西洋で13が嫌われる理由として最もよく挙がるのは、キリストの「最後の晩餐」で食卓に13人が座り、その中に裏切り者のユダがいたという話です。12という区切りのよい数の「ひとつ外」にあることも、落ち着かない印象を強めたとされます。欧米のビルに13階がないのは、この感覚がいまも残っている姿です。
最後の晩餐の13人が出発点とされる

食卓に13人、その中にユダ
イエス・キリストが十字架にかけられる前夜、弟子たちと囲んだ最後の食事には、イエス本人と12人の弟子の計13人がいました。その一人ユダは、銀貨と引きかえにイエスを引き渡します。「13人の食卓から裏切りと死が生まれた」という筋書きが、13を避ける気持ちの土台になったと説明されてきました。日本大百科全書の「忌み数」の項目も、西洋の13嫌いをこの陪席者の数に由来するものとしています。
「13人で食べると1年以内に1人が死ぬ」
この話は、食事の席の言い伝えとして広まりました。1774年のドイツの文献には、13人で食卓を囲むと1年以内にそのうちの1人が死ぬ、という俗信がすでに記されています。1890年代からは英語圏で「ユダが13番目に席に着いた」とまで語られるようになりました。ただし聖書には、誰がどの順で座ったかは書かれていません。分かっているのは人数だけで、順番の話は後から足された尾ひれと見てよさそうです。
北欧神話の「13人目の客」は本当?

ロキが招かれざる13人目という話
もう一つ、13の由来としてよく紹介される話が北欧神話にあります。12人の神々がヴァルハラで宴を開いていたところ、いたずら好きの神ロキが招かれざる13人目として現れ、光の神バルドルが命を落とした──という筋です。日本語の雑学記事でも、最後の晩餐と並べてよく語られてきました。
原典のエッダには「13」が出てこない
ところが、この形の話が文献に出てくるのは1968年の英語の本『Magic and Superstition』が最初とされます。中世アイスランドの『散文のエッダ』では、バルドルはロキにそそのかされた盲目の神ヘズが投げたヤドリギで死にますが、12人の神々も宴も13という数も出てきません。北欧神話は13嫌いの起源というより、後から13の話に結びつけられた例と見るのが無難です。
13が不吉と書かれた記録はいつから?

はっきりした記録は中世のあと
13を不吉とする記録がはっきり現れるのは、中世が終わったあとのヨーロッパです。1781年、フランスの学者クール・ド・ジェブランは、13は「つねに不吉なものとみなされてきた」と書きました。最後の晩餐から1700年以上たった時代の文章です。言い伝えが長く口伝えで続いていた可能性はありますが、紙の上で確かめられるのはこの頃からになります。
タロットの13番目は「死神」
13と死を結びつけたものに、タロットカードもあります。タロットを使った遊びは1450年ごろには記録があり、大アルカナの13番目の札には死神が描かれてきました。1784年のドイツの文献は、この13番目の札を死と不運の象徴だと説明しています。トランプ遊びの札の並びが、数字の印象を固めるのに一役買ったのかもしれません。
「12」が整いすぎた数だった

12か月・12時間・12使徒
13の居心地の悪さは、ひとつ手前の12の特別さと裏表です。一年は12か月、時計の文字盤は12時間、星座占いは12星座。聖書でもイスラエルの部族は12、イエスの弟子は12人でした。12は2・3・4・6のどれでも割り切れるので、品物や時間を等分するのに便利です。ダースという数え方が今も残っているのも、そのためです。
13は「ひとつ多い」はみ出しの数
まとまりのよい12にひとつ足した13は、2でも3でも割り切れません。整った集まりの外に一人だけはみ出した数、というわけです。最後の晩餐の13人も「12人の弟子+1人」の形をしています。もっとも、この説明は13が嫌われた結果をあとから理屈づけた面もあり、これだけで迷信が生まれたとは言い切れません。
13日の金曜日はいつ生まれた?

金曜はキリストが十字架にかけられた日
金曜日そのものも、西洋では縁起の悪い日とされてきました。キリストが十字架にかけられたのが金曜とされ、復活祭の前の金曜は「受難日(聖金曜日)」として祈りの日になっています。14世紀のチョーサー『カンタベリー物語』にも、金曜を旅や新しいことに向かない日とする感覚が出てきます。
二つが重なったのは19世紀から
意外なことに、「13」と「金曜」をセットで恐れた記録は19世紀より前には見つかっていません。英語でいちばん古い例とされるのは、1869年に出た作曲家ロッシーニの伝記です。ロッシーニは1868年11月13日の金曜日に亡くなり、伝記はイタリア人の多くと同じく彼も金曜と13を嫌っていたらしい、と書いています。フランスでは1834年の芝居にそれらしい場面があるとされます。
1907年の小説と、テンプル騎士団の説
広めた一因とされるのが、1907年にアメリカで出た小説『Friday, the Thirteenth』です。株の仲買人がこの迷信を利用してウォール街に恐慌を起こす筋書きでした。一方、1307年10月13日(金曜)にフランス王がテンプル騎士団を一斉逮捕したことを起源とする説もあります。ただ当時のフランスで金曜は不吉とされておらず、この結びつけは21世紀に入ってから、小説『ダ・ヴィンチ・コード』などで広まったものとされます。
13階のないビルは今も多い

エレベーター会社の推計で85%
エレベーター大手オーチスの担当者は2002年、自社の記録をもとに一つの推計を示しました。13階以上あってオーチス製エレベーターを備えた建物のうち、85%には「13階」という名前の階が無かったといいます。12階の次がいきなり14階になるボタンは、欧米ではごく普通の光景です。
12A階や「プールの階」と呼ぶ工夫
13を飛ばす以外のやり方もあります。「12A」「12B」と呼ぶ方法、カナダ・ウィニペグのホテルのように「プールの階」と名付ける方法。機械室にして客を入れない建物もあります。逆にカナダのバンクーバー市は、4や13を飛ばす番号付けを禁じました。救急隊や消防が階を数え間違えるおそれがあるからです。迷信と安全がぶつかった珍しい例といえます。
飛行機の13列目も消えている
空の上でも13は避けられています。エールフランスやルフトハンザ、ライアンエアーなどでは、多くの機体で13列目がありません。ルフトハンザはイタリアやブラジルで不吉とされる17列目も飛ばしています。一方、アメリカン航空やデルタ航空、サウスウエスト航空は13列目を残しています。航空会社ごとの判断で、法律の決まりではありません。
迷信に逆らった人たちもいた

1881年のサーティーン・クラブ
13の迷信を笑い飛ばそうとした人たちもいました。1881年、ニューヨークでウィリアム・ファウラー大尉らが「サーティーン・クラブ」を結成します。最初の会合は1月13日の午後8時13分に開くという念の入れようでした。同じようなクラブは北米各地に広がり、のちの大統領5人も会員に名を連ねています。
今もアメリカ人の13%が気にする
それでも迷信はしぶとく残りました。2007年のギャラップ社の調査では、ホテルで13階の部屋を割り当てられたら気になると答えたアメリカの成人は13%。別の階に替えてほしいと頼むほど気になる人も9%いました。13階を設けないビルが多いのは、この1割前後の客を気づかった結果ともいえます。
日本で避けられるのは4と9

4は「死」、9は「苦」に通じる
数字を避ける習慣は日本にもあります。ただし理由は物語ではなく音です。4は「死」、9は「苦」と読みが重なるため、病院やホテルで4号室・9号室を置かないことがあります。贈り物でも4や6といった偶数を避ける習わしがあります。東アジアでは中国などでも4が嫌われ、上海には4階・13階・14階のボタンが無いエレベーターもあるそうです。
日本の13は、むしろ節目の数
日本では13は不吉な数というより、人生の節目でした。数え13歳は厄年の一つで、この年の子どもが寺社に参って開運や出世を願う「十三詣り(じゅうさんまいり)」が各地に伝わります。一方で山小屋では13人を嫌い、伊豆の三宅島ではわら人形を加えて14人にするとよい、という言い伝えも記録されています。西洋の「13人の食卓」とよく似た感覚が、遠く離れた島にもあったのです。
聖書の食卓の人数、整いすぎた12、19世紀の新聞や小説。13の不吉さは一度に生まれたのではなく、時代ごとに少しずつ上塗りされてきました。北欧神話のように、20世紀になってから足された話さえあります。エレベーターの「12の次は14」は、そんな上塗りの最新の一枚なのかもしれません。
参考
- コトバンク「忌み数」(日本大百科全書)
- Wikipedia(英語版)「Triskaidekaphobia」
- Wikipedia(英語版)「Friday the 13th」
- The Points Guy「Why airplanes don’t have a 13th row」
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