみに載っているだけの、占いの名残に近いものでした。
太陽暦への切りかえと日曜休日
流れが変わったのは明治です。明治5年(1872年)の12月3日を明治6年1月1日とする形で、日本は太陽暦に切りかえました。西洋との付きあいが増えると、7日ごとに休む欧米の習慣に合わせる必要も出てきます。そこで明治9年(1876年)、官庁では日曜日を休み、土曜日を半日の休みとする決まりができました。
月曜から金曜まで働き、週末に休むという今の感覚は、ここから150年ほどの歴史しかありません。千年以上前から暦にあった曜日が、ようやく暮らしの主役になったのです。
7日に一度休む習慣はどこから来た?

安息日から「主の日」へ
7日ごとに休むという考えのもとは、ユダヤ教の安息日です。ユダヤ教では土曜日にあたる7日目を休みの日としてきました。キリスト教はイエスが復活したとされる日曜日を「主の日」として大切にし、ローマ帝国が日曜を休日にしたことで、日曜に休む習慣がヨーロッパに根づいていきます。
休む曜日は国によってちがう
週に一度休むという点は同じでも、どの曜日を休むかは国によって異なります。イスラエルでは土曜日が週の休みの中心です。イスラム教では金曜日に集団での礼拝があり、中東の多くの国では金曜日を週末に含めてきました。7日の輪そのものは世界中で共有されながら、どこで一息つくかには、それぞれの信仰の歴史が表れているのです。
5日でも10日でも暮らしは回せたはずです。それでも人は、夜空の7つの星と月の形が教えるリズムを手放しませんでした。カレンダーをめくるたびに並ぶ7つの曜日は、何千年も前に空を見上げた人たちの数え方を、いまも律儀に守り続けています。
参考
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