つけ麺の起源と歴史——1961年のまかない食が生んだ「分ける」という発想

身近な食文化
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つけ麺が生まれたのは1961年(昭和36年)のことです。東京・東池袋の「大勝軒(たいしょうけん)」で、店主の山岸一雄がまかない食として作った「特製もりそば」が原型です。当初は客に出す料理ではありませんでしたが、食べた客が「自分も食べたい」と求めたことでメニュー化されました。

ラーメンがスープに麺を入れるのに対し、つけ麺は麺とスープを別々に出し、麺をスープに浸しながら食べます。この「分ける」という発想の転換が、まったく新しい麺の食べ方を生み出しました。

つけ麺の歴史——年表

誕生から現代のブームまで、つけ麺の主な転換点をまとめました。

時期できごと
1961年(昭和36年)東池袋「大勝軒」の山岸一雄が「特製もりそば」を考案。つけ麺の元祖とされる
1970〜80年代大勝軒の常連・弟子が各地で独立し、「もりそば」スタイルが少しずつ広まる
1990年代「つけ麺」という呼び名が定着し始める。東京を中心にラーメン店がつけ麺をメニューに追加
2000年代前半濃厚な魚介豚骨スープのつけ麺が登場。「六厘舎」など行列のできる人気店が誕生
2006年頃「つけ麺ブーム」が全国メディアで取り上げられ、専門店が急増
2010年代以降ラーメン店の定番メニューとして完全に定着。冷凍・カップ麺など即席製品も増加

誕生から約60年で、まかない食がラーメンと並ぶ麺文化の柱になっています。

1961年——大勝軒での誕生

山岸一雄と「特製もりそば」

つけ麺の生みの親とされるのは、山岸一雄(やまぎしかずお)です。1954年に東京・中野の「大勝軒」で修業した山岸は、1961年に東池袋に自らの「大勝軒」を開店しました。

つけ麺誕生のきっかけはまかない食でした。残った麺を冷まし、スープに浸して食べていたところ、この食べ方を見た客が「自分も食べたい」と申し出たと言われています。最初はメニューにありませんでしたが、要望に応えてメニュー化し、「特製もりそば」として提供を始めました。

ラーメンとの違い——麺とスープを分ける発想

大勝軒のつけ麺には、ラーメンとは異なるいくつかの工夫があります。まず、麺は茹でた後に水で締めて冷やすこと。これにより麺のコシが増し、スープに浸しても伸びにくくなります。次に、スープはラーメン用より濃厚に仕上げる必要があります。麺を浸すたびにスープが麺の水分で薄まるため、最初から濃い目に作る設計です。

山岸はこのスープに甘みと酸味を加えました。醤油ベースにみりんや酢を加えた独特のたれで、後に「甘酸っぱいつけ汁」として大勝軒の代名詞になります。この味を求めて多くの客が訪れ、山岸の弟子たちが各地で独立する際にもこの系譜が引き継がれていきました。

つけ麺の全国普及——2000年代のブーム

「つけ麺」という名称の定着

山岸の「大勝軒」では「特製もりそば」と呼んでいましたが、他の店では「つけ麺」「もりそば」「つけそば」など呼び方が統一されていませんでした。1990年代になると「つけ麺」という呼び名が次第に定着し、ラーメン専門誌やグルメ情報誌での特集が増えていきます。

この時期の普及には、ラーメン評論家の活動も一役買っています。雑誌やテレビでの紹介を通じて「つけ麺」という言葉が広まり、東京のラーメン激戦区でつけ麺を出す店が増えていきました。

濃厚魚介豚骨の登場

つけ麺ブームを加速させたのは、濃厚な魚介豚骨スープです。豚骨で出した白濁スープに、鰹節・昆布・煮干しなどの魚介系出汁を合わせた「W(ダブル)スープ」は、濃度が高くどろりとした食感が特徴です。

この濃厚スープはもともとラーメン向けに開発されましたが、つけ麺のたれに応用されるとより際立った存在感を発揮しました。麺を少量のスープに浸して食べるため、濃厚さが前面に出るつけ麺との相性がラーメン以上に良かったのです。

行列店文化とブームの波

2000年代に東京・五反田の「六厘舎(ろくりんしゃ)」が登場し、開店前から長い行列ができる現象が起きました。六厘舎の濃厚魚介豚骨つけ麺は当時の最先端を行くものとして話題を呼び、全国のラーメン好きが訪れました。

この頃から「つけ麺専門店」が急増し、2006〜2008年頃には「つけ麺ブーム」として全国メディアで報じられるようになります。東京オリンピック誘致活動の時期に日本のラーメン文化が注目されたことも、専門店の増加を後押ししました。

豆知識——つけ麺の「もり」は蕎麦文化からきている

「もりそば」との関係

大勝軒が「特製もりそば」と名付けた背景には、蕎麦文化との関係があります。「もりそば」は冷たい蕎麦をざるや器に盛り、つゆに浸して食べる料理で、江戸時代から続く食べ方です。山岸が「麺をスープに浸す」スタイルを考えた際、この蕎麦の「もりそば」を意識していたとされています。

そのため初期のつけ麺は「中華麺版のもりそば」という位置づけでした。現在でも蕎麦屋で「もりそば」と「つけそば」が共存しているように、つけ麺は蕎麦の食べ方からヒントを得た料理といえます。

麺の量が多い理由

つけ麺はラーメンより麺の量が多い傾向があります。理由のひとつは、スープを全部飲まないぶん麺を増やしても腹持ちを確保しやすいこと。もうひとつは、麺を冷やして引き締めるため茹でた状態でも伸びにくく、量が多くても食べやすいという特性です。

大勝軒の山岸自身も「腹いっぱい食べてほしい」という思いから、麺の量を多めに設定したと語っています。この「多め」の文化はつけ麺全体に広まり、多くの店で「麺の量は同一料金で大盛りまで選べる」というスタイルが定番になりました。

まかない食から生まれた一杯が、60年かけてラーメンと並ぶ麺文化の定番になる——つけ麺の歴史は、料理が育つ時間の面白さを教えてくれます。山岸一雄が2015年に逝去した後も、大勝軒の味と「麺とスープを分ける」発想は、多くの店に受け継がれています。