「歯ブラシはいつから使われているのか」という問いには、ひとつの年号で答えられません。木の枝の先をほぐしたものを含めれば5000年以上前にさかのぼり、柄に毛を植えたブラシに限れば中国の唐の時代まで下ります。今わたしたちが手に持っているナイロン毛の一本にいたっては、1938年に生まれたばかりです。
そして、いちばん新しいのは道具ではなく習慣のほうでした。
どこまでを「歯ブラシ」と呼ぶかで、答えは四つに分かれる

答えを一つに決める前に、線引きのほうを先にお渡しします。下の表のどの行を「歯ブラシ」と呼ぶかは読む人しだいで、そこを決めた瞬間に答えの年号も決まります。
| どこまでを歯ブラシと呼ぶか | いつから | どんな道具か |
|---|---|---|
| 木の枝の先をほぐしたもの | 紀元前3500年ごろ | 歯木(しぼく)。噛んでほぐした繊維で歯をこする |
| 柄に獣の毛を植えたもの | 中国・唐の時代(619〜907年) | 豚の毛を竹や骨の柄に植えたブラシ |
| 機械で量産されたもの | 1780年ごろ・イギリス | ウィリアム・アディスの骨の柄の歯ブラシ |
| 今と同じ合成毛のもの | 1938年2月24日・アメリカ | ナイロン毛の「Dr. West’s Miracle-Tuft」 |
| 毎日みがく習慣として | 日本では1980〜90年代以降 | 1日2回以上の人が半数を超えるのは1987年から |
いちばん上と、いちばん下。この二行のあいだにはおよそ5000年の開きがあります。道具はとうに完成していたのに、それを毎朝毎晩あてる習慣のほうは、つい最近まで多数派ではありませんでした。
木の枝をほぐして使った5000年——歯木と房楊枝

最初の道具は、加工らしい加工をされていない一本の小枝でした。端を噛んでつぶすと繊維がほぐれ、細かい筆先のようになります。これで歯の面をこする。この単純な方法が、地域を問わず、そして驚くほど長く使われてきました。
※ 歯木(しぼく)とは、木の小枝の先を噛みほぐしてブラシ状にした、歯をみがくための道具のことです。英語では chew stick(噛み木)と呼ばれます。
世界中で、同じ形の道具が使われていた
最古の記録は紀元前3500年ごろのシュメール
確認されているもっとも古い歯木は、紀元前3500年ごろのシュメールで見つかっています。エジプトの墓には紀元前3000年ごろのもの、中国の記録には紀元前1600年ごろのものが残っているとされます。文明が別々に立ち上がった土地で、揃って同じ思いつきに行き着いた。少し不思議な符合です。
今も現役の枝がある
歯木は過去のものではありません。イスラム圏ではミスワークと呼ばれ、礼拝の前に使うことが望ましい行いとされてきました。インドではニームの枝を使う習慣が「ダトゥン」の名で続いています。5000年前の道具が、今日も同じ形で口の中に入っているわけです。
日本には仏教と一緒にやってきた
「楊枝」という名は、材料の木から来ている
もとの言葉はサンスクリット語の「ダンタ・カーシュタ」で、歯をすくもの、という意味だと説明されます。これが中国へ伝わったとき、材料に楊(やなぎ)の枝が使われたことから「楊枝」の語が生まれた、といわれています。日本へは仏教の伝来とともに入ってきました。つまり最初の歯みがき道具は、宗教の作法の一部として運ばれてきたことになります。
道元が書き残した、鎌倉時代のみがき方
鎌倉時代初期の禅僧・道元は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の「洗面」の巻で、楊枝の使い方を細かく書いています。みがく場所は歯の表と裏・歯と歯のあいだ・歯ぐき・舌。そこまで丹念にこすってから何度も口をすすぐのが、修行のひとつでした。手順の細かさは、現代の歯科医院で渡される指導箋とほとんど変わりません。
江戸の房楊枝は、一本で三役をこなした
煮て、叩いて、繊維をほぐす
江戸時代に広く使われた房楊枝(ふさようじ)は、柳やクロモジの枝を20センチほどに切り、煮てやわらかくしてから片端を木槌で叩いてほぐしたものです。ほぐれた房で歯の面をみがき、反対側の尖った先で歯のあいだをさらい、柄の途中のカーブした部分で舌の汚れをこすり落としました。今でいう歯ブラシ・デンタルフロス・舌ブラシが、まだ一本にまとまっていた時代です。
浅草寺の境内に、楊枝店が300軒近く並んだ
房楊枝の一大拠点は浅草寺の境内でした。最盛期には300軒近い楊枝店がひしめいたとされ、その多くが水茶屋を兼ねています。お茶を飲みながら房楊枝を選ぶ、社交の場でもありました。日用品の売り場が観光地の中心にあったというのは、この道具が当時どれほど日常のものだったかを物語ります。
なお、この房楊枝から小ぶりのものが枝分かれして、のちの爪楊枝になっていきます。歯をみがく道具と歯のあいだをさらう道具は、もとをたどれば同じ一本の枝から出た兄弟でした。
柄に毛を植えたのは中国が先——それでも日本は600年採らなかった

今の歯ブラシに直接つながる形、つまり柄に毛の束を植えたブラシが最初に現れたのは中国です。ところが日本は、その存在を知りうる立場にいながら、実際に採り入れるまでに600年以上をかけました。
唐の時代には、もう豚毛のブラシがあった
「1498年の発明」という説と、唐代説の食い違い
歯ブラシの誕生を1498年とする記事をよく見かけます。中国の皇帝が豚の毛を骨の柄に植えさせた、という話です。一方で百科事典の記述は、豚毛のブラシは唐の時代(619〜907年)にさかのぼるとしています。両者は600年以上ずれています。どちらかが間違いというより、片方は「記録に残る有名な例」・もう片方は「使われはじめた時期」を指していると読むのが自然でしょう。年号を一つだけ覚えるなら、1498年は発明の年ではないという点のほうが大事です。
寒い土地の豚の毛でなければならなかった
毛はどこの豚のものでもよいわけではありませんでした。シベリアや華北の豚の毛が選ばれています。気温が低い土地で育った個体ほど毛が硬く、汚れを落とす力が強かったためです。素材の産地が品質を決めるという構図は、このころからすでにありました。
見ていたはずなのに、日本には根づかなかった
1223年、道元は宋にいた
先ほどの道元は、1223年に宋へ渡っています。英語版の百科事典は、道元がそこで馬の尾の毛を牛の骨の柄に植えたブラシを目にした、と伝えています。ただし同じ記述を日本語の資料でたどることはできませんでした。むしろ日本語で紹介されている道元の言葉は「中国では顔を洗うが歯はみがかない。日本ではその逆だ」という趣旨で、方向が食い違います。ここは伝聞として受け取っておくのが安全です。
毛を植えた歯ブラシが商品になるのは1872年
日本で毛を植えたブラシが売り物になったのは、明治に入ってからでした。1872年、大阪で鯨のひげを柄にして馬の毛を植えた「鯨楊枝(くじらようじ)」が製造販売されています。道元の渡宋から数えて約650年後。房楊枝という完成度の高い道具が国内に行き渡っていたことが、かえって置き換えを遅らせたのかもしれません。
量産の始まりは、監獄の中で骨に穴を開けた男から

歯ブラシが工場の製品になったのは18世紀のイギリスです。きっかけをつくったとされる人物は、暴動にかかわって獄中にいました。
ウィリアム・アディスと1780年
食事の骨に穴を開け、毛束を通した
1770年に投獄されていたウィリアム・アディスは、食事で出た骨に小さな穴をいくつも開け、看守から手に入れた毛の束を通して接着したと伝えられます。出獄後の1780年ごろに最初の量産歯ブラシをつくったとされ、これが英アディス社の始まりになりました。彼は1808年に亡くなり、事業は長男へ。会社が同族経営でなくなるのは1996年のことでした。その後身にあたるウィズダム社は、今もイギリスで年間7000万本の歯ブラシを作っています。
「1780年に発明」ではなく「最初の量産」
百科事典の記述も「〜したと考えられている」という書き方で、断定はしていません。実際、英語の toothbrush という単語自体は1690年の記録にすでに現れます。アディスは道具を発明したのではなく、すでにあったものを工場でつくる側へ押し出した人物と見るのが正確でしょう。
1840年ごろには、英仏独日で量産が始まる
安物は豚、高級品はアナグマ
量産期に入ると、毛の素材が価格帯を分けるようになります。安価な製品には豚の毛、高級品にはアナグマの毛。歯ブラシがブランドと値段を持つ商品になった瞬間です。もっとも、どちらも獣の毛であることに変わりはなく、乾きにくさという弱点は共通していました。
アメリカで最初の特許は1857年
アメリカでは1857年にH・N・ワズワースが特許を取得しています(特許第18,653号)。ただし本格的な量産が始まるのは1885年からで、特許と工業化のあいだには28年の間がありました。思いつきが商品になるまでの距離は、いつの時代もそれなりに長いようです。
毛が豚からナイロンに変わった日——1938年2月24日

今の歯ブラシと昔の歯ブラシを分ける決定的な一線は、柄でも形でもなく毛です。獣の毛から合成繊維へ切り替わった日付が、はっきり残っています。
ナイロンが最初に化けたのは、ストッキングではなかった
1938年2月24日、シカゴで発売
ナイロンは1935年、デュポン社の研究所でウォーレス・カロザースらによって生み出されました。その最初の商業製品が、1938年2月24日にシカゴのウェコ社が売り出した歯ブラシ「Dr. West’s Miracle-Tuft」です。ナイロンという言葉から真っ先に思い浮かぶストッキングの発売は、これより後。世界で最初にナイロンが化けた先は、女性の脚ではなく人の口の中でした。
※ ナイロンとは、石油などを原料につくられる世界初の合成繊維のことです。天然繊維より水を吸いにくく、乾きが速いという性質があります。
切り替わった理由は、乾きの速さ
獣の毛は水を含みやすく、使ったあとになかなか乾きません。湿ったままの毛は傷みやすく、衛生の面でも不利でした。ナイロン毛はここを一気に解決します。硬さを工程で自由に決められるという利点も加わり、天然毛は数十年で主役の座を降りました。今日「かため・ふつう・やわらかめ」を選べるのは、この転換の副産物です。
日本では、綿産地だった大阪が引き受けた
始まりは軍が発注した歯ブラシ
日本初の歯ブラシメーカーが大阪市に生まれたのは1890年ごろ。きっかけは、政府が軍用の歯ブラシを大阪の商人に依頼したことでした。民間の需要が先にあったのではなく、まとまった数を必要とする発注が産業を立ち上げています。
河内木綿が衰えた土地が、植毛の担い手になった
大阪府八尾(やお)市は18世紀から綿花や河内木綿(かわちもめん)で栄えた土地です。明治に入って安い輸入綿花に押され、代わりの収入源を探していました。そこへ、毛を一束ずつ植える細かい手作業を大量にこなす仕事が来ます。1940〜50年代には大阪が全国生産の9割を占め、そのうち6割が八尾で作られていました。糸を扱っていた手が、そのまま毛を植える手になったわけです。
「歯ブラシ」ではなく「歯刷子」と書いた時代
商品名になったのは大正から
明治の日本語には、この道具を指す定まった呼び名がありませんでした。1890年の内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)には「歯刷子(はぶらし)」の名で出品されています。商品名として広く使われるのは大正に入ってから。1914年に小林商店(現在のライオン)が「萬歳歯刷子」を発売し、1927年には「ライオン歯刷子」と改名されました。刷子は「はけ」を意味する漢語で、外来の道具を漢字で受け止めようとした跡が残っています。
発売年が資料によって食い違う
この「萬歳歯刷子」の発売年は資料によって割れます。百科事典は1903年・ライオンの社史年表は1914年で、11年のずれです。ここでは会社が自ら公表している年表のほうを採りました。歯科の専門学校の指導を受けて開発された、という経緯も社史側にしか出てきません。同じ商品の話でも、出どころが違えば年号は揃わないものです。
道具は5000年、習慣は50年——数字で見る逆転

ここまでは道具の話でした。では、その道具を人が毎日使うようになったのはいつなのか。日本の統計がはっきり答えてくれます。
| 調査年 | 毎日2回以上みがく | 毎日1回 | みがかない |
|---|---|---|---|
| 1969年 | 16.9% | 62.8% | 8.1% |
| 1987年 | 54.6% | 38.6% | 1.3% |
| 2005年 | 69.5% | 25.4% | 1.3% |
| 2022年 | 79.2% | 18.2% | 0.5% |
厚生労働省の歯科疾患実態調査による数字です。1969年の時点では、1日2回以上みがく人はまだ2割に届いていません。半数を超えるのは1987年。2024年の調査では80.0%に達しています。ナイロン毛の歯ブラシが登場してから、習慣がそこへ追いつくまでに半世紀ほどかかった計算です。
交換の目安は1か月、ただし根拠の数字は揺れている
歯ブラシは1か月に1本の交換が目安とされます。理由は毛先が開くと歯に当たらなくなるから。ここはどの資料も一致しています。ところが低下幅の数字は揃いません。毛先が開いたものは歯垢除去率が約4割落ちるという報告もあれば、1か月使用に相当する「毛先が約1割開いた状態」で清掃力が約2割低下したという報告もあります。前提条件が違うので単純には比べられず、確かなのは「開いたら落ちる」という向きだけです。
一本で三役だった道具は、三本に分かれた
江戸の房楊枝は、房・尖った先・カーブした柄で、みがく・さらう・こそげるを一本でこなしていました。現代の洗面台では、その三つが歯ブラシとフロスと舌ブラシに分かれています。道具が進歩すると数が減りそうなものですが、実際には役割ごとに割れて増えました。ちなみに世界では年間およそ35億本の歯ブラシが売られ、日本国内でも年4億本規模が生産されているとされます。
5000年前の枝から数えれば、歯をみがく道具はずいぶんな古株です。それに比べて、朝と夜に必ず手を伸ばすという振る舞いのほうは、まだ祖父母の代に始まったばかり。洗面所に立てられた一本は、古い道具と新しい習慣が、たまたま今この時代で出会っている場所なのだと思います。
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