かゆみは、痛みの弱いものではありません。皮膚から脳までかゆみ専用の道があり、痛みとは別の神経を通って伝わってきます。
そして掻いたときのあの快感も、気のせいではありません。かゆいところを掻いている人の脳を調べると、報酬系と呼ばれる部位が強く反応していました。やっかいなのは、同じ脳が「もっとかゆくなる」ほうの信号も送り返してくることです。
かゆみが生まれて、掻いて、また戻るまで

かゆみと一口に言っても、始まる場所も効く薬も同じではありません。虫刺されのかゆみと乾燥肌のかゆみでは、体の中で起きていることがかなり違います。まずは全体を四つの段階に分けておきましょう。
| 段階 | 体で起きていること | 感じ方の例 |
|---|---|---|
| ① 生まれる | 皮膚でヒスタミンなどのかゆみ物質が出る。あるいは神経そのものが刺激される | 蚊に刺された跡、乾いた肌 |
| ② 伝わる | 細い神経(C線維)が脊髄へ運び、脊髄で別の神経に受け渡されて脳へ届く | 刺された少しあとにかゆくなる |
| ③ 掻く | 痛みや冷たさの刺激が脊髄でかゆみを抑え、脳の報酬系が働く | 掻くとすっとして気持ちいい |
| ④ 戻る | 脳から下りてくる信号と、壊れた皮膚のバリアがかゆみを強める | 掻くほどかゆい |
①と②が「なぜかゆいのか」、③と④が「なぜ掻くと気持ちよく、しかも損なのか」にあたります。順に見ていきます。
かゆみは「弱い痛み」ではない

かゆみと痛みは、長いあいだ地続きの感覚だと考えられていました。同じ神経が強く刺激されれば痛み、弱ければかゆみになる、という見方です。いまはその説は主流ではありません。
1660年の定義が、いまも使われている
「掻きたくさせる感覚」という言い切り
かゆみの古典的な定義は、1660年にドイツの医師ザムエル・ハーフェンレファーが記した「掻きたいという欲求を起こさせる不快な感覚」とされています。三百年以上前の一文が、いまも論文の冒頭で引かれます。
おもしろいのは、この定義が感覚そのものではなく、感覚が引き起こす行動で線を引いていること。痛みや熱さでは、こういう定義のしかたはあまりされません。
痛みとは、体の反応が真逆
痛いとき、人は手を引っ込めます。かゆいとき、人はそこへ手を伸ばす。逃げる反射と、近づく反射。同じ皮膚の不快な感覚なのに、引き出される動きが正反対です。
順天堂大学の環境医学研究所は、かゆみと掻く行動の関係を「吐き気と吐くこと」の関係になぞらえて説明しています。不快さそのものが目的ではなく、異物を取り除く行動を起こさせるための仕組み、という見方です。
「弱い痛み」説が退いた理由
モルヒネのふるまいが説明できない
痛みを強力に抑えるモルヒネなどのオピオイドは、種類によってはかゆみを引き起こすことが知られています。μ(ミュー)オピオイド系はかゆみを誘発する側、κ(カッパ)オピオイド系は抑える側とされ、体の中で綱引きをしていると考えられています。
もしかゆみが痛みの弱い版にすぎないなら、痛み止めを打ってかゆくなるのは筋が通りません。この食い違いも、両者を別系統とみる根拠のひとつになりました。
2007年に見つかった、かゆみ専用の受け渡し
決定打になったのが、脊髄でのバトンリレーの発見でした。2007年、ガストリン放出ペプチド(GRP)とその受容体GRPRが、脊髄でかゆみの情報だけを選んで伝えていることが示されます。のちに、その手前でNppbという別の物質が働くことも報告されました。
マウスでこの受け渡しを担う神経を失わせると、かゆみへの反応だけが消えて、痛みへの反応は残ったと報告されています。強い・弱いの違いではなく、そもそも別の線が引かれていたわけです。
運んでいるのは、細くて遅い神経
C線維という細い線
かゆみを主に運ぶのはC線維です。細くて、信号の伝わる速さが遅い神経。蚊に刺された瞬間より少し遅れてかゆみが立ち上がってくるのも、この遅さと無関係ではありません。
※ C線維とは、皮膚などの感覚を脳へ運ぶ神経のうち、いちばん細い部類のものです。まわりを覆う鞘(さや)がなく、信号の伝わる速度が遅いという性質があります。
神経の先端は、表皮と真皮の境目あたり
健康な皮膚では、かゆみを感じ取る神経の終わりは表皮と真皮の境目の近くまでしか来ていません。表面のいちばん外側には届かず、そのぶん少々のことではかゆくならないようになっています。
この「どこまで来ているか」が、あとで出てくる乾燥肌のかゆみを分ける鍵になります。
蚊のかゆみは、毒ではなく自分の反応

蚊は毒を注いでいるわけではありません。血を吸うときに、固まらせないための唾液を皮膚へ送り込みます。あのかゆみは、その唾液の成分に対して自分の体が起こしたアレルギー反応です。
唾液に対する二段構えの反応
すぐ出る反応 ― ヒスタミンの仕業
唾液の成分に反応する抗体(IgE)が皮膚のマスト細胞にセットされていると、刺された直後にヒスタミンが放出されます。赤い膨らみとかゆみが十五分ほどで立ち上がり、多くは数時間で引いていきます。
※ マスト細胞(肥満細胞)とは、皮膚や粘膜にいる免疫の細胞で、ヒスタミンなどをためこんでいます。太っているかどうかとは関係がなく、顆粒を抱えてふくらんで見える姿からこの名がつきました。
遅れて出る反応 ― 一日か二日たってから
もう一つが、刺された一日から二日後に出てくる反応です。主役はヒスタミンではなく、遅れて集まってくる免疫の細胞だとされています。赤みや腫れが強く出て、水ぶくれになることもあるようです。長引けば一週間以上。
| 反応の型 | 出るまで | 続く長さ | 主役 |
|---|---|---|---|
| すぐ出る型 | 刺されて十五分以内 | 数時間ほど | マスト細胞とヒスタミン |
| 遅れて出る型 | 一日〜二日後 | 数日〜一週間以上 | 集まってくる免疫細胞 |
薬の使い分けもここで分かれます。すぐ出る型には抗ヒスタミンの塗り薬、腫れが強く長引く型には炎症を抑える塗り薬、というのが一般的な考え方とされています。
刺され慣れで、出方そのものが変わる
最初は、そもそも反応しない
生まれて初めて刺されたときは、唾液の成分がまだ「異物」として覚えられておらず、反応が出ません。刺される回数を重ねるうちに体が覚え、まず遅れて出る型が現れ、やがてすぐ出る型も加わるとされています。
赤ちゃんが蚊に刺されて翌日に大きく腫れ、大人は刺された直後だけかゆい。同じ蚊に刺されても親子で見え方が違うのは、この段階の差だと説明されます。ただし例外も多く、きれいに順番どおりとは限りません。
年齢が上がると、薄れていくこともある
刺され続けた結果として反応が弱まり、年配になるとほとんどかゆくならない人もいます。「昔ほど蚊に悩まされなくなった」という実感には、こうした背景があるのかもしれません。
逆に、大人になってから腫れが極端に強くなる場合もあります。発熱をともなうほどの腫れが続くときは、自己判断せず皮膚科で診てもらうのが安全です。
乾燥するとかゆいのは、神経が伸びてくるから

冬になると、虫にも刺されていないのに背中やすねがかゆくなる。あれは「乾いた感じがするから気になる」という話ではなく、皮膚の中で神経の配置そのものが変わっています。
バリアが弱ると、C線維が上へ伸びる
セラミドが減って、守りがゆるむ
皮膚のいちばん外側の角層(かくそう)では、角質細胞のすきまをセラミドという脂質が埋めています。これが水分を守るバリアの正体です。加齢や乾燥でセラミドが減れば、守りはゆるむ一方です。
すると、さきほど「表皮と真皮の境目まで」と書いたC線維が上へ伸びてきます。角層のすぐ下、体の表面近くまで達すると報告されています。センサーが前線まで出てきた状態です。
「伸びろ」と「伸びるな」の綱引き
この伸び具合は、二つの信号のバランスで決まると考えられています。神経に「伸びろ」と伝えるNGFと、「伸びるな」と押し返すセマフォリン3Aです。健康な表皮の細胞は後者を作り、神経が上がってきすぎないよう抑えています。
アトピー性皮膚炎の皮膚では、表皮内の神経が増えていることが報告されています。あわせてNGFは増え、セマフォリン3Aのほうは減っていました。順天堂大学のかゆみ研究センターは、このセマフォリン3Aが作られる仕組みの解明を進めてきました。
だから、服がこすれるだけでかゆい
かゆみの入り口が下がる
神経が表面近くに来ていれば、本来なら何でもない刺激でも届いてしまいます。セーターの毛羽、下着のゴム、汗。乾燥肌の人が「何もしていないのにかゆい」と言うとき、実際には小さな刺激をずっと受け続けています。
だから保湿は、かゆみが出てからより前のほうが効きます。乾いたと感じる前から塗っておくことで、そもそも神経を伸ばさせないという考え方です。
温まるとかゆく、冷やすと引く
湯船と布団の中でかゆみが強くなるのは、多くの人が経験するところ。冷えた体が急に温まったときなど、温度が大きく動くタイミングで広い範囲がかゆくなることがあります。
逆に冷やすと引くのは、冷たさを感じる受容体TRPM8が関わっているとみられています。この受容体はおよそ23〜26度以下の冷たさやメントールで働くとされ、ハッカ系のスースーする成分がかゆみをまぎらわせるのも同じ道すじでしょう。
ヒスタミンだけが犯人ではない
抗ヒスタミン薬が効かないかゆみ
かゆみを起こす物質はヒスタミンのほかにもあります。セロトニンやたんぱく質を分解する酵素、脂質、免疫細胞が出すサイトカイン。これらが引き起こしたかゆみには、抗ヒスタミン薬が効きません。
長いあいだアトピー性皮膚炎のかゆみを薬で止めにくかったのは、主役がヒスタミン以外だったからだと考えられています。
IL-31を狙い撃つ薬が出た
その非ヒスタミン側の代表格が、IL-31というサイトカインです。これを受け取る側をふさぐ抗体医薬ネモリズマブが、2022年3月に国内で承認され、同年8月に発売されました。アトピー性皮膚炎のかゆみに対するIL-31標的の抗体医薬としては世界初とされています。
※ サイトカインとは、細胞どうしが情報をやりとりするために出すたんぱく質のことです。免疫の働きを強めたり弱めたりする司令のような役割を持ちます。
掻くと気持ちいいのは、脳のごほうび回路が働くから

ここからが、掻く側の話です。掻いた瞬間に起きていることは、少なくとも二段階に分かれます。脊髄でかゆみが止まることと、脳が快感を作ることは別ものです。
まず、脊髄でかゆみが止まる
痛みの回路が、かゆみの回路を抑える
掻くという行為は、皮膚に軽い痛みを与えることでもあります。この痛みの信号が脊髄でかゆみの信号を抑え込むため、掻いているあいだはかゆみが感じられなくなるのです。
脊髄には、かゆみの回路を抑える側にまわる神経も見つかっています。ブレーキ役が別に用意されている、と言い換えてもよさそうです。
冷やす・軽くたたくでも、方向は同じ
抑え込む刺激は、爪でなくてもかまいません。冷たいものを当てる、軽くたたく、押さえる。皮膚を壊さずに別の感覚を入れる方法なら、悪循環に入らずに済みます。
保冷剤をタオルで包んで数分あてる。虫に刺された直後なら、それだけでかゆみが和らぐことも少なくありません。爪を立てるのとは違って、あとに残るのは冷たさだけ。
「掻いてはいけません」とだけ言われても難しいのは、かゆみが行動を引き出す感覚として作られているからです。止めるより、置き換えるほうが現実的でしょう。
そのあと、脳の報酬系が動く
中脳と線条体が強く反応した
生理学研究所の望月秀紀特任助教授と柿木隆介教授らは、手首に実験的なかゆみを起こし、その近くを掻いて快感が生じているときの脳活動をfMRIで測りました。強く反応したのは中脳と線条体、いわゆる報酬系と呼ばれる領域です。
成果は2014年1月に発表され、掻いたときの快感の脳内メカニズムを示したものとして報じられました。報酬系は、食事やお金を得たときにも動く領域。かゆいところを掻く行為は、脳の中では「ごほうび」と同じ棚に入っていることになります。
足首を掻くのが、いちばん気持ちいい
快感の強さは、体の場所によっても違います。健康な18人(うち女性10人・平均34歳)の前腕・足首・背中に実験的なかゆみを起こした研究では、かゆみの強さも掻いたときの快感も、前腕より足首と背中で大きいという結果が出ました。
しかも足首は、かゆみが薄れたあとも快感が長く残ったと報告されています。かゆみを消す効果がいちばん高かったのは背中。掻く場所によって、消え方も気持ちよさも違うわけです。
それでも、掻くほどかゆくなる
脳から下りてくる信号が、かゆみを強める
掻くと軽い痛みが生じ、脳はそれを和らげようとセロトニンを出します。ところがマウスの実験では、この下りてきた信号が脊髄のGRPRを介したかゆみの伝達を強めてしまうことが示されました。
痛みを抑えるための働きが、かゆみだけを取り出して増幅してしまう。掻けば掻くほどかゆくなる感覚には、こうした説明がつけられています。
皮膚が壊れて、入り口がさらに下がる
もう一つは皮膚側の問題です。掻けばバリアが壊れ、炎症を起こす物質が出て、神経はまた表面へ伸びてくる。乾燥肌の項で見たのと同じ現象が、自分の爪によって進みます。
数十秒のごほうびと引き換えに、次のかゆみの入り口を下げている。これが「かゆみと掻くことの悪循環」と呼ばれるものの中身です。
豆知識 ― かゆみは見ているだけでうつる

最後に、かゆみという感覚のふしぎな性質を二つ。
掻いている人を見ると、かゆくなる
映像を見せるだけで、掻く回数が増えた
誰かが体を掻いている映像を見せると、見ている側にもかゆみが生じることが実験で確かめられています。前腕にヒスタミンまたは生理食塩水を与えたうえで映像を見せると、実際に掻く動作が増えました。
実験に参加したアトピー性皮膚炎の患者では、かゆみを起こさない偽の刺激でも、映像を見ているあいだのかゆみが強く報告されたといいます。かゆみの話をする講演を聞いているだけで、聴衆が掻き始めたという報告もあるほど。この記事を読みながら首の後ろが気になり出した人がいたら、それはたぶん気のせいではありません。
動物ではうまく再現できていない
マウスでも同じ「うつるかゆみ」が起きるという報告が出た一方、げっ歯類では再現できなかったとする研究も2019年に発表されています。人に特有の現象なのかどうかは、まだ決着していません。
内臓は、かゆくならない
かゆみが起きるのは体の表面だけ
胃も腸も痛みますが、かゆくはなりません。かゆみが生じるのは皮膚と、まぶたの裏側や鼻の中といった粘膜。体の奥には、かゆみを伝える仕組みがそもそも用意されていないとされています。
「掻いて取れる場所」にだけある感覚
理由を考えると腑に落ちます。かゆみは異物を払いのけさせるための感覚ですから、手が届かない場所に備えても意味がありません。かゆくなるのは、掻けば何とかなる場所だけ。
虫が止まった、植物が触れた、皮膚が乾いた。いずれも表面で起きる出来事です。感覚の守備範囲は、それを解決できる行動の届く範囲にきちんと合わせてあります。
かゆみは17世紀から「掻きたくさせる感覚」と定義されてきました。定義に書いてあるのは、そこまでです。掻いた先で何が起こるのかは、三百年以上かけて少しずつ埋められてきた余白でした。ごほうびの正体も、そのあと戻ってくる信号も、その余白の中にあります。
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