雑学・教養

社会と仕組みの話

和牛と国産牛は何が違うのか——品種で決まる名前と、育った場所で決まる名前

「和牛」と「国産牛」は、精肉コーナーで値段の違うもの同士として並んでいます。ところがこの二つは、比べ方そのものが噛み合っていません。和牛は牛の品種を指す言葉で、国産牛は牛が育った場所を指す言葉だからです。理屈のうえでは「和牛も国産牛の一種」...
言葉と論理の話

「蛙」はなぜ虫偏なのか——「虫」はもともとヘビの形だった

「蛙」「蛇」「虹」。どれも虫偏の漢字ですが、カエルは両生類でヘビは爬虫類、虹にいたっては生き物ですらありません。それでも虫偏が付いているのは、この「虫」がもともと昆虫を意味する字ではなかったからです。字が最初に描いていたのはマムシ。そこから...
言葉と論理の話

森と林は何が違うのか——「盛り上がったもの」と「人が生やしたもの」

「森」と「林」を分ける決まりは、日本の法律のどこにもありません。森林法にあるのは「森林」というひとつの言葉だけで、どこからが森でどこまでが林か、という線は引かれていないのです。それでも私たちは、ほとんど迷わず使い分けています。神社の裏手は森...
モノと道具の話

ガラスは「固体」か「液体」か——古い窓の下が厚いのは流れたからではない

ガラスは固体です。「じつは液体で、何百年もかけてゆっくり流れ落ちている」という話を聞いたことがあるかもしれませんが、常温のガラスは流れません。古い教会の窓が下のほうで厚くなっているのも、垂れた結果ではありませんでした。とはいえ、この俗説がこ...
言葉と論理の話

「親の七光り」の「七」は七つではない——光の正体と言葉の由来

「親の七光り」の七つの光を並べた一覧は、どの辞書にも載っていません。七つの何かが実在しないからです。この言葉の「七」は、数えるための七ではありません。では何を指しているのか。もとの形をたどっていくと、光の持ち主が親とは限らなかったことまで見...
言葉と論理の話

「あいうえお」の並びはどうやって決まったのか——お経を正しく読むために作られた表

「あいうえお、かきくけこ」という並びは、日本語の都合で決まったものではありません。もとをたどれば、インドの文字を並べた表の順番です。表を作ったのも、子どもに文字を教えたい人ではありませんでした。お経を正しく読みたい平安時代の僧侶たちです。私...
からだの話

ほくろはなぜできるのか——シミとの違いは「色」か「細胞」か

ほくろは、日焼けの跡がそのまま濃く残ったシミの一種ではありません。色素をつくる細胞そのものが、皮膚の一か所に集まってできた小さなできものです。シミが「色がついた状態」だとすれば、ほくろは「細胞のかたまり」。この違いが、盛り上がるほくろや、毛...
言葉と論理の話

「猫舌」の由来——猫は本当に熱いものが苦手なのか

「猫舌」の「猫」は、たとえではありません。猫は本当に熱いものを口にできない動物です。自然界には、捕まえた獲物の体温より熱い食べ物が存在しないからだとされています。ところが人間のほうの猫舌は、事情がすこし違うようです。舌そのものの性能差ではな...
生きものの話

「ファーストペンギン」の由来——最初に飛び込む一羽は、本当に勇敢なのか

「ファーストペンギン」は、天敵が潜んでいるかもしれない海へ、群れの中で最初に飛び込む一羽のことです。そこから転じて、危険を引き受けて誰よりも先に動く人や企業を指す言葉として使われています。ただ、南極の氷の縁で実際に起きていることを追うと、絵...