小学校の学習指導要領に、「リコーダーを使いなさい」という一文はありません。書かれているのは、第3学年と第4学年で取り上げる旋律楽器について「リコーダーや鍵盤楽器、和楽器などの中から児童や学校の実態を考慮して選択すること」という一文だけです。あくまで例のひとつであり、選ぶのは各学校です。
それでも、日本じゅうの3年生の机の上には、判で押したように同じ形の笛が置かれます。この笛は、18世紀にいったん忘れられ、20世紀に復元された楽器でした。その復刻版が、なぜ子どもの持ち物として全国に配られることになったのか。答えは音楽の中だけでなく、戦後の教室の事情の中にもあります。
決め手はひとつではなく、条件がそろっていった

リコーダーが選ばれた理由は、「音がきれいだから」の一言では説明がつきません。楽器の性質・戦後の制度・値段・教室の物理的な事情が、それぞれ別の方向から同じ答えに寄っていきました。満たされた条件を先に並べておきます。
| 条件 | 中身 |
|---|---|
| 吹けば鳴る | 息を使う楽器なのに、横笛と違って発音そのものに苦労しない |
| 音の高さが決まる | 一定の息を入れれば決まった音が出るので、音程の感覚をつかませやすい |
| 次の楽器につながる | 指使いやタンギングがフルート・クラリネットに似ていて「移行楽器」になる |
| 安く大量に作れる | 1954年に登場したプラスチック製で、同じ品質のものが一斉にそろうようになった |
| ひとりに1本渡せる | 児童数が急増し、備品や音楽室が足りない時代に「個人持ち」が現実的だった |
| 制度が背中を押した | 1958年の学習指導要領から器楽の指導に法的な拘束力が生まれた |
順番に見ていきます。まず、そもそもこの楽器がどこから来たのかという話から。
リコーダーは、いちど歴史から消えた楽器です

教室の笛は、ずっと昔から途切れずに使われてきた楽器ではありません。15世紀後半から17世紀にかけて盛んに演奏されたあと、18世紀半ばには演奏の表舞台から姿を消したとされています。
18世紀に主役の座を降りた
音量とダイナミクスで負けた
リコーダーを押しのけたのは、同じ笛の仲間であるフラウト・トラヴェルソ、つまり横向きに構えるフルートの先祖でした。オーケストラの規模が大きくなるにつれ、より大きな音量と幅広い強弱を出せる横笛が求められるようになります。リコーダーは息の強さを変えると音の高さまで動いてしまうため、強く吹いて音量を稼ぐことができません。皮肉なことに、後に学校で長所とされる「一定の息で決まった音が出る」性質は、演奏会では弱点だったわけです。
名前の由来も、はっきりしないまま残った
recorder という名前がなぜ付いたのかは、実ははっきりわかっていません。古い英語の record に「小鳥のようにさえずる」という意味があり、そこから来たとする説が有力とされています。オックスフォード英語辞典には、record が鳥についてのみ使われた時期があると記されています。ある旋律をさえずらせる、という意味です。そこから、小鳥に旋律を覚えさせる道具だったのではないかという見方も生まれました。いずれも確定した説明ではありません。
20世紀の復活は、復元から始まった
駅のホームに置き忘れた1本
19世紀末のロンドンに、アーノルド・ドルメッチ(1858〜1940)というバイオリン教師がいました。古い楽器の研究に打ち込んでいた人物です。ヤマハの解説によれば、転機は息子のカールが汽車に乗るときにリコーダーを駅のホームへ置き忘れたことでした。代わりを買うのではなく、アーノルドは古い資料から設計図を起こし、自分の手で楽器を作り始めます。これが20世紀のリコーダー復活のきっかけになったと紹介されています。
「復元楽器を、当時の奏法で弾く」という発想
ドルメッチが残したのは楽器そのものだけではありませんでした。自分で集めた古楽器を参考に復元し、それを当時の演奏スタイルで鳴らしてみせたことが、古楽復興という大きな流れを押し出すことになります。リコーダーはその流れの象徴的な一本でした。ただし、この時点ではまだ「研究者と愛好家の楽器」です。子どもの持ち物になるには、もう一段の変形が必要でした。
ドイツで「教える用」に作り替えられた
1926年、ファの指使いが変わった
復活したリコーダーを教育向けに変えたのが、ドイツのペーター・ハルランでした。1926年、ハ長調のファを押さえやすくするために指穴の配置を改めたリコーダーを作ります。これがいわゆるジャーマン式(ドイツ式)です。従来の運指では、ファだけが指を階段状に下ろす順番から外れていました。そこを「順番どおり」に直したわけです。
安く大量に作れることが条件になった
ハルランの楽器は低い音が鳴りやすく、しかも安価でした。この2点がそろったことで大量生産が進み、ドイツの学校教育に採用されていきます。つまりリコーダーは、復活した直後の段階ですでに「教える現場で使うために作り替えられた楽器」になっていたことになります。日本の教室に届いたのは、この改造版の系譜です。
日本へ来たのは戦前、広まったのは戦後

日本にリコーダーを持ち込んだのは、ドイツで学んだ指揮者・作曲家の坂本良隆(さかもと よしたか、1898〜1968)だとされています。ただし、そこから学校の必需品になるまでには20年近くかかりました。
持ち帰られた3本の笛
ソプラノ・アルト・テナーの3本
音楽教育学の研究によれば、坂本は1939年の帰国時にリコーダーを日本へ持ち帰りました。ドイツのブロックフレーテ製造会社ヘルヴィガの製品で、ソプラノ・アルト・テナーの3本です。坂本はこれを日本管楽器製造株式会社へ持ち込み、同社は1943年に試作品を作りました。この会社は戦後もリコーダーづくりの中心にいて、1970年に日本楽器製造、現在のヤマハへ吸収合併されています。
経緯の説明には食い違いもある
持ち帰りのきっかけについては、ベルリンで大勢の子どもたちがリコーダーを合奏するのを見て感銘を受けた、という逸話も伝えられています。ただし坂本の留学時期は1920年代とされており、資料によって年代の説明がそろいません。確かなのは、坂本が1943年に『児童の為の木笛の手引』と『木笛教則本』という2冊を書いていることです。試作品と同時に教則本まで用意していたあたりに、「これは子どもに教える楽器だ」という当初からの狙いが読み取れます。
戦後の「たて笛」は、玩具と紙一重だった
下駄屋が木琴を作っていた時代
終戦直後の日本には、楽器を作る資材も技術者も足りていませんでした。当時の音楽教育雑誌には、こんな一節が残っています。楽器製作とまったく関係のない「下駄屋から木琴作りに転じたような」店までが、玩具のようなものを教育用楽器と銘打って売り出していた——。音の高さも定まらない笛が「学校教材」として流通していたわけです。
1948年、国が楽器を審査し始めた
この状況を受けて、文部省は1948年8月に教育用楽器審査委員会を設けます。文部省・商工省と楽器演奏の専門家が集まり、教材として売られる楽器を審査する仕組みです。笛の審査を担当した委員は、何より優先したのはピッチと音程だったと座談会で語っています。音質や音量は後回しで、まず「楽器らしい性能」を持たせることが先だったのです。
※ ピッチとは、音の高さそのもののことです。合奏では全員のピッチがそろっていないと、指使いが正しくても濁って聞こえます。
銀笛・竹笛・トーネット
昭和20年代の教室に並んだ3種類
いま思い浮かべるリコーダーが最初からあったわけではありません。昭和20年代に主に使われていた「たて笛」は、次の3種類でした。形も材質も指穴の数もばらばらです。
| 種類 | 材質と特徴 | 弱点 |
|---|---|---|
| 銀笛(ぎんてき) | ブリキ・真鍮・ニッケルなどの金属製。明治後期の少年音楽隊で使われた笛の流れをくむ | 音が硬く、低いドやレがかすれやすい |
| 竹製のたて笛 | ふくらみのある音で音量もある。紫水たて笛などが代表格 | 湿気や衝撃で縦にひび割れる |
| トーネット | アメリカ製のユリア樹脂製。オカリナを縦にしたような形で指穴は9つ | 樹脂が衝撃に弱く、音域は狭い |
このうち銀笛は戦後に生まれたものではありません。明治後期には少年音楽隊で流通していて、1930年の楽器目録には60銭・80銭という値が載っています。終戦直後の1946年に銀色の笛を持っていた小学校の報告もあり、戦前の銀笛がそのまま教室に流れ込んだと見られています。
戦前の竹製たて笛は、民芸品や土産物の玩具として売られていて、楽器とは見なされていませんでした。竹笛が「合奏のための楽器」として作られ始めたのは、戦後にたて笛が教育用楽器へ指定されてからです。文部省は竹の選び方まで解説しました。暖かい地方の竹は柔らかいが丈夫。年数のたった竹は固く割れにくい。そんな注意書きが残っています。
6つ穴では、指が1本足りなかった
当時主流だったのは指穴が6つの笛で、親指の裏穴はありません。審査委員はこの運指を重大な問題として挙げました。フルートやクラリネットは、いちばん低い音を出すときに右手の小指まで使います。ところが6つ穴のたて笛は、いちばん低いドを薬指までで出してしまう。同じ音を出すのに使う指が1本ずれるのです。それでも6つ穴の笛が大量に出回っていたため、審査から外すことができず、やむをえず対象に含めたと記録されています。
選ばれた理由は、音楽の外側にもあった

戦前から使われていたハーモニカや横笛と並んで、たて笛が学校に入っていった背景には、この楽器に求められた3つの性質がありました。研究では、発音のたやすさ・ピッチの安定・オーケストラ楽器との運指の近さの3点が挙げられています。
息を使う楽器なのに、吹けば鳴る
横笛との決定的な差
横笛やフルートは、歌口(うたぐち)のエッジに息を当てる角度を自分で作らなければなりません。最初の音が出るまでに時間がかかる理由です。リコーダーは吹口(ふきぐち)の形が息の通り道をあらかじめ決めているので、くわえて吹けば誰でも音が出ます。審査委員の一人は、この吹きやすさこそが「管楽器の第一歩」としての大きな長所だと述べました。一クラス数十人から一斉に音を出させる、という条件のもとでは、この差は決定的でした。
教える側が最初に教えるのはタンギング
導入期の指導法も残っています。1949年の記事は、まず開放音による発音法から始めよと説きました。次にタンギングの要領を十分に会得させること。指導時間は最初10分ほどで、なるべく毎日一定して行うこと。息の出し入れではなく舌の使い方から入る順番は、いまの授業とほとんど変わりません。
※ タンギングとは、舌で息を区切って音の出だしを作る奏法のことです。「トゥ」と言うように舌を当てて離します。管楽器に共通する基本技術です。
音の高さが自動的に決まる
「ラの指ならラが出る」ことの教育的な意味
1948年の雑誌には、指定の指使いをすればその音が出るので子どもの音感にもいい影響を与える、という趣旨の指摘があります。声や弦楽器と違い、自分で音の高さを探さなくてよい。正しい高さが先に耳へ届くので、音程の感覚を育てる土台になると考えられていました。
ところが、合奏では合わなかった
もっとも、当時のたて笛は個体ごとにピッチがずれていました。いまのリコーダーのように上下2つに分かれる構造ではなかったため、抜き差しによる微調整ができません。現場からはこんな報告も上がっています。子どもは大変喜ぶので使い始めたが、ピッチでは随分苦労した。各社の製品を試したものの完全なものは望めず、途中で断念するに至った——。うまくいった話ばかりではなかったわけです。
フルートへの「移行楽器」として期待された
ゴールはオーケストラだった
当時の指導記事には、たて笛で木管・金管の基本的なタンギングを習得してオーケストラやバンドの楽器へ発展する、という道筋がはっきり書かれています。たて笛はそれ自体が目的の楽器ではなく、難しい楽器へ渡るための橋として位置づけられていました。審査で運指の細部にこだわったのも、この橋を架けるためです。
「パンネット」という名前に残る意図
当時、小学校教諭がNHK交響楽団員の協力を得て作った「パンネット」という竹製の6つ穴たて笛がありました。製作者は、この笛が「ボエム式システム」を採用して半音階的な奏法を可能にしたと説明しています。ベーム式とは本来フルートなどのキーの機構を指す言葉で、キーのないたて笛には当てはまりません。それでも敢えてその名を使ったところに、オーケストラ楽器へつなげたいという意図がにじみます。
制度と値段が、最後のひと押しになった

楽器の性質だけでは、全国一斉の普及は起きません。1950年代の後半に、制度と製造技術の2つが同じ時期に動きました。
1958年、学習指導要領が「試案」をやめた
手引きから、守るべき基準へ
戦後最初の学習指導要領は1947年と1951年に出ていますが、どちらも表題に「試案」と付いた手引きでした。1947年版は第3学年の指定楽器に「笛」とだけ書き、1951年版で第4学年に「たて笛を加える」、第6学年に「横笛を加える」と書き分けられます。これが1958年の第3次学習指導要領から告示という形式になり、法的な拘束力を持つようになりました。器楽の指導が「やってもよいこと」から「やるべきこと」へ変わったわけです。小学校での全面実施は1961年でした。
※ 告示とは、国などの機関が決めたことを正式に公示する形式のことです。学習指導要領は1958年から告示の形で出され、それ以前の「試案」と違って法的な拘束力があるものと位置づけられました。
教科書と楽器業界が同時に動いた
器楽が制度に組み込まれたことで、教科書と教材が一斉に動きます。リコーダーが音楽の教科書に採用されたのはこの1958年の改訂時とされ、ヤマハの解説では小学校の教材として使われ始めたのは1959年からだと紹介されています。それまでの主役はハーモニカでした。楽器業界の働きかけもあって、教育楽器という市場そのものがこの時期に立ち上がっています。
プラスチックが、品質のばらつきを消した
1954年の「スペリオパイプ」
制度が変わる少し前の1954年、日本管楽器製造がプラスチック製で親指の穴を持つ8つ穴のリコーダー「スペリオパイプ」を発売しました。手本にしたのは1932年ごろからドイツで作られていたジャーマン式リコーダーです。ここでようやく、いまの学校用リコーダーとほぼ同じ形が国産品として登場します。
割れない・狂わない・同じ物が並ぶ
竹は湿気で割れ、金属は音が硬い。天然素材である以上、1本ごとの個体差も避けられません。樹脂製は硬くてへこみにくく、何より大量生産に向いていました。クラス全員が同時に吹いても音の高さがそろう。合奏のこの前提条件は、材質が変わって初めて満たされたことになります。ピッチで苦労したという現場の嘆きに答えたのは、指導法ではなく素材でした。
「個人持ち」になったのは、教室が足りなかったから
児童数の急増という物理的な事情
昭和30年代に「個人持ちの楽器」が広まった一因は、意外にも音楽的な理由ではありませんでした。指摘されているのは、当時は児童数が年々急増していたという事情です。小学校の備品や音楽室が追いつかず、音楽の授業の一部を音楽室以外で行う必要があった。そのための解が「個人持ち」でした。教室で全員が扱える小さな楽器を、ひとりずつ持たせる。その条件に合う旋律楽器が、たまたま手元にあったわけです。
口をつける楽器である以上、共用しにくい
教育楽器に求められる条件としては、低学年の小さな手や腕でも扱いやすいこと、価格が高すぎず調達しやすいことが挙げられています。そこへ「口をつける」という性質が加わります。名前を書いて持ち帰り、家で洗って、また持ってくる。持ち帰りに困らない大きさであることも含めて、リコーダーは個人持ちの条件をよく満たしていました。
低学年が鍵盤ハーモニカで、3年生からリコーダーになる理由

もうひとつの素朴な疑問が、学年の線引きです。1・2年生は鍵盤ハーモニカ、3年生からリコーダー。この順番にも根拠があります。
学習指導要領の書き分け
学年ごとに例が変わる
現行の小学校学習指導要領は、取り上げる旋律楽器を学年ごとに書き分けています。リコーダーの名が最初に出てくるのは第3学年です。
| 学年 | 示されている旋律楽器 |
|---|---|
| 第1・2学年 | オルガン、鍵盤ハーモニカなど |
| 第3・4学年 | 既習の楽器を含めて、リコーダーや鍵盤楽器、和楽器など |
| 第5・6学年 | 既習の楽器を含めて、電子楽器、和楽器、諸外国に伝わる楽器など |
名指しの義務ではなく、例示にすぎない
ここで念を押しておくと、どの学年についても文末は「児童や学校の実態を考慮して選択すること」です。リコーダーは選択肢の筆頭に置かれているだけで、使わなければならない楽器として指定されているわけではありません。それでも実際にはほぼ全国の教室でリコーダーが選ばれます。制度が決めたというより、ここまで見てきた条件の積み重ねが選択の答えを事実上ひとつにしてしまった、というほうが近いでしょう。
鍵盤ハーモニカは1961年生まれの新しい楽器
ドイツの「メロディカ」から始まった
鍵盤ハーモニカの原型は、1959年にドイツのホーナー社が売り出した押しボタン式の吹奏ハーモニカ「メロディカ」だとされています。これに着目した鈴木楽器が鍵盤式へ改良し、1961年に世界初の鍵盤ハーモニカ「メロディオン スーパー34」を発売しました。輸入品のメロディカが5000円だったのに対し、メロディオンは2500円。同じ年の末にはトンボ楽器が「トンボ・ピアノ・ホーン」を、ほぼ同時期に東海楽器が「ピアニカ」を出しています。
机に置いて吹けるようになったのは後から
当初は立って吹く短い唄口しかなく、リコーダーのように両手で本体を支える必要がありました。じゃばら状のホース型唄口が開発されたのは1963年から1966年の間です。これで本体を机に置いたまま、鍵盤を目で見ながら弾けるようになりました。楽器そのものより、この唄口の改良のほうが学校への普及を後押ししたと指摘されています。
低学年に向く理由と、3年生まで待つ理由
鍵を押す力は40グラム
鍵盤ハーモニカの鍵を押すのに必要な力は約40グラムで、同じ鍵盤楽器であるオルガンの120グラムの3分の1だという計測があります。指の力が弱い幼児や低学年でも押せる、という数字です。音の高さが鍵盤の並びとして目に見えることも、音の高低を理解する入口として有利だと考えられてきました。
穴をふさぐには、手の大きさが要る
一方リコーダーは、指の腹で穴を完全にふさげなければ音が濁ります。鍵を押すのとは違い、力ではなく手の大きさと指の間隔の問題です。ただし2つの楽器は切れているわけではありません。鍵盤ハーモニカで息の入れ方とタンギングを覚えることが、第3学年から始まるリコーダーの学習につながると位置づけられています。低学年で息の使い方だけ先に身につけ、中学年で指の仕事を足す。そういう順番になっているわけです。
ドイツが手放した「ドイツ式」を、日本は使い続けている

最後に、教室のリコーダーにまつわる、少し落ち着かない話をひとつ。
違うのは、ほぼファの指使いだけ
リコーダーにはバロック式(イギリス式)とジャーマン式(ドイツ式)があり、外見はほとんど同じです。違いは指穴の大きさと、それに伴う運指にあります。
| 方式 | ソプラノのファ | シャープ・フラットの音 | 他の大きさへの応用 |
|---|---|---|---|
| ジャーマン式 | 指を順番に下ろす形で押さえられる | 運指が難しい | 応用できない |
| バロック式 | 音階の順どおりではない | 運指が簡単 | 応用できる |
最初の1曲を吹かせるにはジャーマン式が有利で、そのぶん先の曲でつまずきます。アルトなど他の大きさのリコーダーはほとんどがバロック式なので、ソプラノをジャーマン式で覚えても指使いを持ち越せません。楽器メーカーの解説がバロック式を勧めているのは、この持ち越しのためです。
本家は1960年代に元へ戻った
おもしろいのはその後です。ジャーマン式は本国ドイツで1960年代に問題視され、イギリス式へ戻ったとされています。考案した国が半世紀近く前に手放した方式を、日本の小学校は今も広く使い続けているわけです。教える側にとって最初の一歩がやさしいという長所が、そのまま残ったのでしょう。買い替えのときは、自分の楽器がどちらなのかを確かめておくと安心です。
吹けなかった三年間
2020年からの数年間、リコーダーは教室でいちばん扱いにくい楽器になりました。文部科学省の衛生管理マニュアルは、室内で近距離で行う合唱やリコーダー・鍵盤ハーモニカなどの合奏を、リスクの高い活動として挙げています。授業では時間を区切り、練習は宿題として家庭で行い、教室では工夫を考え合う活動に充てる。そんな組み替えが各地で行われました。ひとりに1本ずつ配られていたことが、このときばかりは幸いしたことになります。
recorder という名前の由来は、いまも確かではありません。録音機でも記録係でもなく、小鳥のさえずりあたりから来たらしい。わかっているのはその程度です。それでもこの笛は、日本でいちばん多くの人が触れたことのある楽器になりました。18世紀にいちど忘れられた楽器が、いちばんよく覚えられている楽器へ変わったことになります。名前のとおりと言うには、ずいぶん遠回りをしたものですが。
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