言葉と論理の話

言葉と論理の話

こむら返りの「こむら」とは何か、なぜ寝ている間に足がつる?

「こむら返り」の「こむら」は、ふくらはぎの古い呼び名です。平安時代の辞書にはすでに「古无良(こむら)」と書かれていて、江戸時代の後期に「ふくらはぎ」という新しい言葉が広まるまでは、こちらがふつうの名前でした。いまの共通語では、ほぼ「こむら返...
言葉と論理の話

喉仏はなぜ「仏」と呼ぶのか、火葬で拾う喉仏はのどの骨ではない

喉仏(のどぼとけ)が「仏」と呼ばれるのは、のどの軟骨の形を、座禅を組んで座る仏様の姿に見立てたからだと説明されています。首の前の出っ張りは甲状軟骨(こうじょうなんこつ)という軟骨の一部で、医学では喉頭隆起(こうとうりゅうき)と呼びます。やや...
言葉と論理の話

「姑息」は卑怯という意味なのか、姑はしゅうとめではなかった

「姑息(こそく)」の本来の意味は「一時しのぎ」「その場しのぎ」で、「卑怯(ひきょう)」という意味はもともと含まれていません。「姑」はしばらく、「息」は休むを表します。しばらくの間息をつくことから、一時の間に合わせにすることを指すようになりま...
言葉と論理の話

「潮時」を終わりと取る人が多数派に、本来はどんな時を指す?

「潮時」は、本来は物事を始めたり終えたりするのにちょうどよい時を指す言葉です。もとは海の潮が満ちる時・引く時のことで、潮の具合がよい時という使い方から「好機」の意味が広がりました。辞典の語釈には「始める」と「やめる」が並んで書かれていて、「...
言葉と論理の話

「ずさん」はなぜ「杜撰」と書くのか、杜は人の名前?

「ずさん」を漢字で書くと「杜撰」です。「撰」は詩や文章を作ること、「杜」は中国・北宋の詩人である杜黙(ともく)の名字だとする説がよく知られています。杜黙の作る詩は漢詩のきまりに合わないものが多く、そこから「きまりに合わないもの」を杜撰と呼ぶ...
言葉と論理の話

「気が置けない」は何が置けないのか、半数近くが逆に取っている

「気が置けない人」は、遠慮も気づかいもいらずに打ち解けられる相手をほめる言葉です。「油断できない人」「気をつかう相手」という意味ではありません。「何となく打ち解けられない」を表す「気が置ける」を、「ない」で打ち消した形だからです。ところが文...
文化と価値観の話

「縁起」はどこから来た言葉か、万葉集ではいきさつの意味だった

「縁起」は、もともと仏教の言葉です。正式には「因縁生起(いんねんしょうき)」といい、あらゆる物事は原因と条件が重なって起こる、という教えを指します。この教えには、良い縁起も悪い縁起もありません。その言葉が「物事の起こり」の意味に広がり、日本...
言葉と論理の話

「二の舞」はもとは雅楽の舞、なぜ失敗をくり返す意味になった?

「二の舞」は、もともと雅楽の舞楽にある曲の名前です。「安摩(あま)」という舞が終わると、笑った老爺と腫れた顔の老婆の面をつけた二人が登場し、いま見たばかりの安摩をまねて舞います。ところが、どうにもうまくまねられません。前の人をまねて、同じよ...
言葉と論理の話

「折り紙付き」の折り紙はどんな紙なのか、鶴を折る紙と同じ?

「折り紙付き」の折り紙は、鶴を折る色紙のことではありません。和紙を横に二つ折りにして書いた「文書」の形を指す言葉です。江戸時代には刀剣や書画の鑑定書がこの形で出されたため、「鑑定書がついている品」がそのまま「間違いのない品」という意味に育ち...