「縁起」は、もともと仏教の言葉です。正式には「因縁生起(いんねんしょうき)」といい、あらゆる物事は原因と条件が重なって起こる、という教えを指します。この教えには、良い縁起も悪い縁起もありません。
その言葉が「物事の起こり」の意味に広がり、日本では寺や神社の由来を書いた文書を「縁起」と呼ぶようになりました。やがて由来書きが神仏のご利益を語ることに力を入れた結果、江戸時代ごろから「吉凶の前ぶれ」の意味で使われるようになった、と辞典は説明しています。
仏教でいう縁起はどんな教え?

仏教の縁起は、物事がそれだけでは成り立たず、ほかとの関係のなかで起こるという考え方です。日本大百科全書(ニッポニカ)は、これを仏教のもっとも重要な中心思想の一つとしています。
縁起は因縁生起を縮めた言葉
縁起は、サンスクリット語「プラティートゥヤ・サムウトパーダ」を漢字に訳した語です。「因縁によって生じ起こる」を略して、縁起と呼びます。
因は直接の原因で縁は間接の条件
平凡社『世界大百科事典』によると、仏教では結果を生む直接の原因を「因」、それを助ける間接の条件を「縁」と分けます。種が因なら、土や水や日の光が縁、というたとえがわかりやすいでしょう。
ただし同じ事典は、実際に何が因で何が縁かをはっきり分ける基準はない、とも書いています。見る角度によって、同じものが因にも縁にもなるわけです。
「此有るが故に彼有り」という定式
縁起の基本は、次のような対句で言い表されてきました。
此有るが故に彼有り。此無きが故に彼無し。
これがあるから、あれがある。これがなければ、あれもない。世界大百科事典は、この一文を縁起の規定として挙げています。
苦しみの成り立ちを12段で説く十二因縁
縁起の考えを、人の苦しみに当てはめて順に並べたのが「十二因縁(じゅうにいんねん)」です。十二縁起とも呼ばれます。
無明から老死まで12の項目が連なる
12の項目は、精選版日本国語大辞典では次の順です。
- 無明(むみょう)・行(ぎょう)・識(しき)・名色(みょうしき)
- 六処(ろくしょ)・触(そく)・受(じゅ)・愛(あい)
- 取(しゅ)・有(う)・生(しょう)・老死(ろうし)
出発点の「無明」は、人がもともと抱えている無知のこと。前の項目があるから後の項目があり、前が消えれば後も消える、という鎖のような関係だとされます。
老いと死からさかのぼって無明に行き着く
ニッポニカの解説では、この系列は「なぜ苦しいのか」という問いから始まります。老いて死ぬ苦しみから原因を一つずつさかのぼり、最後に無明へ行き着く道筋です。
無明を正しく自覚すれば、今度は鎖を逆にたどって一つずつ消していける。その果てが苦しみから解き放たれた悟りだ、と説かれます。
仏教の縁起には吉も凶もない
ここまでの縁起は、世界の成り立ちを説明する理屈です。「縁起がいい」「縁起が悪い」のような運の良し悪しは、どこにも出てきません。
固定した実体は何ひとつないという考え
すべてが関係のなかで成り立つなら、それだけで変わらずに存在し続けるものはない、という結論に行き着きます。縁起の見方は「無我」や「空(くう)」の思想を理論の面から支えるもの、というのが世界大百科事典の説明です。
釈迦が菩提樹の下で悟った理
同じ事典の「仏教」の項によれば、釈迦が35歳のとき菩提樹の下で悟ったのも、苦しみの起こる原因と克服についての「縁起の理」でした。縁起は、仏教の出発点に置かれた言葉だったのです。
教えの言葉がどうして由来の意味になった?

縁起が「物事の起こり」を指すようになったのは、仏教の経典の分類名にも「縁起」があったためです。そこから意味が広がり、奈良時代の日本ではすでに「いきさつ」の意味で使われていました。
経典の分類にあった「縁起」
仏教の経典は、内容や形式によって12種類に分ける伝統があり、これを十二部経(じゅうにぶきょう)と呼びます。その一つが縁起です。
説法のいきさつを明かす部分
こちらはサンスクリット語「ニダーナ」を訳した縁起です。精選版日本国語大辞典によると、仏がその教えを説くことになった由来や事情を明かしたものを指します。
同じ漢字でも、訳した元の言葉は教えの縁起とは別。一つの訳語に、二つの意味が乗っていたことになります。
物事の起こりや沿革へ意味が広がる
説法の由来を示す言葉は、やがて一般の物事の起源・沿革・由来も指すようになりました。辞典はこれを「転じて」と書いています。現代の辞書が縁起の語義に「物事の起こり」を載せているのは、この流れです。
万葉集の左注に書かれた縁起
「由来」の意味での縁起は、辞典の用例では『万葉集』までさかのぼります。巻19の最後、大伴家持(おおとものやかもち)の歌に添えられた注です。
「うらうらに照れる春日に」の歌の注
その歌は「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」。天平勝宝5年(753年)2月25日の作と記されています。
歌の左側に添えた漢文の注、つまり左注には「徒録年月所処縁起者」という一節があります。この巻では作者名を書かず、年月・場所・縁起だけを記したものはすべて家持の作だ、という断り書きです。
歌が作られたいきさつを指す
ここでの縁起は、歌を詠んだ事情やきっかけのこと。春の日ののどかさと裏腹な物悲しさを、歌でなければ晴らせない、と家持は同じ注に書いています。
運の良し悪しとは無関係な、ごく事務的な使い方でした。
寺社縁起はどんな書物?

日本で「縁起」の意味をさらに動かしたのが、寺社縁起です。寺や神社がどのように始まり、どんな霊験があったかを記した文書や絵巻を指します。
最初は役所に出す財産目録の一部
現存する最古級の寺社縁起は、物語ではなく公文書でした。寺の成り立ちと財産を国へ報告するための書類です。
法隆寺や大安寺の伽藍縁起并流記資財帳
山川出版社『日本史小辞典』は、747年(天平19)成立の大安寺・法隆寺・元興寺の「伽藍縁起并流記資財帳(がらんえんぎならびにるきしざいちょう)」を現存最古の例に挙げます。
一方、同じ大安寺の資財帳を天平20年(748年)6月17日の日付で引くのが精選版日本国語大辞典。どちらの日付を採るかで1年ずれますが、いずれにしても奈良時代の中ごろの文書です。
書かれていたのは開創の由来と財産の一覧
ニッポニカはこの種の縁起を「歴史的縁起」と呼びます。開創の由来とその後の変遷に国へ出す財産目録がついたものにすぎない、という説明です。平凡社の事典も、律令国家が寺の管理を強めるにつれて作られた書類だと位置づけています。
霊験を語る物語の縁起へ
中世に入ると、縁起の中身は財産の報告から、神仏の不思議な力を語る物語へ移っていきます。ニッポニカによれば、中心はあくまで布教のための「物語的縁起」のほうでした。
12世紀末ごろから聖や絵解きの僧が全国へ
同じ解説によると、12世紀末前後から、念仏を広める聖(ひじり)や絵解きの僧が寺社の霊験を語り歩きました。庶民に教えを伝える唱導(しょうどう)の活動です。
内容は庶民向けに誇張された霊験の物語で、ニッポニカは「叙事伝説」と言い換えています。お寺の宣伝と人々の信仰が呼応した時代でした。
字の読めない人のために絵をつけた
文字が読めない人にも伝わるよう、絵を伴う縁起が多く作られ、絵を指しながら語る絵解きも盛んになりました。『北野天神縁起』『石山寺縁起』『粉河寺(こかわでら)縁起』などが代表作として挙げられます。
粉河寺の縁起は、寄付を集める勧進(かんじん)のために作られたことがうかがえる、とニッポニカは指摘しています。
信貴山縁起絵巻に描かれた空飛ぶ倉
寺社縁起の絵巻でとくに名高いのが、奈良県の朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)に伝わる国宝『信貴山(しぎさん)縁起絵巻』です。
命蓮の鉢が長者の米倉を運ぶ話
主人公は、10世紀初めごろ信貴山で修行した僧・命蓮(みょうれん)。第1巻では、命蓮が飛ばした鉄の鉢が山のふもとの長者の倉を持ち上げ、山の上まで運んでしまいます。
長者に頼まれて命蓮がふたたび法力を使うと、倉の中の米俵が列をなして空を飛び、長者の屋敷へ戻っていく。この巻が「飛倉の巻」とも呼ばれるのはそのためです。
全長35メートルの日本三大絵巻の一つ
文化庁の広報誌「ぶんかる」は、この絵巻を『源氏物語絵巻』『伴大納言絵詞』と並ぶ日本三大絵巻の一つとし、全3巻の全長を35メートルと紹介しています。制作は12世紀後半、平安時代の終わりごろです。
もっとも『百科事典マイペディア』は、この絵巻は寺の縁起というより説話としての面白さから作られたと思われる、と書いています。縁起という名の器に、娯楽の要素がたっぷり入っていたわけです。
由来の話がなぜ吉凶の意味に変わった?

寺社縁起が神仏のご利益を強調するようになったことが、吉凶の意味への下地になりました。この変化が近世以降の「吉凶の前兆」の意味につながった、というのが精選版日本国語大辞典の語誌の説明です。
ご利益を説く縁起が下地になった
仏教の隆盛とともに縁起ものは盛んに作られ、次第に神仏の霊験や利益を説くことに重点が置かれていきました。由来の話が、「この寺にお参りすると良いことがある」という話に近づいたのです。
兆しの起こる由来も縁起と呼ぶように
世界大百科事典の「縁起物」の項は、道筋をもう一段くわしく書いています。社寺の由来を縁起と呼ぶことから、兆しの起こる由来も縁起というようになった。そこに兆しへの俗信が加わり、縁起の良し悪しを言うようになった、という流れです。
良い縁起は開運で悪い縁起は不運
同じ項目によれば、良い縁起を得れば運が開け、悪い縁起に遭えば不運を招くと考えられました。すべては因縁で起こるという理屈が、「前ぶれで先が決まる」という信仰に置き換わったとも言えます。
江戸時代の用例に見る縁起の良し悪し
「吉凶の前兆」の意味の用例は、辞典では江戸時代の前半から現れます。
狂言や黄表紙に出てくる「ゑんぎ」
辞典が挙げるもっとも古い用例は、1660年刊の『狂言記』の「伯母が酒」に出てくる「ことしはゑんぎをかへて」という台詞です。1789年の黄表紙には、呉服屋が福の神の名を屋号に使うのは「ゑんぎがわるい」とする一節も引かれています。
「縁起が悪い」という組み合わせは、200年以上前の江戸の読み物にもう出てくるわけです。
縁起でもないと変化形のいんぎ
「縁起でもない」の用例は、式亭三馬の『浮世風呂』(1809〜13年)に「縁宜(エンギ)でもねへことを製(こせへ)るぜ」とあります。良い前兆でもない、から転じて不吉だという意味。
くだけた話し言葉では「いんぎ」とも言いました。幕末の滑稽本『七偏人(しちへんじん)』には「いんぎのわりい事を言やアがる」という台詞が残っています。
ここまでの意味の移り変わりを、辞典が挙げる最初の用例の年代とあわせて表にしました。どれも「その時代にはもうこの意味があった」という目安で、言葉が生まれた年ではありません。
| 意味 | 内容 | 辞典が挙げる用例 |
|---|---|---|
| 仏教の教え | 因縁によって物事が生じ起こること | 『正法眼蔵』(1231〜53年) |
| 物事の由来 | 起源・沿革・いきさつ | 『万葉集』巻19の左注(8世紀後半) |
| 寺社の縁起 | 寺社や仏像の由来・霊験を記した文書 | 大安寺の資財帳(748年) |
| 吉凶の前ぶれ | 物事が起こる前のきざし | 『狂言記』(1660年) |
| 縁起直し | 悪い縁起を祝い直すこと | 常磐津節の詞章(1857年) |
表の「仏教の教え」の用例は鎌倉時代の道元ですが、これは辞典が引いた日本の文献の一例。縁起の教えそのものは、奈良時代より前に経典とともに伝わっていました。
縁起を担ぐと験を担ぐは同じ意味?

「縁起を担ぐ」と「験(げん)を担ぐ」は、どちらも良い前兆か悪い前兆かを気にするという意味で、辞典では類語として並びます。ただ、担ぐ対象の出どころは少しずつ違うのです。
もとは御幣を担ぐだった
「縁起を担ぐ」は「御幣(ごへい)を担ぐ」からの類推か、と精選版日本国語大辞典は見ています。御幣は、神前に供える紙垂(しで)を串に挟んだ祭具です。
御幣で不吉なものを祓うところから
御幣を担ぐは、御幣で不吉なものを祓(はら)うことから、つまらない迷信を気にかける意味になりました。用例は1806年の滑稽本にある「おれは不断は御幣はかつがぬ」です。
縁起を担ぐの用例は大正時代
一方で「縁起を担ぐ」の用例は、ずっと新しい1914年。軍人作家・桜井忠温(さくらいただよし)の『雑嚢(ざつのう)』に「縁喜(エンギ)を担(カツ)ぐ、禁厭(まじなひ)をする」とあります。
もちろん辞典の用例は見つかった文献の年代で、それより前に口にされていた可能性は十分あります。
験はもとは修行で得た効き目
「験を担ぐ」の験は、もともと仏道修行の成果として現れるしるしのことです。修験道(しゅげんどう)の「験」と同じ字です。
修験者の加持祈祷の効き目
精選版日本国語大辞典は、験の語義として修行によって現れた不思議なしるしや、修験者の加持祈祷(かじきとう)の効き目を挙げています。平安時代の『宇津保物語』には、験のあらたかな所で阿闍梨(あじゃり)49人に祈らせる場面の用例も。
そこから一般の「効き目」になり、夏目漱石の『門』には「一向はかばかしい験もない」という使い方が見えます。
縁起を逆さに読んだ説もある
験が「吉凶のきざし」を指す用例は、1794年の歌舞伎の「げんがわるい」まで確認できます。『デジタル大辞泉』の見立ては、「験を担ぐ」は「縁起を担ぐ」から転じた語か、というものです。
縁起を逆さにした「ギエン」が縮まってゲンになった、という説を補注で紹介するのは精選版日本国語大辞典です。ただし一説としての扱いで、どちらが先かを決める材料は辞典にもありません。
三つの「担ぐ」を、担ぐものの出どころで並べると次のようになります。
| 言い方 | 担ぐものの出どころ | 辞典が挙げる用例 |
|---|---|---|
| 御幣を担ぐ | 不吉を祓う神前の祭具 | 滑稽本(1806年) |
| 縁起を担ぐ | 仏教語の縁起が転じた吉凶のきざし | 『雑嚢』(1914年) |
| 験を担ぐ | 修行で得たしるし・効き目 | 吉凶の意味の験は歌舞伎(1794年) |
縁起物や縁日の縁は同じ仏教の縁?

縁起物は、吉凶の意味になった縁起から生まれた品物です。縁日や因縁の「縁」も、同じ仏教の縁につながっています。
縁起物は良い兆しを招く品
縁起物は、精選版日本国語大辞典の定義では縁起を祝うための品物。正月のしめ飾りや門松、縁日で売るだるまや招き猫、酉の市の熊手などが例に並びます。
だるまや破魔矢に込めた願い
縁起物の多くは神社や寺院から授けられる、と世界大百科事典は書きます。正月の破魔矢は悪魔を払い幸運を射止めるもの、起き上がり小法師(おきあがりこぼし)やだるまは七転び八起きにちなんで出世を約束するもの、という説明です。
酉の市の熊手は農具から始まった説
11月の酉の日に開かれる酉の市では、熊手が名物。その始まりについて、平凡社の事典は次のような見立てを示しています。もとは東京・足立区花畑の鷲(おおとり)神社の祭りで農具を売ったところ、金銀をかき集めるに通じるとして熊手が人気になったのではないか。
ただし事典も「始まったか」と推量で書いており、確かな起源とまでは言えません。現在は浅草の鷲神社の酉の市がもっとも知られています。
縁日は神仏と縁を結ぶ日
縁日も、仏教の縁から来た言葉です。精選版日本国語大辞典は「有縁(うえん)の日」「結縁(けちえん)の日」の略としています。
観音は18日で地蔵は24日
縁日は、その日にお参りするとふだん以上のご利益があるとされる日です。『今昔物語集』に「今日は十八日、観音の御縁日也」とあり、平安時代にはすでにありました。
世界大百科事典は、阿弥陀が15日・地蔵が24日・不動が28日といった割り当てを挙げています。7月10日の観音の縁日は「四万六千日」と呼ばれ、一度の参詣が4万6000回分の功徳になると説かれたそうです。
会日がなまったという説も
ニッポニカは別の見方も紹介しています。縁日は、決まった日に催される法会の日「会日(えにち)」がなまったもの、という説です。
縁の字は後からあてたのか、最初から縁だったのか。ここも辞典どうしで説明が分かれるところです。
因縁はいんえんがいんねんになった語
縁起と同じ「因と縁」を指すのが因縁です。こちらも仏教語から、日常の言葉へ大きく意味を広げました。
連声で読みが変わった
因縁は、本来「いんえん」と読む語です。「ん」の直後の母音がナ行などの音に変わる連声(れんじょう)という現象で「いんねん」になりました。「観音」を「かんのん」と読むのと同じ仕組みです。
前世の定めから言いがかりまで
『デジタル大辞泉』は因縁の語義を、仏教の因と縁・前世からの宿命・以前からのゆかり・由来・言いがかりの順に並べています。「因縁をつける」は、この最後の意味です。
縁起が吉凶へ、因縁が言いがかりへ。同じ教えから出た二つの言葉は、それぞれ別の方向へ遠くまで旅をしたことになります。
「縁起がいい」という言い方は、ある日だれかが決めたものではありません。仏教の教えと経典の分類名があり、寺の由来書きがご利益を語り、人々が前ぶれを気にした。いくつもの因と縁が重なって、いまの意味が生じ起こっています。吉凶の言葉になった縁起は、その成り立ちだけを見れば、今も教えのとおりの縁起なのです。
参考
- コトバンク「縁起」(精選版 日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典ほか)
- コトバンク「験」(精選版 日本国語大辞典・デジタル大辞泉)
- コトバンク「縁起物」(改訂新版 世界大百科事典ほか)
- 文化庁広報誌 ぶんかる「国宝 信貴山縁起絵巻 -朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝-」
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