走馬灯とは本来どんな道具か——熱で回る夏の玩具

言葉と論理の話
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走馬灯の「馬」は、ろうそく一本の熱で走っています。二重になった灯籠の内側に、馬に乗った武将の切り絵が貼ってあり、炎の熱でできた上昇気流が羽根車を回す。それだけの仕掛けで、外側の紙に映った影が延々と駆けていきます。

一方で「走馬灯のように人生が巡る」という言い方もあります。こちらは灯籠の話ではありません。夏の玩具だった灯籠が、まったく別の場所で起きている出来事に名前を貸した、というのが実際のところです。

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「走馬灯のように人生が巡った」——この一文に線を引く

この一文には、性質のまったく違う二つの話が同居しています。前半の「走馬灯」は江戸の夏に売られていた実在の道具の名前で、後半の「人生が巡った」は百年以上前から記録が残っている体験報告のことです。どこまでが灯籠の話で、どこからが脳の話なのか。先に線を引いておきます。

気になるところ短い答え
走馬灯とは何かろうそくの熱で内枠が回り、影絵が外枠に映る二重の灯籠。江戸中期からの夏の玩具で、俳諧では夏の季語
なぜ「馬」なのか内枠に貼る切り絵が馬上の武将だったため。回ると何人もが追いかけ合って見えた。宋の中国では「馬騎灯」と呼ばれた
死に際に見るのは本当か「過去が次々によみがえった」という報告は18世紀末の溺水体験までさかのぼれる。臨死体験者の2〜3割程度とされ、珍しい話ではない
灯籠と体験に関係はあるか直接の関係はない。めまぐるしく移り変わる様子を表す比喩として、灯籠のほうが名前を貸した

灯籠のほうの走馬灯は、ろうそく一本で回る

走馬灯は「回り灯籠」とも呼ばれます。電気もぜんまいも使わず、火を入れるだけで動き出す道具です。

二重の枠と、軸の上に載った風車

外枠はスクリーン、内枠は影絵の版

構造は影絵芝居とほとんど同じです。外側の枠には紙が張ってあり、これが映写幕の役をします。内側の枠には人や馬を切り抜いた紙を貼り、その中心にろうそくを置く。内枠が回れば、切り絵の影が外側の紙の上を移動していきます。

見る側は外の紙しか見ていません。中で何が起きているかは見えず、影だけが横切っていく。この「仕掛けが隠れている」ところが、涼み道具としての値打ちだったのでしょう。

動力は炎が起こす上昇気流

内枠の軸の上には、小さな風車が付いています。ろうそくが空気を温めると、煙突効果で上向きの流れが生まれる。その流れが羽根を押して軸が回り、内枠ごと絵が動くという順序です。

火が弱れば回転も鈍り、消えれば止まります。速度を調整する部品はどこにもありません。熱と回転が直結しているぶん、その日の火の具合がそのまま影の速さになる道具でした。

絵柄が馬だった理由

宋代の「馬騎灯」——馬上の武将が追いかけ合う

中国側の資料によれば、この灯籠の各面には古代の武将が馬に乗った図柄を描くことが多く、回転すると何人もが追いかけっこをしているように見えたことから「走馬灯」の名が付いたとされます。宋代には「馬騎灯」という呼び名も使われていました。

円筒がぐるぐる回る以上、映る影も同じところを何度も通ります。歩く人物だと不自然になりますが、駆ける馬なら「走り続けている」と見える。題材と動きの相性が良かったわけです。

「走馬」は馬を走らせること

「走馬」は馬を走らせる、あるいは馬が走るという意味の言葉です。「走馬看花(そうばかんか)」という四字熟語もあり、こちらは馬を走らせながら花を見る、つまり物事をざっと眺めるだけで細部を見ないことを指します。

灯籠の名も同じ発想です。止まって鑑賞する絵ではなく、通り過ぎていく絵。走馬灯という三文字には、最初から「速く流れて留まらない」という含みがありました。

秦漢から南宋まで、名前が変わり続けた

蟠螭灯・仙音燭・転鷺灯

中国側の記述では、熱で回る灯籠の起源は秦・漢の時代までさかのぼり、当時は蟠螭灯(ばんちとう)と呼ばれていたとされます。唐の時代には仙音燭(せんおんしょく)、転鷺灯(てんろとう)といった名も現れました。螭は角のない竜、鷺はサギのことで、回る図柄がそのまま名前になっていたことが分かります。

つまり馬は最初からの主役ではありません。竜が回り、鳥が回り、そのあとで馬が定着した。名前の変遷は、そのまま流行した絵柄の変遷でもあります。

南宋の夜市に並んだ灯籠

盛んになったのは南宋の頃。都の様子を書き留めた『夢粱録(むりょうろく)』や『武林旧事(ぶりんきゅうじ)』といった記録に、走馬灯の名が出てきます。どちらも当時の年中行事や市の賑わいを伝える書物で、夜市で売られる品として名が挙がる程度には普及していたのでしょう。

時代呼び名様子
秦・漢蟠螭灯熱で回る灯籠の原型とされる。図柄は竜
仙音燭・転鷺灯音の仕掛けを伴うもの、鷺が回るものが現れる
南宋馬騎灯・走馬灯馬上の武将の図柄が定着し、夜市の記録に登場
日本・江戸初期回り灯籠宗教的な色合いが濃いものとして伝わる
日本・元文年間以後走馬灯技巧が加わり、夏の納涼玩具として発達

日本では夏の玩具になり、お盆の灯りにもなった

日本に入ってきたときの走馬灯は、遊び道具ではありませんでした。娯楽の品に変わるまでには百年ほどの時間がかかっています。

元文年間から遊びの道具へ

江戸初期は宗教的な色が濃かった

百科事典の記述によれば、江戸時代初期の回り灯籠は宗教的な性格の強いものでした。それが元文(げんぶん)年間、西暦でいえば1736年から41年にかけての時期を境に、遊戯的な技巧や工夫が加えられていきます。

八代将軍徳川吉宗の治世の後半にあたる時期です。この頃から走馬灯は、仏前に据える灯りではなく、夏の夜に涼をとるための品として発達していきました。

錦絵の職人の内職として売られた

江戸では、錦絵の版下を描く職人などが内職として走馬灯を商品化したといいます。切り絵を作り、枠に貼り、組み立てる。絵を描く技術がそのまま活きる仕事だったわけです。

家庭で細工物として作ることも広まりました。買うものであり、作るものでもあった。夏になると出してきて、火を入れて眺める。そういう季節の品でした。

俳諧では夏の季語

涼しさを目で味わうという発想

走馬灯は俳諧で夏の季語として扱われます。実際には火を焚いているので、部屋の温度はむしろ上がっているはずです。それでも涼み道具として数えられました。

音で涼をとる風鈴と同じで、体感温度ではなく気分を涼しくする道具だったのでしょう。暗い部屋で影だけが静かに巡っていく光景は、たしかに暑さを忘れさせる種類のものです。

お盆に飾る回転行灯

迎え火・送り火の役をする灯り

盆提灯のなかに「回転行灯(かいてんあんどん)」と呼ばれる種類があります。据え置き型の盆提灯で、火袋の内側で絵柄が回るもの。仕組みは走馬灯そのものです。

盆提灯を飾るのは、迎え火・送り火の役割を持たせるためとされています。故人が迷わず帰ってこられるようにという目印です。走馬灯と死を結びつける言い方が生まれる下地は、比喩よりずっと手前、この習俗のなかにもあったことになります。

今は電球の熱で回っている

現在売られている回転行灯は、ろうそくではなく電球を使います。ただし回転のしくみは変わっていません。電球が出す熱で上昇気流ができ、それが羽根車を押す。中国で竜が回っていた頃と同じ原理です。

そのため、発熱しないLEDに替えると回転筒は止まってしまいます。従来型の回転行灯にコード式の白熱球が使われてきたのは、そういう事情からです。近年はLEDでも回るコードレス型が作られていますが、そちらは熱に頼らない別の仕掛けで動かしています。

仏具店の案内には、回らないときの対処法として「電球の先の針が垂直になるように付け直す」といった説明が並びます。軸が少し傾いただけで止まる。江戸の走馬灯も、きっと同じ繊細さだったはずです。

「走馬灯のように」は、もともと死の言葉ではなかった

比喩としての走馬灯は、死に際だけを指す言葉ではありません。辞書に載る用例を見ると、そのことがはっきりします。

明治の用例が指しているもの

田山花袋『春潮』の一節

国語辞典が引く古い用例のひとつが、田山花袋(たやまかたい)の小説『春潮』(1903年)です。自分の恋の時代が過ぎ去ったという思いと、親を思う気持ちとが「走馬燈のやうに」激しく急に回り出す、という場面で使われています。

死とは何の関係もありません。感情が入れ替わり立ち替わり押し寄せる、その速さと止められなさを言うために持ち出されています。明治の読者にとって走馬灯は、まだ夏の夜に見慣れた実物だったはずです。

辞書の語釈は「めまぐるしく移り変わる」

辞書の語釈でも、比喩の中心にあるのは「次々に現れては過ぎ去っていく」という点です。そのうえで、死に際に人生の情景が現れる様子を指す用法が併記されています。

順序としては、まず「速く移り変わるもの」という比喩があり、そこに死の場面の話が乗った。灯籠が死を連想させたのではなく、速さのイメージが借りられただけ、と考えるほうが自然です。

英語には馬が出てこない

目の前を人生が閃く、という言い方

英語で同じ場面を言うときは、人生が目の前を閃き過ぎる、という言い回しになります。灯籠も馬も登場しません。同じ体験に対して、日本語は回転する道具を、英語は光の閃きを持ってきたわけです。

比喩が違えば、含みも少し違います。日本語の走馬灯には「一周して戻ってくる」感じがありますが、閃きのほうにはそれがない。同じ現象の呼び名でも、言語ごとに強調される側面はずれています。

学術用語は「パノラマ記憶」

研究の世界では、この現象は「パノラマ記憶」あるいは「ライフレビュー(人生回顧)」と呼ばれます。パノラマ記憶という名を付けたのは、イギリスの神経学者サミュエル・アレクサンダー・キニア・ウィルソンで、1928年のことでした。

ライフレビューとは、死に直面した際に自分の過去の出来事が次々とよみがえる体験のことです。臨死体験の報告に含まれる要素のひとつとして研究されています。

死ぬ前に見るという話は、どこまで確かめられているか

この体験の報告は、決して新しいものではありません。記録に残る例は18世紀末までさかのぼれます。

記録は18世紀からある

1791年、溺れかけた17歳

1791年、イギリス海軍の士官候補生だったフランシス・ボーフォートがポーツマス港で小舟から落ちました。泳げないまま、数分間を水中で過ごしています。のちに風力階級(ボーフォート風力階級)を考案する人物です。

彼は30年以上のちの手紙で、そのときの感覚を書き残しています。思考が言葉にできない速さで次々と湧いたといいます。直前の出来事から始まり、家族のこと・過去の航海・学生時代へと、記憶は時間をさかのぼっていきました。来世を強く信じていたにもかかわらず、浮かんできたのは過去だけ。未来のことは一つも出てこなかったとも記しています。

1892年、スイスの登山家が集めた証言

体系的な聞き取りの始まりとされるのが、スイスの地質学者アルベルト・ハイムの報告です。ハイム自身も、山で滑落した経験の持ち主でした。墜落から生還した登山家・事故に遭った労働者・溺れかけた人などから証言を集め、1892年に発表しています。

集められた証言のかなりの割合が、人生の情景がよみがえったという内容を含んでいたとされます。この報告は1972年に英語へ訳され、以後の研究の出発点になりました。

どのくらいの人が体験するのか

205人のうち60人という調査

アメリカの精神科医ラッセル・ノイスと臨床心理学者ロイ・クレッティは、生命に関わる危険に遭った205人の証言を分析しました。1977年に発表されたその報告では、60人の記述にパノラマ記憶が含まれていたとされます。全体のおよそ29%にあたります。

ほかの調査でも、臨死体験者のうちライフレビューを報告する割合は2割から3割程度に収まることが多いようです。少数の特殊な例ではなく、といって誰にでも起きるわけでもない。そのくらいの頻度だと考えておくのがよさそうです。

「死ぬと思った」だけの人にも起きる

ノイスとクレッティの分析で目を引くのは、この現象が溺れかけた人と、事故の最中に「もう死ぬ」と思った人に多かったという点です。実際には身体が死の過程に入っていない場合でも報告されています。

つまり引き金は、身体が壊れていくことそのものではなく、死が迫っていると認識することのほうにあるのかもしれません。走馬灯を「死の直前に脳が見せるもの」と説明しきれない理由が、ここにあります。

思い出す順番は時系列ではない

7人の面接から見えたこと

2017年、ヘブライ大学などの研究チームが、ライフレビューを体験した7人への詳細な面接記録を分析しました。結果として、記憶には時間の順序がなかったと報告されています。

複数の記憶が同時に起きているように感じられ、いくつもの映像を貼り合わせたコラージュのようだったという証言。自分の記憶を他人の視点から見ていたという証言。生涯を順に再生する映画、というイメージとはかなり違う姿です。

264人の質問紙が示したこと

同じ研究では、年齢も背景もさまざまな264人に質問紙調査も行っています。ライフレビューらしさを測る得点は、集団のなかできれいな正規分布を描きました。

死に瀕していない人にも、同じ成分が程度の差として存在しているという読み方になります。特別な体験というより、誰もが持っている記憶の働きが、極端な状況で強く出たもの。研究者はそう位置づけています。

脳で何が起きているのかは、まだ分かっていない

ここ数年、死の前後の脳波を記録した報告がいくつか出てきました。ただし、そこから言えることは慎重に区切っておく必要があります。

2022年、偶然記録された死の前後

てんかんの検査中に起きた心停止

2022年に発表された症例報告は、狙って得られたデータではありません。てんかん発作のある87歳の男性に脳波計を付けて検査していたところ、その最中に心停止が起きたのです。結果として、死の前後の脳波が連続して記録されました。

心停止の前後で、ガンマ波と呼ばれる速い波の相対的な割合が高まっていました。ガンマ波は記憶の想起や情報の統合に関わるとされる帯域です。責任著者のアジマル・ゼマール氏は、記憶に関わる活動が死の間際にも起きている可能性を指摘しました。

読み方に注意が要るという指摘

この報告には、専門家から慎重な留保が付いています。患者には外傷性の脳出血があり、麻酔や抗けいれん薬が投与され、窒息状態にもあった。条件が重なりすぎていて、ガンマ波の変化を何の結果と見るかを決められない、という指摘です。

臨死体験研究で知られるブルース・グレイソン氏らも、同じ趣旨の論評を発表しています。一例からの一般化は難しい。研究者たち自身がそう書いていることは、押さえておきたいところです。

2023年、4人中2人

呼吸器を外したあとに高まった活動

2023年、ミシガン大学のグループが4人の昏睡患者の脳波を報告しました。回復の見込みがなく、家族の同意のもとで人工呼吸器を外した患者たちです。

4人のうち2人で、酸素が失われていく過程にガンマ波の高まりが観察されました。活発になったのは側頭葉・頭頂葉・後頭葉が接する領域で、意識のありかを論じるときによく名前の挙がる場所です。

本人に確かめる方法がない

ただし、脳波が動いていたことと、本人が何かを体験していたことは別の話です。この2人は亡くなっており、何を見ていたかを聞くことはできません。

死にゆく人に測定器を付けて詳しく調べる研究は、倫理審査を通すこと自体が難しいとされます。近年の報告が偶然の産物ばかりなのは、そのためです。走馬灯の正体は、当分のあいだ「そういう報告がある」という段階にとどまるのでしょう。

熱で回る灯籠は、タービンの遠い親戚とされることがある

最後に、灯籠の側にもう一度戻ります。走馬灯の仕掛けは、機械としてはかなり由緒のあるものです。

熱を運動に変える、いちばん素朴な形

燃料を燃やし、生まれた気流で羽根車を回し、軸の回転として取り出す。手順だけを並べると、これはガスタービンやジェットエンジンと同じ流れです。走馬灯の場合、取り出した動力の使い道が切り絵を回すことだけ、という違いがあるにすぎません。

中国側の資料には、走馬灯を現代のガスタービンの動作原理の原型とみなす記述もあります。直接の系譜としてつながっているかは慎重に見るべきですが、原理の素朴な実演としては確かによくできた道具です。

子どもの工作としても残っている

自由研究の定番題材

紙とアルミ箔で羽根を作り、電球を置く。走馬灯は、いまも科学工作や夏休みの自由研究の定番題材で、製作キットも売られています。

回すには意外とコツが要る

ただし、うまく回すには意外とコツが要ります。軸の摩擦が大きいと止まってしまうため、支える針の先を尖らせたり、羽根の受け側をなめらかにしたりといった工夫が必要になる。電球のワット数が小さすぎても、気流が足りません。江戸の職人が内職で作っていたのも、こういう微妙な加減の道具でした。

千年以上前の中国で竜が回り、江戸の夏に馬が走り、いまは仏壇の脇で蓮や秋草の絵が回っている。動かしているものは、ずっと同じ上昇気流です。

走馬灯という言葉は、二つのものに同じ「回る」を当てています。けれど回り方はまるで逆です。灯籠のほうは、同じ絵が同じ向きで何度でも戻ってきます。報告されている体験のほうはボーフォートの手紙が示すとおり過去へさかのぼり、しかも一度きりで終わる。名前を貸したのは灯籠でも、中身まで似ているわけではないようです。

参考

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