正座はいつから「正しい座り方」になったのか——昔の日本人は正座していなかった

正座のイメージ 歴史と変遷の話
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畳の上できちんと膝をそろえる正座は、いかにも「日本古来の伝統」に見えます。ところが歴史をたどると、その姿は意外なほど新しいものでした。昔の日本人は、正座などしていなかったのです。

浮世絵に描かれた人々の多くはあぐらをかき、女性は立て膝で座っています。正座が「正しい座り方」として全国民に広まったのは、じつは明治になってからでした。この記事では、その意外な履歴書をたどっていきます。

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正座の意外な履歴書

正座する女性

正座がたどった道のりは、意外とはっきりしています。要点を先にまとめると、こんな流れです。

項目内容
昔の座り方の主流あぐら・立て膝
正座が広まった時代江戸時代(武士から)
「正座」という言葉明治以降に定着
全国民に広めた手段明治の学校教育
伝統としての年齢およそ150年ほど

昔の日本人は正座をしていなかった

あぐらでくつろぐ男性

「日本人は昔からきちんと正座していた」というイメージ。それは、絵画を見るとあっさり崩れてしまうのです。

絵の中の座り方

あぐらと立て膝が当たり前

大和絵や江戸の浮世絵に登場する人物は、身分を問わずあぐらで座っています。武士も、身分の高い人も、くつろいだあぐら姿。長い時間きちんと膝をそろえて座る、という発想そのものが薄かったのです。

女性は立て膝だった

女性の座り方も、今の感覚とはずいぶん違いました。片方の膝を立てて座る「立て膝」が、無作法どころかごくふつうの姿だったとされています。着物の裾を気にせず座れる、理にかなった座り方でもありました。

正座は「危座」と呼ばれていた

危座(きざ)とは、膝をそろえてかしこまって座る、今でいう正座の姿勢を指した古い呼び名です。「危」の字が示すとおり、長く続けると苦しい座り方という位置づけでした。

「苦しい座り方」という位置づけ

今の正座にあたる座り方は、かつて「危座」と呼ばれていました。ほめ言葉とは言いがたい名前です。足がしびれてすぐには立てなくなる、我慢のいる姿勢とみなされていました。罪人を長く座らせて苦痛を与える座法だった、とする説もあります。

江戸時代に「礼の座り方」へ変わった

刀を持つ武士

くつろぎの姿だったあぐらを押しのけ、正座が広まっていくのは江戸時代です。きっかけは、将軍の前での作法だったといわれます。

将軍の前でのふるまい

家光の奨励と参勤交代

三代将軍の徳川家光が臣下に正座を勧めたのが始まり、とされています。小笠原流(おがさわらりゅう)の礼法では、参勤交代で全国から集まった大名が将軍に向かって正座することが定められました。トップの前でそろって同じ姿勢をとる——この習慣が、正座が広まる起点になったと言われています。

しびれる座り方だからこそ?

なぜ、わざわざ苦しい座り方が礼儀に選ばれたのでしょうか。足がしびれてすぐには動けない正座は、「あなたに敵意はありません」という証になった、という説があります。とっさに立ち上がって斬りかかれない姿勢こそ、相手への恭順を示したというわけです。真偽はともかく、なかなか面白い見方です。

畳の普及が後押しした

畳と正座はセットだった

正座が武士の間に本当に根づくのは、畳が広まった江戸中期以降でした。板の間に長く正座するのは、膝にも足にもこたえます。やわらかい畳が部屋に敷きつめられたことで、ようやく正座が現実的な座り方になった面もあるのです。作法と住まいの変化は、セットで進みました。

商人にも広がる

武士の間で正座が定着すると、彼らと商いをする商人たちも放ってはおけません。礼儀正しさを示すために、正座を取り入れていきました。上の身分がやることを下がまねる——作法は、こうして少しずつ社会に広がっていったのです。

「正座」という言葉は明治生まれ

巻物

座り方そのものは江戸で広まりました。ところが「正座」という言葉じたいは、まだ生まれていなかったのです。

江戸には「正座」という語がなかった

「かしこまる」「つくばう」と呼んだ

江戸時代まで、この座り方は「かしこまる」「つくばう」などと呼ばれていました。1889年に出た辞書『言海(げんかい)』を開いても、「正座」という項目は見当たりません。言葉がないということは、まだ一つの決まった作法として固まってはいなかった、ということでもあります。

最も古い使用例は1882年

書物に出てくる「正座」の最も古い例は、明治15年(1882年)の『小学女子容儀詳説』とされています。「凡そ正坐ハ……」と、女子の作法を説くなかで登場しました。つまり「正座」という言葉は、明治の教育の場から広まっていったのです。

「危座」から「正座」へ

名前も意味も付け替えられた

「危座」という呼び名は、どうしても印象がよくありません。そこで、目上の人へ敬意を示す「正しい座り方」という意味を込め、「正座」と名前が改められました。苦しい座法という古い顔に、礼儀の象徴という新しい顔が上書きされたわけです。呼び名を変えることは、意味を変えることでもありました。

学校が教えた「正しい座り方」

先生と生徒たち

言葉が整い、意味が決まると、あとは全国に広めるだけです。その役目を担ったのが、明治の学校でした。

修身と正座

教育を通じて全国へ

身分制度がなくなり、四民平等となった明治。国は、全国民に共通の礼儀を根づかせようとしました。その手段の一つが、修身(しゅうしん)などの学校教育です。子どもたちが教室で正座を習うことで、「日本人ならこう座る」という感覚が一気に広まりました。

「伝統」は案外あたらしい

こうしてできあがったのが、「正座は日本古来の伝統」というイメージでした。けれど全国民の習慣としてたどれば、その歴史はせいぜい150年ほど。私たちが「昔から」と感じている作法の多くは、近代になって整えられたものなのです。下に、ここまでの流れを年表でまとめておきます。

時代正座をめぐるできごと
奈良時代仏事とともに膝をそろえる座法が伝わる(一説)
江戸初期家光が奨励、将軍への礼として武家に広まる
江戸中期畳の普及で武士に定着、商人へも波及
明治「正座」と命名、学校教育で全国民へ

なぜ足がしびれるのか——正座のいま

正座で足がしびれる男性

歴史の話が続いたので、最後は体の話と、現代の正座に触れておきます。だれもが一度は経験する、あのしびれの正体です。

しびれの正体

血管と神経が押さえつけられる

正座で足がしびれるのは、自分の体重で下肢の血管と神経が圧迫されるからです。血のめぐりが悪くなり、神経が信号をうまく伝えられなくなる。立ち上がった直後にジンジンするのは、圧迫が解けて神経が回復していく合図です。しびれは我慢の証ではなく、体からのまっとうな反応でした。

正座とのつきあい方

正座椅子という道具

今では、正座椅子という道具もあります。足首の下に小さな台を置き、体重を逃がして楽に姿勢を保つ工夫です。伝統とされる座り方も、道具でアップデートされているわけです。無理にしびれと戦わなくてよい、という点では、昔の人より少しだけ恵まれているのかもしれません。

畳の上でしびれをこらえるあの姿は、いかにも「日本古来の伝統」に見えます。けれどその「正しさ」は、遠い昔から続いてきたものではなく、明治という新しい時代が選び直したものでした。伝統というのは、私たちが思うよりずっと若いことがあるのです。