焼肉は日本で最もポピュラーな外食ジャンルのひとつですが、その起源をたどると朝鮮半島の食文化と深く結びついています。戦後の在日朝鮮人・韓国人コミュニティが日本に持ち込んだ料理が、独自の進化を遂げて「日本の焼肉」になるまでの歴史を辿ります。
焼肉の歴史——年表
焼肉が日本でどのように広まり、独自の食文化として根付いたかを整理しました。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 朝鮮時代以前 | 朝鮮半島に「プルコギ」「カルビ」など肉を焼いて食べる文化が存在。宮廷料理にも肉料理が登場 |
| 1945年以降(戦後) | 在日朝鮮人・韓国人が大阪・東京などの都市部で焼肉店を開業。内臓肉(ホルモン)を中心とした安価な料理として広まる |
| 1950〜60年代 | 「ホルモン焼き」「朝鮮料理」として浸透。日本人客も訪れるようになる |
| 1970年代 | 「焼肉」という名称が定着。タレの種類が多様化し、ロース・カルビなど部位の名称も普及 |
| 1980〜90年代 | 全国チェーン展開が進み、ファミリー層にも普及。無煙ロースターの普及で店内環境が改善 |
| 現代 | 高級焼肉・食べ放題・一人焼肉など多様な業態が共存。日本独自のスタイルとして国際的にも注目される |
戦後の食料難のなかで安価な内臓肉を活用した料理が、今や高級外食の代表格にもなっています。
発祥——朝鮮半島の食文化と戦後日本
ホルモン焼きから始まった日本の焼肉
日本における焼肉の直接のルーツは、戦後の在日コリアン(在日朝鮮人・韓国人)の食文化にあります。戦後の食糧不足の時代、牛の内臓(腸・心臓・胃など)は屠畜場で廃棄される部位でした。これを安く仕入れて焼いて食べる「ホルモン焼き」が、在日コリアンが多く暮らす大阪の鶴橋や東京の上野などで広まりました。「ホルモン」という言葉は「放る(ほうる)もの」つまり「捨てるもの」から来たという説が広く知られています。
「焼肉」という言葉の成立
当初は「朝鮮料理」や「ホルモン焼き」と呼ばれていた料理が、「焼肉」という言葉でひとくくりにされるようになったのは1970年代頃とされています。同時期に上カルビ・ロースなど赤身肉の部位も提供されるようになり、より幅広い客層を取り込みました。タレも各店が独自に開発し、現在の日本の焼肉スタイル(甘辛のタレ・ごま油の塩ダレなど)が形成されていきました。
日本の焼肉と韓国の焼肉の違い
日本の焼肉と韓国の焼肉は、同じ料理のように見えて異なる点が複数あります。
| 項目 | 日本の焼肉 | 韓国の焼肉 |
|---|---|---|
| 焼き方 | 客が自分でテーブルの網で焼く | 店員が焼いてくれる店も多い |
| タレ | 甘辛の焼肉タレ・塩ダレが主流 | サムジャン(みそ系)・エゴマ油もよく使われる |
| 付け合わせ | キムチ・ナムル・スープ | サンチュ・エゴマの葉で肉を包む文化が中心 |
| 部位の呼び方 | カルビ・ロース・ハラミ(日本独自の用語も多い) | テジカルビ(豚カルビ)・サムギョプサルなど豚肉も多い |
日本の焼肉は韓国料理を起点にしながら、独自の文化として発展してきました。

豆知識——焼肉にまつわる話
「ハラミ」は日本独自の呼び方
焼肉メニューの「ハラミ」は横隔膜の筋肉部位ですが、この呼び方は日本独自のものです。韓国語では「アンチャンサル(안창살)」と呼ばれ、日本の焼肉店が「腹身(はらみ)」という言葉から独自に命名したとされています。「サガリ」(横隔膜の別の部位)も同様に日本の焼肉業界で定着した名称です。日本の焼肉は部位の名称の面でも、独自の発展を遂げてきました。
「一人焼肉」文化の広がり
焼肉はかつて「大勢で囲む料理」というイメージが強く、一人で焼肉店に入ることへのハードルが高い時代が続きました。2010年代以降、カウンター席に小型ロースターを設置した「一人焼肉専門店」が登場し、状況が変わったのです。一人でも気軽に焼肉を楽しむ文化が定着し、現在はチェーン展開まで広がっています。「大勢の宴会料理」から「個人の外食」へと焼肉の使い方が多様化してきたのです。
内臓の活用から始まった日本の焼肉は、タレの多様化・部位の細分化・業態の革新を経て、今や一つの「日本料理」として海外からも注目されています。朝鮮半島の食文化が日本で独自の進化を遂げた例として、焼肉は食文化の越境と変容をよく表しています。


