車はなぜ国で右側と左側に分かれる?100年前は左右が半々だった

まっすぐ続く道路のイラスト 世界の文化雑学
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車が道のどちら側を走るかは、昔の人の「すれちがい方」の名残です。右利きが多いため、武器を持つ右手を相手側に向けられる左側通行が古くからの習わしでした。18世紀になると、アメリカの大型荷馬車などをきっかけに右側通行が広まります。いっぽうでイギリスとその旧植民地、そして日本は左側に残りました。

車を運転する人のイラスト
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右と左、いまはどちらが多い?

地球儀のイラスト

世界の人口の約3分の2が右側通行

いまの多数派は右側通行です。左側通行の国と地域は、世界の陸地のおよそ6分の1、人口では約3分の1にとどまります。道路の総延長で見ても、左側は4分の1ほど。アメリカや中国、ヨーロッパ大陸の大半は右側を走っています。

左側通行のおもな国は、イギリス・アイルランド・インド・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ・タイ・インドネシア、そして日本です。並べてみると、かつてイギリスと深い関わりのあった国が目立ちます。

100年前は左右がちょうど半々

右側が圧倒的に見えるのは、じつは20世紀に入ってからのことです。1919年の時点では左側通行の国や地域が104、右側通行も104と、ちょうど同じ数でした。そこから1986年までに、34の地域が左から右へ乗りかえています。

右へ移った理由の多くは、となりの国と道がつながっていることでした。国境をまたぐ車が増えると、左右がちがう国どうしでは事故の危険が大きくなります。逆に右から左へ変えた国はごくわずかです。

左側が先だったのはなぜ?

鎧を着た騎士のイラスト

右手で武器を抜ける側を歩いた

よく語られるのが、右利きと武器の関係です。人の多くは右利きなので、馬や徒歩で左側を進めば、すれちがう相手に利き手を向けられます。見知らぬ相手が敵だったとき、すぐ右手で武器をふるえるというわけです。ただし、これは有力な仮説のひとつにすぎません。どちら側を通るかを決めた記録が残っているわけではなく、歴史家のあいだでも「決定的な答えは無い」とされています。

古代ローマは左か右か、証拠は割れる

古代ローマの人々は、荷車や戦車で道の左側を走っていたと考える研究があります。その習わしが、中世ヨーロッパの一部に残ったという見方です。ところが、ポンペイの遺跡では反対の手がかりも見つかっています。歩道の縁石に残るすり減りの跡から、通りを2車線に分けたときは右側を走っていたらしいと読めるのです。1700年代ごろまでは交通量そのものが少なく、左右は土地ごとの慣習でまちまちだった、と考えるのが無理のないところでしょう。

アメリカで右側が広まったわけ

馬車のイラスト

運転席のない大型の荷馬車

流れが変わったのは18世紀のアメリカです。何頭もの馬で引く大型の荷馬車がふえ、その多くには御者の座る席がありませんでした。御者は左うしろの馬にまたがり、右手で馬たちをあやつります。

左側の馬に乗った御者からすると、対向の馬車は自分の左を通ってくれたほうが車輪どうしの間合いを見やすくなります。そこで馬車は道の右側へ寄るようになり、右側通行が自然と広がっていきました。

最初の右側通行の法律は1792年

習慣が先にあり、法律はあとから追いつきました。アメリカで初めて右側通行を定めたのは1792年。ペンシルベニア州のフィラデルフィアとランカスターを結ぶ有料道路に向けた決まりでした。

その後、マサチューセッツ州が1821年に右側通行を正式に定めるなど、州ごとに広がっていきます。とはいえ一気にそろったわけではありません。東西を結ぶ国道「ナショナル・ロード」は、1850年まで左側通行のままでした。

フォードのT型が決め手になった

自動車の時代に入ると、右側通行はさらに固まります。初期のアメリカ車にはハンドルが右についたものも多くありました。ところがフォードは1908年、大量生産したT型の運転席を左に置きます。

運転席が左なら、道の右側を走るほうが対向車との距離をつかみやすくなります。1915年ごろには、ほかのメーカーも左ハンドルにならいました。安くて数の多いT型が、右側通行をアメリカの標準に押し上げたといえます。

ヨーロッパ大陸はナポレオンの影響?

馬に乗ったナポレオンのイラスト

フランスから広がったという説

ヨーロッパ大陸に右側通行が多い理由として、よく挙がるのがナポレオンです。フランスは18世紀から右側を好む傾向がありました。ナポレオンが各地を支配するなかで、その右側通行も大陸に持ちこまれたという筋書きです。この説では、ナポレオンに屈しなかったイギリスやポルトガルなどが左側に残ったと説明されます。地図を見ると、たしかに納得したくなる話です。

裏付けになる記録は見つかっていない

ところが、ナポレオンがフランスを右側通行に変えたことを示す文書は確認されていません。説としては有名でも、根拠のはっきりしない話として扱うのが無難です。

実際、ヨーロッパの国々が右へそろったのはもっと後の時代でした。ポルトガルが右側に変えたのは1928年、スウェーデンにいたっては1967年です。ナポレオンひとりではなく、長い時間をかけて少しずつ右にそろっていった、と見るほうが実態に近いでしょう。

イギリスは法律で左側を守った

ロンドンの二階建てバスのイラスト

ロンドン橋の渋滞から生まれた決まり

イギリスの左側通行は、首都の渋滞対策から形になりました。1669年には、ロンドン橋で荷車を整理する係が置かれています。それでも混雑はおさまらず、1756年のロンドン橋法で橋の上の通る側が定められました。これが、法律で左側通行を求めた最初の例とされています。さらに1773年と1835年の法律によって、左側通行はイギリス全体のきまりとして定着しました。

植民地へ受けつがれた左側

イギリスは世界中に植民地を持っていたため、その左側通行も各地へ運ばれました。インド・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカなどが今も左側を走るのは、その名残です。

ただし、旧植民地がすべて左に残ったわけではありません。カナダはアメリカとの行き来をしやすくするため、1920年代に右側へ変えました。ブリティッシュコロンビア州が1920〜1923年、ニューブランズウィック州は1922年と、州ごとに順に切りかえています。

日本はなぜ左側通行?

刀を差した武士のイラスト

刀の鞘がぶつからない側という説

日本が左側通行になった理由には、決め手となる記録がありません。よく知られているのが武士の説です。武士は刀を左の腰に差していました。右側を歩くと、すれちがう相手と鞘(さや)どうしがぶつかりやすくなります。そこで自然と左側を歩くようになり、それが道のルールにも影響したという見方です。左側通行の習わし自体は、江戸時代(1603〜1868年)までさかのぼるともいわれます。

イギリス式の鉄道にならったという説

もうひとつが鉄道の説です。1872年に開業した日本初の鉄道は、イギリスの技術と助けを借りてつくられました。線路もイギリスと同じ左側通行です。

先に走りはじめた鉄道が左側だったため、道路もそれにならったとされます。武士の説と鉄道の説はどちらか一方が正しいというより、古い習わしを明治の制度が後押しした、と重ねて読むこともできそうです。

1881年、人力車の決まりが最初の明文化

道の通り方が初めて文章で定められたのは、1881(明治14)年の警視庁の通達です。人力車どうしがすれちがうときは左へよける、という内容でした。

1900(明治33)年には警視庁が「道路取締規則」をつくり、車両と牛馬は車馬道の左側を通ると決めます。戦後の1960(昭和35)年に施行された道路交通法でも、第17条で車両の左側通行が定められました。

「車は左、人は右」は戦後の決まり

横断歩道をわたる子どもたちと見守る大人のイラスト

歩行者も左側通行だった時代

いまでは当たり前の「人は右」ですが、昔は歩行者も車と同じ左側通行でした。1947(昭和22)年に定められた道路交通取締法でも、はじめは人も車も左側が原則です。

変わったのは1949(昭和24)年の法改正でした。当時は歩道と車道が分かれていない道が多く、より安全な通り方として「人は右、車は左」の対面交通が採用されます。人と車が向かい合うので、歩く人から近づく車が見えるというわけです。

沖縄は1978年に左側へ切りかえた

戦後アメリカの統治下にあった沖縄では、車は右側通行でした。日本への復帰から6年後の1978年7月30日、本土と同じ左側通行に切りかえられます。日付から「ナナサンマル(730)」と呼ばれる出来事です。

切りかえは朝6時。前夜の22時から道路を止め、信号や標識、路面の表示を一気に入れかえました。乗り降りの扉の位置が合わなくなったバスは、多くが新車に置きかえられています。

一夜で左右を入れかえた国

道路に白線を引く作業員のイラスト

スウェーデンの「Hの日」

国じゅうで一斉に切りかえた大がかりな例が、スウェーデンです。1967年9月3日、左側通行から右側通行に移りました。この日はスウェーデン語で「Dagen H(ダーゲン・ホー)」、つまり「Hの日」と呼ばれています。

背景には、まわりの国がみな右側通行だったことがあります。しかも国内の車の約9割は左ハンドルでした。1955年の国民投票では反対が多数でしたが、議会は切りかえを決めます。準備にかけた費用は約1億2千万ドルにのぼったといわれます。

事故はかえって減った

大混乱が心配されましたが、ふたを開けてみると切りかえの直後は事故がむしろ大きく減りました。切りかえは日曜日の朝5時で、車の少ない時間帯が選ばれていました。

もっとも、その効果は長くは続きません。運転に慣れるにつれて、事故の数はもとの水準近くまで戻りました。翌1968年には、アイスランドも同じように右側通行へ移っています。

反対に左へ移ったサモア

右から左へ変えた珍しい国もあります。南太平洋のサモアが左側通行へ切りかえたのは2009年9月7日。オーストラリアやニュージーランド、日本といった左側通行の国から、車を安く輸入しやすくするのがねらいです。当時は国内の車1万8千台のうち1万4千台が右側通行向けで、前年の反対デモには約1万8千人が集まったとされます。通行ルールは、国の事情しだいで今でも書きかえられるのです。

右か左かは、どちらが正しいという話ではありません。剣を持った旅人や荷馬車の御者、刀を差した武士、そして隣の国との行き来。その土地の人がどう道を使ってきたかが、いまのハンドルの位置にまで続いています。

参考

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