欧米でくしゃみに「Bless you」と言うのはなぜか——魂と病をめぐる古い言い伝え

世界の文化雑学
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「はくしょん!」と誰かがくしゃみをすると、英語圏では周りの人がすかさず「Bless you(ブレス・ユー)」と声をかけます。見ず知らずの相手でも、電車で隣り合っただけの人にでも同じです。日本にはこの習慣がほとんどないので、はじめて言われると少し戸惑うかもしれません。なぜ欧米では、他人のくしゃみにわざわざ言葉をかけるのでしょうか。

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世界のくしゃみへの「声かけ」一覧

日本ではくしゃみをしても、たいてい誰も何も言いません。ところが世界の多くの言語には、くしゃみをした相手にかける決まり文句があります。下の表がその代表例です。

言語・地域かける言葉直訳・意味
英語Bless you / God bless you(神の)祝福がありますように
ドイツ語Gesundheit(ゲズントハイト)健康(を)
フランス語À tes souhaits(ア・テ・スエ)あなたの願いが叶いますように
イタリア語Salute(サルーテ)健康を
スペイン語Salud(サルー)/ Jesús健康を/(神の名を口にする)
ロシア語Будь здоров(ブーチ・ズダローフ)健康でいて

くしゃみをされた本人は、英語圏なら「Thank you(ありがとう)」と返すのが作法です。声をかけるほうも、返すほうも、短いワンセットのやりとりになっています。ただ、この習慣がどこから来たのかは、はっきりしていません。古い言い伝えがいくつも重なっていて、由来は諸説あるというのが正直なところです。

なぜ声をかけるのか——魂と心臓をめぐる言い伝え

くしゃみに言葉をかける背景には、「くしゃみは体に良くないことが起きる瞬間だ」という古い考えがあったとされます。その”良くないこと”の中身が、いくつかの説に分かれています。

魂が抜けてしまうという考え

くしゃみで魂が飛び出す

昔のヨーロッパでは、くしゃみをすると魂が体から飛び出してしまう、と考えられていたようです。息が勢いよく抜ける様子が、命そのものが抜け出るように見えたのかもしれません。だから「神のご加護を」と唱え、魂が戻るように、無事であるようにと祈った——これがひとつめの説です。

悪いものが入り込む隙

反対に、くしゃみの瞬間は体が”無防備”になるという考え方もあります。その隙に悪魔や悪霊が入り込むというのです。この場合の「Bless you」は、入り込もうとする悪いものをはね返す”盾”の役目を果たします。魂が出ていくのを防ぐか、悪いものが入るのを防ぐか。向きは逆でも、「くしゃみ=危うい瞬間」という感覚は共通しています。

心臓が止まるという考え

一瞬止まる、という俗説

「くしゃみをすると心臓が一瞬止まる」という話を聞いたことがある人もいるでしょう。これも古くからある俗説で、止まった心臓がまた動き出すように「Bless you」と声をかけた、という説につながります。声かけを一種の”応援”と考えるわけです。

実際には止まっていない

ただし、くしゃみで心臓が止まるわけではありません。くしゃみの前に大きく息を吸うと胸の中の圧力が変わり、鼓動のリズムが少し乱れることはあります。それでも拍動そのものが止まるわけではない、とされています。「止まったように感じる」という体感だけが、言い伝えとして残ったのでしょう。

有名な「ペスト起源説」は本当か

由来としてもっとも有名なのが、6世紀ローマの疫病にまつわる話です。ただし、これは後から付け足された逸話ではないか、とみられています。

590年、ローマを襲った疫病

教皇グレゴリウス1世の祈り

西暦590年ごろ、ローマでは疫病(ペストと語られることが多い病)が広がっていました。時の教皇グレゴリウス1世が、神に救いを求めて絶え間なく祈るよう人々に命じた、と伝えられています。祈りで疫病を鎮めようとしたわけです。

くしゃみは病の最初のサイン

当時、くしゃみは病にかかった最初の兆候だと受け止められていました。そこで、くしゃみをした人にはすぐさま「God bless you(神のご加護を)」と祝福を与えるように、と教皇が定めた——これが「ペスト起源説」のあらすじです。命を落とすかもしれない相手を、言葉で守ろうとしたという筋書きです。

よく語られるが、確かな裏づけはない

命じたという証拠は見つからない

もっとも、グレゴリウス1世が実際にそう命じた、という確かな記録は見つかっていません。彼が疫病に際して祈りを呼びかけたのは事実とされますが、くしゃみへの「祝福」を制度として広めた、という部分は裏づけを欠きます。この逸話じたいは、言い伝えの域を出ない話とされているのです。

それでも8世紀には定着していた

起源がはっきりしないまま、習慣そのものは広まっていきました。西暦750年ごろには、くしゃみをした人へ「神のご加護を」と返すのが、ごくふつうの作法として根づいていたそうです。物語の真偽とは別に、言葉のやりとりだけがしっかり生き残ったわけです。

「神の加護」型と「健康」型——二つの系統

世界の声かけを見比べると、大きく二つの系統に分かれることに気づきます。神に加護を願う言葉と、相手の健康そのものを願う言葉です。

神の加護を祈る言葉

英語とフランス語

英語の「Bless you」は、もともと「May God bless you(神があなたを祝福しますように)」を短くした形です。フランス語の「À tes souhaits(あなたの願いが叶いますように)」も、相手の幸いを願う点で同じ仲間といえます。スペインで最初のくしゃみに「Jesús」と聖なる名を口にするのも、この系統です。

健康そのものを祈る言葉

ドイツ語・イタリア語・スペイン語

一方、ドイツ語の「Gesundheit」は、そのものずばり「健康」という意味です。イタリア語の「Salute」、スペイン語の「Salud」も同じく「健康を」。宗教的な祝福というより、日本語の「お大事に」に近い、実用的な言葉だといえます。

アメリカでは両方が飛び交う

面白いことに、英語が主のアメリカでは、「Bless you」と並んでドイツ語由来の「Gesundheit」もよく使われます。移民が持ち込んだ言葉が土地になじみ、二つの系統がひとつの場所で仲良く混ざっているわけです。宗教色を出したくない相手には、あえて「Gesundheit」を選ぶ人もいるようです。

くしゃみの回数で意味が変わる文化

くしゃみへの言い伝えには、「回数」で意味が変わるという共通のモチーフもあります。これが、遠く離れた国どうしで驚くほど似ています。

回数を数える海外の風習

スペインは聖家族、ラテンアメリカは健康・お金・愛

スペインに伝わるのは、聖家族の名を順に唱える言い方です。1回目は「Jesús(イエス)」・2回目は「María(マリア)」・3回目は「José(ヨセフ)」というぐあいです。ラテンアメリカへ渡ると、これが「Salud(健康)」・「dinero(お金)」・「amor(愛)」と、願いごとを数える形に変わります。同じ「数える」でも、中身が土地の願いに置きかわっているのが面白いところです。

日本の「一そしり二笑い三惚れ四風邪」

回数ごとに変わる意味

じつは日本にも、くしゃみの回数を数える言い伝えがあります。「一そしり・二笑い・三惚れ・四風邪」。読みは「いちそしり・にわらい・さんぼれ・しかぜ」です。1回目は誰かに悪口を言われているしるし。2回目は笑われ、3回目は惚れられます。そして4回目で、ようやく風邪の前ぶれというわけです。

回数スペインラテンアメリカ日本
1回目Jesús(イエス)Salud(健康)そしり(悪口)
2回目María(マリア)dinero(お金)笑い
3回目José(ヨセフ)amor(愛)惚れ(恋)
4回目風邪

「噂されている」の感覚

くしゃみが出ると「どこかで誰かが噂している」と感じるのも、この延長にあります。海外が「健康・お金・愛」を数えるのに対し、日本は「悪口・笑い・恋」を数える。並べるものは違っても、くしゃみを”何かの知らせ”と受け取る発想は、よく似ているのです。

日本にもあった「くさめ」というまじない

「日本にはくしゃみに声をかける習慣がない」と書きましたが、昔の日本にも、じつはよく似た風習があったことが記録に残っています。

「くさめ、くさめ」と唱えた

くしゃみで寿命が縮む?

古い日本では、くしゃみをすると鼻から魂が抜け、寿命が縮んで早死にすると信じられていたそうです。そこで、それを防ぐまじないの言葉が唱えられました。それが「嚔(くさめ)」です。そして「くしゃみ」という言葉じたいも、このまじない「くさめ」から生まれたといわれています。魂が抜けるという発想は、海の向こうの言い伝えとそっくりです。

徒然草に残る場面

鎌倉時代の随筆『徒然草(つれづれぐさ)』の第四十七段には、ある尼が連れの子どものくしゃみに合わせて「くさめ くさめ」と唱え続ける場面が出てきます。わけを尋ねられると、「子がくしゃみをしたとき、こうまじなわないと死んでしまうと聞いているから」と答えるのです。魂と死をくしゃみに結びつける感覚が、七百年以上前の日本にもあったとわかります。

本人が唱えるか、他人が祝福するか

主役が入れ替わっている

西洋と日本で大きく違うのは、”誰が言うか”という点です。欧米では、くしゃみをした人の周りが「Bless you」と祝福します。いっぽう昔の日本では、くしゃみをした本人や身近な人が「くさめ」と自分でまじないを唱えました。危うい瞬間を言葉で乗り越えようとする発想は同じで、声を出す主役だけが入れ替わっているわけです。

「Bless you」も「くさめ」も、出発点は「くしゃみは体にとって危うい瞬間だ」という、同じひとつの感覚でした。医学が進んだ今では、くしゃみはただの生理反応だとわかっています。それでも英語圏では、あいさつのように「Bless you」が交わされ続けています。意味を本気で信じているからではなく、その一言が相手を気づかう合図として生き残ったからでしょう。遠い異国の作法だと思っていた「Bless you」。その根っこには、かつての日本人が唱えた「くさめ」と同じ、くしゃみをする人を気づかう気持ちが流れています。