乾杯でグラスを合わせる理由は、実のところ分かっていません。毒を盛られていないと確かめるためだ、という説明を聞いたことがあるかもしれません。あれは後から作られた話とされ、いくつもの検証で根拠のなさが指摘されています。
ところが妙なもので、「グラスを合わせない」ほうの決まりには、どこの国にもきちんとした理由が用意されています。ビールでは合わせないハンガリー。水では乾杯しないドイツ。音を立てない日本の献杯(けんぱい)。語られるのは、いつも「やらない」側の理由なのです。
確かめられる話と、語られているだけの話

乾杯の由来には、辞書や史料で裏の取れる話と、広く語られているだけの話が入り混じっています。読み進める前に、二つを仕分けておきましょう。
| 言われていること | 確かさ | 手がかり |
|---|---|---|
| 「乾杯」は杯を飲み干せという指示 | 確か | 「干」は、かわかす・尽くすの意味 |
| 英語の toast は酒に浮かべた焼きパン | 確か | 15世紀初めのパンの用例、1690年代に「乾杯」の意味が派生 |
| cheers が乾杯の掛け声になったのは最近 | 確か | その用法の英語の記録は1919年ごろから |
| グラスを合わせるのは毒味のため | 根拠なし | こぼれた酒は相手の杯でなく床に落ちる |
| 音で悪霊を追い払うため | 裏づけなし | 中世の風習として語られるだけで、史料の支えがない |
| スカンジナビアの skål は頭蓋骨の器から | 俗説 | 語源は古ノルド語の「鉢・飲む器」 |
| ハンガリーの「150年ビールで乾杯しない誓い」 | 後世の物語 | 当時の史料がなく、歴史家は別の起点を指す |
左の列だけを眺めると、たいていの人が「知っている」ほうが下半分に集まっています。乾杯という行事は、事実よりも物語のほうが先に広まってきました。
「乾杯」という言葉に、グラスを合わせろとは書いていない

号令として叫ばれる「乾杯」は、杯を干す、つまり飲み干すという意味の漢語です。グラス同士をぶつける動作は、この言葉のどこにも含まれていません。掛け声と動作は、もともと別々のものでした。
号令の中身は「飲み干せ」だった
「干」は、かわかすという字
干物や干拓の「干」と同じ字です。杯を干す、で杯を空にする。中国語の「干杯(ガンベイ)」は今も文字どおりの意味を保っていて、勧められたら一息に空けるのが本来の作法とされます。
日本では飲み干さなくてよくなった
日本語に入ってからの「乾杯」は、宴席の開始を告げる合図に変わりました。一口つけるだけでも咎められません。言葉の指示内容が抜け落ち、号令の機能だけが残った形です。同じ漢字を使う韓国語の「건배(コンベ)」も、宴席の合図として広く使われているとされます。
日本で号令が始まったとされる晩餐会
エルギン伯と、立ち上がった幕府の役人
幕末、条約交渉のために来日した英国の特派使節エルギン伯が、晩餐の席で「わが国では国王の健康を祝して杯を交わす習慣がある」と持ちかけました。そんな習慣のない日本側は戸惑います。会話が途切れて静まったところで、応対にあたっていた井上信濃守清直(いのうえしなののかみきよなお)が突然立ち上がります。そして「乾杯!」と大声で叫び、おごそかに座り直しました。英国側は堪えきれず大笑いしたと伝えられます。
年も相手も、語り手によってぶれる
この逸話は日本の乾杯の始まりとしてよく紹介されますが、1854年の日英和親条約のときだとする文章と、1858年の日英修好通商条約のときだとする文章が混在しています。エルギン伯が来日したのは1858年ですから、時期が合うのは後者のほうです。愉快な話ほど、細部が入れ替わりながら伝わっていきます。
英語の toast は、本物のパンのことだった

英語で乾杯を意味する toast は、焼いたパンのトーストと同じ語です。比喩でも偶然の一致でもありません。かつては酒の中に、実際に焼いたパンを一切れ沈めていました。
ワインに浮かべた焼きパン
15世紀初めから、酒に入れるものだった
「火であぶって焼き色をつけたパン」を指す toast の用例は15世紀初めにさかのぼり、その当初からワインやエールに加えるものとして記録されています。パンだけを単体で食べ、バターなどを塗るようになるのは17世紀に入ってからです。順序としては、飲み物の具のほうが先でした。
味を直すための一切れ
当時のワインは品質が安定せず、酸味の立ったものが珍しくありませんでした。そこに香辛料をきかせた焼きパンを浮かべ、味を調える。焦げが酸味を和らげるとも言われます。飲みにくい酒を飲みやすくする、実用の道具だったわけです。
パンから「その場の主役」へ
1690年代、健康を祈られる人が「トースト」になった
「誰かの健康を祈って飲むこと」という意味の toast が現れるのは1690年代です。ワインに風味を添える一切れになぞらえて、その場に華を添える女性を toast と呼んだ、という説明が古くからされてきました。1746年には「健康を祈られる当人」を指す使い方も定着します。町いちばんの人気者を the toast of the town と呼ぶ言い回しは、この流れの上にあります。
浴場町バースで交わされた一言
由来については、1709年に作家リチャード・スティールが自誌『タトラー』へ書き残しました。チャールズ2世の治世、温泉地バースの浴場で、ある女性の水を汲んで乾杯した男たちがいた。居合わせた別の紳士は、水のほうは要らない、その「トースト」をもらおうと言った——という筋です。逸話の真偽は確かめようがありませんが、語の意味が人へ移っていく感触はよく伝わります。
世界の乾杯の言葉は、三つの系統に分かれる

各国の掛け声を並べてみると、言っている中身は意外に似通ったものばかりです。多いのは健康を祈る言葉で、次に器そのものを指す言葉、そして飲み干せと命じる言葉が続きます。
| 言葉 | 地域 | もとの意味 |
|---|---|---|
| Santé / Salud / Salute | フランス・スペイン・イタリア | 健康 |
| Prost(Prosit) | ドイツ語圏 | ラテン語で「ためになりますように」 |
| Na zdrowie | ポーランド | 健康のために |
| L’chaim | ヘブライ語 | 人生に |
| Skål | 北欧 | 鉢・飲む器 |
| 干杯 / 건배 | 中国・韓国 | 杯を空にする |
| Cheers | 英語圏 | もとは「顔つき」 |
健康を祈る系が、いちばん幅を利かせている
Prost はラテン語の一語から
ドイツ語の Prost は、ラテン語 prosit がもとになっています。動詞 prodesse(役に立つ)の活用形で、「ためになりますように」ほどの意味です。16世紀以降のドイツの学生たちが酒席で使った決まり文句として知られ、英語の記録にも1846年ごろから顔を出します。学生の隠語がそのまま国民的な掛け声になった、珍しい例といえます。
cheers が乾杯になったのは1919年ごろ
cheer は1200年ごろの英語では「顔、顔つき」を指す語でした。後期ラテン語の cara(顔)にさかのぼります。そこから「気分・機嫌」へ、さらに「喜び」へと意味が移り、応援の掛け声にもなりました。乾杯の言葉としての cheers が英語に現れるのは1919年ごろで、この表のなかでは飛び抜けて新しい部類に入ります。
器を指す言葉と、飲み干せと言う言葉
skål は頭蓋骨ではなく、ただの鉢
北欧の skål について、ヴァイキングが敵の頭蓋骨を杯にした名残だ、という話が根強く出回っています。語源をたどると、古ノルド語 skál は単に「鉢、飲む器」です。頭蓋骨とのつながりは確認できません。英語に skoal の形で入ったのは1600年ごろで、1589年にスコットランド王ジェームズ6世がデンマークを訪れた際の接触が伝播の経路として挙げられます。
「乾杯」は、東アジアだけが命令形
健康や器を口にする各国に対し、中国語の「干杯」と韓国語の「건배」だけは飲み手への指示です。祈りでも呼びかけでもなく、空にせよという要求。同じ場面で交わされる言葉なのに、向いている方向がまるで違います。日本語の「乾杯」はその要求を受け継ぎながら、意味のほうだけ手放しました。
「チンチン」は、港を回って戻ってきた
もとは中国語の「請請」
イタリアで乾杯のときに言う cin cin は、イタリアの辞書『トレッカーニ』によれば中国語の「請請(チンチン)」に由来します。「どうぞどうぞ」と客をもてなす挨拶の言葉でした。19世紀、ヨーロッパとアジアを結ぶ交易のなかで、この形が港のピジン英語に chin chin として取り込まれます。
※ ピジン英語とは、言葉の通じない者どうしが交易などのために作りあげた、簡略化された混成語のことです。
ロンドンの舞台を経てイタリアへ
1896年にロンドンで初演されたオペレッタ『ゲイシャ』がこの言葉を広め、そこからイタリア語に定着したとされます。面白いのはその後で、イタリアではこれがグラスのぶつかる音を写した擬音語として受け取られていきました。中国生まれの挨拶が、ヨーロッパで音の描写に化けたわけです。
では、なぜグラスを合わせるのか——定説がない

ここまで言葉の来歴はたどれました。ところが肝心の動作、あのカチンという音については、広く認められた説明が存在しません。よく語られるのは三つの説ですが、どれも弱点を抱えたままです。
| 説 | 言い分 | 弱点 |
|---|---|---|
| 毒味説 | 強くぶつけて中身を混ぜ、毒がないと示した | こぼれた酒は床に落ちる。毒殺は杯の縁や指輪を使うのが実際だったとされる |
| 魔除け説 | 金属音が宴に寄る悪霊を追い払う | 中世の風習として語られるだけで、裏づけとなる記録がない |
| 五感説 | 視覚・触覚・嗅覚・味覚に、音を足して五感を揃える | 説明としては魅力的だが、いつ始まったかを示す証拠にはならない |
毒味説が成り立たない理由
こぼれた酒は、相手の杯に入らない
杯を強くぶつければ中身は飛びます。ただし飛んだ酒の大半は、向かいの杯ではなく卓と床に落ちます。狙って相手の杯へ注ぎ込むには、ぶつけるより傾けたほうが早いでしょう。検証記事の多くがまずこの一点を指摘しています。
一人一杯より前から、乾杯はあった
健康を祈って杯を交わす習慣は、ギリシャやローマの酒席にさかのぼるとされます。当時は大きな器を回し飲みする場面が多く、一人ずつがグラスを持つ形が定着するのは後の時代です。合わせる相手のグラスがなければ、混ぜようがありません。毒味説は、時代の前後が噛み合っていないわけです。
魔除け説と、五感説
悪霊を払ったという記録は出てこない
鐘の音が魔を退けるという発想は各地にあります。それを乾杯に当てはめた説明も、いかにもありそうに響きます。ただし中世ヨーロッパで実際にそう考えられていたと示す史料は挙がっていません。もっともらしさと証拠は別物です。
音が加わったのは、ガラスが澄んでからかもしれない
『食卓の儀礼(The Rituals of Dinner)』などで食事の作法を論じたマーガレット・ヴィッサーは、乾杯で音を鳴らすのは五感を出揃わせるためだという見方を示しました。関連して指摘されるのが、17世紀にヴェネツィアのガラス職人が透明度の高いクリスタルを完成させたことです。よく響く器が広まった時期と、合わせる作法が広まった時期は重なります。もっとも、これも状況証拠の域を出ません。
「合わせない」ほうには、はっきりした物語がある

合わせる理由は誰も語れないのに、合わせない理由は具体的な年号つきで語り継がれています。この非対称は、乾杯という習慣の性格をよく表しています。
ハンガリーで、ビールのジョッキを合わせない
1849年、アラドの13人
1848年から翌年にかけての独立戦争が鎮圧されたあと、13人のハンガリー軍将校がアラド(現在のルーマニア領アラド)で処刑されました。このときオーストリア側の将校たちがビールジョッキを打ち合わせて祝った、だからハンガリー人は150年のあいだビールで乾杯しないと誓った——という話が広く知られています。150年が満ちる日は1999年10月6日でした。
歴史家が指す、別の起点
ところが処刑直後にオーストリア軍がどう祝ったかを記した同時代の史料は見つかっていません。そもそも当時のオーストリア人には、ジョッキを合わせるより卓に打ちつける習慣があったと指摘されます。歴史家ローベルト・ヘルマンは、この慣習の出発点をむしろ1853年、ブダに建てられた敵将ヘンツィの像の除幕にあると見ています。期限が切れて四半世紀が過ぎた今も、ハンガリーではビールで合わせない人が少なくありません。
ドイツで、水では乾杯しない
冥界の川の水を勧めることになる
ギリシャ神話では、死者の魂が冥界を流れるレーテーの川の水を飲むとされます。そこから、水で乾杯するのは相手にあの世行きを願う仕草だという言い伝えが生まれました。ドイツ語圏では今も根強く残っています。結婚式や誕生日・大晦日といった大事な席では、水のグラスを掲げるのを丁重に断る人もいるそうです。
目を見ないと、七年
ドイツ語圏には、乾杯の瞬間に相手の目を見なければ七年の不運が続くという俗信もあります。伝わるところでは、毒を盛った側は酒がこぼれないかと杯ばかり気にしてしまうのだとか。だから目を合わせていれば安心だ、という理屈になります。毒殺の話は動作の起源としては否定されていますが、作法の理由づけとしてはしぶとく生き延びています。
日本の献杯は、音を立てない
胸の高さで、静かに掲げる
法要や通夜のあとの席で交わす献杯では、グラス同士を打ち合わせません。胸のあたりまで静かに掲げ、声も抑えて唱和します。明るい発声も拍手もなく、一口だけ口をつけるのが一般的な作法とされます。同じ動作から音と勢いだけを引き算した形です。
ワイングラスも、合わせないほうがよい
格式のある席のワインやシャンパンでも、グラスは合わせないのが作法として案内されます。理由は縁起ではなく強度です。脚の細いグラスは薄く繊細に作られていて、勢いよくぶつければ欠けたり割れたりします。脚を持って目の高さまで上げ、相手と目を合わせて会釈する。音を鳴らさない乾杯にも、それなりの形が用意されています。
日本では、乾杯が条例になった

由来のはっきりしない習慣が、自治体の条例にまでなった例が日本にあります。2013年1月15日に施行された京都市清酒の普及の促進に関する条例、いわゆる「乾杯条例」です。
罰則のない条例が、全国へ広がった
一杯目を地元の酒で、と呼びかけるだけ
この種の条例に拘束力や罰則はありません。地場の産品で乾杯しようと呼びかけ、関連の催しを行うのが中身です。それでも京都では、伏見の清酒出荷量が30年続いた減少から増加へ転じたと伝えられました。全国の乾杯条例は2018年時点で140を超えています。
牛乳で乾杯する町
対象は日本酒だけではありません。北海道中標津町(なかしべつちょう)は2014年4月1日、全国初の「牛乳で乾杯条例」を施行しました。正式名称は中標津町牛乳消費拡大応援条例で、合言葉は「1杯目の乾杯は地場産牛乳で」。酪農の町ならではの選択です。ワインや焼酎を掲げる自治体もあり、掲げるものは土地の産業をそのまま映しています。
グラスを合わせる理由が説明されないまま何百年も残ったのは、たぶん説明が要らなかったからです。理由のある動作は、その理由が消えれば一緒に消えます。あの音は、誰かが意味を与えたから続いたのではありません。鳴らすと場が始まる——それだけの働きで生き延びてきました。次にどこかで杯が触れ合う音を聞いたら、由来の分からない音がまだ現役で仕事をしていることになります。
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