「あばたもえくぼ」の「あばた」とは何か、赤べこと同じ病気の話だった

言葉と論理の話
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「あばた」とは、天然痘が治ったあとに顔へ残る小さなくぼみのことです。惚れた相手なら、その痕さえ笑ったときのえくぼのように見える——「あばたもえくぼ」は、そういう言い回しです。

意味は誰でも知っています。ところが「あばた」のほうを実際に見たことがある人は、いまの日本にほとんどいません。もとになった病気が、地上から消えてしまったからです。

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このことわざは、四つの前提の上に立っている

「あばたもえくぼ」が言葉として成り立つには、いくつもの条件が必要でした。並べてみると、そのうち二つはすでに失われています。

前提中身いまは
① あばたが身近にある顔に痘痕のある人が、まちに普通にいた×(国内の患者は1955年が最後)
② あばたは醜いとされる「疱瘡は見目定め」と言われるほど嫌われた×(比べる相手がいない)
③ えくぼは愛らしいとされる笑ったときの頬のくぼみは魅力の一つ
④ 二つは形が似ているどちらも頬にできる「くぼみ」

生き残った③と④だけでも、たとえとしては通じます。欠点が長所に見える、という骨格は無傷だからです。失われたのは、その骨格に血を通わせていた具体のほう。以下は、消えた二つを掘り起こしていく話になります。

「あばた」は、天然痘が顔に残したくぼみ

皮膚の深くまで届いた発疹が、穴になって残る

水ぶくれが治っても、皮膚は元に戻らない

天然痘は全身に発疹が出る感染症で、致死率は流行によって幅があるものの、平均して二割から五割にのぼったとされます。命が助かった場合でも、顔に密集した発疹の跡が皮膚のくぼみとして残りました。これが「あばた」です。

厄介なのは、その痕が生涯消えなかったこと。にきびの跡が何年も残るのと似ていますが、規模がまるで違います。顔じゅうが小さな穴で覆われた例も、けっして珍しくはなかったようです。

「疱瘡は見目定め、麻疹は命定め」

江戸時代には、こんな言い方があったとされます。疱瘡(ほうそう)=天然痘は見た目を決め、麻疹(はしか)は命を決める、という対比です。当時の人々にとって天然痘は「死ぬかどうか」だけでなく「顔がどうなるか」の病気でもありました。

疱瘡(ほうそう)とは、天然痘の古い呼び名です。「痘瘡(とうそう)」とも呼ばれ、江戸時代の文献ではこちらの表記が使われます。

「あばた」という言葉自体が、遠くから来ている

サンスクリット語の「arbuda」から

「あばた」は和語のように聞こえますが、もとをたどるとサンスクリット語のarbuda(アルブダ)にゆきつくとされます。「かさぶた」「腫れ物」を指す語で、これを漢字で音写した「頞部陀(あぶだ)」がなまって「あばた」になった、という説明が語源辞典に載っています。

仏典の言葉が、皮膚の状態を指す日常語として残った形です。僧侶が使った隠語から広まったとする見方もあります。

八寒地獄の、いちばん最初の名前

この arbuda は、仏教でいう八寒地獄(はっかんじごく)の最初の一つの名でもあるとされます。あまりの寒さに皮膚が水ぶくれになる地獄、という説明がされてきました。地獄の名前と天然痘の痕が、同じ語を共有していることになります。

ことわざの中では可愛らしいえくぼに変換される言葉が、出発点では地獄の名だった。落差としては、なかなかのものです。

顔に痕が残るかどうかは、身分を選ばなかった

伊達政宗の右目

天然痘は目にも及びました。伊達政宗が幼いころに右目を失ったのも、天然痘によるものとされています。「独眼竜」という異名の出どころが感染症だった、というわけです。

大名の子であっても避けられない。そういう病気でした。

フロイスが書き残した、日本の失明者の多さ

戦国期に来日した宣教師ルイス・フロイスは、ヨーロッパに比べて日本には目の見えない人が多いと書き残しました。その多くは天然痘によるものと考えられています。外から来た人の目には、痕跡がはっきり見えたわけです。

顔のくぼみも、視力の喪失も、同じ病気が置いていったもの。ことわざが軽やかに扱っている「あばた」の背後には、この重さがありました。

ことわざが生まれたのは、あばたが珍しくなかった時代

いちばん古い用例は、1779年の洒落本

「巖石にひとしき菊石も、ゑくぼと成り」

辞書がこの言い回しの初出として挙げるのは、洒落本『伊賀越増補合羽之龍(いがごえぞうほかっぱのりゅう)』(1779年)です。そこにはこうあります。

巖石にひとしき菊石(アバタ)も壱つによってゑくぼと成り

岩のようにごつごつしたあばたでさえ、ひとえに惚れたせいでえくぼになる。すでに完成した形で使われています。ということは、この時点で言い回し自体はもう出回っていたのでしょう。

「菊石」と書いて「あばた」と読ませた

この用例で目を引くのは表記です。「菊石」と書いて「アバタ」とルビが振られています。菊の花びらのように細かい凹凸が寄り集まった石、という見立てでしょう。

現在の一般的な漢字表記は「痘痕も靨」。「靨」がえくぼで、面(おもて)と厭を組み合わせた字です。読める人は少なくても、字面には頬のくぼみがちゃんと収まっています。

江戸から明治まで、用例が途切れない

人情本、そして落語の演目にも

その後も人情本『郭の花笠』(1836年)などに姿を見せ、1891年には落語「あばた会」の中でも使われています。百年以上、生きた言い回しとして流通していた計算になるでしょう。

落語の演目名になるほど、あばたは笑いの材料として通じました。裏を返せば、聞き手の全員がその顔を知っていたということでもあります。

見間違えようがないから、おかしい

ことわざ辞典の補説は、この表現の仕掛けをこう説明します。あばたとえくぼは客観的には決して見間違えられない。だからこそ誇張としておかしみが生まれ、印象が強くなる、と。

似ているから成り立つ比喩ではありません。「そんなわけがない」という距離こそが芯にあります。ここを取り違えると、ただの見間違いの話になってしまいます。

同じことを言う言い回しが、ほかにもあった

「惚れた欲目」と「愛してみれば鼻欠けもえくぼ」

類語として辞書に並ぶのが「惚れた欲目」です。惚れた相手を実際以上によく思ってしまうこと。さらに「愛してみれば鼻欠けもえくぼ」という、もっと直接的な言い方も記録されています。

顔の欠けや痕を持ち出す言い回しが複数あるのは、それだけ身近な題材だった証拠でしょう。いまなら口にしにくい表現が、当時は日常の語彙でした。

裏返すと「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

対義語として挙げられるのは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「親が憎けりゃ子も憎い」。嫌いになると、関係のないものまで嫌いに見えてくるという言い方です。

好悪が対象そのものを塗り替える、という点では表裏の関係にあります。人間の目のくもり方には、プラス側とマイナス側の両方に言葉が用意されていたわけです。

あばたが身の回りから消えるまで

種痘が広まるまでの道のり

1792年、人の痘を使う方法から

日本での予防の試みは、江戸時代にさかのぼります。1792年には筑前の医師・緒方春朔(おがたしゅんさく)が、人の痘瘡の粉を鼻から入れる人痘(じんとう)種痘を成功させたと伝えられます。ジェンナーが牛痘を試みる数年前のことでした。

ただし人痘は、本物の天然痘を軽く感染させる方法です。効き目はあっても危険がつきまといました。

1849年、牛痘の苗が届いて流れが変わる

転機は1849年(嘉永2年)。出島の医師モーニッケが輸入した牛痘の苗が国内に入り、緒方洪庵は大坂の古手町に除痘館を開いて牛痘種痘を始めました。牛の病気を使うため、天然痘そのものに感染させる危険がありません。

9年後の1858年には江戸・神田お玉ヶ池にも種痘所ができ、これがのちの東京大学医学部の源流になります。感染症対策の拠点が、そのまま近代医学の入口になった形です。

日本と世界から消えた日

国内の患者は1955年が最後

1876年には種痘が義務づけられ、流行は縮んでいきます。そして日本国内での発生は、1955年の患者を最後に確認されていません。

つまり、1955年より後に生まれた人にとって、あばたは新しく増えることのないものになりました。しばらくは以前に感染した人の顔に残っていたはずですが、いま街で見かける機会はまずありません。ことわざだけが先に届いていたわけです。

1977年ソマリア、そして1980年5月8日

世界でも、自然感染の最後の患者は1977年のソマリアの青年でした。監視期間を経て、1980年5月8日にWHOが根絶を宣言します。人類が根絶できた感染症は、いまのところこれだけです。

ことわざの片方の主役は、この日に地上から退場しました。もう片方のえくぼは、いまも毎日どこかの頬に現れています。

種痘のあとも、もう増えていない

1976年、定期接種が事実上とりやめに

病気が消えれば、予防接種も要らなくなります。日本では1976年に、定期接種としての種痘が事実上中止されました。根絶宣言より4年早いタイミングです。

この判断によって、あばたも種痘の痕も、新しくは生まれなくなりました。

上腕の丸い痕が、世代の目印になった

年配の人の二の腕に、丸くへこんだ痕が残っていることがあります。あれが種痘のあと。接種の時期や個人差で残り方は違いますが、ある年代から下ではまず見かけません。

顔のあばたが消え、腕の接種痕も消えていく。天然痘が肌の上に残した記録は、二段階で薄くなってきました。

できごと
1779年洒落本にことわざの用例(辞書の挙げる初出)
1792年緒方春朔が人痘種痘に成功したと伝えられる
1849年牛痘の苗が届き、大坂に除痘館が開かれる
1876年種痘が義務づけられる
1955年国内の患者はこの年が最後
1976年定期接種としての種痘が事実上中止
1980年5月8日、WHOが根絶を宣言

欠点が長所に見えるのは、ただの思い込みなのか

惚れた目は、実際に相手を高く採点している

1996年の研究が測ったもの

この「目のくもり」は、心理学の研究対象になっています。1996年に発表されたサンドラ・マレーらの研究では、交際中のカップルと既婚の夫婦を対象に「相手をどう評価しているか」が測られました。

多くの人は、相手が自分自身を評価するよりも高く相手を採点していました。研究では、これをポジティブ・イリュージョン(好意的な錯覚)と呼んでいます。

ポジティブ・イリュージョンとは、自分や身近な相手について、現実よりも好ましい方向にずれた見方をする心の働きを指す用語です。

理想化が強い二人ほど、関係が続いた

興味深いのは追跡調査のほうです。交際中のカップルを一年ほど追ったところ、最初に相手を理想化していた度合いが強い人ほど、関係が続きやすい傾向が出ました。満足度が上がり、いさかいや迷いが減る方向にも動いています。

欠点が見えないから続く、という単純な話ではないでしょう。それでも「よく見えている」ことが、関係を壊す要因ではなかった点は押さえておきたいところです。

「盲目」ではなく「先取り」という見方

見られたとおりの自分に、近づいていく

同じ研究チームは別の論文に「愛は盲目ではなく先見の明がある」という趣旨の副題を付けています。相手から高く見てもらった人が、時間をかけてその評価に近い自己像を持つようになる、という結果でした。

錯覚が、あとから現実を追い越されるという構図。あばたをえくぼと見た目が、相手の頬をほんとうに変えるわけではありません。それでも、見方が相手に働きかける経路はあるようです。

ただし、万能の効き目ではない

もちろん、これらは限られた集団を調べた結果です。理想化がいつでも良い方向に働くとは言えず、期待が過大なほど落差も大きくなるという指摘もあります。

ことわざの側も、じつは手放しの称賛ではありません。「惚れた欲目」という類語が示すとおり、少し茶化す響きが最初からありました。

同じ発想は、ほかの言語にもある

Love is blind と、情人眼里出西施

英語では “Love is blind.”、あるいは “Love sees no faults.” が対応する言い方として辞書に載ります。中国語には「情人眼里出西施」——恋する者の目には、相手が古代の美女・西施のように映る、という言い回しがあります。

面白いのは、たとえに使う材料の違いです。英語は視力を持ち出し、中国語は絶世の美女を持ち出す。日本語だけが、病気の痕という具体物を選びました。

屋烏の愛——好きな人の家の、カラスまで

日本語にはもう一つ、「屋烏(おくう)の愛」という言葉があります。中国の古典『説苑(ぜいえん)』に由来し、人を深く愛すると、その家の屋根にとまるカラスまで愛おしくなるという意味です。

言い方たとえに使うもの意味の重心
あばたもえくぼ病気が残した顔の痕欠点そのものが長所に化ける
Love is blind視力欠点が見えなくなる
情人眼里出西施伝説の美女相手が絶世の美人に映る
屋烏の愛屋根のカラス好意が周辺にまで広がる

「見えなくなる」のか「よく見える」のか、「広がる」のか。同じ現象でも、言語によって切り取り方が違います。

赤べこもさるぼぼも、もとは疱瘡除けだった

疱瘡神は、赤い色と犬を嫌うとされた

赤絵と、赤い張り子

薬のない時代、人々は病気を神のしわざと考えました。疱瘡神(ほうそうがみ)は赤い色や犬を苦手にするとされ、赤一色で刷った「赤絵」を枕元に置いたり、赤い玩具を子どもに与えたりする習慣が広まります。

会津の赤べこ、飛騨のさるぼぼ。いま土産物として売られている赤い郷土玩具のいくつかは、この疱瘡除けの流れを汲むと言われています。犬が苦手とされたことから、犬張子(いぬはりこ)を枕元に置く風習も生まれました。

病気が消えても、玩具のほうは残った

祈る理由がなくなったあとも、かたちだけが土産物として生き延びました。首を振る赤い牛を買って帰る人のうち、疱瘡神を思い浮かべる人はまずいないでしょう。ことわざと同じ経路です。天然痘は日本語と暮らしに、言い回しと縁起物という二つの遺留品を残していきました。どちらも、もとの意味を知らないまま使われ続けています。

いま「あばたもえくぼ」が口にされる場面を思い返すと、他人の顔を評するために使われることは、ほとんどありません。買ったばかりの中古車の傷、寝癖のついた飼い犬、推しのちょっと残念な言動。多くは自分の目のくもりを、自分から申告するために使われています。

誰かの顔を採点する言葉が、自分の心を白状する言葉に変わった。病気が消えたことで、このことわざは向きを変えて生き延びたのかもしれません。

参考

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