「冷や汗」と言いますが、出てきた汗そのものが冷たいわけではありません。汗は体の中でつくられて出てくるものなので、温度はおおむね体温なみ。出どころの汗腺も、夏の日に流れるあの汗と同じ種類です。冷たいのは、汗ではなく汗をかいた皮膚のほうでした。
階段を踏み外しかけた瞬間、面接室に呼ばれた瞬間。手のひらや背中がじっとりと湿るあの汗は、体温を下げるために出ているのではありません。出る場所も、命令の出どころも、暑いときの汗とは別系統です。同じ「汗」という一語でまとめられているせいで、その違いがふだん見えにくくなっています。
汗の正体は、三つを聞けば見分けられる

汗の種類を見分ける手がかりは、量の多さではありません。「体のどこから出たか」「そのとき体温は上がっていたか」「何がきっかけだったか」。この三点を順に確かめると、私たちのかく汗はきれいに三種類へ分かれます。
| 項目 | 温熱性発汗 | 精神性発汗(=冷や汗) | 味覚性発汗 |
|---|---|---|---|
| 出る場所 | 手のひら・足の裏を除く全身 | 手のひら・足の裏・わき | 額・鼻・顔・頭 |
| きっかけ | 気温の上昇、運動 | 緊張・恐怖・痛み・低血糖 | 辛いものを食べる |
| 体温 | 上がっている | 上がっていない | 上がっていない |
| 量 | 多い | 少ない | 中くらい |
| 司令塔 | 視床下部(ししょうかぶ)前部 | 視床下部前部 | 延髄(えんずい)の自律神経核 |
三つとも、同じ種類の汗腺から出ている
意外に思われるかもしれませんが、この三種類はどれもエクリン腺という同じ汗腺の仕事です。器官が違うのではなく、そこへ届く神経の経路と、引き金を引く中枢が違う。同じ蛇口を、別々の部署が別々の理由でひねっている状態だと考えるとわかりやすいでしょう。
※ エクリン腺とは、ほぼ全身の皮膚に分布し、水分の多いさらさらした汗を出す汗腺のことです。わきの下などにあり、脂質やたんぱく質を含む汗を出すアポクリン腺とは区別されます。
冷や汗は「体温を下げる汗」ではない

冷や汗の正式な呼び名は精神性発汗です。体温調節とは無関係に起こる発汗で、暑いわけでも走ったわけでもないのに、決まった場所からだけ出てきます。温熱性発汗との違いは、大きく二つ。
出る場所が、はっきり分かれている
手のひらと足の裏は、暑さでは濡れにくい
体温が上がったときの発汗は、手のひらと足の裏を除いた一般の体表面で起こります。逆に精神性発汗は、手のひら・足の裏・わきという限られた場所に現れる。暑い日に額や背中が濡れても手のひらは乾いたまま、という経験があるとすれば、それは受け持ちの区分がそのまま出た結果です。
もっとも、これは絶対の線引きではありません。強い暑熱にさらされれば手のひらからも汗は出ます。あくまで「主にどちらの刺激に反応するか」の傾向の話として読んでください。
汗腺の密度は、額・足の裏・手のひらの順に高い
実際に働いている汗腺(能動汗腺)の数は、日本人で平均およそ230万個と報告されています。分布の密度が高い順に並べると、額・足の裏・手のひら・手の甲・足の甲。冷や汗の出る場所は、たまたま汗腺の密集地帯と重なっています。緊張したときに真っ先に手のひらが湿るのは、そこがもともと蛇口の多い場所だからでもあるのでしょう。
命令の出どころと、反応の速さが違う
味覚性発汗だけは、中枢が別の階にある
精神性発汗と温熱性発汗は、どちらも最上位の中枢が視床下部前部にあります。ところが辛いものを食べたときの味覚性発汗だけは、延髄の自律神経核が担当する。カプサイシンの刺激が顔面神経や舌咽(ぜついん)神経を経由して届くため、経路そのものが別なのです。ラーメンをすすって鼻の頭に汗が浮かぶのは、緊張の汗とは無関係な回路の反応ということになります。
刺激から数秒——冷や汗は立ち上がりが速い
精神性発汗のもう一つの特徴は、潜時(刺激から反応までの時間)の短さです。手のひらに微弱な電流を流して皮膚の電気抵抗を測ると、精神的なストレスを与えてから数秒で抵抗値が下がりはじめます。汗が皮膚をわずかに湿らせ、電気が流れやすくなるからです。
暑さに応じた発汗が、体温という「たまっていく量」を追いかけてゆっくり立ち上がるのに対し、冷や汗は出来事に即応する。ヒヤリとした瞬間にはもう手が湿っている、というあの感覚は、気のせいではありません。
なぜ「冷たい」のか——冷えているのは汗ではなく皮膚

ここが冷や汗という言葉の核心です。分泌された瞬間の汗は体温とほぼ同じ温度で、夏の汗と比べて特別に冷たいわけではない。それでも冷たく感じるのは、皮膚の側が二重の理由で温度を下げているからです。
汗の指令と同時に、血管を締める指令が走る
末梢の血流が減り、皮膚の温度が落ちる
強い緊張やショック状態では交感神経が一気に高まり、末梢の血管抵抗が上がります。手や指へ流れる血液が減れば、血が運んでいた熱も届かなくなる。汗が出るのと同じタイミングで皮膚温そのものが下がるため、湿った手はひんやりと感じられます。冷たいのは、汗ではなく手のほうだったわけです。
「顔面蒼白」と「冷や汗」は同じ反応の表と裏
血の気が引いて顔が白くなるのも、同じ皮膚血管の収縮によるものです。だからこの二つは、しばしば揃って現れます。小説やドラマが「顔面蒼白、冷や汗をびっしょり」と書くとき、それは誇張ではありません。生理学的にはむしろ自然な組み合わせです。
体温が上がっていないのに、蒸発だけが起こる
本来は上がった熱を捨てるための仕組み
汗が皮膚から蒸発するとき、気化熱として熱を奪っていきます。運動して体温が上がっている場面なら、これは余った熱を捨てる合理的な仕組みです。ところが冷や汗では、捨てるべき熱が最初からありません。上がっていない体温から気化熱だけが引かれるので、差し引きは「冷える」方向にしか働かない。
量が少ないほうが、かえって冷たさは際立つ
冷や汗の量は温熱性発汗に比べればわずかです。しかし手のひらや背中という狭い範囲に、血流の落ちた状態で薄く広がる。全身がほてって滝のように流れる汗とは、感じ方がまるで違ってきます。量が多いほど冷たいのではなく、熱の供給が絶たれた場所に少量が乗るときにこそ、あの独特の冷たさが立ち上がるのです。
そもそも、なぜ緊張で手が濡れる必要があるのか

体温調節でないなら、この汗は何のために存在するのでしょうか。よく挙げられるのは「滑り止め」という説明です。危機の場面で手足のグリップを高め、つかむ・走る・登るといった動作を助けるために残った反応だ、という見方になります。
逃げるため、つかむための湿り気
指紋の隆線の上に、汗の出口が並んでいる
手のひらや足の裏のような無毛部では、指紋をかたちづくる隆線(りゅうせん)の頂上に汗孔(かんこう)が一列に並んでいます。物をつかむとき、まさに触れる面へ直接わずかな水分が供給される配置です。適度な湿り気は摩擦を高め、指先の感覚も鋭くするとされています。走って逃げる、木に登る、獲物や道具を握る。そうした場面での滑り止めとして働いてきた反応が、面接や発表の場でも同じように起動している、という筋書きになります。
ただし、これは「意味づけ」であって証明ではない
この説明は広く紹介されていますが、進化の過程で実際にその役割のために選ばれたのかを直接確かめる手立てはありません。手汗がひどくて紙が張りつく人にとって、滑り止めどころか困りごとでしかないのも事実です。「そう考えるとつじつまが合う」という仮説として受け取っておくのが無難でしょう。
汗腺だけが使っている、例外的な伝達物質
交感神経なのにアセチルコリン
交感神経の末端は、ふつうノルアドレナリンという物質で相手に指令を伝えます。ところが汗腺を支配する交感神経は例外で、アセチルコリンを使う。教科書で必ず「ただし汗腺は除く」と注記される、有名な変わり種です。
血管が締まっても汗が出る、という両立
この例外には理屈があるとされます。ノルアドレナリンは血管を強く収縮させるため、それを汗腺への指令にも使ってしまうと、汗をつくるための血流まで止めかねない。伝達物質を分けておけば、皮膚の血管を締めながら汗だけは出す、という一見矛盾した状態が成立します。冷や汗が「冷たいのに濡れている」のは、この配線のおかげでもあるわけです。
放っておけない冷や汗の見分け方

緊張の場面で出る冷や汗は、体が正常に働いた結果です。一方で、同じ反応が体内の異変を知らせる警報として出ることもあります。両者を分けるのは、汗の様子そのものよりも「何と一緒に出ているか」です。
| 組み合わせ | 背景にあること | 目安 |
|---|---|---|
| 冷や汗+動悸+手のふるえ+空腹感 | 低血糖(血糖値がおよそ70mg/dL以下) | 糖分をとって様子を見る。繰り返すなら受診 |
| 冷や汗+めまい+吐き気+目の前が暗くなる | 迷走神経反射(採血・長時間の起立など) | すぐ横になる。頭を低くして足を上げる |
| 冷や汗+強い胸の痛みや圧迫感+息苦しさ | 心筋梗塞などの重い心臓の病気 | 数分以上続くなら救急要請を考える |
低血糖のとき、体は先にアドレナリンを出す
血糖値がおよそ70mg/dLを下回ると、体は血糖を上げようとしてアドレナリンなどを分泌します。その結果として交感神経が刺激され、冷や汗・動悸・手のふるえ・顔面蒼白といった症状がひとまとまりで現れる。糖尿病の治療中に起こりやすい反応で、汗そのものが病気なのではなく、血糖を立て直す作業に伴って出ている点が特徴です。
採血で気分が悪くなる人の冷や汗
採血や強い痛み、長く立ち続けた場面で血の気が引くのは、迷走神経反射と呼ばれる現象です。心拍が落ち、末梢の血管が広がって血圧が下がり、脳へ届く血流が一時的に不足します。めまい・冷や汗・吐き気・目の前が暗くなる感じが前触れとして数分続くことが多い。倒れて頭を打つ前に、その場でしゃがむか横になるのが基本の対処です。
※ 迷走神経反射とは、痛みや強い緊張などをきっかけに副交感神経が過剰に働き、血圧と心拍が下がって一時的に脳の血流が減る反応のことです。
胸の痛みと一緒に出たときは、時間を目安にする
胸の中央から左にかけての強い圧迫感や締めつけ感があり、そこに冷や汗・吐き気・息苦しさが重なる場合は、心筋梗塞の典型的な現れ方に当てはまります。目安としてよく挙げられるのは「休んでもよくならない」「5分から15分以上続く」といった条件です。冷や汗は、痛みの強さを体の側から裏づける手がかりになります。判断に迷うなら、様子を見るより救急に相談するほうが安全です。
※ ここで挙げた症状の組み合わせは一般的な目安であり、診断ではありません。気になる症状が続くときは自己判断せず、医療機関に相談してください。
冷や汗を測る機械と、汗に悩む人の数

ポリグラフが読んでいるのは「嘘」ではない
いわゆる嘘発見器として知られるポリグラフは、手のひらの発汗にともなう皮膚電気活動を主要な指標のひとつにしています。呼吸や脈波と合わせて記録し、質問に対する体の反応を見る装置です。冷や汗が数秒で立ち上がる速さと、意思では止めにくい性質が、そのまま計測に利用されているわけです。
ただし、日本の警察で行われている検査は「嘘をついているか」を当てるものではありません。犯人しか知り得ない事実を質問に混ぜ、その項目にだけ反応が出るかを見る隠匿情報検査という方式が主流です。測っているのは嘘ではなく、記憶の有無。手のひらの汗が答えているのは「知っているか」のほうなのです。
※ 皮膚電気活動とは、汗によって変化する皮膚の電気の通りやすさを記録したもので、精神的な反応を捉える指標として使われます。
10人に1人が汗で困っている
日常生活に支障が出るほど汗が多い状態は、原発性局所多汗症と呼ばれます。2013年に5,807人を対象に行われた日本の調査では有病率12.8%、部位別ではわきの下5.75%・手のひら5.33%・頭部4.7%・足の裏2.79%という結果でした。2020年に約6万人へ行われたウェブ調査では10.0%と、数字にはひらきがあります。
目を引くのは、医療機関を受診した人が6.2%にとどまるという報告のほうです。手のひらの多汗症は平均13.8歳で始まるとされ、体質だと思い込んだまま何十年も過ごす人が少なくありません。近年はわきの下用のエクロックゲル、手のひら用のアポハイドローションといった塗り薬が保険で使えるようになりました。打てる手は、以前より確実に増えています。
「冷や汗をかいた」と口にできるのは、たいてい危機が過ぎ去ったあとです。渦中にいる本人は、手が濡れていることにも、それが冷たいことにも気づいていません。あとから思い返してようやく、体のほうが先に事態を察していたと知る。冷や汗という言葉が過去形で語られやすいのは、たぶんそのせいです。
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