「定礎」とは何か——板の裏の箱を開けるのは建物を壊す日

定礎の銘板 社会と仕組みの話
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ビルの入り口のわきにある「定礎(ていそ)」の板は、「建物の土台になる石を定める」という意味の言葉を刻んだ記念の板です。いまの板は建物を支えておらず、竣工(完成)の年月を記す役目を担っています。板の奥には図面や新聞、貨幣を納めた「定礎箱」が埋め込まれていることが多く、この箱を開けるのは原則としてその建物を取り壊すときです。

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「定礎」はどんな意味の言葉?

石垣の上に建つお城のイラスト

定礎の二文字は、板の名前として作られた言葉ではありません。建物を建てるときに実際に必要だった「礎を定める」という作業を指しています。

礎(いしずえ)は柱を受ける土台の石

礎とは、柱の下に据える土台の石のことです。木造の建物では重さがすべて柱に集まるため、その足元をどう受け止めるかが建物の寿命を左右しました。柱を地面に直接挿す掘立柱(ほったてばしら)は、土に触れた部分から腐りやすいという弱点を抱えています。柱と地面のあいだに石をはさめば湿気を避けられるので、礎石は飾りではなく実用の部材でした。

※ 礎石(そせき)とは、柱の下に据えて柱を受ける石のこと。古い寺の跡などでは、建物が失われたあとも礎石だけが規則正しく並んで残っていることがあります。

定礎は基準になる石を据えること

定礎は、その礎を「定める」行為を指す言葉です。読みは「ていそ」。最初の石をどこにどの向きで置くかが決まらないと、二つ目の石も柱も置けません。石を積んで壁をつくる西洋の建築では、この性格がもっとはっきり出ます。

最初に据えた一個の位置と傾きが、そのまま壁の通りと建物全体の向きになるからです。この基準の石を英語でコーナーストーン(隅石)と呼びます。いまでは「物事の要」という意味の比喩としても使われる語です。

いまの定礎板は建物を支えていない

ビルの建物のイラスト

名前は土台の石を指していても、現代の定礎板に建物の重さはかかっていません。支える仕事はとうに別の部分へ移り、板には記録の役目だけが残りました。

鉄筋コンクリートの建物に礎石はない

鉄筋コンクリート造や鉄骨造のビルでは、地中の杭や基礎が建物全体の重さを受け止めます。柱一本ごとに石を据える必要がないので、礎石という部材そのものが出てきません。建て方は変わったのに、儀式と呼び名のほうが残りました。通りから見える定礎板は、その名残を形にしたものです。

金属や石の板に年月と名前を刻む

板には「定礎」の二文字と竣工の年月が刻まれ、施主や設計者、施工会社の名が添えられることもあります。素材は風雨で傷みにくい金属板や石材が使われます。不動産の解説では、正確な築年数を知る手がかりとして紹介されるほどです。リノベーションで外観が変わった建物でも、板は元の位置に残されていることが多いとされます。

設置は法律の義務ではない

定礎板を付けなければならないという法律はありません。中高層のビルでは慣習として設置されることが多いものの、小さな建物では見かけないこともあります。式を挙げて記録を残すには手間も費用もかかります。付いているかどうかで、その建物を建てた組織の考え方が少し透けて見えるとも言えそうです。

板の裏には何が埋まっている?

タイムカプセルを埋めるイラスト

板の奥には、定礎箱と呼ばれる箱が埋め込まれていることがあります。中身は建てた時点の記録で、建物の中に置かれたタイムカプセルのようなものです。

定礎箱は銅やステンレスの箱

箱の素材は、腐食に強い銅やステンレスが一般的です。壁の中は湿気がこもりやすく、しかも数十年は開けない前提で埋められます。建築金物の会社が既製品として扱っているのも、求められる条件がはっきりしているからでしょう。開封の予定が何十年も先にある工業製品は、そう多くありません。

図面・新聞・貨幣・名簿が定番の中身

よく納められる品は、だいたい次のようなものです。

  • 建物の図面
  • 定礎式の日の新聞
  • その時代に流通している貨幣やお札
  • 施主・施工関係者の名簿や名を記した板
  • 土地を守る氏神のお札

図面は将来その建物を扱う技術者へ、新聞と貨幣は「どんな時代だったか」を伝える手がかりとして残されます。西洋から来た儀式に、氏神へのお札という日本の作法が同居しているのも面白いところです。

何を入れるかは建てる側が決める

定番はあっても、中身に決まった規格はありません。解説記事では「その時代を象徴する品」が加えられる例も紹介されています。学校と企業では、残したいものが違って当然です。板だけを取り付けて箱を納めない建物もあるので、定礎板の奥に必ず何かがあるとは限りません。

定礎箱を開けるのは建物を壊す日

建物を解体している重機のイラスト

定礎箱は、周年記念のような節目に開けるものではありません。開ける日を決めるのは、建物の寿命のほうです。

使われているあいだは取り出せない

箱は壁の中に固定されているため、建物が使われているあいだは取り出せません。開けられるのは原則として、その建物を取り壊すときだけです。埋めてから開けるまでの間隔は、自然と数十年単位に。箱の中身は、いま生きている人ではなく、建物の最後に立ち会う人に宛てたものと言えます。

仙台市役所は58年ぶりに開封

実際に開けられた例があります。仙台市は本庁舎の建て替えにあたり、2023年10月26日に定礎箱の開封セレモニーを行いました。箱は1965年(昭和40年)の竣工時に納められたもので、58年ぶりに外へ出たことになります。

出てきたのは名簿と書類ばかり

仙台市が公表した収納品は10点です。定礎版・庁舎建設工事概要・執行部役職名簿・市議会議員席次表・新庁舎建設委員会の委員と幹事の名簿・建設事務所職員名簿・工事予算と契約執行状況・市の機構図・昭和40年8月4日付けの新聞・市政だより昭和40年8月号。貨幣や記念品は含まれていません。役所が役所の建物に残すとこうなる、という中身です。

開けたあとは新庁舎で展示

取り出された品は捨てられず、仙台市は定礎箱と収納品を展示すると案内しています。半世紀あまり壁の中にあった紙の束が、今度は誰でも見られる場所に置かれるわけです。箱の役目が「しまっておく」から「見せる」へ切り替わる場面と言えるでしょう。

板の日付はいつの日?

テープカットをするスーツ姿の3人のイラスト

いまの定礎板に刻まれるのは、たいてい竣工の年月です。ただし昔からそうだったわけではなく、もとは工事を始める日でした。

起源は西洋のコーナーストーンの儀式

定礎の儀式は、西洋の石造建築で基準の石を据えるときのセレモニーに由来するとされます。さかのぼると古代ギリシャや古代ローマに行き着くという説明が一般的です。基準の石を据えるのですから、時期は工事の始まりでなければ筋が通りません。祈りの対象は、これから始まる工事そのものでした。

明治に西洋建築とともに伝わった

日本にこの習慣が入ってきたのは明治時代で、西洋建築の広まりと一緒だったとされています。石やれんがを積む建て方が輸入されれば、それに付いていた儀式も一緒にやって来るのは自然な流れでした。そのため昔の定礎板には、建築が始まった日が記されていたと説明されています。

定礎式は仕上げの段階へ移った

本来は着工の当初に据えるものでしたが、最近は仕上げの段階で行うのが一般的だと建築金物の会社も説明しています。式が工事の終盤へ移ったので、板に刻む日付も竣工の年月に変わりました。名前は「礎を定める」なのに、行うのは建物がほぼ姿を見せたあと。名前と時期のずれは、こうした移り変わりの結果です。

※ 竣工(しゅんこう)とは、建築工事が完了すること。工事を始める「着工」と対になる語です。

定礎板はなぜ正面玄関のそばにある?

方位磁石のイラスト

定礎板が付く場所は、正面玄関の近くや道路に面した外壁がほとんどです。そこには、方角の作法と人目という二つの理由が重なっています。

南東側に付けるという説明もある

解説記事の中には、設置場所を「正面玄関付近や南東側」と書くものがあります。方角に意味を持たせる考え方は、地鎮祭のような建築の儀式にも見られるものです。ただ、街で実際に定礎板を探してみると、方角より入り口との近さで決まっているように見える建物のほうが目立ちます。

読まれるための表示へ変わった

柱を支える石だった時代なら、置き場所は建物の構造で決まりました。いまの定礎板は、竣工の年月や建てた人の名を伝える表示物です。読まれてこその板なので、人の通らない裏手に付ける理由はありません。歩く人の目に入る壁面という選び方は、役目の変化に合わせた自然な結果でしょう。

刻まれた年で建物の年齢が分かる

カレンダーのイラスト

定礎板の日付は、元号で刻まれていることが多いものです。これが街歩きではちょっとした手がかりになります。

外観が新しくても日付は書き換わらない

「昭和四十六年」とあれば、その建物はおよそ半世紀を経ていることになります。外壁の塗り替えや改修で見た目の古さは分からなくなっても、定礎の日付はそのままです。通りに立ったまま建物の年齢を確かめられる、数少ない手がかりと言えます。

耐震基準の区切りは竣工日ではない

建物の年齢でよく話題になるのが、1981年(昭和56年)6月1日という区切りです。この日以降に建築確認を受けた建物には、いわゆる新耐震基準が適用されています。ただし基準になるのは建築確認の日で、定礎に刻まれる竣工の年月ではありません。工事の期間があるため、昭和56年や57年の定礎板だけでは、どちらの基準で建てられたかは決められないのです。

昭和64年はわずか7日間

元号で刻むからこそ生まれる珍しい日付もあります。昭和64年は1989年1月1日から7日までの7日間しかありません。「昭和六十四年」と刻まれた定礎板があるとすれば、その短い期間に竣工を迎えた建物ということになります。年末年始をはさむ時期なので、出会えたらかなりの幸運でしょう。

アメリカ議事堂の隅石は見つかっていない

金属探知機で探しているイラスト

石とともに記録を埋める発想は、日本だけのものではありません。その代表例が、いまも行方の分からないアメリカ連邦議会議事堂の隅石です。

1793年にワシントンが据えた

1793年9月18日、初代大統領ジョージ・ワシントンが議事堂の隅石を据えました。式はフリーメイソンの作法にのっとって行われ、ワシントンは槌で石を3回打ったと伝えられています。石の下には、銘を刻んだ銀の板が納められました。図面や新聞ではなく銀板というところに時代を感じますが、石と一緒に記録を埋める点は日本の定礎箱と同じです。

銀の板は工事の途中で失われたらしい

この隅石と銀板は、その後どこにあるのか分からなくなりました。1993年には議事堂の建築監が地中レーダーなどで調べ、基礎の下に「明らかに儀式用の石」があると発表しています。ただ銀板は見つかっていません。19世紀半ばの上院議場の増築工事で動かされ、壊れてしまったという見方があります。埋めた記録が必ず読まれるとは限らない、という一例です。

定礎箱に入れられたものは、いまの通行人に宛てたものではありません。受け取るのは、何十年も先にその建物の最後に立ち会う人です。街の定礎板の数だけ、届く日の決まっていない便りが壁の奥で待っています。

参考

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