なぜ国によって「車は右側・左側」が違うのか——通行ルールの歴史

世界の文化雑学
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海外でレンタカーを借りて、右と左のどちらを走ればいいのか戸惑った。そんな話を聞いたことはありませんか。

世界では右側通行の国が多数派ですが、日本やイギリスは左側通行です。なぜ国によって、走る側が分かれているのでしょうか。たどっていくと、意外にも剣や馬車の話にいきつきます。

車を運転する人のイラスト
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右と左、どう分かれているのか

まず、右側と左側の現状と由来を、一覧で整理します。

問い答え
多数派はどちらか右側通行(世界人口の約65%)
もともとはどうだったか世界的に左側が主流だった
左側通行の由来は剣を差した武士・騎士のすれちがい
右側通行の由来は大型馬車と、ナポレオンの時代の広まり

では、左側から順にたどっていきましょう。

もともと世界は「左側」だった

剣を差した時代の知恵

いまでこそ右側通行が多数派ですが、昔は世界の多くが左側を歩いていました。理由は、人々が剣を持ち歩いていた時代の事情にあるのです。右利きの人が左側を進めば、剣をにぎる右手を相手側に向けられ、いざというときすぐ抜けます。腰に差した鞘が、すれちがう相手にぶつかりにくいという利点もありました。馬に乗り降りするのもふつうは左側からで、左を歩くほうが安全だったのです。

刀を差した武士のイラスト

なぜ「右側」が広まったのか

大型の馬車が右側を生んだ

流れが変わったのは、18世紀のアメリカでした。何頭もの馬で引く大型の荷馬車には、御者のための座席がありません。御者は左うしろの馬にまたがり、右手で手綱やムチをあやつりました。すると道の右側を進むほうが、対向の馬車とすれちがいやすくなります。こうして、右側通行が少しずつ広まっていきました。

馬車のイラスト

ナポレオンが大陸に広げた

もうひとつの後押しが、フランスのナポレオンでした。フランス革命からナポレオンの時代にかけて、右側通行が定められたと伝えられています。そして彼が各地を征服するにつれ、右側通行はヨーロッパ大陸へと広がっていきました。大陸の多くが右側を走るのは、この時代の名残ともいわれます。

イギリスと日本が「左側」のままなわけ

島国イギリスは左側を守った

いっぽうイギリスは、古い左側通行を守りつづけました。海をへだてた島国で、大陸の右側の流れに巻きこまれにくかったためです。やがてこの左側通行は、インドやオーストラリアなど、かつてイギリスの支配下にあった国々にも広がっていきました。

ロンドンの二階建てバスのイラスト

日本の左側は武士と鉄道から

日本が左側通行になった理由は、はっきり一つには絞れず、いくつかの説があります。よくいわれるのが、江戸時代の武士のすれちがいです。腰の左に刀を差した武士どうしは、右側を歩くと刀の鞘がぶつかりやすいため、自然と左側を通ったというものです。さらに明治には、イギリスから鉄道が導入され、その左側通行が手本になったともいわれます。1881年には、人力車はすれちがうとき左へよける、という決まりも定められました。

豆知識——一夜で左右を入れ替えた国

通行のルールは、あとから変えることもできます。その大がかりな例が、スウェーデンです。この国は1967年9月3日、左側通行から右側通行へ、国じゅうで一斉に切りかえました。

切りかえの日に向け、標識や信号が新しく用意され、その費用はおよそ1億2千万ドルにのぼったといわれます。大混乱が心配されましたが、みなが慎重に運転したため、事故はかえって減ったそうです。カナダのように、となりのアメリカに合わせて右側へ変えた国もあります。通行ルールは、国の意志で書きかえられるものなのです。

道路のどちら側を走るかは、合理や安全だけで決まったわけではありません。剣や馬車といった遠い暮らしの名残が、いまも世界の道に刻みこまれています。何気ない左右の違いは、その国がたどってきた歴史の、小さな化石なのかもしれません。