「バイオマス」という言葉は、再生可能エネルギーや環境政策の文脈で頻繁に登場します。木質チップ・バイオガス・廃棄物発電——今ではさまざまな「生物由来の資源」を指す言葉ですが、この考え方はいつ、どこで体系化されたのでしょうか。薪や炭を当たり前に使っていた人類の営みと、現代のバイオマス政策。その間にどんな思想的なつながりがあるのかを、歴史順に追ってみます。
バイオマス概念の歩み
概念の変遷は次の年表のとおりです。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 人類の黎明期 | 薪・炭・植物油など生物由来の資源を日常的に使用 |
| 18〜19世紀 | 産業革命により石炭・石油が主要エネルギーへ。バイオマス利用が後退 |
| 1920〜30年代 | 生態学者が「biomass(生物量)」という用語を学術的に使い始める |
| 1973年 | 第一次石油危機。化石燃料依存への警戒が世界的に高まる |
| 1980年代 | バイオエタノール・バイオガスの研究が国際的に加速 |
| 1997年 | 京都議定書採択。バイオマスが「カーボンニュートラル」な資源として位置づけられる |
| 2002年 | 日本が「バイオマス・ニッポン総合戦略」を閣議決定。政策用語として定着 |
「生物由来の資源」は人類最古のエネルギー源
薪と炭 — 農耕以前から続く営み
人類が初めて火を扱ったのは数十万年前とされています。以来、薪・炭・植物油・動物脂肪などの「生物由来の燃料」は、暖房・調理・鍛冶・照明のすべてを担ってきたのです。
農業が始まった約1万年前から、人々は計画的に木を伐採し、薪を確保するようになりました。江戸時代の日本でも「薪炭林(しんたんりん)」と呼ばれる専用の雑木林が各地に管理されており、今日のバイオマス農園に近い考え方がすでに実践されていたのです。
産業革命が「循環」を断ち切った
18世紀のイギリスで始まった産業革命は、エネルギーの主役を石炭へと一気に押し上げました。石炭は薪と比べて単位重量あたりの熱量が高く、掘り出した分を燃やすだけで大量のエネルギーを得られます。続いて19世紀後半には石油・ガスが登場し、20世紀には「化石燃料を燃やす」ことが世界の標準になりました。
この転換で失われたのは「使った分を植え直す」という循環の発想でした。薪炭林の維持には何十年もの計画が必要ですが、石炭は掘れば出てくる。コストの論理が、長い時間をかけて育てた「再生可能な資源」の概念を社会から遠ざけたのです。
「バイオマス」という言葉が生まれた経緯
もともとは生態学の用語だった
「バイオマス(biomass)」という言葉が学術誌に登場するのは1920〜30年代のことです。生態学者たちが「ある生態系内の生物の総量」を表す単位として使い始めました。つまり当初は「エネルギー源」の概念ではなく、森林の樹木量や水中の藻類量などを定量化するための、純粋な科学用語だったのです。
石油ショックが「再資源化」のスイッチを入れた
1973年の第一次石油ショックは、エネルギー安全保障の脆弱さを先進国に突きつけました。この危機をきっかけに、各国で「石油に頼らないエネルギー」の研究が急加速します。
ここで生態学の「バイオマス」概念がエネルギー政策に転用されました。植物や有機廃棄物は「太陽光を固定した炭素の塊」であり、燃焼させても大気中の炭素を実質的に増やさないという論理——いわゆる「カーボンニュートラル」の考え方が注目されたのです。
1981年にナイロビで開催された国連の「新・再生可能エネルギー会議」では、バイオマスエネルギーが正式な議題として取り上げられ、国際的な政策概念として定着していきました。
豆知識 — 日本でバイオマスが「国策」になった2002年
日本では2002年、「バイオマス・ニッポン総合戦略」が閣議決定されました。農林水産省が主導したこの政策は、木材・食品廃棄物・家畜の糞尿などを資源として活用する国家目標を掲げたものです。
興味深いのは、この戦略が農村の過疎化対策と環境政策を同時に解決しようとした点でした。間伐材(かんばつざい)や農業残渣(のうぎょうざんさ)をエネルギーに変えることで、農山村に新しい産業を生み出す構想です。「薪炭林」の時代からつながる「地域の資源を地域で使う」という発想が、近代政策の言葉で蘇ったともいえます。
「バイオマス」という概念が生まれたのは20世紀の生態学ですが、その根にある発想は古くからの知恵です。薪炭林を管理してきた江戸時代の人々も、「生物由来の資源を循環させる」ことを当たり前のように実践していました。石油ショックと地球温暖化という2つの危機が、何千年も続いてきた循環の思想を、改めて「政策」として言語化させたのかもしれません。


