おみくじの「吉」と「中吉」のどちらが上かは、全国で決まっていません。神社本庁は「大吉→吉→中吉→小吉→末吉→凶」という並びを例に挙げつつ、種類や順番は神社によってさまざまだと説明しています。吉を中吉・小吉より下に置く社寺もあるため、正確な順位は引いた社寺に聞くのがいちばん確かです。
吉と中吉の上下は社寺ごとに違う

神社本庁が挙げる例では吉が2番目
神社本庁の公式サイトにあるおみくじの解説では、「大吉→吉→中吉→小吉→末吉→凶」という順番が例として示されています。この並びなら、吉は大吉のすぐ次。中吉よりも上ということになります。ただし同じ解説の中で、種類や順番は神社によってさまざまだと断っています。全国の神社をまとめる組織でさえ、これを決まりとしては示していないわけです。
吉を中吉・小吉の下に置く並びもある
もう一つよく見かけるのが「大吉・中吉・小吉・吉・末吉・凶」という並びです。字の大きさの感覚で、大・中・小の次に飾りのない吉が来ると考える形でしょう。この場合、吉は上から4番目まで下がります。和文化研究家の三浦康子さんが神社本庁に問い合わせた記事でも、吉が2番目の並びが多いものの、吉を後ろに置くところもあると紹介されています。同じ「吉」の紙でも、境内が変われば位置が変わるのです。
確かめる先は引いた社寺
どちらの並びが正しいという話ではありません。順位を全国でそろえる仕組みが、そもそも用意されていないからです。気になるときは、授与所に掲示や説明書きがないか見てみるのが近道です。なお、どの並びでも大吉がいちばん良く、凶(または大凶)がいちばん悪いという両端は共通しています。揺れているのは、その間の段の扱いです。
吉凶の段はいくつある?

よく見るのは7段前後の構成
いま多くの社寺で見かけるのは、大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶・大凶といった7段前後の構成です。大凶を入れないところもあり、その場合は6段になります。段の数も順位と同じく、全国共通の決まりはありません。おみくじを作る側が、どの段を何枚入れるかまで含めて決めています。
13段に細かく刻む神社もある
さらに細かく分ける神社では、「大吉・吉・中吉・小吉・半吉・末吉・末小吉・平・凶・小凶・半凶・末凶・大凶」という13段の並びも紹介されています。「平(たいら)」は吉とも凶ともつかない段です。末吉と小吉を組み合わせた「末小吉」のように、7段の構成では見ない名前も入ってきます。
伏見稲荷大社は17種類
京都の伏見稲荷大社のおみくじには、17種類の吉凶があると紹介されています。いちばん上は「大大吉」。ほかに「吉凶未分末大吉(きっきょういまだわかたずすえだいきち)」のような、今は決まっていないが最後は大吉になる、という札もあるそうです。先のことを含んだ札は、良し悪しを一本の線に並べる発想とそもそも噛み合いません。吉凶という言葉は、最初から順位表として作られたものではなかったのかもしれません。
凶の割合も社寺が決めている

浅草寺は凶がおよそ3割
東京の浅草寺は「凶が多い」とよく話題になります。旅行情報誌の記事によると、内訳は次のとおりです。
| 吉凶 | 割合 |
|---|---|
| 吉 | 35% |
| 凶 | 30% |
| 大吉 | 17% |
| 末吉 | 6% |
| 半吉 | 5% |
| 小吉 | 4% |
| 末小吉 | 3% |
凶は3枚に1枚に近く、大吉の倍近い数が入っています。大凶はありません。
江戸時代の観音百籤の割合のまま
この配分は、江戸時代に広まった「観音百籤(かんのんひゃくせん)」に記された割合をそのまま守ったものとされています。凶を減らして参拝者を喜ばせるより、昔の籤の形を崩さないほうを選んでいるわけです。同じ100枚でも、凶を何枚入れるかは社寺の考え方しだい。凶が出やすいかどうかも、順番と同じく境内ごとに違います。
番号ごとに文面が決まっている
浅草寺のように100枚でひとそろいのおみくじは、「第◯番」という番号ごとに吉凶と文面が決まっています。紙のいちばん上にある番号は、そのそろいの中の何枚目かという印です。紙の作りは上から番号・吉凶・和歌や漢詩・個別の項目の順に並ぶのがよく見る形です。いちばん大きな字の吉凶は、紙の面積でいえばごく一部にすぎません。
明治神宮のおみくじに吉凶はない

和歌と解説と英訳だけの「大御心」
東京の明治神宮のおみくじ「大御心(おおみこころ)」には、大吉も凶も書かれていません。神宮の説明によれば、吉凶を占うおみくじではないとされています。紙に載るのは和歌が一首と、その解説文、そして英訳です。順位を比べようにも、比べる段そのものがありません。
12万首を超える歌から30首
元になっているのは、祭神である明治天皇の御製(ぎょせい)9万3032首と、昭憲皇太后の御歌(みうた)2万7825首です。そこから人としての教訓になる歌を15首ずつ選び、合わせて30首にまとめたものだそうです。浅草寺の100枚と比べると、枚数も中身の作りもまったく違います。それでも、どちらも同じ「おみくじ」という名前で授与されているのです。
吉凶はおみくじに欠かせない部品ではない
吉凶が無くてもおみくじとして成り立つ、という例は、吉凶の二文字が付け足しに近いことを示しています。読ませたい中身は、その下の歌や言葉のほうにあるわけです。凶が3割入った紙と、吉凶が一つも無い紙。この二つが同じ名前で並んでいる以上、吉と中吉の上下を全国で比べる意味は、あまり大きくなさそうです。
「待ち人」は恋人のこと?

辞書の意味は「来るのを待たれている人」
国語辞典で「待人(まちびと)」を引くと、意味は「来るのを待たれている人」です。デジタル大辞泉も精選版日本国語大辞典も、恋愛の相手に限ってはいません。連絡を待っている取引先も、帰りを待つ家族も、この一語に収まります。「人生を変える出会い」と大きく読ませる解説もありますが、元の言葉はもっと日常的なものでした。
狂言『居杭』に出てくる待人
精選版日本国語大辞典が「待人」の用例に挙げるのは、狂言『居杭(いぐい)』の一節です。室町末から近世初めの虎寛本(とらひろぼん)に、「惣而うせ物の待人のと申が、算置の手取物で御ざる」という台詞があります。
※ 算置(さんおき)とは、算木(さんぎ)という棒を使って吉凶を占った、中世から近世の職業的な占い師のことです。
数百年前から占いの定番だった
台詞のだいたいの意味は「失せ物だの待ち人だのというのは、占い師の得意な稼ぎどころだ」。つまり数百年前の時点で、失せ物と待ち人は占いの定番として笑いのネタになるほどでした。おみくじの項目に「待人」「失物」が並ぶのは、そのころの関心ごとがそのまま受け継がれた結果でしょう。
求人・争事・旅立は何を占う?

「求人」は読み方が割れている
現代の国語辞典で「求人」は、必要な働き手を求めることを指します。ところがおみくじの欄には、二通りの読み方が存在するのです。人を雇う側の首尾と読むものもあれば、自分が探している人に会えるかどうかと読むものもあります。どちらか一方を誤りと切り捨てられるほど、根拠ははっきりしていません。手元の紙に解説が添えてあれば、まずはそれに従うのが確実です。
争事・旅立・失物の中身
「争事(あらそいごと)」は裁判や勝負ごと、「旅立(たびだち)」は外出や旅の首尾、「失物(うせもの)」は無くした物が見つかるかどうか。「相場」や「商売」が並ぶ紙もあります。神社本庁も、おみくじでは金運や恋愛・失物・旅行・待ち人・健康など、生活全般にかかわる導きを見ることができると説明しています。
昔の暮らしの心配ごとの一覧
並べてみると、どれも昔の暮らしの心配ごとです。遠出は命がけ。失せ物は簡単には戻らず、揉めごとは家の浮き沈みに直結しました。吉凶の段は増やしたり減らしたりできても、項目名は受け継いだ文面を刷り続けるほうが自然だったのでしょう。いちばん大きな字がいちばん自由で、小さな字がいちばん古い。おみくじは少しねじれた紙です。
始まりは比叡山の元三大師

延暦寺の横川がおみくじ発祥の地
比叡山延暦寺の公式サイトによると、現代のおみくじは元三大師(がんざんだいし)が考案したと言われます。横川(よかわ)の元三大師堂は、おみくじ発祥の地とされる場所です。元三大師は平安時代の天台宗の高僧・良源(りょうげん)のことです。お堂は四季講堂とも呼ばれ、門前には「おみくじ発祥之地」の石碑が立っています。
元三大師百籤は漢詩100枚
原型とされる「元三大師百籤(ひゃくせん)」は、五言四句の偈文(げもん)が書かれた100枚の札です。中国のくじを参考にしたと言われ、各札に漢詩と吉凶が記されていました。浅草寺の観音百籤も、この流れをくむ100枚のくじです。吉凶はもともと、漢詩の内容に添えられた見出しのような位置づけでした。
今も相談してから僧侶が引く
元三大師堂のおみくじは、筒を振って自分で引く形ではありません。予約したうえで悩みごとを紙に書き、僧侶との面談で引くべきかどうかを判断してもらいます。そのあと僧侶がお経を唱えてくじを引き、内容を解説する流れです。旅行メディアの取材記事では、吉凶を占うものではなく行動の指針だと紹介されています。発祥の地では、順位より「今どうすべきか」が中身だったわけです。
全国の7割近くは山口県で刷られている

周南市の女子道社が奉製
全国の社寺で授与されるおみくじのうち、6〜7割は山口県周南市の女子道社(じょしどうしゃ)が作っていると言われます。納め先は5000か所以上とされ、二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)の境内にある会社です。同じ会社の紙が全国に出回っていても、どの段を何枚入れるか、どう並べるかは納める先の社寺によって違ってきます。
機関誌の資金づくりから始まった
始まりは明治時代です。二所山田神社の宮司・宮本重胤(みやもとしげたね)は、男性しかなれなかった神職に女性も就けるよう訴える運動を起こしました。その機関誌『女子道』を出す資金を得るため、おみくじづくりを始めたとされています。
自動頒布機も同社の考案
社寺でよく見かける、硬貨を入れるとおみくじが出てくる自動頒布機を考えたのもこの会社です。山口県の観光サイトも、自動頒布機の考案と全国の神社仏閣向けのおみくじ製作を紹介しています。
引いたおみくじは結ぶ?持ち帰る?

持ち帰っても差し支えない
境内の結び所に結んで帰る習わしはありますが、神社本庁は持ち帰っても差し支えないとしています。吉凶によって結ぶか持ち帰るかを分ける決まりも、本庁の説明には見当たりません。神社本庁は、おみくじが個人の生活の指針や運勢を占う形になったのは江戸時代だと言われる、とも説明しています。持ち帰って読み返すのは、その「指針」としての使い方に沿ったものです。
読みどころは大きな二文字の下
ここまで見てくると、おみくじで本当に読むべき場所は、いちばん大きな二文字ではないのかもしれません。その下の和歌や漢詩、そして「待人 来る」のような短い一行です。吉が中吉より上でも下でも、紙に書かれた助言の中身は変わりません。吉と中吉の上下は、引いた社寺がそれぞれに決めています。順位の分からない見出しから目を下へ落とすと、その紙は順位表ではなく、自分宛ての短い手紙に変わります。
参考
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