タツノオトシゴは、メスが作った卵をオスが腹の育児嚢(いくじのう)で受け取り、数週間かけて育ててから稚魚を産み出します。卵はメスの産卵管で直接手渡され、受精もオスの袋の中です。オスが産む役を担うのは、抱えている間にメスが次の卵を準備でき、オスにとっては自分の子だと確実になるから。袋の中では哺乳類の妊娠とよく似た遺伝子が働いていることも分かってきました。
卵はどうやってオスに渡る?

メスは産卵管で袋の入り口へ卵を送り込む
多くの魚は、水中に卵と精子をばらまいて産卵を終えます。タツノオトシゴはそうではありません。メスは産卵管という細い管を伸ばし、オスの育児嚢の入り口に差し込んで卵を流し込みます。管の先と入り口の位置がうまく合わず、何度もやり直すことも珍しくないそうです。
位置さえ合ってしまえば、受け渡しそのものはごく短い時間で終わります。何日もかけて卵を移すような大仕事ではなく、ほんの一瞬の共同作業です。
袋の入り口は肛門のうしろの小さな孔
育児嚢は、腹の左右から伸びた皮膚が体の真ん中で合わさってできた袋です。入り口は肛門のうしろにある小さな孔ひとつだけ。ふだんは閉じていて、外の海水とはほとんど行き来がありません。卵が入るときも稚魚が出るときも、通り道はこの一つの孔に限られます。
受精はオスの袋の中で起きる
卵が袋に収まると、オスの精子がそこへ届いて受精が成立します。体外受精とも体内受精とも言い切りにくい、境目のような方式といえるでしょう。精子がどの経路で卵までたどり着くのかは長く分かっておらず、繁殖のしくみを探る研究テーマとして今も論文が出ています。
妊娠期間は10日から6週間ほど

長さは種と水温で決まる
保護団体 Project Seahorse によると、オスの妊娠期間は種と水温によって約10日から6週間まで幅があります。一般に水温が高いほど短く、低いほど長くなる傾向です。人間の10か月と比べればあっという間でも、魚の卵としては異例に手厚い保護でした。
生まれてくるのは、おたまじゃくしのような幼生ではありません。親をそのまま数ミリに縮めた姿の稚魚が、尾まで整った状態で出てきます。袋の中で卵黄を使い切り、泳ぎ出す準備まで済ませてから外へ出るしくみです。
出産は数時間がかりの「陣痛」
出産は一瞬では終わりません。オスは体を何度も反らせ、腹の収縮に合わせて稚魚を少しずつ噴き出すように放っていきます。全部を出し切るまでに数時間かかることもあり、その様子は「陣痛」にたとえられるほど。数は種と体格しだいで、ほんの数匹のこともあれば数千匹に達することもあります。
オス1匹から1572匹という記録
海洋生物学者のアマンダ・ビンセント氏は、カリブ海のタツノオトシゴのオス1匹から出てきた稚魚を1572匹まで数えました。ナショナルジオグラフィックの取材に対し、その袋の容積は大さじ半分ほどしかなかったと語っています。内側がひだ状になっているため、表面積は見かけよりずっと広いのです。
オスの腹の袋は、どこまで「子宮」なのか

袋の遺伝子を妊娠の段階ごとに読んだ研究
「袋に入れて持ち歩いているだけではないか」という見方は、袋の中を調べた研究によって否定されています。オーストラリアの研究チームは2015年、ポットベリーシーホース(Hippocampus abdominalis)の育児嚢を妊娠前・初期・中期・後期・出産後の5つの時点で採取しました。
そこで働いている遺伝子を読み取ると、時期によって働き方が変わるものが3158個見つかります。いちばん大きく入れ替わったのは出産の前後でした。
栄養・ガス・塩分を受け持つ袋
見つかった遺伝子の顔ぶれは、袋がこなしている仕事を映していました。
- 袋の組織そのものを作り替え、血管を保つ
- 脂質などの栄養を運び、アンモニアなどの老廃物を処理する
- 酸素と二酸化炭素をやりとりする(炭酸脱水酵素など)
- 袋の中の浸透圧を調節する(水の通り道になるアクアポリンなど)
- 胚を細菌から守る
浸透圧の調節には、もう一つ意味があると考えられています。妊娠の初めは袋の中の液を胚に優しい濃さに保ち、出産が近づくにつれて外の海水の塩分へ近づけていく。生まれた瞬間に稚魚が塩分の差で弱らないための、慣らし部屋のような働きです。
哺乳類の妊娠と同じ系統の遺伝子が働く
この研究で注目されたのは、見つかった遺伝子の多くが、妊娠中の哺乳類・爬虫類・胎生の魚で働く遺伝子と同じ系統だった点です。魚のオスの腹の袋と、人間の子宮。系統としてはるかに離れた場所で、同じ道具箱から似た道具が取り出されていたことになります。もちろん違いもあるので、並べてみましょう。
| 観点 | タツノオトシゴのオス | 哺乳類のメス |
|---|---|---|
| 卵を作る | 作らない(メスが作る) | 作る |
| 受精の場所 | オスの育児嚢の中 | 母体の卵管 |
| 胚への酸素・栄養 | 袋の壁の血管を介して渡す | 胎盤を介して渡す |
| 中の液 | 海水の塩分へ近づけていく | 羊水の組成を保つ |
| 器官のできかた | 生まれたあとに作られる | 生まれつき備わる |
育児嚢は生後半年かけてできあがる

左右の突起が腹の真ん中で合わさって袋になる
上智大学の川口眞理氏らは、ポットベリーシーホースを育てながら腹を薄く切って観察しました。袋ができ始めるのは生後1〜3か月、体長4.5〜7.0センチのころ。腹の左右に線状の突起が現れ、それが腹の中心線へ向かって伸びて合わさり、袋の形と入り口の孔ができます。
この段階の袋の壁は、まだ真皮が1層あるだけでした。出産で袋を縮める筋肉も、胚を受け止める組織もありません。
生後半年ごろに筋肉・血管・ひだがそろう
生後3〜7か月(体長6.7〜9.8センチ)になると真皮が2層に分かれ、その間に平滑筋ができ始めます。同じころ、胚を受け止める偽胎盤が袋の内側へ広がっていきました。生後6か月以降、体長9.3センチを超える時期には多数の血管と、卵を抱えるひだが備わって袋が完成します。
※ 偽胎盤(ぎたいばん)とは、哺乳類の胎盤そのものではないものの、胚に酸素や栄養を渡す働きをする組織のことです。育児嚢の内側を覆うように発達します。
袋の表面にはタツノオトシゴだけの細胞がある
同じグループは2023年、育児嚢の外側の表面やとげのまわりに、炎のような形をした細胞を見つけて「フレームコーン細胞」と名づけました。近縁のヨウジウオ2種には見当たらない細胞です。そこで働く遺伝子は他の生き物に似たものが無い「孤児遺伝子」で、別の遺伝子から新しく生まれた可能性があると考えられています。
「献身的な父親」という見方は、どこまで本当か

育児は袋から出した瞬間に終わる
オスが産むという事実は、しばしば愛情や自己犠牲の物語として語られます。ただ、これだけ手をかけておきながら、袋から出したあとの親は稚魚を一切世話しません。子はその瞬間から独り立ちし、多くはプランクトンとして漂いながら暮らします。
生まれる数が多いのは、そこから先で大半が食べられてしまうからです。稚魚は胃を持たないため、体を保つには一日じゅう小さなプランクトンを吸い込み続けなければなりません。
餌が足りないと父親は胚を吸収する
2024年、研究チームがラインドシーホース(Hippocampus erectus)で、父親像にひびを入れる実験を発表しました。目印になる窒素の同位体を含む餌をメスに与え、その卵を受け取ったオス32匹を、餌を十分に与える群と半分以下に絞る群に分けたのです。
絞られたオスは体に目印の窒素を多く取り込み、生まれた稚魚は平均177匹と、十分な群の277匹より明らかに少なくなりました。袋の中の生きた胚を、父親が栄養として吸収したと考えられる結果です。
一夫一妻の種でも起きる
この種は相手を替えずにペアを保つことで知られています。相手が一人だから献身的、という直感は当てになりません。飢えた親が自分を保つほうへ資源を戻すのは、次の繁殖まで生き延びるという意味では理にかなった選択でもあります。論文自体も、父親は環境に応じて胚からの栄養の取り込みを調整できると結論づけていました。
なぜオスが産むようになった?

抱えている間にメスは次の卵を作れる
卵を作るには時間と栄養がかかります。もしメスが卵を作り、そのうえ抱えて守るとなれば、次の卵に取りかかれるのは子が離れたあと。育てる役目をオスへ渡してしまえば、メスはオスの妊娠期間をまるごと次の準備に使えます。オスが産んだその日にはメスの次の卵ができていて、すぐに受け渡しが始まることもあるほどです。
毎朝のあいさつで準備をそろえる
ペアを作る種では、メスが毎朝オスのもとを訪れ、尾を絡めたり色を変えたりする短いダンスを踊ります。平均6分ほどで、オスの妊娠中も毎日続くそうです。この習慣には、関係を保つだけでなく、メスの卵が熟す時期とオスの袋が受け入れ態勢に入る時期をそろえる役目もあると考えられています。
父親であることが確実になる
水中に卵と精子をばらまく魚では、自分が守っている卵が本当に自分の子とはかぎりません。袋の中で受精させるやり方なら、他のオスの精子が混じる余地はほぼ消えます。手間をかけた見返りが確実に自分の遺伝子へ返る。この確かさが、オスの深い関わりを支えていると考えられます。
ヨウジウオ科に残る「袋の途中の段階」

卵を腹に貼りつけるだけの仲間
完全に閉じた育児嚢は、いきなり生まれたわけではありません。タツノオトシゴが属するヨウジウオ科には、オスの引き受け方が違う仲間が並んで生きています。もっとも単純なのはヨウジウオ亜科(Nerophinae)で、メスから受け取った卵をオスの腹の表面にくっつけて運ぶだけ。卵はむき出しのままでも、水中に放りっぱなしにするよりは生き残りやすくなります。
水族館でおなじみのリーフィーシードラゴンも同じ科の仲間で、オスは尾の裏側に卵をずらりと並べて運びます。袋は持っていません。
皮のひだで卵を守る仲間
次の段階として、卵の列の両脇から皮膚のひだが伸びて、外から守りを足す形があります。Doryrhamphus 属などがこの型です。袋としては閉じていないので、中の環境を親が細かく整えることはできません。それでも物理的な守りは一段厚くなります。
閉じた袋を持つのは二つの属
外と遮断された袋で胚を育てるところまで行き着いたのは、ヨウジウオ属(Syngnathus)とタツノオトシゴ属(Hippocampus)です。ヨウジウオ属の袋は腹側の皮が内側へ折り込まれた形で、入り口の小さな孔だけを残して閉じきった袋はタツノオトシゴ属の特徴でした。ここまで来て初めて、ガス交換や浸透圧の調節といった「中の環境を作る」仕事が成り立ちます。
| オスの引き受け方 | 当てはまる仲間 | 中の環境を親が整えられるか |
|---|---|---|
| 腹に卵を貼りつけるだけ | ヨウジウオ亜科(Nerophinae) | できない |
| 皮のひだで守る | Doryrhamphus 属など | ほとんどできない |
| 折り込まれた袋で包む | ヨウジウオ属 | できる |
| 閉じた袋で包む | タツノオトシゴ属 | できる |
妊娠と引き換えに、免疫を作り替えた

オスの妊娠には、哺乳類の妊娠と同じ難題がついて回ります。胚は半分が相手の遺伝子でできた「自分でないもの」。免疫は本来それを見分けて排除する仕組みなので、何週間も体の内側に抱え続けるには折り合いが要ります。
ヨウジウオ属は経路ごと失っている
2020年に『米国科学アカデミー紀要(PNAS)』へ出た研究は、ヨウジウオ科14種のゲノムを並べ、免疫の遺伝子がどう変わったかを調べました。ヨウジウオ属では、MHCクラスIIのα鎖とβ鎖をつくる遺伝子がそろって失われています。それを支える CD4・CIITA・AICDA も見当たらず、免疫細胞へ「これが侵入者だ」と示す仕組みがまるごと外れた状態でした。
※ MHCクラスIIとは、体の中に入ってきた異物のかけらを免疫細胞へ見せて、攻撃するかどうかを判断させる仕組みのことです。脊椎動物に広く共通して備わっています。
タツノオトシゴ属は鍵の部品を変えている
タツノオトシゴ属のほうは、MHCクラスIIの遺伝子そのものを残していました。ただしCD74という補助役の遺伝子が大きく変わっていて、残ったMHCクラスIIも異物のかけらを抱える部分の形が崩れているそうです。経路はあっても、ふつうには働きにくいと見られています。捨てるか、鈍らせるか。同じ科の中で二通りの答えが出ていました。
失われた経路はHIVが狙う経路と重なる
研究者が注目したのは、ヨウジウオ属が失った遺伝子の顔ぶれでした。CD4・MHCクラスII・AICDA・CIITA は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が攻撃する経路と重なります。生まれつきその経路を持たない脊椎動物が海にいるわけで、論文は免疫不全を研究するモデルになりうると書いています。オスの妊娠を手に入れる代わりに、脊椎動物の標準装備を手放したわけです。
「竜の落とし子」という名前はどこから来た?

和名は「竜が落とした子」
漢字で書けば竜の落とし子。あの姿が竜を思わせるところから、竜が海に落としていった子という見立てで名づけられたとされます。地方名には竜の駒や海馬などがあり、「竜」と「馬」の二通りの見立てで呼ばれてきました。日本の沿岸にも、タツノオトシゴのほかハナタツやイバラタツ、オオウミウマなど複数の種がすんでいます。
中国語は海馬、学名はヒッポカンプス
中国語では海馬(ハイマー)。英語のシーホースも同じ発想で、頭の形を馬に見立てています。属名 Hippocampus はギリシャ語の hippos(馬)に由来し、上半身が馬で下半身が魚というギリシャ神話の海獣の名でもありました。竜に見立てたのは、日本ならではの感覚といえそうです。
1000分の1秒で獲物を吸い込む
魚らしく見えないのは姿勢と体のつくりのせいです。体を立てて泳ぎ、尾は海藻やサンゴに巻きつけて体を固定する。体表は鱗ではなく、皮膚に包まれた骨の板で覆われています。泳ぎは胸びれと背びれを細かく動かすだけなので、魚としては非常に遅いほうです。
そのかわり、狩りは驚くほど素早い。米テキサス大学の研究では、ドワーフシーホースが首をばねのように使って頭を振り上げ、1000分の1秒以内にカイアシ類という小さな甲殻類を吸い込むことが確かめられました。
干物になり、網にかかり、条約で守られる

漢方の「海馬」として乾かされてきた
中国では古くから、乾かしたタツノオトシゴが「海馬」と呼ばれ、漢方の材料として珍重されてきました。今も取引は続き、Project Seahorse によると世界で約30種、毎年数千万匹が約80か国のあいだを動いています。そのおよそ95%は干物で、観賞用の生きた個体はごく一部です。
2004年、ワシントン条約で輸出に許可が必要に
取引の規模と数の減少を受け、タツノオトシゴ属の全種がワシントン条約(CITES)の附属書IIに載り、2004年5月から輸出に許可が要るようになりました。海水魚が商業取引の規制対象になった、ごく初期の例です。掲載を後押ししたのが、カナダのブリティッシュコロンビア大学を拠点とする Project Seahorse。先ほどの1572匹を数えたビンセント氏が創設者の一人です。
網にかかる数は年に数千万匹
獲られる数の大半は、この魚を狙ったものではありません。底引き網など、獲物を選ばない漁にまぎれて混獲されます。Project Seahorse の2017年の推計では、調べた21か国だけで年に約3700万匹。その後の見直しでは、同じ21か国で年7600万匹という数字に改められました。ペアを作り、狭い範囲にとどまり、泳いで逃げられない。藻場やサンゴ礁が消えれば行き場もなくなります。オスの袋が千匹を送り出しても、追いつかない引き算がここにあるのです。
オスが産むという一行だけを取り出すと、珍獣の奇習のように聞こえるかもしれません。袋の中を開けてみると、そこにあったのは哺乳類の妊娠と同じ道具箱であり、それを使うために免疫の一部を手放すという取り引きでした。竜の落とし子という名前は姿かたちから付いたものです。けれど中身を知ったあとでは、竜が落としていったのは子ではなく、子を育てる役目のほうだったように思えてきます。
参考
- Whittington C. M. ほか「Seahorse Brood Pouch Transcriptome Reveals Common Genes Associated with Vertebrate Pregnancy」Molecular Biology and Evolution(2015)
- Kawaguchi M. ほか「Morphology of brood pouch formation in the pot-bellied seahorse Hippocampus abdominalis」Zoological Letters(2017)
- Roth O. ほか「Evolution of male pregnancy associated with remodeling of canonical vertebrate immunity in seahorses and pipefishes」PNAS(2020)
- Lin T. ほか「Brooding fathers actively consume viable embryos to take up nutrients in a monogamous syngnathid fish」Frontiers in Marine Science(2024)
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