神社の鳥居をくぐると、参道の両脇に一対の狛犬(こまいぬ)が構えています。ふと見ると、片方は口を大きく開け、もう片方はきゅっと口を閉じている。左右で表情が違うことに、気づいたことはないでしょうか。
この開いた口と閉じた口には、ちゃんと意味があります。二つ合わせて「阿吽(あうん)」といい、物事の始まりと終わりを表しているのです。なぜ犬の像がそんな壮大なものを背負っているのか、由来をたどってみましょう。
「阿」と「吽」——開いた口と閉じた口が表すもの
まず、二体の違いを一覧にしておきます。左右の口の形には、名前と意味がそれぞれ込められているのです。
| 項目 | 阿形(あぎょう) | 吽形(うんぎょう) |
|---|---|---|
| 口 | 開いている | 閉じている |
| 読み(音) | 「あ」 | 「うん(ん)」 |
| 表すもの | 物事の始まり | 物事の終わり |
| 本来の姿 | 獅子(角なし) | 狛犬(角あり) |
※ 阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょう)とは、口を開けた像と閉じた像のこと。神社の狛犬だけでなく、寺の仁王像などにも見られる一対の形式です。

なぜ「あ」と「うん」なのか
「阿吽」はもともと、古代インドのサンスクリット語にさかのぼります。梵字(ぼんじ)を並べた悉曇(しったん)という文字の並びでは、口を大きく開いて出す「あ」が最初の音、口を閉じて出す「うん」が最後の音とされました。
つまり「阿」は始まり、「吽」は終わり。最初から最後までを一組で表すことで、この世のすべてを象徴する言葉になりました。西洋でいう「アルファでありオメガ」に近い発想と言えるでしょう。
「阿吽の呼吸」もここから生まれた
二人の息がぴたりと合うことを「阿吽の呼吸」といいますね。この言葉も、口を開く阿形と口を閉じる吽形の対から来ています。吐く息と吸う息、始めと終わりが一つになる。そんなイメージが、絶妙なコンビネーションを指す表現になりました。
実は「獅子」と「狛犬」の一対だった
ひとまとめに「狛犬」と呼ばれていますが、本来この二体は別々の生きものでした。片方は獅子(しし)、つまりライオンなのです。

角があるほうが「狛犬」
見分ける手がかりは頭の角(つの)です。口を開けた阿形は角のない獅子、口を閉じた吽形は頭に一本の角を持つ狛犬、という組み合わせが古い形とされています。時代が下ると角は省かれ、二体まとめて「狛犬」と呼ぶのが一般的になりました。
今の神社では角の有無がはっきりしないものも多く、細かく区別しないことがほとんどです。それでも由来を知っていると、参拝のたびに頭の上をつい確かめたくなります。
左右どちらに置かれるか
配置にも一応の型があります。参拝者から見て右に阿形(獅子)、左に吽形(狛犬)を置くのが基本です。ただし地域や神社によって左右が入れ替わる例もあり、絶対の決まりというわけではありません。
狛犬は海を渡ってきた——インドから日本へ
狛犬のルーツは、はるか西の古代インドにあります。仏さまを守るために、その前へライオンの像を一対置いた。これが原型とされています。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 古代インド | 仏の前に、守りのライオン(獅子)像を置く |
| 中国 | シルクロードを通り、獅子の像が東へ伝わる |
| 朝鮮半島 | 中国の獅子が半島を経由する |
| 飛鳥時代 | 仏教とともに日本へ伝来する |
| 平安時代 | 獅子と狛犬の一対の形が整う |

ライオンが仏を守っていた
百獣の王ライオンは、古代の人々にとって最強の守り手でした。その力で聖なるものを守らせようと、仏像の前に据えたのが始まりです。日本にライオンは生息していませんが、像だけが海を越えてやってきました。
「狛犬」は「高麗の犬」
中国の獅子は、朝鮮半島の高麗(こま)を経て日本に伝わりました。そのため「高麗の犬」、つまり「こまいぬ」と呼ばれるようになったといわれます。「狛」の字も、この高麗に由来すると考えられています。異国から来た未知の獣、というニュアンスがこもった名前です。
もとは屋外ではなく宮中の「おもし」だった
今でこそ狛犬は屋外で雨風に耐えていますが、はじめは室内にいました。しかも守り神であると同時に、意外な実用品でもあったのです。

几帳を押さえる重しとして
平安時代の狛犬は木でつくられ、宮中の室内に置かれました。魔除けの役目に加えて、几帳(きちょう)や屏風(びょうぶ)が風で動かないよう押さえる重し(おもし)としても使われたと伝わります。神聖な守護者が、ドアストッパーのような働きも兼ねていたわけです。
木造だったのは、屋根の下に置かれて雨風にさらされなかったからです。石でどっしり構える今の姿からは、なかなか想像がつきません。
屋外に出て石になった
やがて狛犬は、神社の参道や社殿の前へと進出します。屋外に置くとなれば、木では傷んでしまう。そこで風雨に強い石が主な材料になりました。私たちが見慣れた狛犬の姿は、こうして生まれたものです。
お寺の仁王像も同じ「阿吽」の一対
阿吽の一対は、狛犬だけのものではありません。お寺の門で見上げる、あの筋骨隆々の像にも受け継がれています。

門を守る金剛力士
寺院の山門に立つ仁王像は、正しくは金剛力士(こんごうりきし)といいます。向かって右が口を開けた阿形、左が口を閉じた吽形。狛犬とまったく同じ、始まりと終わりの一対です。守り手が犬から力士に変わっても、阿吽の考え方は共通しています。
「両方とも口を開けている」例外も
もっとも、すべてが阿吽の形とはかぎりません。地域や時代によっては、二体とも口を開けていたり、逆に両方閉じていたりする例もあります。とくに変わった構えで知られるのが、島根県の出雲地方などで見られるタイプです。基本の型を知ったうえで例外に出会うと、その神社ならではの個性として楽しめます。
開いた「阿」と閉じた「吽」。始まりと終わりで参拝者をはさむように、狛犬は今日も静かに構えています。犬のようで犬でない、海を渡ってきた守り神。その小さな口の形には、この世のすべてが託されているのです。


