「二の舞」は、もともと雅楽の舞楽にある曲の名前です。「安摩(あま)」という舞が終わると、笑った老爺と腫れた顔の老婆の面をつけた二人が登場し、いま見たばかりの安摩をまねて舞います。ところが、どうにもうまくまねられません。
前の人をまねて、同じようにしくじる。この滑稽な舞の筋書きが、「前の人と同じ失敗をくり返す」という意味の出どころです。なお「二の舞を踏む」は誤用だとよく言われますが、辞書や新聞の扱いは今も割れています。
二の舞とはどんな舞?

二ノ舞は、唐楽(とうがく)に分類される二人舞です。単独で舞われることはなく、「安摩」とひと続きで上演されます。
安摩に続けて舞う「答えの舞」
舞楽では、左方の舞のあとに組み合わせて舞う右方の舞を答舞(とうぶ)と呼びます。陵王に対する納曽利(なそり)が代表例。小学館『デジタル大辞泉』は、二ノ舞を安摩の答舞だと説明しています。
もっとも平凡社『世界大百科事典』の書き方は少し慎重です。安摩と正式に組になる番舞(つがいまい)としては別の曲「蘇利古(そりこ)」を挙げ、二ノ舞については答舞の「型」をとる舞だとしています。
安摩だけで舞われることはほとんどない
同じ世界大百科事典で「安摩」の項を引くと、安摩が独立して舞われることはほとんどなく、二ノ舞と続けて舞われると書かれています。ブリタニカ国際大百科事典の記述でも、両者は常に対をなす舞です。
考えてみれば当然の話かもしれません。まねる相手が先に舞台にいなければ、まねること自体ができないからです。
伴奏は笛と打楽器だけの特殊な舞
安摩と二ノ舞は、横笛と打楽器だけで伴奏します。ブリタニカは、音楽・舞振り・装束・面のどれをとっても「舞楽のなかでも特殊な舞」だと評するほどです。
安摩の音楽には明確な旋律がない、と日本大百科全書(ニッポニカ)は書いています。「囀(さえずり)」と呼ばれる部分には伴奏がなく、一種のパントマイムのようになるといいます。
笑う老爺と腫れた顔の老婆
二ノ舞の二人がつけるのは、表情のまったく違う面。老爺の面を咲面(えみめん)、老婆の面を腫面(はれめん)と呼びます。
咲面は皺を重ねて笑う老爺の顔
東京国立博物館にある咲面について、文化庁の文化遺産オンラインは「皺を重ねて笑う老爺」の顔だと説明しています。目尻も口元もしわだらけの、大笑いの表情です。
世界大百科事典によれば、咲面をつけるのは二人のうち上位の舞人。帽子のような牟子(むし)に篠竹をはさんで舞います。
腫面は眉や頬が腫れあがった老婆の顔
腫面は、眉や頬を腫れあがらせた老婆の顔です。奈良国立博物館の腫面の解説は、大きく腫れて歪み、舌を出した面だと書いています。
こちらは下位の舞人がつけ、腰に下笹をはさみます。上品な宮廷の舞のなかに、わざわざ崩れた顔の二人組を出してくるわけです。
笏をねだって断られる筋書き
二ノ舞の筋書きは、舞台に上がる前から始まっています。世界大百科事典の説明をたどると、流れは次のとおりです。
二ノ舞の二人は舞台の下で安摩を見ている
安摩が舞っているあいだ、二ノ舞の二人は舞台の下に出て、その舞を見ています。観客にとっては、次に何かが起きそうだと分かる配置です。
すれ違いざまに安摩の笏をねだる
安摩の舞人が舞い終えて舞台を降りるとき、二ノ舞の二人とすれ違います。二人は安摩が手にしている笏(しゃく)を渡してほしいと頼みますが、断られてしまいます。
小道具ももらえないまま舞台に上がり、見よう見まねで安摩を舞う。ニッポニカはその動きを、安摩の舞を「調子はずれに模倣する」ものだと書いています。
手本の安摩とまねる二ノ舞の違い
同じ舞台に続けて出る二つの舞ですが、面も持ち物も役どころも対照的です。辞典の記述をもとに並べてみます。
| 項目 | 安摩 | 二ノ舞 |
|---|---|---|
| 舞人 | 二人(一人のときもある) | 老爺と老婆の二人 |
| 面 | 雑面(布や紙に顔を図案のように描く) | 咲面(笑う老爺)・腫面(腫れた老婆) |
| 持ち物 | 右手に笏 | 安摩に笏をねだって断られる |
| かぶり物など | 巻纓(けんえい)の冠 | 老爺は牟子に篠竹、老婆は腰に下笹 |
| 役どころ | 手本となる舞 | まねて、うまくいかない舞 |
抽象的な顔の安摩が去り、表情むき出しの二人が出てくる。この落差そのものが、見る側の笑いを誘う仕掛けになっていたのでしょう。
なぜ「前の人と同じ失敗」の意味になった?

二ノ舞の見どころが「まねたのにうまくいかない」ことにあったからです。前の舞人のあとに出て、同じことをしようとしてしくじる。その姿が、人の失敗をくり返す様子のたとえになりました。
まねてもうまく舞えないのが見どころ
ニッポニカは、二ノ舞を「雅楽には珍しく軽妙な性格」の舞と評しています。格式の高い宮廷の舞のなかに、わざと失敗を見せる曲が組み込まれていたのです。
文化遺産オンラインは「笑いをとる」と説明
咲面と腫面(東京国立博物館所蔵)の解説では、二ノ舞は安摩のしぐさをまねるものの、うまく舞えずに笑いをとる舞とされています。そのすぐ後ろに括弧書きで添えられているのが、これが「二の舞を演ずる」の語源だという一言です。
大言海は「真似得ザル状」と書いた
昭和の初めに刊行された国語辞典『大言海(だいげんかい)』(1932〜37年)も、案摩の項でこの舞に触れています。手振りも足振りも案摩をまねながら、まねきれない様子だという説明です。
同じ項には、この舞を俗に「笑あま」「泣あま」と呼ぶともあります。笑う老爺と、泣き顔にも見える老婆を、見物人がそう呼び分けていたと考えられます。
「二」は二度目でなく二番目の舞
「二の舞」の「二」は、失敗が二度目だという意味ではありません。安摩という一番目の舞に続く、二番目の舞を指しています。
辞書の第一の意味は「あとに出てまねる」
たとえとしての意味を、デジタル大辞泉はまず「人のあとに出てそのまねをすること」とし、そのうえで特に人の失敗をくり返すことだと続けます。精選版 日本国語大辞典も、人のまねをすることを先に置いて前の人の失敗を後に続ける、同じ二段構えです。
中心にあるのは「まねること」で、失敗はその代表的な場面。舞の筋書きと、言葉の意味の順番がきれいに重なっています。
「二の足」「二の句」と同じ「二」
「二の足」は二歩目、「二の句」は次に言う言葉のことです。どちらの「二」も二番目を指しています。「二の舞」も同じ並びに置くと、意味の出どころが見えやすくなります。
本家をまねてからかう「もどき」の芸
前の演者をまねて崩す芸は、二ノ舞だけのものではありません。日本の芸能では、こうした役や曲を「もどき」と呼んできました。
能の翁と三番叟も同じ関係
世界大百科事典(旧版)の「もどき」の項は、主役のまねをしたり、からかったりする道化の役をこう呼ぶと説明しています。例に挙がるのは、能の「翁」と「三番叟(さんばそう)」、御神楽の人長(にんじょう)と才男(さいのお)です。
同じ項は、二ノ舞を安摩に対する「もどき」だと位置づけています。二ノ舞は失敗の見本であると同時に、本家を映す鏡の役も担っていたわけです。
長野の雪祭りにも「もどき」が登場
民俗芸能にも例があります。長野県阿南町新野(にいの)の雪祭りでは、「さいほう」という神のあとに「もどき」という面の役が出て、その所作をおもしろおかしく演じてみせます。
手本の安摩はどこから伝わった?

安摩は、奈良時代に日本へ伝わったとされる外来の舞です。平安時代に日本の楽人が手を加えたとも伝えられています。
天平8年に伝わった林邑八楽のひとつ
ニッポニカの記述では、安摩は聖武天皇の時代の736年(天平8)に、林邑(りんゆう)の僧・仏哲(ぶってつ)が伝えたという林邑八楽の一つです。
林邑は今のベトナムにあたる地域
林邑は、世界大百科事典の注記では今のベトナムにあたります。奈良時代の宮廷に届いた楽舞は、中国や朝鮮半島からのものばかりではありませんでした。「林邑八楽」という呼び名が、その経路を物語っています。
もとはインドか中央アジアの曲とも
ニッポニカは、安摩をインドか中央アジアから伝わった曲と「思われる」と書いています。推定の段階の話で、起源が確かめられているわけではありません。
平安時代に大戸清上が作り直した
楽書には、仁明天皇の時代(833〜850年)に楽人の大戸清上(おおとのきよがみ)が勅命で改作したという記述がある、とニッポニカは紹介しています。世界大百科事典も、承和年間(834〜848年)に大戸清上が改作したと伝えています。
表記は安摩・案摩・阿真と揺れる
字の書き方は一定しません。世界大百科事典は「案摩」「阿真」とも書くとしており、東京国立博物館の紙の面の名前も「案摩」です。大言海の見出しも「案摩」でした。
別名は「陰陽地鎮曲」
安摩には「陰陽地鎮曲」という別名もあります。世界大百科事典も、陰陽地鎮の曲ともいわれると記しています。道化の二ノ舞を連れた舞に、土地を鎮めるような名前がついているのは少し意外です。
顔を図案のように描いた雑面
安摩の舞人がつける面は、木彫りの面ではありません。雑面(ぞうめん)と呼ばれる、布や紙に顔を描いた面です。
目や鼻は記号のように描かれる
雑面については、ニッポニカが長方形の白絹に耳・目・鼻・口を象徴的に描いた面と説明しています。ブリタニカのほうは和紙に抽象的な顔を描いた面と書いており、材質の記述が辞典で分かれます。文化遺産オンラインの解説は「布または紙製」としていて、どちらもあったと見るのが自然でしょう。
同じ解説によれば、人の顔とは見えないほど造作を図案化するのが雑面の特徴です。
紙や布の面は古いものが残りにくい
東京国立博物館にある案摩の面は、江戸時代(18〜19世紀)の紙製です。解説には、材質がもろいため古い遺品はないとあります。木彫りの咲面や腫面が鎌倉時代のものまで残っているのとは対照的です。
インドの女神ドゥルガー由来という説
この雑面がインドの女神ドゥルガーに由来するともいわれる、という話もニッポニカに載っています。こちらも確証のある話ではなく、伝承のひとつとして受け取っておくのがよさそうです。
二ノ舞の面はどこで見られる?

二ノ舞の面は、博物館や寺に文化財として伝わっています。国の重要文化財から県の指定文化財まで、指定の格もさまざまです。
東京国立博物館の咲面と腫面
咲面と腫面が1面ずつ、東京国立博物館に伝わっています。どちらも国の重要文化財です。
鎌倉時代の木彫りに彩色した面
文化遺産オンラインの登録では、制作は鎌倉時代の13〜14世紀。木造に彩色した面で、大きさは咲面が29.1×21.2、腫面が30.0×23.6と記されています。
老爺と老婆の面は一組
解説の言葉を借りれば、笑う老爺の咲面と、苦しみあえぐ老婆の腫面で「一組」。二面がそろって初めて、二ノ舞の二人になるわけです。
奈良国立博物館の腫面
奈良国立博物館にも、二ノ舞の腫面が1面あります。平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、12〜13世紀の作とされる面です。
キリの一材から彫り出した面
解説によると、この面はキリの一つの材から彫り出されています。表と裏に布を貼った下地の上へ彩色していますが、色の剥落(はくらく)が著しい状態です。
手向山八幡宮や法隆寺の面と作風が共通
表情はユーモラスななかにも穏やかさがうかがえる、と解説は評しています。12世紀後半から13世紀初めの作とみられる奈良・手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)や法隆寺の面と、作風の共通点が指摘されているのも興味深いところです。
秋田県能代市の龍泉寺に伝わる面
奈良や京都から遠く離れた秋田県にも、二ノ舞の面が残っています。能代市清助町の湯殿山龍泉寺(りゅうせんじ)が所有する面です。
徳治2年の腫面は2016年に県指定
龍泉寺の「二の舞腫面」は、徳治2年(1307年)の面とされています。2016年3月25日に秋田県の有形文化財に指定されました。面長は28.3cmです。
尉面は1972年に先に県指定
能代市の文化財一覧を見ると、同じ龍泉寺の「二の舞尉面(じょうめん)」が1972年6月10日に県の指定を受けています。尉は能などで老翁を表す言葉なので、老爺と老婆の面がそろって伝わっているとみられます。
「二の舞を踏む」は誤用なの?

「二の舞を踏む」を誤りと明記する辞書があるのは確かです。一方で「踏む」も昔から使われてきたことが分かっており、新聞社の用語集でも扱いが変わりました。迷ったときに無難なのは「二の舞を演じる」「二の舞になる」です。
誤りとする辞書と、その理由
毎日新聞の校閲記者・岩佐義樹さんのコラム(2024年4月)が、辞書や用語集の扱いをくわしく整理しています。以下の辞書の扱いは、そのコラムからの紹介です。
明鏡国語辞典は「誤り」と明記
明鏡国語辞典の第3版(2021年)は、「二の舞を踏む」を誤りとしています。研究社の日本語口語表現辞典(2020年)も、はっきり「誤りである」との立場です。
「二の足を踏む」と混ざったという説
誤りとされる理由は、ためらう意味の「二の足を踏む」と混ざってできた言い方ではないか、という見方です。現代国語例解辞典の第5版(2016年)も、そう注記しています。
詩人の大岡信は『日本語相談』(1992年)で、「舞」に「踏む」はなじまないと断じました。大辞林は初版で「二の舞を踏む」を用例に載せ、約1年後の刷で「演ずる」に改めたそうです。
「踏む」も昔から使われていた
ところが用例をさかのぼると、「踏む」は珍しい言い方ではありません。むしろ古い辞書には「踏む」しか載っていない例もあります。
大言海が載せたのは「二舞を踏む」だけ
先に触れた大言海は、前の人のしたことをむやみにまねるのを、世に「二舞を踏む」というと書いています。「演じる」には触れていません。辞書編集者の神永暁さんは、大槻文彦が「踏む」のほうを一般的と考えていた節もあると推測しています。
『二十四の瞳』にも「ふむ」が3回
壺井栄の『二十四の瞳』(1952年)には、「二の舞いふみたくない」など「ふむ」の形が3回続けて出てきます。ことわざ研究家の時田昌瑞さんによれば、織田作之助は「踏む」を4回使い、「演じる」も使っていました。
精選版 日本国語大辞典の見出しも「二舞を踏む[演じる]」と両方を並べています。挙がる用例は、1911年の『真田幸村』の「演ずる」と、1943年の正岡容(まさおかいるる)『寄席風俗』の「踏む」です。
舞は「踏む」ものでもあった
文化庁の『言葉に関する問答集』(1988年2刷)の本文の見立ては、混ざり合いによる誤用だろうというもの。ところが付記では、「太平楽をふむ」「拍子をふむ」という古い用法を考えればあながち誤用とは言えない、と見方を和らげています。
読売新聞の用字用語の手引(第7版・2024年)も、「踏む」には「舞う」の意味もあると認めています。そのうえで、一般的には「演じる」「になる」を使うという立場です。
新聞や辞書の扱いは今も割れている
毎日新聞の用語集は、1996年から「二の舞いを踏む」を誤りやすい慣用語句として挙げていました。2019年の改訂でこの項目は削除されています。必ずしも誤りと言えないという意見が出たためだと、コラムは記しています。
ここまでの資料の立場を、年代順に並べると次のとおりです。
| 資料 | 年 | 「二の舞を踏む」の扱い |
|---|---|---|
| 大言海 | 1932〜37年 | 「二舞を踏む」だけを載せる |
| 文化庁『言葉に関する問答集』 | 1988年(2刷) | 混ざり合いの誤用としつつ、付記で「あながち誤用とは言えない」 |
| 日本語誤用・慣用小辞典 | 1991年 | 「演ずる」「踏む」を同列の決まった言い方とする |
| 毎日新聞用語集 | 1996年→2019年 | 誤りやすい語として掲載、2019年に削除 |
| 明鏡国語辞典 第3版 | 2021年 | 誤りと明記 |
| 読売新聞用字用語の手引 第7版 | 2024年 | 「踏む」に舞う意味もあるとしつつ、一般には「演じる」 |
書き言葉では「演じる」「になる」が無難
「踏む」を誤りと決めつける根拠は、思われているほど固くありません。ただ、誤りだと受け取る読み手がいるのも事実です。試験や仕事の文書なら「二の舞を演じる」「二の舞になる」を選んでおけば、余計な引っかかりを生みません。
「二の足を踏む」「前車の轍を踏む」とどう違う?

形の似た言葉や、意味の近い言葉と並べると違いがはっきりします。混ざりやすいのは「二の足を踏む」、意味がいちばん近いのは「前車の轍(てつ)を踏む」です。
二の足を踏むは「ためらう」こと
デジタル大辞泉によると、一歩目は進んだのに、二歩目をためらって足踏みすることです。そこから、思い切れずに迷う、しりごみするという意味になりました。
二の足を踏む人はまだ失敗していない
「値札を見て二の足を踏む」のように、行動する手前で止まる言葉です。二の舞が「やってしまった後」を言うのとは、時間の向きが逆になります。
明治の小説『其面影』にも用例
ことわざを知る辞典は、二葉亭四迷の『其面影(そのおもかげ)』(1906年)にある「二の足を踏む父や兄」を用例に挙げています。
前車の轍を踏むは意味がいちばん近い
前を行った車のわだちを、あとの車がそのまま踏んでいく。そこから、前の人と同じ失敗をくり返す意味になった言葉です。
転んだ車のわだちをたどるたとえ
ことわざを知る辞典は、「転倒した前の車」のわだちのあとをたどることだと説明しています。倒れた車と同じ道を行けば、同じように倒れるという理屈です。
「前者の轍」と書くのは誤り
デジタル大辞泉は補説で、「前者の轍を踏む」と書くのは誤りとしています。前の人の話だからと「前者」にしたくなりますが、もとは「車」の話です。
二番煎じと二の句が継げないの「二」
「二」がつく言葉はほかにもあります。まねの意味をもつもの、もたないもの、両方があります。
二番煎じは新味のない模倣
二番煎じは、一度煎じたお茶や薬をもう一度煎じること。そこから、前にあったものをまねた新味のないものを指すようになりました。まねではありますが、失敗の意味までは含みません。
二の句が継げないは言葉を失うこと
あきれたり驚いたりして、次に言う言葉が出てこない状態を言います。ここでの「二の句」は次に言う言葉で、まねとも失敗とも関係がありません。
失敗の意味を含むかどうかで仕分けると、二の舞の仲間は意外に少ないことが分かります。
| 言葉 | 意味 | 「二」や「前」が指すもの | 失敗の意味 |
|---|---|---|---|
| 二の舞を演じる | 前の人のまねをして同じ失敗をする | 安摩に続く二番目の舞 | あり |
| 前車の轍を踏む | 前の人と同じ失敗をくり返す | 前を行った車のわだち | あり |
| 二番煎じ | 前のものをまねた新味のないもの | 二度目に煎じたもの | なし |
| 二の足を踏む | ためらう・しりごみする | 二歩目 | なし |
| 二の句が継げない | あきれて次の言葉が出ない | 次に言う言葉 | なし |
では、前の人と同じ失敗をしないためには何が要るのでしょう。二ノ舞の二人は、舞台に上がる前に安摩の笏を借りようとして断られていました。道具だけ借りてもうまくはいかないことを、あの舞は筋書きの最初から見せていたのかもしれません。
参考
- コトバンク「安摩」(改訂新版 世界大百科事典・日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典ほか)
- コトバンク「二舞を踏む」(精選版 日本国語大辞典)
- 文化遺産オンライン「舞楽面 二ノ舞(咲面)」
- 毎日ことばplus「「二の舞いを踏む」は誤用? 「演じる」に直す?」(2024年)
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