今の正座が「正しい座り方」になったのは、明治に入ってからです。膝を折ってかしこまる姿勢そのものは古くからありましたが、武家の作法になったのは江戸の初め、「正座」という呼び名が生まれたのは明治でした。全国の人が当たり前に座るようになったのは、学校で教えられてからのことです。
昔の日本人はどう座っていた?

絵巻物の人はほとんどあぐら
中世までは、改まった場でもあぐらや立て膝で座るのがふつうでした。医学者の入澤達吉(いりさわ たつきち)は1921年の講演録『日本人の坐り方に就て』で、絵巻物に描かれた人物はほとんどがあぐらで、正座は一般的ではなかったと述べています。身分の高い人も、くつろいだ姿で描かれているのです。
女性の正式な座り方は立て膝
女性も同じで、古くはあぐら、近世までは片膝を立てて座るのが正式でした。徳川家康の側室だった阿茶局(あちゃのつぼね)の肖像画も、立て膝の姿で描かれています。いまの感覚では行儀の悪い姿ですが、当時はこれが改まった座り方でした。
あぐらは「安座」と呼ばれた
いまでは行儀が悪く見えるあぐらは、かつて「安座(あんざ)」と呼ばれていました。江戸時代より前は、大名にとっての正しい座り方でもあったといいます。茶の湯を大成した千利休も、あぐらで茶を点てていたとされています。
いまの正座は「危座」と呼ばれていた

「危」の字は高い所をのぞく人
両膝を折ってかかとの上に腰を下ろす座り方は、昔は「危座(きざ)」と呼ばれていました。「危」はもともと崖の上から下をのぞく人の形を表す字で、「あやうい」「高い」という意味を持つとされます。腰を高く据えた、落ち着かない姿勢というくらいの呼び名でした。
貴人の前で「かしこまる」姿勢
この姿勢は日々の座り方ではなく、限られた場面のものでした。庶民の間では「かしこまる」と呼ばれ、身分の高い人の前で平伏するときにとる姿勢だったといいます。仏像を拝むときや、将軍の前にひれ伏すときの姿勢だったとも説明されます。
お白洲でも危座をさせられた
江戸時代の裁きの場「白洲(しらす)」では、裁かれる人が砂利の上で危座をさせられました。長く座らせることで自白や反省をうながす、こらしめの意味もあったとされています。いまの正座が持つ礼儀正しいイメージとは、ずいぶん違う使われ方です。
武家の作法になったのは江戸の初め

元和から寛永へ移るころ
危座を武家の正式な座り方にしたのは、戦国の世を収めた徳川将軍家だとされます。歴史学者の二木謙一(ふたき けんいち)は、作法として定着したのを「元和と寛永の境あたり」と見ています。1620年代、ちょうど三代将軍家光が将軍になったころです。
家光がみずから正座を広めた、という話もよく見かけます。ただ、図書館や博物館のレファレンスで確かめられるのは「江戸の初めごろ」という時期までで、誰が始めたのかは諸説あるとしか言えません。
しびれるからこそ選ばれた?
苦しい座り方が礼法に選ばれた理由として、よく挙がるのが「すぐに立てない姿勢だから」という説です。将軍に会う人の足をしびれさせれば、とっさに襲いかかれません。座る側も、逆らう気はないと姿勢で示せます。筋は通っていますが、記録で裏づけられた話ではなく、あくまで一つの見方です。
広く行き渡るのは元禄・享保ごろ
作法として決まっても、すぐに誰もが座るようになったわけではありません。入澤達吉は、今日のように一般的になったのは元禄(1688〜1704年)から享保(1716〜1736年)ごろだと考えています。武家の儀礼から始まり、100年ほどかけて広がっていったわけです。
畳と商人が正座を広げた

畳は身分を表すぜいたく品だった
板の間で長く正座をすれば、膝もすねも痛くなるでしょう。その畳は、もとは厚みや材料、縁の色柄で身分を表すぜいたく品でした。畳を持てない農民や町人は板張りの床で暮らしていたため、正座は根づきようがなかったのです。
畳が公家や武家から町人へ広まったのは江戸中期とされます。中に綿を入れた座布団が出てきたのも江戸時代あたりからで、床に座る暮らしの道具がそろったことが、正座の広がりを後押ししました。
武家と茶会で交わった商家がまねた
武士の間の作法を町に持ち込んだのは、商人でした。茶会などで武家と付き合いのあった商家が、目上への敬意を示す座り方として危座を取り入れ、町人の間にも広まっていったとされています。上の身分の作法を下がまねる流れは、ほかの礼儀作法にも見られるものです。
脚気の時代には苦行だった
江戸では脚気(かっけ)が「江戸患い」と呼ばれるほどはやりました。白米ばかりの食事でビタミンB1が足りなくなり、足の神経が傷む病気です。足がしびれやすい人にとって、正座は拷問に近い姿勢だったともいわれます。原因が分かり治療や予防ができるようになったのは、明治以降のことでした。
「正座」という言葉はいつ生まれた?

『養生訓』の「正座」はあぐらのこと
江戸時代の本にも「正座」という字は登場します。たとえば貝原益軒の『養生訓』(1713年)には、座るときは正座せよという一文。ところがこの「正座」は、いまの正座ではなくあぐらを指すと考えられています。同じ本は、くつろぐときは安座がよいとも書いています。
古い本の「正座」は、その時代の「正しい座り方」を指すだけです。中身はあぐらや片膝立ちだったこともあり、字面だけで今の正座と同じとは言えません。
今の意味での初出は明治の女子作法書
今と同じ意味の「正座」が初めて出てくるのは、明治15年(1882年)の『小学女子容儀詳説(しょうがくじょしようぎしょうせつ)』だろう、と茶道史家の熊倉功夫は推察しています。女子に立ち居ふるまいを教える本です。筑波大学に残るのは、田中幾之助が増補して明治16年(1883年)3月に出した版です。
言葉が定まったのは昭和16年とする説も
この推察には異論もあります。昭和16年(1941年)に文部省が定めた『国民礼法要項』で、言葉として確立したという見方です。明治のうちは「正座」という語はほとんど使われていなかったとされ、言葉が広く通じるまでには、さらに半世紀ほどかかったのかもしれません。
全国に広めたのは学校の修身

修身の教科書で「正しい座り方」に
今の正座が「正しい座り方」とされたのは、明治以降の学校です。道徳にあたる修身(しゅうしん)の教科書で正しい座り方として示され、子どもたちに教えられました。戦前の学校で指導が続いたことで、国民の誰もが正座を「正しい」と思うようになったのです。
外国にはない座り方として選ばれた
なぜあぐらでなく正座だったのか。明治政府は、国民みなに同じ修身を教えるにあたり、外国の文化との違いを際立たせる姿勢として正座を選んだとされます。椅子の暮らしの西洋と並べたとき、膝を折って背筋を伸ばす正座は「日本らしさ」を示すのにちょうどよかったのでしょう。
「伝統」になって150年足らず
全国民の習慣として数えるなら、正座の歴史は明治から150年足らず。昭和の礼法を起点にすれば、80年あまりです。「100年もたっていない」と書く解説もあります。千年以上の伝統に見える作法も、暮らしの中に行き渡ったのは、ひいおじいさんの世代くらいからでした。
正座で足がしびれるのはなぜ?

体重で神経と血管が押される
正座では、上半身の重さがふくらはぎからかかとに乗ります。すると膝から下の血管と神経が押されて血のめぐりが悪くなり、神経に酸素が届きにくくなってしびれが起きます。とくに膝の外側を通る総腓骨神経(そうひこつしんけい)は皮膚に近く、押されやすい神経です。
立つ前につま先を立てる
しびれたまま急に立つと、足に力が入らず転びかねません。整形外科医の解説では、立ち上がる前につま先を立てて体重をかかとへ移し、足の内側を軽くたたいて血のめぐりを戻す方法が紹介されています。つま先を立ててかかとに座る姿勢は「跪座(きざ)」と呼ばれ、茶道などでも使われます。
正座をしていないのにしびれるとき
正座によるしびれは、姿勢を戻せば消える一時的なものです。特に何もしていないのにしびれが続くなら、話は別です。腰の椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症、閉塞性動脈硬化症、糖尿病などが隠れていることがあります。日常的に続くようなら、早めに医療機関に相談してください。
畳の上で膝をそろえる姿は、いかにも昔からの日本の座り方に見えます。けれど、もとは貴人の前やお白洲でとらされた「危うい座り」でした。武家の礼法と畳の広まりを経て、明治の教室で「正しい」という名前をもらったのです。正座の「正」は、あとから付けられた肩書きでした。
参考
- 江戸東京博物館 図書室「正座が日本で始まったのはいつか。」
- レファレンス協同データベース「戦国~江戸時代の女性の正式な座り方は、正座ではなくて片膝を立てて座るものだったのか?」
- nippon.com「足をしびれさせるのが狙いだった⁉:正座を“正しい座り方”にした徳川幕府の知恵」
- 現代ビジネス「日本人が知らない「正座」にまつわる驚きの歴史」
- 病気スコープ「足がしびれやすい原因は?病気のことも。正座の痛みの予防法を解説!」
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