紅茶と緑茶とウーロン茶は同じ葉なのか、発酵と呼ぶのに菌は使っていない

茶の葉のイラストと「お茶の葉 緑も紅も同じ葉?」の文字 身近な食文化
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コンビニの棚に並ぶ緑茶・紅茶・ウーロン茶のペットボトルは、たどればどれも同じチャノキという木の葉です。色と香りを分けているのは品種ではなく、摘んだ葉の中で起きる酸化をどこで止めるかという一点。すぐ熱を通せば緑茶、途中で止めればウーロン茶、最後まで進めれば紅茶になります。お茶の世界ではこの酸化を「発酵」と呼びますが、菌は使っていません。

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3つのお茶は同じ木の葉から作られる

茶畑で茶摘みをする女性のイラスト

チャノキという一種類の植物

観光庁の多言語解説文は、緑茶・ウーロン茶・紅茶について「いずれも常緑のツバキ科に属する同じチャノキ」から作られると説明しています。学名はカメリア・シネンシス(Camellia sinensis)。庭に植えるツバキやサザンカの親戚で、秋には白い小さな花を咲かせます。緑茶用の木と紅茶用の木が別の植物として存在するわけではありません。スーパーの棚では別々の売り場に並んでいても、植物としてはひとつの種です。

中国種とアッサム種という2つの変種

同じ種の中には、大きく分けて2つの系統があります。中国南部を中心に育つ葉の小さな中国種と、インド北東部のアッサム地方で見つかった葉の大きなアッサム種です。アッサム種の葉は中国種のおよそ2倍の大きさになり、暑い土地でよく育ちます。寒さに強い中国種は日本の茶畑の主役で、煎茶の多くはこちらから作られます。インドやスリランカの紅茶には、アッサム種やその血を引く木が多く使われてきました。

品種は向き不向き、決め手は製法

品種の違いは「向いている」という程度の話です。農研機構が育てた「べにふうき」は紅茶・半発酵茶用の品種として作られましたが、緑茶にも加工されています。この品種に多いメチル化カテキンという成分を生かしたいときは、あえて緑茶か、ごく軽く発酵させたお茶にする必要があるそうです。同じ畑の同じ葉が、工場での扱い次第で紅茶にも緑茶にもなる。この一例だけでも、お茶の種類を決めているのが葉そのものより作り方だとわかるでしょう。

お茶の色を分けるのは何?

皿にのった切ったリンゴのイラスト

摘んだ葉の中で酸化が始まる

茶葉の中には、酸化酵素という物質がもともと含まれています。摘んだ葉を放っておいたり揉んで傷つけたりすると、この酵素が渋みのもとであるカテキンに働きかけ、酸化が進み始めます。加熱しないかぎり、葉の中の変化は止まりません。埼玉県のお茶の解説は、この酵素の扱いでお茶を3つに分けています。働きを止めるのが不発酵茶(緑茶)、ある程度働かせるのが半発酵茶(ウーロン茶)、最大限に働かせるのが発酵茶(紅茶)です。

カテキンが赤い色素に変わる

酸化が進むと、カテキンどうしが結びついて別の物質に生まれ変わります。代表がテアフラビンとテアルビジン。テアフラビンは赤みがかった橙色、テアルビジンはより濃い赤褐色の色素で、紅茶の水色(すいしょく)の赤さはおもにこの2つが作っています。緑茶が黄緑色なのは、カテキンが酸化されずにほぼそのまま残っているからです。同じカテキンが、残るか色素に変わるか。お茶の色の違いは、ほとんどこの分かれ道で説明がつくのです。

リンゴの切り口が茶色くなるのと同じ種類の変化

身近な例でいえば、切ったリンゴが茶色くなる現象がこれによく似た変化です。青森県のりんご研究所の解説によれば、あの変色はリンゴのポリフェノールが酸化されることで起こり、「褐変(かっぺん)」と呼ばれます。リンゴでは嫌われる変色を、紅茶づくりでは時間をかけて狙って起こしているわけです。お茶の職人にとって、葉が赤茶色に変わっていく様子は失敗ではなく仕上がりの目安になります。

緑茶はなぜ緑のまま残るのか

湯のみに入った緑茶と土瓶のイラスト

摘んだらすぐ熱で酵素を止める

緑茶づくりの最初の仕事は、摘みたての葉に熱を通すことです。酵素は熱に弱いので、加熱すれば働きが止まり、カテキンも葉の緑色もそのまま残ります。中国語由来の言葉で、この工程を殺青(さっせい)と呼びます。熱を通したあとは揉みと乾燥をくり返し、葉の水分を元のおよそ5%まで減らすのが次の段階。ここまで乾かせば、もう酸化はほとんど進みません。

日本は蒸し、中国は釜で炒る

熱の通し方には2つの流儀があります。日本の煎茶や玉露は蒸気で蒸す「むし製」。中国の緑茶の多くは鉄の釜で炒る「かまいり製」で、日本でも佐賀県の嬉野(うれしの)などに残る製法です。観光庁の解説では、嬉野の釜炒り茶は300℃ほどの釜で葉を炒る製法で、軽く香ばしい風味になるとされています。蒸した緑茶の青々とした香りとは、同じ不発酵茶でもかなり違う印象です。

玉露も抹茶も同じ不発酵茶の仲間

高級な玉露は、摘む前の少なくとも2週間ほど茶畑に覆いをかけて日光をさえぎって育てます。抹茶の原料になる碾茶(てんちゃ)も同じように覆いをして育て、蒸したあと揉まずに乾かしたものです。育て方や仕上げは違っても、どれも最初に熱で酸化を止めている点は共通しています。日本茶のほとんどがこの「止める側」のお茶だといえます。

紅茶は酸化を最後まで進めたお茶

ティーカップに入った紅茶のイラスト

しおれさせてから揉みほぐす

紅茶は、緑茶とは逆に摘んだ葉をすぐには加熱しません。まず広げて置き、水分を飛ばしてしおれさせます。萎凋(いちょう)と呼ばれる工程で、しんなりした葉は揉んでも崩れにくくなります。次に葉を揉んで組織をつぶし、酵素とカテキンをしっかり出会わせるのです。緑の葉はそこから少しずつ赤銅色に変わり、紅茶らしい香りも立ってきます。

熱風で水分3%まで乾かして完成

十分に色づいたら、熱風を当てて一気に乾かす段階です。観光庁の解説によると、仕上げの段階では葉に残る水分が約3%になるまで乾燥させます。緑茶の5%よりさらに乾いた状態です。紅茶でも最後には熱を使います。ただしそれは酸化を「止める」ためではなく、進みきった状態で「固定する」ための熱です。同じ加熱でも、緑茶とは工程の中での役目がまるで違うのです。

ウーロン茶はどこで酸化を止める?

ペットボトル入りの烏龍茶のイラスト

日光に1時間ほどさらしてしおれさせる

ウーロン茶づくりの出発点は、葉を日光に1時間ほどさらすこと。新鮮な葉はしおれて縁から赤褐色に変わり始め、強い香りを放つようになります。ここまでは紅茶に近い流れです。違うのはここから先です。紅茶ならこのまま酸化を進めますが、ウーロン茶は色が変わりきる前に次の工程へ移ります。緑茶と紅茶の中間にあたるお茶といわれるのは、この「途中まで」の作り方のためです。

途中で高い熱をかけて酸化を止める

香りがほどよく立ったところで、高い熱と圧力をかけて酸化を止めます。そのあと湿らせた布で包んで10〜20分ほど柔らかくし、形を整えて乾かせば完成です。止める時点はお茶ごとに違い、軽く止めた緑茶寄りのものから、紅茶に近い深いものまで幅があります。半発酵茶とひとまとめに呼ばれていても、水色が淡い金色のものから濃い褐色のものまであるのはこのためです。

中国茶では「青茶」に分類される

中国ではお茶を色の名前で6つに分ける「六大茶類」という分け方があり、ウーロン茶はその中で青茶(せいちゃ)と呼ばれます。並べると、酸化や発酵の進み具合で色の名前が付いていることがわかります。

分類発酵の進み具合日本での呼び方・代表例
緑茶不発酵不発酵茶(煎茶・玉露など)
白茶弱発酵日本ではなじみが薄い
黄茶弱後発酵日本ではなじみが薄い
青茶半発酵半発酵茶(ウーロン茶)
紅茶発酵発酵茶(紅茶)
黒茶後発酵(微生物)後発酵茶(プーアル茶など)

日本の「不発酵・半発酵・発酵」の3分類は、この6つのうち主な3つを取り出した形です。ちなみに中国語で「紅(赤)」のお茶と呼ばれる紅茶は、英語ではブラックティー(black tea)。水色を見るか乾いた葉を見るかで、同じお茶が赤にも黒にもなります。

「発酵」と呼ぶのに菌は使っていない

桶の中で発酵が進む様子のイラスト

お茶の発酵は葉自身の酵素による酸化

味噌や納豆の発酵は、麹菌や納豆菌といった微生物の働きです。一方で紅茶やウーロン茶の「発酵」には、菌は登場しません。働いているのは葉にもともと含まれる酸化酵素で、起きているのは酸化という化学変化です。観光庁の解説も「酸化(一般には『発酵』)」と書き分けています。正確には酸化と呼ぶべき工程に、習慣として発酵の名前が残っている。紛らわしい呼び名ですが、お茶の世界ではこれが通り名です。

本当に菌で発酵させる「後発酵茶」もある

表の最後にある黒茶は、加熱で酵素を止めたあとに微生物の力で発酵させるお茶で、後発酵茶と呼ばれます。中国雲南省のプーアル茶がよく知られていますが、日本にも作り手がいるのです。農林水産省の紹介によると、高知県大豊町(おおとよちょう)の碁石茶(ごいしちゃ)は蒸した葉を土間で1週間ほど寝かせてカビを付けます。さらに桶に詰めて重石をのせ、2週間ほど漬け込むのが次の段階です。この2段階の発酵で乳酸菌が増え、甘酸っぱい風味が生まれるそうです。

碁石茶という名前は干す姿から

漬け込んだ葉は四角く切り分けて天日で干します。黒い小さな茶葉の塊がずらりと並ぶ様子が碁石を思わせることから、碁石茶の名が付いたと伝えられています。かつて土佐では塩と交換する貴重な特産品でした。愛媛県の石鎚黒茶(いしづちくろちゃ)、徳島県の阿波晩茶(あわばんちゃ)とあわせ、四国には菌で発酵させるお茶が今も残っています。

日本でも明治から紅茶が作られてきた

日本から各地へ品物を輸出するコンテナ船のイラスト

外貨を稼ぐために紅茶へ目を付けた

明治の初めごろ、茶は生糸と並ぶ日本の輸出の柱でした。明治政府は世界で需要の大きい紅茶に注目し、静岡の丸子(まりこ)で茶園を開いていた元幕臣の多田元吉(ただもときち)らを中国とインドへ送り出します。静岡市立図書館の資料によると、多田は明治8年から10年にかけて紅茶づくりの技術を学び、国内に持ち帰って広めました。のちに「日本の紅茶の父」と呼ばれる人物です。

丸子に植えられたアッサムの木

多田がインドから持ち帰ったアッサム種の木は丸子に植えられ、この地は日本の紅茶発祥の地とされています。中国種ばかりだった日本の茶畑に、紅茶向きの大きな葉の系統が加わった瞬間でした。その後、国産紅茶の生産は昭和の初めごろに最も盛んになります。ただ、インドやスリランカの大規模な産地との価格競争は厳しいものでした。

昭和46年の輸入自由化で一度は姿を消した

決定打になったのは昭和46年(1971年)の紅茶の輸入自由化です。安い輸入品が自由に入るようになり、国産紅茶はほとんど作られなくなりました。丸子のアッサムの原木も、平成元年には山の開発で切られかけたといいます。その原木を守ろうと動いたのが、多田の墓のそばで育った地元の茶農家でした。試行錯誤のすえに紅茶向きの品種べにふうきを民間で初めて育て、丸子での紅茶づくりがよみがえっています。

ウーロン茶が日本の日常になったのはいつ?

缶飲料が並ぶ自動販売機のイラスト

1979年に中国からの輸入契約

ウーロン茶が日本の家庭に広がったのは、意外に新しい話です。伊藤園は1979年、中国土産畜産進出口総公司とウーロン茶の輸入代理店契約を結び、茶葉の販売を始めました。このとき伊藤園が手にしたのは、福建省産ウーロン茶の日本での独占販売権でした。同社の紹介では、ウーロン茶は中国でも生産量の多くない貴重なお茶とされています。

1981年に缶入りウーロン茶が全国へ

翌1980年、伊藤園はウーロン茶の飲料化に成功してテスト販売を始め、1981年3月に「缶入りウーロン茶」を全国発売しました。同社はこれを世界の無糖茶飲料のルーツと位置づけています。その4年後の1985年には「缶入り煎茶」も発売され、これがのちの「お〜いお茶」につながっていきました。不発酵茶の缶より先に、半発酵茶の缶が棚に並んでいたことになります。

同じ枝から摘んだ葉でも、すぐ熱を当てれば緑茶になります。しばらく待てばウーロン茶、すっかり赤くなるまで待てば紅茶です。湯のみやカップに注いだ一杯の色は、その葉がどれだけ待ってもらえたかを映した時計の針のようなもの。緑の一杯は急がれた葉で、赤い一杯は待たされた葉なのです。

参考

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