打ち水が涼しいかどうかは、どの温度を測るかで答えが変わります。猛暑日のアスファルトに水をまけば、表面温度は20℃ほど落ちます。ところが同じ場所に立てた温度計の気温は、ほとんど動きません。
「効く」と言う人と「気休めだ」と言う人が、どちらも自分の実感を語っているのはこのためです。両者は違う物差しを見ています。まずは、その物差しごとの答えを並べてみます。
打ち水で下がる幅は、測る場所で四十倍ちがう

次の表の数字は、どれが正しいかを競い合っているわけではありません。行ごとに測っている対象が違うので、縦に並べて大小を比べる表ではないのです。
| 測るもの | 打ち水後の変化 | 測ったときの条件 |
|---|---|---|
| 路面(地表面)の温度 | 約20℃下がる | 猛暑日の直射日光下。1時間ほどで元に戻る |
| 気温 | 平均0.5〜0.7℃下がる | 街ぐるみで一斉にまいたとき |
| 体感温度 | 約1.5℃下がる | 気温が下がらない場合でも |
| 湿度 | 上がる | 条件しだいで蒸し暑さが増す |
路面の約20℃は、日本気象協会が東京・豊島区立南池袋公園で行った観測の値です。打ち水の前に62.4℃あった地表面が、直後には41.8℃まで下がりました。同じ日の練馬の気温は35.6℃。猛暑日のさなかに、地面だけがこれだけ落ちたことになります。
気温の0.5〜0.7℃は、2003年から2007年にかけて行われた広域一斉散水の実験で報告された値です。街区ぐるみで一斉にまいて、この程度です。個人が玄関先にバケツ一杯まいたときの気温変化は、測定の誤差に埋もれる大きさだと考えたほうが実態に近いでしょう。
そして体感温度の約1.5℃は、環境省が示している目安です。気温が下がらなくても体感は下がる、という書き方をしている点が重要で、打ち水の効き目は「空気を冷やす力」よりも「足元の熱さを消す力」に寄っています。
なぜ水をまくと涼しくなるのか

1グラムの蒸発が奪う586カロリー
涼しさの正体は、水が水蒸気に変わるときに周囲から奪っていく熱です。この熱は気化熱と呼ばれ、水温によって値が変わります。20℃の水なら1グラムあたり約586カロリー、100℃の沸騰した湯では約539カロリー、0℃では約596カロリーです。
※ 気化熱(きかねつ)とは、液体が蒸発して気体になるときに、まわりから吸い取る熱のことです。汗が乾くときに肌がひんやりするのも同じしくみです。
1リットルの水がすべて蒸発すると、およそ2,450キロジュールの熱が持ち去られます。冷房能力2.8キロワットの家庭用エアコンが15分ほど運転して運び出す熱の量に、単純計算では相当します。バケツ一杯の水が、想像よりずっと大きな仕事をしているわけです。
冷たさそのものの効き目は、蒸発の三十分の一
「冷たい水をまくから涼しい」と考えている人は多いのですが、水の冷たさが担っている役割は驚くほど小さいものです。20℃の水が路面の熱でぬるくなり、40℃まで温まったとします。このとき奪える熱は1グラムあたり20カロリーほど。
| 熱の奪われ方 | 水1グラムあたり | 起きること |
|---|---|---|
| 蒸発するとき | 約586カロリー | 水が消えて水蒸気になる |
| ぬるくなるとき | 約20カロリー | 水は残ったまま温度だけ上がる |
差は約30倍あります。つまり打ち水は「冷たい水を置く」行為ではなく、「水を蒸発させる」行為です。氷水を使っても効き目が30倍になったりはしませんし、ぬるい風呂の残り湯でも蒸発しさえすれば同じだけ熱を運びます。
流れていった水は、熱を運ばない
この理屈から、効かない打ち水の条件も見えてきます。まいた水がそのまま側溝へ流れ落ちてしまえば、蒸発の出番はありません。水は熱を持ち去るのではなく、熱くなった路面をひとなでして下水へ消えるだけです。
勢いよくホースで洗い流すより、柄杓や如雨露(じょうろ)で薄く広く散らすほうが理にかなっています。同じ1リットルの水でも、水たまり一つと厚さ1ミリの膜とでは蒸発できる面積がまるで違うからです。
昼の日なたにまくと、かえって蒸し暑くなるのはなぜか

散水車をやめた多治見市の「10分後」
日本一暑い町として知られる岐阜県多治見市では、2007年から散水車による大規模な打ち水を行っていました。ところが2010年、これを取りやめています。理由は市民から寄せられた「かえって暑い」という声でした。
報じられた声のなかには、「まいた直後は2〜3℃下がった気がするが、10分ほどで湯気が立ってきて余計に暑い」という趣旨のものがあります。ただし、これは厳密な比較実験の結果ではなく市民の体感による評価です。打ち水が必ずそうなる、という話ではない点は押さえておきたいところです。
気温の下がり幅と、湿度の上がり幅
炎天下の乾いた路面に水をまくと、水は数分で一気に蒸発します。熱は確かに奪われる一方で、空気中の水蒸気はそのぶん増えていくことになります。人が感じる暑さは気温だけで決まりません。湿度が上がれば汗が蒸発しにくくなり、不快さが増します。
気温がわずかに下がる一方で湿度が上がる。この差し引きが不利に振れると、体感は「涼しくなった」ではなく「蒸した」に転びます。多治見市の例は、その差し引きが不利側に出たケースとして語られてきました。
なお、打ち水で生まれた水蒸気は熱を抱えたまま空気の中に残ります。「熱を含んだ水蒸気が放たれるなら、結局まわりは暑くなるのではないか」という指摘は、以前からくり返し出ています。街全体を冷やせるかどうかについては、科学的な検証がまだ十分ではないというのが正直なところです。
アスファルトが水を抱えられない事情
土の地面と舗装路では、打ち水の持ちがまるで違います。土は水を内部まで吸い込み、しばらくかけて少しずつ蒸発させます。対してアスファルトは水を通しません。冷やせるのは表面の薄い層だけで、乾き切るのも早いのです。
※ ヒートアイランド現象とは、舗装や建物、排熱の影響で都市部の気温が郊外より高くなる現象のことです。地面が水を蒸発させにくくなったことも、原因の一つとされています。
南池袋公園の観測でも、下がった路面温度が元に戻るまでの時間はおよそ1時間でした。打ち水は持続する冷房装置ではなく、1時間ほどで切れる一時的な処置だと考えるのが実際に近いでしょう。
朝夕・日陰・二次利用水という三つの目安

日差しが弱い時間ほど、水は長く残る
環境省は、朝や夕方の日差しが弱い時間帯にまくことをすすめています。水を地面に長くとどめておけるため、涼しさが続きやすいからです。とくに夕暮れどきが挙げられています。
場所についても「日なたよりも日陰に」とされています。真昼の日なたでは水がすぐ飛んでしまい、蒸発の速さに冷却が追いつきません。急いで蒸発させることと、効率よく涼しくすることは同じではないわけです。
「水道水は御法度」という打ち水大作戦のルール
市民運動として続く「打ち水大作戦」には、はっきりしたルールがあります。水道水は使わない、というものです。飲める水をわざわざ路面にまくのでは、水を作って運ぶために使ったエネルギーのほうが大きくなってしまいます。
- 風呂の残り湯、シャワーの落とし水
- 子ども用プールの残り水
- 雨水をためたもの
- エアコン室外機から出る水
- 米のとぎ汁
いずれも、放っておけば捨てるだけの水です。打ち水がエコな習慣として語られるのは、涼しさの大きさよりも、この「二度使う」という部分によっています。
避けたいのは洗剤の混じった水
同じ残り水でも、洗剤や汚れを多く含んだものは避けるよう環境省が注意を促しています。路面がすべりやすくなり、転倒につながるおそれがあるためです。
打ち水大作戦の側でも、ソースや麺つゆ、石鹸水のように別の物質が大量に混じった水は対象外としています。涼しさの前に、まいたあとの路面が安全で気持ちのよい状態であること。これが打ち水の作法の土台にあります。
江戸の打ち水は、涼むためだけの習慣ではなかった

茶の湯の露地に、三度水を打つ作法
打ち水の起源には諸説ありますが、有力なものの一つが茶の湯です。戦国から安土桃山にかけて成立した茶道では、茶室へ至る露地(ろじ)に水を打つ作法があったとされます。
客を迎える前・席をいったん立つ中立ちのとき・茶会の終わりの三度に分けて打つ「三露(さんろ)」という考え方が、茶書『南方録(なんぽうろく)』に記されているとされます。涼をとるための行為というより、場を清め、客をもてなすための所作でした。
土埃を鎮め、客を迎える清め
この作法が庶民に広まったのが江戸時代です。当時の道は舗装されていない土でしたから、人と荷車が通れば土埃が舞います。水をまくのは、その埃を鎮めるための実用でもありました。
加えて、客を招くときに玄関先や道に水をまくことには、清めの意味がありました。店先に打たれた水は「支度が整っています」という合図でもあったわけです。涼しさ・埃よけ・清め・もてなし。一つの動作が、いくつもの役目を兼ねていました。
其角が詠んだ「蝉も雀もぬるる程」
俳諧師の宝井其角(たからいきかく)に、「水うてや蝉も雀もぬるる程」という句があります。蝉や雀まで濡れるほど盛大に水を打て、という威勢のいい一句です。
浮世絵にも、打ち水をする人の姿が描かれています。江戸の打ち水は、日々の家事であると同時に、夏の景色そのものでした。現在も「打水」は夏の季語として使われています。
打ち水を舗装に組み込んだ道路がある

水を抱えるアスファルト=保水性舗装
アスファルトが水を抱えられないのなら、抱えられる舗装を作ればよい。そう考えて生まれたのが保水性舗装です。舗装のすき間に保水材を詰め込み、降った雨をためておきます。その水が晴れた日にゆっくり蒸発し、路面の温度上昇を抑えてくれるわけです。
※ 保水性舗装(ほすいせいほそう)とは、舗装内部に水を保つ材料を入れ、その蒸発で路面温度を下げる舗装のことです。打ち水のしくみを道路そのものに組み込んだものといえます。
効果の測定例には幅があり、通常のアスファルトに比べて夏の日中に10〜20℃低いという報告もあれば、6.4℃という控えめな数値もあります。条件に大きく左右されるということでしょう。東京都と国土交通省は国会議事堂周辺でこの舗装を施工し、雨の足りない分を散水装置で補う取り組みを進めてきました。
2003年8月25日正午、江戸開府400年の社会実験
現在の打ち水ブームの起点は、2003年の「大江戸打ち水大作戦」です。江戸開府400年にあたる年に、江戸の庶民の知恵がヒートアイランド対策として通用するかを確かめる社会実験として企画され、8月25日の正午に一斉の打ち水が行われました。参加者は初年の推定34万人から年々増え、2007年には推定961万人に達しています。
打ち水が涼しさを生み出しているのではありません。熱の置き場所を、路面から空気へ移し替えているだけです。だから足元は目に見えて涼しくなり、街全体の気温はほとんど変わりません。運び出された熱は、消えたのではなくどこかにあります。
その移し替えがいちばんうまくいくのは、日が傾いてからです。日陰の乾いた地面へ、捨てるはずの水を薄く広げたとき。江戸の人が夕方の店先で柄杓を振っていたのは、理屈を知らないまま、いちばん割のいい時間を選んでいたことになります。
参考
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