「潮時」は、本来は物事を始めたり終えたりするのにちょうどよい時を指す言葉です。もとは海の潮が満ちる時と引く時のことで、そこから「好機」の意味が広がりました。ところが文化庁の2024年度の調査では、「そろそろ潮時だ」を「ものごとの終わり」と受け取る人が46.7%となり、本来の意味の41.9%を上回っています。
潮時はもともと何の時を指していた?

潮時の第一の意味は、海の潮が満ちる時と引く時です。精選版 日本国語大辞典は、古くは「しおとき」とも言ったと注記しています。最初の用例に挙がるのは1186年の『伊勢記』で、港に着く船が潮の具合を気にかける一節です。
満潮と干潮は1日に2回ずつ来る
気象庁の解説によると、地球が1日に1回自転するため、多くの場所で満潮と干潮は1日に2回ずつ訪れます。しかも満ち引きの時刻は、毎日約50分ずつ遅れていきます。昨日の潮時が今日も同じ時刻に来るとは限りません。海辺で暮らす人にとって、潮時はその日ごとに確かめる情報でした。
潮時しだいで3〜4時間かかった屋形船
物理学者で随筆家の寺田寅彦は、1935年(昭和10年)の随筆「海水浴」で、昔の船旅を振り返っています。高知から種崎までは乗合の屋形船で、潮時が悪いと三、四時間もかかった気がするという回想です。文化庁の広報誌「ぶんかる」は、この一文を潮の満ち引きの意味で使った例として紹介しています。
「よい時」の意味は平安時代の「しお」から

「ちょうどよい時」という意味は、潮時という二文字になる前から「しお」一語に宿っていました。辞典の用例を年代順にたどると、海の言葉が時の言葉へ移っていった道筋が見えてきます。
1128年ごろの歌集に「あふべきしほ」
精選版 日本国語大辞典は「しお(潮)」の三つめの意味を「あることをするのにちょうどよい時」としています。最初の例は源俊頼(みなもとのとしより)の『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)』(1128年ごろ)にある恋の歌です。「あふべきしほもなき」、つまり会えるきっかけもない、と嘆いています。
今でも「それを潮に席を立つ」と言うときの潮は、この意味を受け継いだものです。デジタル大辞泉も、この言い回しを「ちょうどよい機会」の例文に挙げています。
「潮時」が好機の意味で出てくるのは1713年
潮時という形で「適する時」を表した例として、同じ辞典が挙げるのは1713年の雑俳(ざっぱい)『大黒柱』です。「むりにまでしほ時の有る男にて」という句で、平安の「しお」から数えると600年近くたっています。
※ 雑俳(ざっぱい)とは、江戸時代に広く楽しまれた、前句付けや川柳などの遊びの要素が強い俳諧のことです。
辞典の語釈は「始める」と「やめる」が並ぶ

今の辞典を開いても、潮時は「終わり」専用の言葉としては書かれていません。語釈そのものが、始める時にもやめる時にも使えることを前提にしています。
日本国語大辞典は「行ったりやめたり」
精選版 日本国語大辞典の語釈は「物事を行ったりやめたりするのに適する時。好機」です。デジタル大辞泉も「物事を始めたり終えたりするのに適した時機」と書いています。どちらの辞典でも、始める側とやめる側は同じ重さです。
「潮合い」も同じ意味の古い言葉
潮時の仲間に「潮合い(しおあい)」という言葉があります。古今和歌集では、潮流が満ち合う場所の意味で詠まれた語です。15世紀後半の『応仁記』には、合戦の「塩合(しおあい)」が悪くて多くの兵が討たれた、という使い方が見えます。ここでも潮は、戦いを仕掛けるのによい時かどうかを表していました。
「終わり」と受け取る人はどれくらいいる?

2024年度の調査では、「終わり」と受け取る人が半数近くにのぼり、本来の意味を選んだ人を約5ポイント上回りました。文化庁の「国語に関する世論調査」は、同じ例文「そろそろ潮時だ」でこの言葉を2回取り上げています。
2012年度は6割が本来の意味を選んだ
1回目は平成24年度(2012年度)の調査です。このときは「ちょうどいい時期」が60.0%、「ものごとの終わり」が36.1%でした。どの年代でも本来の意味が5割を超えていたものの、20代から50代では「終わり」を選んだ人が4割台前半にのぼっています。働き盛りの世代では、この時点で受け取り方が割れかけていました。
2024年度は「終わり」が本来の意味を上回った
2回目の令和6年度調査は2025年1月から3月に行われ、全国の16歳以上3,498人が答えました。本来の意味と「終わり」の順位は、この回で入れ替わっています。目を引くのは「両方の意味がある」の伸びで、2.5%から10.2%へ約4倍に増えました。
| 選んだ意味 | 2012年度 | 2024年度 |
|---|---|---|
| ちょうどいい時期(本来の意味) | 60.0% | 41.9% |
| ものごとの終わり | 36.1% | 46.7% |
| 両方 | 2.5% | 10.2% |
| 全く別の意味 | 0.4% | 0.7% |
ただしこの調査は2020年度から、面接で聞く方法を郵送で答えてもらう方法に切り替えています。文化庁も、2019年度以前の結果は参考値で比較には注意が必要だと断っています。数字の入れ替わりは、ひとつの目安として受け止めるのが正確でしょう。
20代から60代で「終わり」が多数に
2024年度の結果を年代で見ると、20代から60代では「終わり」を選んだ人が本来の意味を上回りました。いちばん若い16〜19歳と70歳以上は、この中に入っていません。同じ調査の「役不足」でも、16〜19歳だけは本来の意味のほうが多く選ばれていました。理由までは調査から読み取れませんが、いちばん若い世代が本来の意味の側に立っているのは興味深い点です。
なぜ潮時は「終わり」と受け取られるようになった?

潮時が、引退や別れのような「喜んで迎えるものではない区切り」の場面で使われることが多いからだと考えられています。文化庁国語課は2014年の「言葉のQ&A」で、ネット上の見出しを集めてこの見方を示しました。
引退会見の「今が潮時」
文化庁が挙げた見出しは「代表引退『今が潮時』」「涙の引退会見…『潮時だと思った』」「政界引退を正式表明『この辺が潮時』」と、どれも本人のコメントでした。引退する本人にとっての潮時は、区切りをつけるのにふさわしい時です。体力や成績を見きわめて退くのなら、本来の意味どおりの使い方です。
見出しの隣には「引退」の二文字
ところが見出しの中では、潮時のすぐ隣に「引退」の二文字。文化庁は、見出しだけを読んで潮時を引退の時期と解釈する人がいても不思議ではない、と書いています。言葉の意味は、辞典よりも一緒に並ぶ言葉から覚えられていくものなのかもしれません。
恋愛の話題では別れの場面に
もう一つ多いのが恋愛の話題です。文化庁は「カップルの潮時」「恋愛の潮時を見極める」「もう潮時?」といった見出しを挙げています。どれも、別れを意識する場面を扱った記事でした。本来なら婚約に踏み切るのによい時期も潮時と言えますが、そうした使い方はあまり見かけません。
前向きな場面の潮時は目にしにくい

「終わり」の意味が広がった裏には、前向きな用例の少なさがあります。退く場面の用例ばかりが積み重なれば、言葉の印象もそちらへ傾くでしょう。
文化庁「積極的な文脈では余り使われない」
文化庁は同じ記事で、潮時が積極的な文脈で使われることは余りない、とも書いています。「新しい店を出すなら今が潮時」のような用例は少ないまま、引退や別れの用例が目に入り続ける。その結果として「ちょうどいい時期」の意味が伝わりにくくなっている、というのが文化庁の見立てです。
満ちてくる潮も潮時に含まれる
潮と聞いて、引いていく潮を先に思い浮かべる人もいるはずです。ただしこれは調査で確かめられた理由ではなく、言葉の響きから考えられる一つの見方にとどまります。辞典にある潮時の第一の意味は、潮が満ちる時と引く時の両方です。上げ潮に乗って船を出す時も、れっきとした潮時なのです。
「潮時」を誤解されずに使うにはどうする?

本来の意味で使うこと自体は、今も何の問題もありません。ただ聞き手の半数近くが「終わり」と受け取る可能性があるので、何をするための潮時なのかを言葉に添えると誤解が減ります。
「ピッチャー交代の潮時」は終わりと始まりが同時
デジタル大辞泉の例文「ピッチャー交代の潮時」は、この言葉の性質をよく表しています。先発投手にとっては降板の時でも、リリーフ投手にとっては出番の始まりです。同じ辞典の「潮時を待つ」は、動き出すのによい時を待つという前向きな形でした。新しい仕事を切り出す場面に置けば、「終わり」と取られる心配はほとんどありません。
「そろそろ潮時」は二通りに読める
気をつけたいのは、目的をつけずに「そろそろ潮時ですね」とだけ言う場合です。調査の例文がまさにこの形でした。長引いた会議でこう言えば、「話がまとまったので決めましょう」とも「今日は打ち切りましょう」とも聞こえます。相手が年代の違う人なら、読み違いはなおさらです。
言い換えるなら「頃合い」や「好機」
意味を確実に伝えたいときは、辞典が類語に挙げる「頃合い」「好機」「時機」「タイミング」に置き換える手があります。「やめ時」を伝えたいなら、「引き際」「区切り」と言えば取り違えは起きません。どちらの意味でも受け取れる言葉だからこそ、場面に合わせて選び分けるのが親切です。
潮を待って船を出した港はどこ?

潮時がそのまま「動く合図」だった場所として、瀬戸内海の熟田津(にきたつ)や鞆の浦(とものうら)が知られています。潮の流れを頼りに船を進めた時代、よい潮を待つことは航海そのものでした。
熟田津で月と潮を待った661年の船出
『万葉集』には額田王(ぬかたのおおきみ)の歌として「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」が収められています。潮もちょうどよくなった、さあ漕ぎ出そう、と呼びかける歌です。日本大百科全書によると、斉明(さいめい)天皇7年(661年)に百済救援へ向かう船団が、伊予の熟田津に泊まりました。場所は今の愛媛県松山市のあたりとされますが、細かな位置には諸説あります。
鞆の浦は「潮待ちの港」
広島県福山市の鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ中央にあり、潮の流れがここで東西に分かれると言われてきました。港には波止場・雁木(がんぎ)・船番所・常夜燈・焚場(たでば)という江戸時代の港湾施設が5つとも残っています。福禅寺からの眺めを、朝鮮通信使は「日東第一形勝(にっとうだいいちけいしょう)」とたたえました。
壇ノ浦の戦いと潮の向き
潮が勝敗を分けたと語られてきたのが、1185年の壇ノ浦の戦いです。日本大百科全書によると、3月24日の正午に始まった戦いは、初め東へ流れる潮に乗った平氏が有利でした。途中から逆潮となり、午後4時ごろには平氏の敗北が決まった、と解するのが通説とされています。
同じ事典は、開戦と終戦の時刻、したがって潮流の影響には異論もあると書き添えています。「潮が変わって源氏が勝った」という筋書きは分かりやすい反面、そのまま史実と言い切れるわけではありません。
出産の時刻も「潮時」と呼ばれた

潮時には、出産や死亡の時刻を指す意味もあります。デジタル大辞泉は、潮の干満の時刻に合わせて起こるからとされる、と由来を書いています。
樋口一葉『大つごもり』の「潮時は午後」
この意味の用例として精選版 日本国語大辞典が挙げるのは、樋口一葉の『大つごもり』(1894年)です。朝から産気づいた人について、潮時は午後だろうと見立てる場面で、初産だからという言葉も添えられています。お産の進み具合を、潮の満ち引きになぞらえて読んでいたわけです。
満潮に生まれ干潮に死ぬという俗信
平凡社の世界大百科事典は、潮には人の生死にかかわる俗信が多いと書いています。代表的なのが、人は満潮時に生まれ干潮時に死ぬ、という言い伝えです。海とともに暮らしてきた人々の、時間の感覚がにじむ話といえるでしょう。
ウシでは満月前に出産が増えたという研究
東京大学の研究グループは2016年、北海道の農場のホルスタインについて、2011年9月から2013年8月までの自然分娩428件を調べました。その結果、満月の前から満月にかけて出産数が増えることが統計的に示されています。いっぽう人の出産と月の満ち欠けについては、これまでの研究で明確な答えは出ていません。
釣り人にとっての潮時はいつ?

釣りの世界では、潮時は「今なら釣れる時」です。精選版 日本国語大辞典は四つめの意味として「潮が変化し、魚がよく餌を食うようになった時」を載せています。
潮の変わり目を狙う経験則
満ち潮から引き潮へ、引き潮から満ち潮へと向きが変わると、海の中の流れも変わります。潮の変わり目を狙えという釣り人の経験則は、辞典の一項目にまで残りました。言葉の上でも、潮時は動き出す側の時として生き続けているのです。
大潮と小潮はひと月に2回ずつ
気象庁によると、大潮は新月と満月のころ、小潮は上弦と下弦の月のころに起こります。新月から次の新月までの間に、大潮と小潮がほぼ2回ずつ巡ってくる計算です。月の暦を見れば、潮の大きな日にはおおよその見当がつきます。
英語の tide はもともと「時」だった

日本語の「しお」が海から時の言葉へ広がったのに対し、英語の tide(潮)は逆の順番をたどりました。もとは「時」を表す言葉で、海の潮の意味はあとから加わっています。
ドイツ語の Zeit と同じ根を持つ
tide は古英語で「時」を意味した tīd にさかのぼります。ドイツ語の Zeit やオランダ語の tijd も、同じゲルマン語の根から出た「時」の言葉です。今でも Christmastide(クリスマスの季節)や Eastertide のように、祝祭の時期を表す語の中に古い「時」の意味が残っています。英語は時から潮へ、日本語は潮から時へ。行き先は逆でも、潮と時が結びついた点は同じです。
「潮」は朝のしお、「汐」は夕方のしお
しおを漢字で書くとき、「潮」は朝のしお、「汐」は夕方のしおを表すと辞典は説明しています。潮汐(ちょうせき)という熟語も、朝と夕方の満ち引きを合わせた言葉です。1日に2回ずつ来る満ち引きを、昔の人は朝と夕方の二つに分けて呼んでいました。
引退の会見で「潮時です」と言った人も、恋の終わりに「もう潮時かな」とつぶやいた人も、辞典の上ではちょうどよい時を見きわめたと言っています。熟田津の歌でいえば、潮もかなった、今こそ漕ぎ出そうという場面です。
潮が引く時は、次の潮が満ちてくる時の始まりでもあります。区切りに使われることの多いこの言葉は、本来はその先で船を出す人の背中を押す言葉でした。
参考
- 文化庁 令和6年度「国語に関する世論調査」の結果の概要
- 文化庁広報誌 ぶんかる「言葉のQ&A 潮時が来たら終わりなのか」
- コトバンク「潮時」(精選版 日本国語大辞典・デジタル大辞泉)
- 気象庁「潮汐・海面水位の知識 潮汐の仕組み」
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