「キセル乗車」はなぜキセルなのか、煙管の形と手口の共通点

定期券のイラストと「キセル乗車 なぜキセル?」の文字 言葉と論理の話
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電車の不正乗車を「キセル」と呼ぶのは、刻みタバコを吸う道具の煙管(きせる)の形から来ています。煙管は両端の雁首と吸口だけが金属で、あいだの管は竹でできていました。乗る駅と降りる駅の近くだけ切符を持ち、真ん中の区間をただで乗る。両端にだけ「金」を払うその姿が、煙管の作りと重なったのです。

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煙管は両端だけが金属の喫煙具

煙管を手にした着物姿の女性のイラスト

煙管は、刻みタバコを詰めて吸う細長い道具です。一本の棒に見えますが、素材の違う三つの部品をつないで作られていました。

雁首・羅宇・吸口の三つに分かれる

タバコを詰める先端の曲がった部分を雁首(がんくび)といい、その先の小さな皿が火皿です。口にくわえる側は吸口(すいくち)、二つをつなぐ管は羅宇(らう)と呼ばれます。デジタル大辞泉は、雁首と吸口に金属を使い、羅宇には細い竹を使うのが普通だと説明しています。両端の金具は光り、中ほどは竹の色のまま。この見た目の対比が、のちに不正乗車の呼び名へとつながっていきました。

羅宇の名は東南アジアのラオスから

羅宇という変わった名前は、国名のラオスに由来するとされます。ラオス産の竹や、まだら模様のある竹を管に使ったことからついた名だと、国語辞典は説明しています。

精選版日本国語大辞典によれば、江戸初期の1631年に出た辞書『多識編』に、もう「良宇」の字で載っていました。煙管が日本に広まってまもないころから、管の部分には専用の呼び名があったことになります。

火と口が当たる両端に金属を使った

雁首は火のついたタバコを受け止め、吸口は何度も口に触れます。熱や傷みに強い金属は、この二か所にこそ必要でした。いっぽう中ほどの管には、火も口も直接は当たりません。軽くて細工しやすい竹で間に合ったわけです。

竹の管は、使ううちにタバコのヤニで詰まります。江戸時代には、古くなった羅宇を新しいものにすげ替える「羅宇屋(らうや)」という行商まで生まれました。両端の金具は長く使い、真ん中だけを替えて使い続けたのです。

キセル乗車はどんな手口?

電車の座席に並んで座る3人の乗客のイラスト

キセル乗車は、乗る駅と降りる駅の近くの券だけを持ち、あいだの区間の運賃を払わない不正乗車です。国語辞典の定義も、ほぼこの形で書かれています。

乗る駅と降りる駅のそばだけ券を持つ

典型は、区間のつながらない2枚の切符を使う方法です。乗る駅から一駅分の切符で改札を入り、降りる駅の一つ手前からの切符で出る。改札を通るときだけ正しい券を見せるので、その場では不正が見えません。

弁護士ドットコムの解説では、入場券や隣の駅までの乗車券で入り、降りる駅では別の券で出る行為をキセルと呼んでいます。入場券は電車に乗るための券ではないものの、入口を通るのには使えてしまう。そこが悪用されてきました。

定期券2枚を使い分ける型

定期券を組み合わせる型もあります。乗りものニュースが紹介する古い業界誌の記事では、明治の末ごろの留学生の話が出てきます。この留学生は大久保〜新宿と牛込〜御茶ノ水の2枚の定期券を持ち、大久保から御茶ノ水まで通っていました。

ところがある日、改札で出す定期券を取り違え、不正が明るみに出たといいます。定期券なら毎日同じことを繰り返せるぶん、見つかったときの金額も大きくなりがちです。

中間の区間だけが「空洞」になる

どちらの型も、入口と出口では正規の券を使います。そのあいだの区間には、有効な券がありません。両端はきちんとしていて、真ん中だけが抜けている。この形が、煙管の作りとぴったり重なります。

なぜ煙管にたとえられた?

2枚のチケットのイラスト

両端だけが金属の煙管と、両端だけ運賃を払う乗り方。二つの共通点は「両端だけ金」という一点にあります。

金属の「金」と運賃の「金」

煙管は、両端だけが金属つまり「かね」でできています。キセル乗車は、両端の区間にだけ「かね」すなわち運賃を払う乗り方です。同じ「金」の字が、片方では金属を、もう片方ではお金を指しているわけです。

デジタル大辞泉も、煙管の両端だけに「かね」を使っているところからついた名だと説明しています。道具の素材の話を、お金の話に掛けた洒落でした。

改札から見えるのは両端の券だけ

改札に駅員が立っていた時代、確かめられるのは入口と出口で見せられた券だけでした。途中の区間でどんな券を持っていたかは、改札からは見えません。外から目に入るのは光る両端で、中ほどは地味な竹。見えるところだけを取りつくろう手口のたとえとして、煙管の姿はよくできていたといえます。

いつから「キセル」と呼ばれた?

切符と改札鋏のイラスト

この呼び名は、少なくとも大正時代には鉄道の現場で使われていました。100年以上前の鉄道の資料に、もう出てきます。

1917年の業界誌に「キセル」が登場

乗りものニュースの記事によれば、1917(大正6)年に出た業界誌『鉄道』の記事に「キセル」の語が出てきます。先ほどの留学生の話も、この記事で紹介されたものです。

同じ記事は、不正が増えた背景にも触れています。大正期から鉄道で通勤する人が急に増え、一人ひとりの券を確かめきれなくなった。改札の手が足りなくなったことが、キセルの広まる下地になりました。

1925年の追想録には「煙管乗り」の項目

明治時代に京都鉄道(現在のJR山陰本線)などで働いた元社員が、1925(大正14)年に追想録を出しています。乗りものニュースによれば、その中に「煙管乗り」という項目がありました。筆者は、不正をする乗客は紳士にも宗教家にもいて、昔も今も尽きることがないと書いています。大正の改札口では、煙管がすでに不正乗車の代名詞として通じていたわけです。

国語辞典が引く用例は昭和の小説

精選版日本国語大辞典が、不正乗車の意味の「キセル」で挙げる用例は、石坂洋次郎の小説『水で書かれた物語』(1965年)です。若い体操教師のあだ名が「キセル」で、汽車の定期券をごまかしてただ乗りしていたからだ、という一節が引かれています。鉄道員の内輪の言葉が、小説に書かれるほど世間に知られる。そこまでに、数十年の時間が流れていたことになります。

見つかれば運賃は最大3倍

「罰金」と書かれた吹き出しのイラスト

キセル乗車が見つかると、乗った区間の運賃に加えて、その2倍までの増運賃を求められます。合わせると最大で正規の3倍です。

2倍の上限は鉄道運輸規程にある

おおもとは1900(明治33)年の鉄道営業法です。この法律は、有効な券を持たない人は割増の運賃を払うよう定め、その中身を鉄道運輸規程に任せています。

その鉄道運輸規程(1942年の省令)の第19条が、乗った区間の運賃と「其ノ二倍以内ノ増運賃」を請求できると定めました。「2倍以内」の数字は、法律そのものではなく省令の側に書かれているのです。

※ 増運賃(ましうんちん)とは、不正乗車が見つかったときに、本来の運賃とは別に上乗せして請求されるお金のことです。上限は鉄道運輸規程で、正規の運賃の2倍以内とされています。

JRの規則では上限いっぱいの3倍

鉄道各社は、省令の範囲で自社の規則を定めています。JR東海の旅客営業規則は、券を持たずに乗った人から、乗車駅からの普通運賃とその2倍の増運賃をあわせて受け取ると定めています。「2倍以内」の上限を使い切った形です。運賃だけ払えば済むという考えは、規則の上では通りません。

定期券の不正は使い始めの日までさかのぼる

定期券を使った不正は、さらに重くなります。同じ規則では、不正などで定期券が無効として回収された場合の計算が決まっています。効力が始まった日から見つかった日まで、毎日1往復乗ったものとして運賃を出し、そこへ2倍の増運賃を加えるのです。半年使った定期券なら、半年分の往復運賃の3倍。1回あたり数百円を浮かせたつもりが、けた違いの請求になることもあります。

2倍以内の決まりは100年以上続く

国土交通政策研究所の西川健氏の論文(2007年)は、2倍以内の割増運賃は明治33年から約100年、国民に常識として定着してきたと述べています。欧米には通常運賃の10倍などの高い額を取る例があり、日本も倍率を上げるべきだという議論もあるそうです。

ただ論文は、省令を改めれば簡単に変えられる話ではないとも指摘しています。バスや航空などの料金の決まりも、この鉄道の制度を手本にしてきたからです。

刑事罰はどこまで重い?

法廷で開かれている裁判のイラスト

キセル乗車は運賃の問題で終わらず、刑事罰の対象にもなります。どの罪にあたるかは、だました相手が人か機械かで分かれるのです。

鉄道営業法では2万円以下の罰金

鉄道営業法は、係員の許しを受けずに有効な券なしで乗った人を、2万円以下の罰金または科料に処すると定めています。科料は1万円未満の、いちばん軽い種類の財産刑です。

この罪は、鉄道会社の告訴がなければ起訴できません。被害を受けた鉄道の側が訴え出て、初めて裁判へ進む仕組みになっています。

係員をだませば詐欺罪

有人の改札や窓口で係員をだまし、運賃の支払いを免れた場合は、刑法の詐欺罪が成立しうるとされます。区間をごまかした券を見せて通り抜けるのは、人を欺く行為にあたるからです。

法定刑は10年以下の拘禁刑で、罰金刑はありません(2025年6月までは懲役)。鉄道営業法の罰金とは、重さの桁がまるで違います。

自動改札をだませば電子計算機使用詐欺罪

機械は人ではないので、だまされるということがありません。そこで、正しく入場していない券を自動改札機に入れて出る行為に、電子計算機使用詐欺罪をあてた裁判例があります。この罪は、偽造テレホンカードが出回ったことをきっかけに設けられました。重さは詐欺罪と同じです。実際には、検察官が事情を見て、軽い鉄道営業法違反で起訴することもあるとされます。

自動改札は入場の記録で見抜く

自動改札機にICカードをタッチする会社員のイラスト

キセル乗車を難しくしたのは、入口で記録をつけ、出口で照らし合わせる自動改札の仕組みです。

入場の記録がなければ出られない

近畿日本鉄道は、乗車駅の自動改札機で入場情報を記録し、降車駅の自動改札機でその情報を確かめると案内しています。入場のときに改札機を通っていない券では、出口で出られないことがあります。入口で別の券を使っていれば、出口の機械にはそれが分かる仕組みです。両端だけ正しい券を見せる手口は、ここで通じにくくなりました。

1990年代に関西の私鉄が先行

阪急電鉄は1994年、自社の定期券について入場と出場の処理を交互に行わないと通れない「フェアライドシステム」を入れたとされます。導入のあと、キセルに使われていた入場券の売れ行きが大きく落ちたという報告もあります。

阪急は1967年、北千里駅で世界初の自動改札機を実用化した会社でもありました。人の目の代わりに改札機を置いた会社が、不正を見張る役目も機械に持たせていったのです。

ICカードは入った駅をカードに残す

SuicaやICOCAなどの交通系ICカードも、入った駅を記録し、出るときにその区間の運賃を差し引きます。入場の記録がなければ自動改札では精算できず、窓口で処理してもらう形です。

それでも、券の組み合わせを突いた新しい抜け道を試す人は出てきます。鉄道会社と不正乗車のいたちごっこは、形を変えながら今も続いているのです。

「薩摩守」もただ乗りの隠語

刀を差した侍のイラスト

ただ乗りを指す古い隠語には、キセルのほかに「薩摩守(さつまのかみ)」があります。こちらは道具ではなく、人の名前から生まれた言葉です。

平忠度の「ただのり」から

薩摩守は、平安末期の平家の武将、平忠度(たいらのただのり)がついた官職です。名前の「ただのり」が「ただ乗り」と同じ音なので、薩摩守といえば無賃乗車を指すようになりました。デジタル大辞泉には「薩摩守を決め込む」という使い方も載っています。

狂言「薩摩守」は言い忘れの笑い

この洒落は、狂言の演目にもなりました。旅の僧が渡し舟の船頭に「平家の公達薩摩守」と名乗り、ただで乗ろうとします。ところが肝心の「忠度」を言い忘れ、しかられてしまう話です。

道具の形からついたキセルと、人の名前の音からついた薩摩守。どちらも、ただ乗りを遠回しに言うための工夫でした。

煙管を手にする人はほとんどいなくなり、切符もICカードに置き換わりました。それでも「キセル」の一語には、金具の両端と竹の管という昔の道具の姿が残っています。両端だけ取りつくろっても、中の空洞はいずれ見抜かれる。大正の改札口で生まれた呼び名は、そのことを今も言い当てています。

参考

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