耳の中には「金づち・金床・あぶみ」がある——人体でいちばん小さい骨の話

大きな耳と金づち金床で打つ鍛冶屋=耳の中の小さな鍛冶場 からだの話
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私たちの耳の奥には、大工道具や馬具の名前を持つ、3つの小さな骨があります。金づち、金床、そしてあぶみ。まるで小さな鍛冶場のような名前が、鼓膜のすぐ内側にそろっているのです。

しかも、そのうちの一つは、人体でいちばん小さい骨として知られています。なぜ耳の中に、こんな道具めいた骨があるのでしょうか。そこには、音を聞くための驚くほど精巧なしくみと、はるか昔の進化の物語が隠れていました。順にのぞいていきましょう。

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耳の中の3つの骨 早見表

大工

この3つの骨をまとめて「耳小骨(じしょうこつ)」と呼びます。名前と形の由来を、先に表で一覧にしました。

骨の名前形の由来位置
ツチ骨金づち(ハンマー)鼓膜の側
キヌタ骨金床(かなとこ)まん中
アブミ骨馬の鐙(あぶみ)内耳の側

道具の名を持つ3つの骨

金づちと金床で鍛える鍛冶屋

まず、この個性的な名前の由来から見ていきましょう。3つとも、身近な道具に形が似ていることから名づけられました。

なぜ道具の名前なのか

ツチ骨は金づち、キヌタ骨は金床

鼓膜のすぐ内側にあるのが、ツチ骨です。柄の長い金づち(槌)のような形をしていることから、この名がつきました。その隣で受けとめるのがキヌタ骨。鍛冶屋が金属を打つときに下に置く台、金床(かなとこ)に似た形をしています。金づちで打ち、金床で受ける。名前を並べるだけで、小さな鍛冶場が浮かんでくるようです。

アブミ骨は馬の鐙

3つめのアブミ骨は、乗馬のときに足をかける馬具「鐙(あぶみ)」にそっくりの形をしています。中央が輪のように空いた、独特のかたちです。大工道具から鍛冶道具、そして馬具へ。耳の奥のわずか数ミリの空間に、昔の人が身近な道具の姿を次々と見いだしたというのは、なんとも味わい深い話です。

鼓膜から内耳へ、音のリレー

馬

では、この3つの骨は、いったい何のためにあるのでしょうか。答えは「音を伝えるバトン」です。

3つが連なって振動を渡す

蝸牛(かぎゅう)とは、内耳にあるカタツムリのような形をした器官です。中は液体で満たされ、音の振動をここで電気信号に変えて脳へ送ります。

バケツリレーのように音を運ぶ

外から届いた音は、まず鼓膜を震わせます。その震えを受けとるのが、鼓膜にくっついたツチ骨です。ツチ骨はキヌタ骨へ、キヌタ骨はアブミ骨へと、振動を順に手渡していきます。そして最後にアブミ骨が、内耳の入り口をトントンと叩く。3つの骨がバトンをつなぐことで、空気のかすかな震えが、奥の蝸牛(かぎゅう)まで運ばれていくのです。

アブミ骨は人体で最小・最軽

このリレーの最終走者アブミ骨こそ、人体で最も小さく、最も軽い骨です。その大きさは、長さわずか3ミリほど。重さも2〜4ミリグラムしかありません。米粒よりもずっと小さな骨が、私たちが音を聞くための、最後の大事な一押しを担っているわけです。体の中でいちばん小さな骨が、耳の奥でひそかに働いていたのでした。

なぜ「増幅」する必要があるのか

メガホン

じつは耳小骨は、ただ音を運んでいるだけではありません。途中で音の力を大きく「増幅」しています。なぜ、わざわざ増幅が必要なのでしょうか。

空気の音は、液体に届きにくい

そのままでは大半が跳ね返る

音は空気の震えですが、それを受け取る内耳の中は液体で満たされています。空気の震えをそのまま液体へ伝えようとすると、大部分は表面ではね返されてしまいます。ほとんど中まで届きません。水面をたたいても、水中に音が伝わりにくいのと同じ理屈です。この「伝わりにくさの壁」を乗りこえる工夫が、どうしても必要でした。

20〜30倍に増幅して押し込む

その壁を突破するのが、耳小骨の増幅のはたらきです。3つの骨は、鼓膜で受けた音の力を、およそ20〜30倍にまで高めて内耳へ送り込みます。この増幅があるおかげで、はね返されるはずだった音のエネルギーが、液体の中までしっかり届く。小さな骨たちは、音の運び屋であると同時に、力持ちの増幅装置でもあったのです。

二つの増幅のしくみ

広い鼓膜、狭いアブミ骨

増幅のからくりは、大きく二つあります。一つめは「面積の差」です。音を受ける鼓膜は比較的広く、その面積は、内耳に接するアブミ骨の底面のおよそ20倍もあります。広い面で受けた力を狭い一点に集めると、圧力がぐっと高まる。画びょうの先が、指の力を一点に集めて壁に刺さるのと似た原理です。

てこの原理で力を増す

二つめが「てこの原理」です。ツチ骨とキヌタ骨のつながり方が、ちょうどてこのような働きをして、伝える力をさらに強めています。面積の差と、てこ。この二つの物理の合わせ技で、耳小骨は音を効率よく増幅していたのです。数ミリの骨の中に、これほど巧みな仕掛けが仕込まれているとは、驚くほかありません。

豆知識——もとは「あご」の骨だった

恐竜ティラノサウルス

最後に、この小さな骨たちの、壮大な生い立ちを紹介します。じつはツチ骨とキヌタ骨は、大昔にはまったく別の場所で働いていたのです。

顎から耳へ引っ越した骨

爬虫類の顎関節が進化した

私たちの祖先をさかのぼると、哺乳類が生まれる前は、爬虫類に近い姿をしていました。その時代、ツチ骨とキヌタ骨のもとになった骨は、なんと「あご」の関節を作る骨でした。ものをかむための関節骨(かんせつこつ)と方形骨(ほうけいこつ)が、長い進化の中で少しずつ形と役目を変え、耳の中へと移っていったのです。

「かむ骨」が「聞く骨」になった

つまり、かつて食べ物をかむのに使われていた骨が、めぐりめぐって音を聞くための骨に生まれ変わったわけです。これは進化の歴史でも、とりわけ有名な「配置がえ」の一例として知られています。耳の奥の骨に触れることはできませんが、そこには数千万年におよぶ、体づくりの大改造の跡が刻まれているのでした。

骨が増えて、聴覚が鋭くなった

この引っ越しには、大きなおまけがついていました。爬虫類の耳では、音を伝える骨はアブミ骨にあたる一本だけだったといわれます。そこへ、顎から移ってきた2つの骨が加わり、3つがリレーする今のかたちになりました。骨が増えたぶん、音をより細やかに、より強く内耳へ届けられます。哺乳類の耳がよく利くのは、この「顎からの授かりもの」のおかげでもあったのです。

大きな音から耳を守る

アブミ骨筋というブレーキ

耳小骨には、音を伝えるだけでなく、耳を守る役目もあります。アブミ骨には「アブミ骨筋」という小さな筋肉がついていて、突然の大きな音が入ると、すばやくアブミ骨の動きを制限します。振動にブレーキをかけ、繊細な内耳を強すぎる刺激から守っているのです。運ぶだけでなく、危険なときには身を挺してかばう。小さな骨たちは、なかなかに働き者でした。

耳の奥に隠れた3つの小さな骨は、道具の名を借り、人体最小の記録を持っています。しかも、もとは顎の骨だったという経歴つきです。何気なく音を聞くその一瞬にも、金づちと金床と鐙が、せっせとバトンをつないでいる。次に静かな場所で耳をすませたら、その奥で働く小さな鍛冶場のことを、少し思い出してみたくなるかもしれません。

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