もつ鍋の起源と歴史——戦後の博多で生まれた「捨てる部位」の料理

身近な食文化
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もつ鍋は、牛や豚の内臓(もつ)を醤油または味噌ベースのスープで煮る鍋料理です。現在は福岡県の郷土料理として広く知られていますが、その発祥は戦後まもない時期の博多にさかのぼります。食肉用に処理した後に「捨てられていた内臓」を活用した料理が起源とされており、安価な食材を旨みに変える庶民の知恵から生まれました。

もつ鍋の歴史——年表

博多の屋台から全国区の鍋料理へ、もつ鍋の変遷をまとめています。

時期できごと
戦後(1940年代後半)食料不足の時代に、博多の在日韓国・朝鮮人コミュニティで内臓を煮た料理が食べられ始めたとされる。発祥の詳細は諸説あり
1950〜60年代博多の屋台や大衆食堂でもつ鍋が定番化。安価な内臓料理として庶民に広まる
1980年代博多のもつ鍋専門店が増加。スープや具材が洗練され、現在のスタイルに近づく
1992〜93年頃東京・首都圏でもつ鍋ブームが到来。雑誌やテレビで取り上げられ、全国区の料理に
1990年代後半〜現在ブーム沈静後も定着。「博多もつ鍋」として専門チェーンが全国展開。醤油・味噌・塩など多様なスープが登場

戦後の食料難から生まれた料理が、半世紀を経て全国区のブランド料理になりました。

発祥——戦後の博多と「捨てられていた部位」の活用

博多で生まれた背景

もつ鍋の発祥については複数の説があり、確定的な記録は残っていません。最も広く知られているのは「戦後まもない博多で、在日韓国・朝鮮人の方々が内臓肉を煮て食べたことが起源」という説です。当時の食料難の時代に、食肉として流通しない内臓を醤油やニンニクで煮込んで食べたのが始まりとされています。

内臓(もつ・ホルモン)は食肉として流通しない安価な食材で、当時は捨てられることも多かったのです。それを旨みのある料理に変えたのが、博多の屋台や庶民の食堂でした。醤油ベースのスープとキャベツ・ニラというシンプルな組み合わせが基本になったのもこの頃とされています。

昭和後期〜バブル期の全国普及

1980年代に入ると、博多ではもつ鍋専門店が増え始め、スープや具材が洗練されていきました。「醤油ベースのスープにキャベツ・ニラ・豆腐を合わせ、仕上げにちゃんぽん麺を入れる」という現在の博多もつ鍋のスタイルはこの時期に確立したとされています。

全国的なブームが到来したのは1992〜93年頃です。東京のもつ鍋専門店が次々と行列を作り、テレビや雑誌が「博多もつ鍋」を特集したことで全国に広まりました。一時のブームとして終わらず、その後も「博多の郷土料理」として定着し、現在に至ります。

もつ鍋の特徴——スープと具材の組み合わせ

博多もつ鍋の基本的なスタイルは、以下のような構成です。

要素内容
主素材牛の小腸(マルチョウ)が主流。大腸(シマチョウ)なども使う
スープ醤油ベースが最もポピュラー。味噌・塩・水炊き風など店によって異なる
定番の野菜キャベツ・ニラ(大量に使うのが特徴)・豆腐・ごぼう
薬味・仕上げ鷹の爪・にんにく・ごま。〆はちゃんぽん麺またはご飯(雑炊)

博多もつ鍋の特徴のひとつは、ニラの量が多いことです。ニラはもつの臭みを消す働きがあり、豊富に入れることでスープに甘みと香りが加わります。

豆知識——「もつ」と「ホルモン」の違い

同じ部位を指す、異なる2つの言葉

「もつ」と「ホルモン」は、どちらも家畜の内臓を指す言葉ですが、使われ方や語源が異なります。「もつ」は「臓物(ぞうもつ)」の略で、牛・豚・鶏などの内臓全般を指す日本語です。一方「ホルモン」は、大阪方言で「捨てるもの」を意味する「放るもん(ほうるもん)」が語源という説と、ドイツ語の「Hormon(ホルモン)」が語源という2つの説があります。

関西ではホルモン焼きという呼び方が一般的で、関東・九州ではもつ焼き・もつ鍋という呼び方が多い傾向があります。同じ食材でも、地域によって呼び名が変わるのが面白いところです。

戦後の食料難に「捨てるもの」から始まった料理が、今では福岡を代表するブランド鍋になりました。内臓の濃厚な旨みとニラの甘みが溶け合ったスープを一度飲むと、なぜこれほど広まったかがよくわかります。