「ずさん」はなぜ「杜撰」と書くのか、杜は人の名前?

書道の半紙と墨・筆のイラストに「杜撰」の文字 言葉と論理の話
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「ずさん」を漢字で書くと「杜撰」です。「撰」は詩や文章を作ること、「杜」は北宋の詩人・杜黙(ともく)の名字だとする説がよく知られています。杜黙の詩は漢詩のきまりに合わないものが多く、きまり外れの物事を杜撰と呼ぶようになったという話です。ただしこの話を書き残した南宋の王楙(おうぼう)自身が、杜は人名でないかもしれない材料も並べています。

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  1. 「杜撰」の杜と撰は、それぞれ何を指す?
    1. 撰は詩や文章を作るという字
    2. 杜は宋の詩人・杜黙の名字とする説
    3. 「ずさん」は杜の呉音と撰の別の音
  2. 杜黙はどんな詩を書いた人?
    1. 石介は杜黙を「三豪」の一人に数えた
    2. 「学海波中の老竜」を蘇軾は笑った
    3. 密造酒と病死した牛の肉にたとえた
  3. 語源を書き残したのは南宋の考証家
    1. 王楙は仕官せずに書物を調べた人
    2. 「沒包弾」と対にして紹介された杜撰
  4. 出典の書き手は、杜黙のほかにどんな説を書いた?
    1. 杜田・杜園の杜は「仮の」という意味
    2. 自家製の薄い酒は「杜酒」と呼ばれた
    3. 「誰の撰か」「度撰です」で満堂が大笑い
    4. 度と杜は同じ音に聞こえる
  5. 杜光庭説もあり、元祖は決まっていない
    1. 唐末に道教の書を集めた杜光庭
    2. 四つの説を出どころで比べる
  6. 日本ではいつから「杜撰」と言うようになった?
    1. 道元が『正法眼蔵』に「杜撰の長老」と書いた
    2. 『野客叢書』から数十年後の用例
  7. 江戸から現代へ、意味は少しずつ広がった
    1. 江戸の学者は書物の誤りを杜撰と呼んだ
    2. 「杜撰する」と動詞で使った明治の例
    3. 性格にも仕事ぶりにも使う現代の「ずさん」
  8. 中国語の「杜撰」も、日本語と同じ意味?
    1. 中国語の杜撰は「根拠のない作り話」
    2. 『紅楼夢』では「誤り」と並べて使われた
    3. 日本では「誤り」、中国では「捏造」へ
  9. 「ずさん」と「ぞんざい」「なおざり」はどう違う?
    1. いいかげんを表す五つの言葉の使い分け
    2. なおざりは放置、おざなりは間に合わせ
    3. おざなりの語源は「御座敷の形」
  10. 杜と撰はどちらも常用漢字ではない
    1. ひらがなの「ずさん」をよく見かける理由
    2. 杜はもともと木の名前でもある
  11. 参考
  12. 関連記事

「杜撰」の杜と撰は、それぞれ何を指す?

筆で書道をしている男の子のイラスト

撰は詩や文章を作るという字

「撰」の訓読みは「えらぶ」です。デジタル大辞泉は意味を三つに分けています。詩や文章を作る(撰述)、詩文を選んで編む(勅撰)、よりすぐる(精撰)。「杜撰」の撰は一つめの「作る」にあたります。

同じ「せんじゃ」でも、「撰者」は歌集を編集する人です。『古今和歌集』の撰者といえば紀貫之たちのこと。新聞の投稿欄で入選作を決めるのは「選者」と書き分けます。

杜は宋の詩人・杜黙の名字とする説

いちばん広く知られた説の出どころは、南宋の随筆『野客叢書(やかくそうしょ)』巻二十の「杜撰」という項目です。

杜默為詩、多不合律。故言事不合格者為杜撰。
(杜黙の作る詩は、律に合わないものが多い。だから、物事がきまりに合わないことを杜撰という。)

『野客叢書』巻二十「杜撰」、筆者訳

「律」は漢詩の音や形のきまりです。唐の時代に整った近体詩には、平声(ひょうしょう)と仄声(そくせい)の字を決まった順に並べる「平仄(ひょうそく)」の規則があります。杜黙の詩はこの型から外れがちだった、と伝えられているわけです。

「ずさん」は杜の呉音と撰の別の音

「杜」はふつう「と」、「撰」は「せん」と読みます。精選版日本国語大辞典によると、「ず」は杜の呉音です。呉音は漢音より前に日本へ入った漢字の音で、仏教の言葉に多く残っています。杜甫(とほ)の「と」は漢音のほうです。

「さん」も撰の別の音で、同じ辞典は古くは濁って「ずざん」とも言ったと記しています。1617年に出た辞書『下学集(かがくしゅう)』の版本の序では、「杜撰」に「ヅザン」と読みがなが振られています。

杜黙はどんな詩を書いた人?

答案に赤ペンで丸をつけている先生のイラスト

石介は杜黙を「三豪」の一人に数えた

杜黙は北宋の人で、11世紀前半の学者・石介(せっかい)に持ち上げられました。石介の詩「三豪」は「曼卿は詩に豪、永叔は文に豪、杜黙は歌に豪」とうたったと伝わります。曼卿は詩人の石延年(せきえんねん)、永叔はのちに唐宋八大家に数えられる欧陽脩(おうようしゅう)の字(あざな)です。

欧陽脩も杜黙に詩を贈り、「我も濫(みだ)りに一名」と書きました。自分もその一人にみだりに名を連ねた、と一歩下がった言い方です。

「学海波中の老竜」を蘇軾は笑った

評価をひっくり返したのが、欧陽脩より30歳ほど若い蘇軾(そしょく)の短い文章「評杜默詩」です。杜黙の歌は世にあまり出回らず、のちに読むと「学海波中の老竜、聖人門前の大虫」といった句ばかり。蘇軾は「甚だしいかな介の無識なる」と、石介の目を疑いました。

密造酒と病死した牛の肉にたとえた

蘇軾はさらに、杜黙の豪気を「学者が私酒を飲み、病で死んだ牛の肉を腹いっぱい食べたあとに出てきたもの」とたとえました。奇抜な詩は盧仝(ろどう)や馬異で行き着くところまで行っており、それ以上の奇を求めれば杜黙になる、とまで書いています。律の話とは別の角度ですが、型破りな詩人と見られていたことは伝わります。

語源を書き残したのは南宋の考証家

図書館で本を読んで調べものをする二人のイラスト

王楙は仕官せずに書物を調べた人

杜黙の名を挙げたのは同じ時代の人ではなく、100年以上あとの王楙です。長洲(いまの江蘇省蘇州あたり)の人で、母を養うために役人にならず、家で著述を続けて「講書君」と呼ばれたと伝わります。『野客叢書』は古典どうしの食い違いを調べて書き留めた本で、慶元元年(1195年)の自序があります。

「沒包弾」と対にして紹介された杜撰

項目の書き出しは「包弾は杜撰と対になる、はなはだ的確だ」です。北宋の包拯(ほうじょう)は、役人に過ちがあれば必ず弾劾した厳しい官僚でした。そこで欠点のない物事を「沒包弾(包拯も弾劾できない)」と言ったそうです。

包拯はのちの芝居で名裁判官として描かれ、「中国版の大岡越前」とも紹介される人物です。欠点なしの「沒包弾」と、きまり外れの「杜撰」。人の名から生まれたほめ言葉とけなし言葉が、一組で並べられていたのです。

出典の書き手は、杜黙のほかにどんな説を書いた?

涙を流して大笑いする男の子のイラスト

杜田・杜園の杜は「仮の」という意味

王楙は杜黙の説を紹介したすぐ後に「然るに僕また観るに」と続けました。世間には「杜田」「杜園」という言い方があり、この杜は「仮(假)」のような意味だといいます。本式ではない、というニュアンスです。そう読めば「杜撰」は「仮に作った文章」となり、杜黙を持ち出さなくても意味が通ります。

自家製の薄い酒は「杜酒」と呼ばれた

自分で醸した薄い酒を「杜酒」と呼ぶのも同じ使い方だ、というのが王楙の見立てです。杜甫の詩にも「杜酒偏勞勸」の句があります。王楙は、杜甫の意図は酒造りの祖とされる杜康(とこう)だろうとしつつ、俗語の意味とちょうど重なると指摘しました。

日本の酒造り職人「杜氏(とうじ)」の名も杜康に由来するという説があります。ただ、家を取りしきる女性を指した「刀自(とじ)」から来たという説も並び、こちらも一つには決まっていません。

「誰の撰か」「度撰です」で満堂が大笑い

もう一つの材料は、北宋の僧・文瑩(ぶんえい)の随筆『湘山野録(しょうざんやろく)』巻上の一場面です。学士の盛度(せいど)が、高官だった張知白(ちょうちはく)の神道碑(墓への参道に建てて功績を刻む碑)の文を作りました。参知政事の石中立(せきちゅうりつ)が「これは誰の撰か」と急いで尋ねます。

盛度はとっさに「度撰です」と答えました。自分の名で「度が撰しました」と言っただけです。言い終えてから本人も気づき、その場の全員が大笑いしたと記されています。

度と杜は同じ音に聞こえる

笑いが起きたのは「度撰」が「杜撰」と同じ音に聞こえたからだ、と王楙は読みました。現代の中国語でも度と杜はどちらも dù です。盛度は杜黙より前の人なので、「杜撰の説は古くからあった」と王楙は結んでいます。ただし『湘山野録』の本文に「杜撰」の語そのものは出てきません。

皮肉なことに、正史『宋史』は盛度を「文を為るに敏なれども、泛濫(はんらん)して精ならず」と評しています。筆は速いが緻密さに欠ける、という意味です。

杜光庭説もあり、元祖は決まっていない

考える人の像のイラスト

唐末に道教の書を集めた杜光庭

杜黙説のほかに、精選版日本国語大辞典は「道家の書五千巻を撰した杜光庭(とこうてい)」を指す説も挙げています。杜光庭は850年生まれ、唐末から五代の道士です。科挙に失敗して天台山に入り、のちに蜀の成都で、散らばっていた道教の経典を集めて整理したことで知られます。

四つの説を出どころで比べる

どれも「杜」の一字に何を読むかの違いです。出どころと引っかかる点を並べると、決め手のなさが見えてきます。

説「杜」が指すもの出どころ気になる点
杜黙説北宋の詩人・杜黙『野客叢書』巻二十(南宋)書いた王楙自身が別の説を並べている
俗語説「仮の」という意味の杜同じ項目(杜田・杜園・杜酒)当時の俗語で、ほかの用例を確かめにくい
度撰の洒落同じ音の「度」(盛度の名)『湘山野録』巻上(北宋)本文に「杜撰」の語は出てこない
杜光庭説唐末の道士・杜光庭精選版日本国語大辞典が紹介どの資料による説かは辞典に書かれていない

辞典も「人名と見る説が多い」としながら、どれか一つには決めていません。

日本ではいつから「杜撰」と言うようになった?

黒い衣を着た僧侶・道元のイラスト

道元が『正法眼蔵』に「杜撰の長老」と書いた

杜撰は宋代の言葉で、日本には禅を通じて入った、と精選版日本国語大辞典は述べています。挙げられた最も古い例は、宋に渡って曹洞宗を開いた道元(1200〜1253)の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』仏道の巻です。

そこには「いまの杜撰の長老等、みだりに宗の称をもはらする」とあります。いいかげんな長老たちが、むやみに宗派の名ばかりを名乗っている、という趣旨の批判です。書物に限らない「いいかげん」の意味で、すでに使われていました。

『野客叢書』から数十年後の用例

道元の入宋は1223年、帰国は1227年。『正法眼蔵』は1231年から1253年にかけて説かれ、『野客叢書』の自序(1195年)から数十年後にあたります。宋で使われていた言い回しを、留学した僧が持ち帰ったと考えると時期はよく合います。

江戸から現代へ、意味は少しずつ広がった

古びてぼろぼろになった古文書のイラスト

江戸の学者は書物の誤りを杜撰と呼んだ

江戸の用例は、辞典が一つめに挙げる「詩文などで、典拠の正確でないことを述べること。あやまりの多い著作」の意味に寄っています。1617年の『下学集』元和本の序は、よく知られた誤りとともに「杜撰」の語を使い、どれも問いただして改めたと述べています。辞書の作り手にとって、杜撰は直すべき誤りそのものでした。

1742年には国学者の荷田在満(かだのありまろ)が『国歌八論』に、藤原定家の名をかたった偽の本を「杜撰甚しきもの」と書いています。

「杜撰する」と動詞で使った明治の例

辞典が挙げる三つめの意味は「うっかり間違えること」です。例は宮崎柳条の『造化妙々奇談』(1879〜80年)で、「昧者(まいしゃ)之を杜撰して麒麟と云」とあります。物を知らない人が取り違えて麒麟と呼んでいる、という使い方です。

性格にも仕事ぶりにも使う現代の「ずさん」

津村節子の小説『さい果て』(1964〜71年)には、「神経質でありながら、案外ずさんなところのある彼は」という一文があります。デジタル大辞泉の例は「杜撰な管理」「杜撰な計画」。人の性格にも組織の仕事ぶりにも使える、幅の広い言葉になりました。

中国語の「杜撰」も、日本語と同じ意味?

中国語の本を読む女の子と漢字の吹き出しのイラスト

中国語の杜撰は「根拠のない作り話」

同じ二文字でも、今の中国語の杜撰(dù zhuàn)は「いいかげん」ではありません。台湾教育部の『国語辞典簡編本』は「事実の根拠がないのに作り上げること」と説明しています。例文は「小説に出てくる人物の多くは、作者が杜撰したものだ」。日本語なら手抜かりの多い人物ですが、中国語では作者がこしらえた人物になります。

『紅楼夢』では「誤り」と並べて使われた

同じ教育部の『重編国語辞典修訂本』は、杜黙の故事を紹介したうえで「のちに根拠のない捏造を指すようになった」と書きます。用例には清代の小説『紅楼夢』第七十八回が引かれ、古人の書いたものにも「杜撰もあれば誤りもある」と考える場面です。杜撰と誤りを別々に数えるところに、作り話寄りの意味が表れています。

日本では「誤り」、中国では「捏造」へ

海を渡った同じ二文字は、別々の意味に落ち着きました。読みと使い方まで並べると、違いがはっきりします。

項目日本語の「ずさん」中国語の「杜撰」
読みずさん(古くは「ずざん」)dù zhuàn
中心の意味誤りや手抜かりが多い根拠なく作り上げる
よくある使い方「ずさんな管理」(形容動詞)「作者が杜撰した」(動詞)
近い言葉粗雑・ぞんざい捏造・虚構

「典拠が正確でない」という日本の辞典の一つめの意味を真ん中に置くと、二つはつながります。誤りの多さの側に寄ったのが日本語、根拠のなさの側に寄ったのが中国語です。分かれた経緯までは辞典にも書かれていません。

「ずさん」と「ぞんざい」「なおざり」はどう違う?

壁がひび割れて崩れかけた家のイラスト

いいかげんを表す五つの言葉の使い分け

どれも「いいかげん」の仲間ですが、ずさんは誤りや手抜かりの多さに重心を置く言葉です。中身が雑なのか、扱いが雑なのか、気持ちが足りないのかで分けると違いが見えます。

言葉辞典の説明(要約)使い方の例
ずさん(杜撰)物事がいいかげんで、誤りが多いずさんな管理
粗雑いいかげんで大ざっぱ粗雑な扱い
ぞんざいいいかげんにする/言動が乱暴で礼を欠くぞんざいな口のきき方
なおざり(等閑)本気でない、放っておくしつけをなおざりにする
おざなり(御座形)その場のがれで誠意がないおざなりな答弁

なおざりは放置、おざなりは間に合わせ

まぎらわしい二語について、デジタル大辞泉は使い分けを添えています。「なおざり」は、すべきことをしなかったり手を抜いたりするさま。「おざなり」は、その場だけの間に合わせで済ませるさまです。宿題に手をつけないのが「なおざり」、写して形だけ出すのが「おざなり」と考えると区別しやすくなります。

おざなりの語源は「御座敷の形」

精選版日本国語大辞典は、「おざなり」を「御座敷の形(なり)」から来た言葉と説明しています。お座敷で、その場に合わせた形だけをとる様子です。1811年の川柳集『柳多留』には「お座なりに芸子調子を合はせてる」という句が残っています。

杜と撰はどちらも常用漢字ではない

新聞を広げて読む男性のイラスト

ひらがなの「ずさん」をよく見かける理由

デジタル大辞泉は、杜と撰をどちらも人名用漢字としています。常用漢字以外で、子どもの名前に使える字として定められたものです。常用漢字表にない字は、新聞や公用文では言い換えるか、ひらがなで書くことが多くあります。ニュースで「ずさんな管理」とひらがな書きを目にするのは、このためと考えられます。

杜はもともと木の名前でもある

「杜」は「ふさぎ止める」(杜絶)のほかに、ヤマナシという木の名も表す字です。日本では「もり」と訓読みし、神社の森を「鎮守の杜」と書くのも、この訓読みです。杜若(かきつばた)、杜鵑(ほととぎす)のような難読語にも顔を出します。

語源に人の名が出てくると、つい一人の失敗談として覚えたくなります。けれど話を書き留めた王楙は、同じ項目に俗語の「杜酒」と宮中の「度撰」を並べ、杜黙ひとりに押しつけませんでした。900年あまり前にけなされた詩の評判は、名字ごと「いいかげん」の代名詞として今も使われています。人の名がついた悪口の語源ほど、名指しされた本人の側から一度疑ってみる値打ちがあります。

参考

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