えくぼは、笑ったからへこむのではありません。笑う前から、頬の内側にしかけが埋まっています。大頬骨筋(だいきょうこつきん)という表情筋が途中で二股に分かれ、下側の束が皮膚の裏側に貼りついている。いま最も有力とされている説明は、これです。
ところが「えくぼができる理由」として語られている説明は、一つではありません。解剖学の実測に支えられたものから、教科書に載りながら出どころの論文が見つからないものまで、確からしさにかなりの差があります。まずはその差から並べていきます。
えくぼの説明は、確からしさで四段階に分かれる

同じ「えくぼができる理由」でも、遺体の解剖で数えられたものと、誰かが言い出しただけのものが同じ調子で語られているのが現状です。根拠の強さで格付けすると、次のようになります。
| 説明 | 中身 | 根拠の強さ |
|---|---|---|
| 二股の大頬骨筋 | 筋肉が上下二つの束に分かれ、下の束が皮膚の裏に付着している | ◎ 解剖研究で実際に数えられている |
| 皮膚と深部のつなぎ目 | 口角のななめ上で皮膚が内側につなぎ止められている | ○ えくぼ形成術がこの原理を利用して成功している |
| 皮下脂肪の厚みのむら | 脂肪の薄い場所ほど、引かれたときにへこみが表に出る | △ 見え方には効くが、それだけでは説明できない |
| 笑筋(しょうきん)が引く | 口角を横に引く細い筋が皮膚を引き込む | △ 国語辞典類の説明に多いが、解剖研究の裏づけは薄い |
| 一つの遺伝子で決まる | えくぼの有無は優性・劣性で決まる | × 元になる論文が見つかっていない |
上の二つと下の二つでは、話の性質がまるで違います。前者は「切って確かめた」結果であり、後者は「そう説明すると分かりやすい」という都合で広まった面が強い。この記事では、一段目から順に中身を見ていきます。
頬のえくぼは、二股の筋肉が皮膚を内側へ引いている

頬のえくぼの正体は、筋肉と皮膚のつながり方の個人差です。骨の形でも、脂肪のへこみでもありません。
表情筋は、骨ではなく皮膚に付いている
腕や脚の筋肉との決定的な違い
腕や脚の骨格筋は、両端が腱になって骨に付いています。縮めば骨が動き、関節が曲がる。ところが顔の表情筋は違います。片方の端が骨や靭帯(じんたい)に付いていても、もう片方の端は皮膚の裏側に直接付いているのです。
だから顔は、動かすと骨ではなく「表面の形」が変わります。笑うと頬が持ち上がり、眉を寄せると額に縦じわが立つ。あれは筋肉が皮膚そのものを引っぱっている光景です。
皮膚を引く力は、付き方しだいで表に出る
皮膚に付いているといっても、面でべったり付くのか、一点でつまむように付くのかで結果は変わります。広い面で付けば全体がなだらかに動くだけですが、狭い一点だけがつなぎ止められていると、その点だけが取り残されて内側へ引き込まれます。これがくぼみの生まれ方です。
大頬骨筋が二つに割れている人がいる
50体中17体という報告
1998年、ペッサらの研究チームが解剖学の専門誌『Clinical Anatomy』に報告しています。50例の顔面の解剖のうち17例、割合にして34%で、大頬骨筋が途中から上下二つの束に分かれていました。頬骨から一本の筋として出発し、頬骨の下のくぼみのあたりで枝分かれする形です。
上の束は通常どおり口角の上あたりに付き、下の束は口角の下へ回り込んで終わります。同じ「大頬骨筋」という名前でありながら、人によって形が二通りある。珍しい変異どころか、3人に1人の側に近い数字です。
下の束の途中が、皮膚をつかまえている
同じ研究では、下の束の中ほどが真皮(しんぴ、皮膚の内側の層)に付着している例も観察されました。筋肉が縮むと、その付着点がアンカーになって皮膚を内側へ引き込みます。まわりの皮膚は持ち上がるのに、そこだけ動けない。結果として頬に小さな穴が開いたように見えます。
※ 大頬骨筋とは、頬骨から口角へ向かって斜めに走る表情筋のことです。口角を上外側へ引き上げる、笑顔の主役にあたる筋肉です。
笑ったときだけ現れるのは、力がかかる瞬間だけだから
筋肉がゆるんでいる間は、引く力もない
無表情のとき、大頬骨筋は伸びた状態で休んでいます。皮膚を引く力が働いていないので、付着点があってもくぼみません。笑って筋肉が縮んだ瞬間だけ、皮膚が内側へ引かれてえくぼが立ち上がる。えくぼが「表情の一部」として見えるのは、この時間差のためです。
深さは、笑い方の強さについてくる
軽くほほえんだ程度では出ず、声を出して笑うとはっきり現れる。そういう人は珍しくありません。筋肉の収縮が強いほど引く力も強くなるので、同じ人でも深さが変わります。写真で「あるとき」と「ないとき」があるのは、体質が変わったわけではないのです。
「えくぼは優性遺伝」には、元になる論文がない

理科の授業で「一つの遺伝子で決まる形質」の例として、えくぼが挙げられることがあります。この説明の根拠は、探してみると出てきません。
出どころが見つからない
1951年の記述までは遡れる
ウィンチェスターが1951年に「えくぼは優性、えくぼなしは劣性」と書いた記述が知られています。ただし本人も、現れ方に幅があることを認めていました。そしてこの記述には、根拠となる調査が示されていません。
文献を洗った研究者の結論
米デラウェア大学のジョン・マクドナルドは、遺伝学の俗説を検証するページでえくぼを取り上げました。文献を徹底的に探したが、遺伝学的な証拠を示す論文は見つからなかった。そのうえで「えくぼを基礎遺伝学の実例に使うべきではない」と結論づけています。授業で使いやすい題材だったことが、そのまま広まった理由なのでしょう。
そもそも「ある/ない」の二択に分けられない
子どものころだけあった人がいる
幼いころにはあったのに、大人になると出なくなる。逆に、年を重ねてから目立つようになる。どちらの例も報告されています。ある時点で調査すれば「なし」に分類される人が、別の時点なら「あり」に入る。集計の土台がぐらついているわけです。
「不規則優性」という歯切れの悪い呼び方
えくぼのない親から、えくぼのある子が生まれることもあります。深さも浅いものから明らかなくぼみまで連続していて、線を引く場所がない。そのため遺伝学の側は、単純な優性とは言わず「不規則優性」という慎重な言い方を使ってきました。歯切れの悪さが、そのまま実態を表しています。
それでも家族で似るのはなぜか
関わる遺伝子が一つとは限らない
親子でえくぼが揃う例が多いのは事実です。否定されているのは「遺伝と関係ない」ではなく、「一つの遺伝子の優性・劣性で決まる」という単純な図式のほう。筋肉の分かれ方や皮膚とのつながり方には複数の遺伝子が関わっていると考えられ、家族で似ることと矛盾はしません。
あごのえくぼでは、候補の探索が進んでいる
頬に比べると、あごのえくぼ(割れあご)のほうが手がかりは多いようです。消費者向けの遺伝子検査の分野では、あごの割れやすさに関わる可能性のある遺伝的な目印が38か所ほど挙げられています。その多くは顔の骨や頭蓋の育ち方に関わる遺伝子の近くにあるとされ、やはり一つの遺伝子で決まるという話ではありません。
何人に一人かという数字が、まだそろっていない

顔のすぐ表にある特徴なのに、頻度の数字は調査ごとにばらついています。誰でも見て数えられそうなものが、実は数えにくいのです。
地域ごとに数字が合わない
1,462人を見て121人
インド・カルナータカ州スリア地方で行われた調査では、1,462人を調べて生まれつきのえくぼを持つ人は121人でした。割合にして8.3%ほど。2019年に『Journal of Cutaneous and Aesthetic Surgery』誌に報告されたもので、えくぼ形成術のための基準づくりを目的とした研究です。
34%と12.3%が並ぶ集計
一方で、複数の調査をまとめた集計もあります。そちらでは全体22.7%・米国34%・ヨーロッパ12.3%という数字が並びました。8.3%から34%まで、実に4倍の開きがある。集団による差なのか数え方の差なのか、現状では切り分けられていません。
| 調査・集計 | 対象 | えくぼのある割合 |
|---|---|---|
| スリア地方調査(2019年) | インド南部・1,462人 | 8.3% |
| 複数調査の集計(ヨーロッパ) | ヨーロッパ系 | 12.3% |
| 複数調査の集計(全体) | 世界の平均的な推計 | 22.7% |
| 複数調査の集計(米国) | 米国 | 34% |
左右がそろわない人のほうが多い
片側だけが7割という報告
先ほどのスリア地方の調査では、えくぼを持つ121人のうち片側だけの人が72.88%、両側にある人は27.11%でした。えくぼといえば左右対称のイメージがありますが、そちらのほうが少数派だったわけです。別の調査では両側が55.6%という逆の結果も出ていて、ここでも数字は割れています。
右頬に多く、左のほうがわずかに大きい
片側だけの場合、右頬に出る人のほうが多いという傾向も報告されています。大きさを測ると、上下方向の長さは右が8.29mm、左が8.96mm。左右で0.7mmほどの差がありました。左右の筋肉が同じ形に育つとは限らない、ということでしょう。
数え方しだいで、結果が動いてしまう
どの笑い方で判定するか
先に見たとおり、えくぼは笑いの強さで出たり出なかったりします。軽くほほえんでもらって判定するのか、大きく笑ってもらうのか。手順が違えば「あり」に数えられる人の数も変わります。頻度の数字が調査ごとにばらつく背景には、この判定の難しさがありそうです。
年齢によって出たり消えたり
子どもで見つかる割合が高いという2000年代の指摘もあります。頬の皮下脂肪が多い時期は引き込まれ方が目立ちやすく、成長とともに脂肪が減って見えなくなるという説明です。年齢層のそろっていない集団どうしを比べれば、それだけで数字は動きます。
あごのえくぼ、腰のえくぼは、まったく別のしくみ

「えくぼ」と呼ばれるくぼみは、頬のほかにもあります。名前は共通していても、へこませている当事者は場所ごとに別ものです。
あごのえくぼは、骨に残ったすきま
下あごの骨は、左右から伸びて中央でつながる
下顎骨(かがくこつ)は、もともと左右二つのパーツとして育ち、正中線で合流して一本になります。この合流はふつう生まれる前に完了しますが、完全に閉じきらないとあごの先に縦の溝が残る。これが割れあご、いわゆるあごのえくぼです。筋肉が引いているのではなく、骨の形そのものが表に出ています。
だから笑わなくても消えない
頬のえくぼが笑った瞬間だけ現れるのに対し、あごの溝は無表情でもそこにあります。骨と、その上に付くオトガイ筋の付き方で決まっているためです。表情に連動しない点が、両者を分ける一番わかりやすい目印になります。
腰のえくぼは、短い靭帯が引いている
骨の出っぱりと皮膚を結ぶ一本
腰の左右に浮かぶ二つのくぼみは、「ヴィーナスのえくぼ」という呼び名を持つくぼみです。骨盤の後ろ上部にある上後腸骨棘(じょうこうちょうこつきょく)という出っぱりと、その上の皮膚を結ぶ短い靭帯によってできるとされます。役者が筋肉から靭帯に替わったかたちです。
見えるかどうかは皮下脂肪しだい
靭帯の位置は変えられませんが、その上に脂肪が厚く乗っていればくぼみは埋もれます。「痩せると出てくる」と言われるのはそのためです。頻度は19.4%ほどという推計もあり、頬のえくぼと似た程度の割合になります。
名前だけが同じ、三つのくぼみ
三つを並べると、共通しているのは見た目と呼び名だけだと分かります。
| 場所 | くぼませているもの | 現れるとき |
|---|---|---|
| 頬 | 二股に分かれた表情筋と、皮膚への付着 | 笑ったときだけ |
| あご | 下顎骨の合流部に残ったすきま | いつも(表情に関係なし) |
| 腰 | 骨盤の出っぱりと皮膚を結ぶ靭帯 | いつも(脂肪が薄ければ) |
外から作ろうとした人たちの話

えくぼを持たない側の人が、それを作ろうとした歴史はおよそ90年前にはじまりました。うまくいかなかった時代と、原理を突き止めてからの時代が、そこできれいに分かれます。
1936年の「えくぼ製造器」
1日2〜3回、5分ずつ
米ニューヨーク州ロチェスターのイザベラ・ギルバートという女性が、1936年にある器具を売り出したと伝えられます。頭に被せる金属のフレームから二つの突起が伸び、それが両頬を押さえつける構造でした。使用説明はこうです。着替えや読書のあいだに、1日2〜3回、5分ずつ着けておく。
押しても、えくぼにはならなかった
結果は不発でした。外から押しても、筋肉と皮膚のつながり方までは変えられません。米国医師会はこの器具に効果がないと批判し、のちにインチキ医療器具のコレクションに加えられたと伝えられています。原理を知らずに「へこませればよい」と考えた発想の、素直な失敗例といえます。
いまのえくぼ形成術は、内側から引く
1962年に決まった「点」
1962年、クー・ブーチャイという医師が生後1日から50歳までの女性およそ500人のえくぼの位置を調べました。多くは、目尻から下ろした垂線と口角から引いた水平線の交点にあった。この「KBC点」は60年以上たったいまも、手術でえくぼを作る位置の基準として使われています。
もっとも、先ほどのスリア地方の調査では、実際にKBC点にあったのは60.66%。残る39.33%はそれより前方にあり、平均で9.86mmずれていました。基準はあくまで基準というわけです。
糸で、皮膚と口の中をつなぐ
現在よく行われている方法は、頬の内側の粘膜側から糸を通し、真皮とつなぎ止めるというものです。天然のえくぼで筋肉が担っていた「皮膚を内側へ引く」役割を、糸に肩代わりさせる発想。術後しばらくは笑っていなくてもくぼんで見え、次第に笑ったときだけ現れるようになるとされています。
「えくぼ」という言葉のほうも、笑いから来ている
「笑む」と「くぼ」
えくぼの「え」は笑うことを表す「笑む(えむ)」、「くぼ」は窪みから来ているという説明が一般的です。漢字では「笑窪」と書き、もう一つ「靨」という一字もあてられます。23画のこの字は形声文字で、声符は「厭」。字面の物々しさと、指すものの可憐さのへだたりが面白いところです。
「七八十百ばかり」と数えた狂言
古い用例としては、室町末から近世初めの狂言「枕物狂」に「てんもくほどなゑくぼが、両のほほに七八十百ばかり」という一節が知られています。天目茶碗ほどのえくぼが両頬に七、八十から百ほど。惚れた側の目に映る誇張として、これ以上ないほど景気のよい表現です。ちなみに辞書には、魚の目とえらのあいだのくぼみを「えくぼ」と呼ぶ用法も載っています。
えくぼを「持っている人/いない人」で数えようとすると、必ずどちらにも入らない人が出てきます。子どものころだけ出ていた人、大笑いしたときだけ現れる人、右にだけある人。線を引こうとするたび、線の上に立ってしまう人がいる。
えくぼは、生まれつき配られた持ち物ではないのでしょう。筋肉の分かれ方と皮膚の付き方が笑った瞬間だけ噛み合って起きる、出来事のほうに近い。だからこそ頻度の数字も、8.3%から34%まで散らばったまま決着していません。顔のいちばん表側にありながら、いまだに数え切られていない。えくぼはそういう、少し変わった位置にいるくぼみです。
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