おみくじの「吉」と「中吉」はどちらが上か

言葉と論理の話
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おみくじで「吉」を引いたとき、それが大吉の次なのか、それとも小吉より下なのか。迷ったことのある人は多いはずです。その順番を全国で決めている決まりは、どこにもありません。神社本庁の説明も「大吉→吉→中吉→小吉→末吉→凶」といった並びを挙げたうえで、「神社によってさまざまです」と添えています。

共通しているのは、大吉がいちばん良く、大凶がいちばん悪いという両端だけ。その間は、引いた社寺それぞれの流儀に委ねられています。ついでに言えば「待ち人」も、多くの人が思っているような意味の言葉ではありません。

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おみくじの紙を、上から下へ見ていく

大吉と書かれたおみくじの紙

順番の話に入る前に、手元の一枚がどう作られているかを整理しておきます。おみくじは細長い紙の上から下へ、性格の違う情報が層になって並んでいます。ふだん目に入るのは真ん中あたりの二文字だけですが、紙の面積でいえば、それは全体のごく一部です。

紙のどこか書いてあるもの読みどころ
いちばん上「第◯番」という番号百枚前後ある札のうちの一枚という印。番号ごとに文面が決まっている
その下大吉・吉・中吉などの吉凶いちばん大きな字。ただし段の数も順位も社寺ごとに違う
中ほど和歌、または漢詩(偈文)とその解説元をたどればここが本体。運勢の理由づけにあたる部分
下半分待ち人・失物・争事・旅立などの個別項目暮らしの心配ごとの一覧。言葉づかいは江戸以前のまま
紙を離れて結ぶか、持ち帰るか結び所に結ぶ習わしがある一方、持ち帰っても差し支えないとされる

この五つの層のうち、決まりが無いのは二番目の吉凶で、逆にいちばん古い形を残しているのが四番目の項目名です。以下、その順に見ていきます。

「吉」が何番目かは、その社寺しか知らない

小吉のおみくじ

吉凶の並びに全国共通の基準はありません。神社の包括組織である神社本庁が、公式サイトではっきりそう書いています。

神社本庁の説明にも「神社によってさまざま」とある

例として挙がる並びでは、吉は二番目

神社本庁のおみくじの解説では、「大吉→吉→中吉→小吉→末吉→凶」という順番が例に挙げられています。この並びだと、吉は大吉のすぐ次。中吉より上ということになります。

ところが同じ文章の中に、こうした順番は「神社によってさまざまです」という一文が置かれています。示された並びは、あくまで一例という扱いなのです。

「大吉・中吉・小吉・吉」と並べる社寺もある

一方で、大吉のあとに中吉・小吉と続き、最後に吉が来る扱いをする社寺もあると紹介されています。この並べ方だと、吉は上から四番目。同じ「吉」の紙を持っていても、境内が変われば意味する位置が変わってしまいます。

どちらが正しいという話ではありません。順位を全国で統一する仕組みが、そもそも用意されていないのです。正確なところを知りたければ、引いた社寺に尋ねるほかありません。

段の数そのものも揃っていない

七段が多数派、十三段まで刻む例もある

今よく見かけるのは、大吉・中吉・小吉・吉・末吉・凶・大凶といった七段前後の構成でしょう。ただしこれも決まりではなく、大吉から大凶までを十三段に刻む社寺もあるとされます。

  • 十三段の例:大吉・吉・中吉・小吉・半吉・末吉・末小吉・平・凶・小凶・半凶・末凶・大凶
  • 「平(たいら)」は吉とも凶ともつかない、可もなく不可もなしの段
  • 「末小吉」のように、末吉と小吉を掛け合わせたような段も入る

一列に並べられない吉凶もある

京都の伏見稲荷大社には、十七種類の吉凶があると紹介されています。「大大吉」のような分かりやすいものだけでなく、「凶後大吉(きょうのちだいきち)」「吉凶相半(きっきょうあいなかばす)」といった札も混じるそうです。

凶のあとに大吉が来る、あるいは吉と凶が半分ずつ。これらは運の良し悪しを一本の線の上に置く発想と、そもそも噛み合いません。順位が揃わないのは社寺が勝手に並べ替えているからではなく、吉凶という言葉が最初から順位表ではなかったから、とも言えそうです。

「待ち人」は、恋人のことではない

ベンチで人を待つ女性

紙の下半分に並ぶ項目は、吉凶とは反対に、驚くほど古い言葉づかいをそのまま残しています。代表格が「待ち人」です。

辞書の語義は「来るのを待たれている人」

恋愛の相手に限る語ではない

国語辞典で「待人(まちびと)」を引くと、語義は「来るのを待たれている人」。デジタル大辞泉も精選版日本国語大辞典も、恋愛の相手だと限定していません。連絡を待っている取引先も、帰りを待つ家族も、この一語に収まります。

現代の解説では「人生の転機になる人」「良い方向へ導いてくれる人」と広く読ませるものが目立ちます。もとの語義からすれば、そこまで運命的に構えなくてもよい言葉でした。

狂言の台詞に「うせ物の待人の」と出てくる

精選版日本国語大辞典が「待人」の用例に引くのは、狂言『居杭(いぐい)』の一節です。虎寛本と呼ばれる写本は室町末から近世初のもので、そこに「惣而うせ物の待人のと申が、算置の手取物で御ざる」という台詞があります。

算置(さんおき)とは、算木などを使って吉凶を占った、中世から近世にかけての職業的な占い師のことです。

だいたいの意味は「失せ物だの待ち人だのというのは、占い師の得意な稼ぎどころだ」。つまり数百年前の時点で、失せ物と待ち人は占いの定番メニューとして笑いのネタになるほど定着していたわけです。おみくじの項目名は、その頃の関心事をそのまま持ち越しています。

「求人」も、求人広告の求人ではない

現代語としての「求人」はむしろ新しい

精選版日本国語大辞典で「求人」を引くと、語義は「会社や工場などで必要とする働き手を探し求めること」。挙がっている用例は昭和二十六年(1951年)の文章で、言葉としては意外に新しいものでした。

おみくじの欄が、就職活動の首尾を占うために置かれたとは考えにくい、ということになります。字面のとおり「人を求めること」と読むのが素直でしょう。

解説する側でも読み方が割れている

ややこしいのは、この欄の説明が資料によって一致しないことです。人を雇い入れる側の首尾と説明するものもあれば、自分が探し求めている人に出会えるかどうかと説明するものもあります。

どちらか一方が誤りだと切り捨てられるほど、根拠がはっきりしているわけでもありません。手元の紙に添えられた解説があれば、まずはそれに従うのが確実です。

残りの項目も、暮らしの心配ごとの一覧

争事・旅立・失物・相場

「争事(あらそいごと)」は裁判や勝負ごと、「旅立(たびだち)」は外出や旅の首尾、「失物(うせもの)」は無くしたものが見つかるかどうか。「相場」が並ぶ紙もあります。

並べてみると、どれも昔の暮らしの心配ごとです。遠出は命がけ。失せ物は簡単に出てこず、揉めごとは家の浮き沈みに直結しました。神社本庁も、おみくじの内容を「生活全般にかかわる導き」と説明しています。

項目名が古いままなのは、書き換える理由がなかったから

吉凶の段は増やしたり減らしたりできても、項目名のほうは代々受け継いだ版を刷り続けるほうが自然でしょう。結果としてできあがったのは、少しねじれた紙です。いちばん大きな字の部分がいちばん自由で、小さな字の部分がいちばん保守的、というふうに。

凶の出やすさも、社寺が決めている

凶のおみくじ

順番だけでなく、どの吉凶が何割入っているかも社寺ごとの判断です。凶が出にくい紙もあれば、江戸時代の配分を守り続けている紙もあります。

浅草寺は割合を変えていない

凶がおよそ三割という内訳

東京の浅草寺は「凶が多い」としばしば話題になります。取材に答えた寺の説明によれば、内訳は次のとおりです。

吉凶割合備考
35%いちばん多い
30%三枚に一枚に近い
大吉17%六枚に一枚ほど
末吉6%
半吉5%
小吉4%
末小吉3%

大凶はありません。この配分は江戸時代に広まった「観音百籤(かんのんひゃくせん)」のもので、寺は当時から割合を変えていないと説明しています。ほかの社寺には大凶を加えたり凶を減らしたりしたところもあるだろう、とも述べていました。

寺の側は「これ以上悪くならない」と読む

凶を引いた参拝者への説明として、寺は「これ以上、悪くならないということです」と伝えています。悪い報せではなく、底を打った合図として受け取るという読み方です。

凶が三割も入った紙が今も刷られ続けている背景には、この読み方があります。凶を減らすのも一つの親切、残すのも一つの筋、というわけです。

明治神宮には吉凶そのものが無い

和歌だけが書かれた「大御心」

明治神宮のおみくじ「大御心(おおみこころ)」には、大吉も凶も書かれていません。紙に載るのは和歌と、その解説と英訳だけです。

もとになっているのは、祭神である明治天皇の御製(ぎょせい)九万三千三十二首と、昭憲皇太后の御歌(みうた)二万七千八百二十五首。そこから人としての道の指針になるものを十五首ずつ選び、合わせて三十首にまとめたと説明されています。

吉凶が無くても、おみくじとして成り立つ

順位も凶も無いのに、これは立派なおみくじとして授与されています。裏を返せば、吉凶の二文字はおみくじに欠かせない部品ではないのでしょう。

浅草寺の三割の凶と、明治神宮の吉凶なし。この二つが同じ「おみくじ」という名前で並んでいる時点で、順位表として比べる意味はあまりない、と考えたほうがよさそうです。

もともとは、運試しの道具ではなかった

説法をするお坊さん

そもそもおみくじは、良い札を引き当てて喜ぶための仕掛けとして生まれたわけではありません。発祥の地とされる場所では、今もその性格が守られています。

百枚の漢詩から始まった

元三大師が考案したと伝わる

比叡山延暦寺は公式サイトで、現在行われているおみくじは元三大師(がんざんだいし)が考案したと言われている、と説明しています。元三大師は十世紀の天台座主・良源のこと。横川(よかわ)にあるその元三大師堂が、おみくじ発祥の地とされる場所です。

その原型は「元三大師百籤」。番号を振った百枚の札に、五言四句の漢詩と吉凶が記されていました。中国から伝わった「天竺霊籤(てんじくれいせん)」が下敷きになっているとされます。

江戸初期に体系化されたという伝え

江戸初期の僧・天海(てんかい)が夢のお告げを受け、信州の戸隠で良源の残した偈文(げもん)百枚を見つけた、という話も伝わります。これを整えて広めたのが今の形につながる、という筋書きです。

ただしこれは伝承として語られてきたもので、年代や経緯を史料で押さえきれる話ではありません。おみくじが庶民の間に広まったのが江戸時代だという点は、神社本庁の説明とも重なります。

発祥の地では、今も引く前に相談する

予約して、僧侶と話してから引く

元三大師堂のおみくじは、賽銭箱の横に置かれた筒を振る方式ではありません。事前に予約し、迷っている事柄を書き出し、僧侶の聞き取りを受けてから札を引きます。何を教えてほしいのかを、先にはっきりさせる手順です。

お堂の案内として紹介されているのは、次のような趣旨です。これは決して予言ではなく、進むべき道に迷ったときに方向を決めていただくもの。運試しの方は遠慮いただいている、とも伝えられています。

吉凶は答えの見出しにすぎなかった

相談してから引くのなら、返ってくるのは「今どうすべきか」という助言です。大吉か凶かは、その助言に付いた見出しのようなもの。順位を競う欄ではありませんでした。

順番に全国共通の決まりが無いのも、そう考えると腑に落ちます。統一されなかったのではなく、統一する必要のある部分だと思われてこなかったのでしょう。

その紙は、どこで刷られているのか

オフセット印刷機

七割近くを、山口県の一社が刷っている

全国の社寺で授与されるおみくじのうち、七割近くは山口県周南市の女子道社(じょしどうしゃ)が奉製しているとされます。二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)が設けた会社です。

始まりは明治時代でした。宮司の宮本重胤(みやもとしげたね)が女性の自立のための全国組織を立ち上げ、明治三十九年(1906年)にその機関誌『女子道』を発刊。その資金源としておみくじの製造を始めた、と周南市は説明しています。社寺でよく見かける自動頒布機を考案したのも、この会社でした。

結んで帰るか、持ち帰るか

結び所に結んで帰る習わしは、「結ぶ」が縁を結ぶことに通じるとして江戸時代から行われてきたとされます。ただし神社本庁は、持ち帰っても差し支えないと明記しています。木の枝が傷むため、結び所を設ける社寺も増えました。

そう考えると、おみくじで本当に読むべき場所は、いちばん大きな二文字ではないのかもしれません。その下の和歌や漢詩、そして「待ち人 来る」の四文字。順位の分からない見出しから目を下へ落とすと、その紙は突然、順位表ではなく自分宛ての短い手紙に変わります。

参考

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