結婚式に大安が好まれるのは、六曜(ろくよう)という暦の目印で「万事に大吉、特に婚礼によい日」とされているからです。葬式で友引を避けるのは、字面から「友を引き連れていく」と連想されたためでした。仏滅の「仏」も仏教とは関係がなく、どちらにも科学的な根拠はありません。
六曜は6つの日を順に回す暦の目印

先勝から赤口まで6種類ある
カレンダーの日付の下に小さく「大安」「仏滅」と書かれているもの。これが六曜で、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種類があります。国立国会図書館の解説をもとに、一般的な意味を並べると次のとおりです。
| 六曜 | 読み | 一般的な意味 |
|---|---|---|
| 先勝 | せんしょう | 急ぎごとに吉。午前は吉、午後は凶 |
| 友引 | ともびき | 祝い事はよいが、葬式は避ける。朝夕は吉、正午は凶 |
| 先負 | せんぶ | 控えめに過ごす日。午前は凶、午後は吉 |
| 仏滅 | ぶつめつ | 万事に凶。ただし葬式や法事は構わない |
| 大安 | たいあん | 万事に大吉。特に婚礼によい |
| 赤口 | しゃっこう | 凶日で、祝い事は大凶。正午だけ吉。火と刃物に注意 |
同じ図書館の解説は、解釈はさまざまで「どれが正しい」という基準はないとも書き添えています。表の意味も、あくまで広く知られた読み方のひとつです。
旧暦の月と日で機械的に決まる
六曜の割りふりに占いの要素はほとんどありません。旧暦の1月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引というように、月の初日が決まっています。そこから先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口の順に回すだけです。
計算で言えば、旧暦の月と日を足して6で割った余りで決まります。そのため旧暦の月が替わるたびに並びが飛び、新暦のカレンダーでは「仏滅の翌日がまた先勝」のような不規則な並びが生まれます。
なぜ結婚式は大安を選ぶのか

大安は「特に婚礼によい」とされる日
大安は六曜のなかで唯一、一日じゅう吉とされる日です。国立国会図書館の解説でも「万事に大吉」に加えて、特に婚礼によいと説明されています。結婚式や入籍、開店の日取りに大安が選ばれやすいのは、この「お墨つき」があるからです。
仏滅には「割引」という値段の差がつく
反対に、万事に凶とされる仏滅は結婚式では避けられがちです。暦の研究者による論文でも、「仏滅割引」を用意する結婚式場が数多いことが指摘されています。宝くじを大安に買う人が多いという話も同じ論文に出てきます。
つまり六曜は、気持ちの問題にとどまりません。日取りの人気が値段の差になって表れ、仏滅を選べば同じ式場を安く使えることもあるわけです。
なぜ葬式は友引を避けるのか

もとは「共引」で勝ち負けなしの意味
友引は、もともと「共引」と書かれていたとされます。午前が吉の先勝と、午前が凶の先負にはさまれた日。両者が引き合って勝負がつかない、という意味でした。奈良県香芝市の人権コラムも、本来の漢字は「友引」でなく「共引」だと説明しています。
「友を引く」と読みかえられて葬式から遠ざかった
その「共」がいつしか「友」と書かれるようになり、「友をあの世へ引き連れていく」という連想が生まれました。祝い事なら「友を呼ぶ」でよくても、葬式では縁起が悪いというわけです。
連想は、さらに別の習慣も生んでいます。友引にやむをえず葬儀をするときは、身代わりの人形を棺に入れるというものです。香芝市のコラムの言葉を借りれば、迷信が生んだ「新たな迷信」です。
友引に休む火葬場はいまも多い

川崎市では友引日が火葬施設の休みの日
友引を避ける習慣は、公共施設の休みの日にまで入りこんでいます。たとえば川崎市の「かわさき北部斎苑」は、火葬施設の休苑日を1月1日と友引の日に定めています。いっぽう式場のほうは1月1日だけが休みで、友引でも通夜や式に使える決まりです。
倉敷市では「第2・第4の友引」だけ休む
休み方は自治体ごとに違います。岡山県の倉敷市中央斎場は、休場日を1月1日〜3日と、毎月第2・第4の友引の日にしています。友引をすべて休むのではなく、月に2回だけにしているのです。
火葬場が開いていなければ、葬儀そのものを友引に組むのは難しくなります。気にしない遺族がいても、施設の都合で日程が1日ずれる。語呂合わせから始まった言いつたえが、社会のしくみとして回っているわけです。
仏滅は仏教と関係があるのか

伝わった当初は「空亡」という名前だった
「仏が滅する」と書くので、お釈迦さまの入滅に関わる日のように見えます。けれども大分市の人権啓発資料によると、伝わった当初の仏滅は「空亡(くうぼう)」と呼ばれていました。意味もただ「よくない」というだけで、いまの字面とは似ても似つかないものだったといいます。
六曜は名前も順番も、時代とともに入れかわってきました。国立国会図書館の解説も、名称や順序の変化にふれています。「仏」の字も、そうした変化のなかで後からついたものです。
仏滅でも葬式や法事は構わない
仏教と関係がない証拠に、仏滅は弔い事を嫌う日ではありません。国立国会図書館の解説では、仏滅は「万事凶」としながら「葬式や法事は構わない」と添えられています。大分市の資料も、一般には仏教との関係はないとしています。
六曜はどこから来たのか

14世紀ごろに中国から伝わった
六曜は中国から伝わった占いがもとです。国立国会図書館は伝来を「14世紀ごろ」とし、大分市の資料は「鎌倉末期から室町時代にかけて」としています。14世紀は鎌倉幕府の終わりから室町幕府の始まりにあたるので、2つの説明は同じ時期を指しています。
大分市の資料によると、伝わった当初の六曜は日の吉凶を示すものではありませんでした。いまのように「この日は結婚によい」と読むようになったのは、日本に入ってから後のことです。
広く使われだしたのは幕末以降
伝来から数百年、六曜は暦のなかで目立つ存在ではありませんでした。国立国会図書館の解説は、広く行われるようになったのは幕末以降としています。暦の研究者による論文も、暦学者の岡田芳朗の著書を引いて、明治の改暦のころから盛んに使われるようになった比較的新しい暦注だと紹介しています。
本場の中国ではいま使われていない
意外なのは、もとになった中国での扱いです。大分市の資料は、現在の中国では六曜がまったく使われていないと書いています。伝わった先の日本で意味を変えながら根づき、結婚式や葬式の日取りを左右するまでになった。六曜は、ほとんど日本で育った習慣といえます。
明治政府は暦から吉凶を外そうとした

1872年の改暦で「でたらめ」とされた
六曜が広まりはじめたころ、国はむしろ吉凶の書きこみを消そうとしていました。1872年(明治5年)、政府は太陽暦への切りかえを決めます。同じ日に出された改暦の詔書は、暦の吉凶の欄を「妄誕無稽(もうたんむけい)」、つまりでたらめで根拠がないと断じました。
このとき旧暦の明治5年12月3日が、いきなり明治6年1月1日になりました。12月は2日で終わったことになり、月給や年末の支払いをめぐって各地で混乱が起きたといいます。
吉凶入りの「おばけ暦」が出回った
それでも、人びとは日の吉凶を手放しませんでした。国の正式な暦は吉凶を載せない「科学的」なものになりましたが、吉凶入りの暦が作者不明のまま大量に出回ります。こうした暦は「偽暦」と呼ばれ、神出鬼没なことから「おばけごよみ」ともいわれました。
戦時中は六曜の文字も消す方針だった
取り締まりは日中戦争のころに強まります。1941年(昭和16年)8月の新聞は、翌年から市販のカレンダーや暦から旧暦・十二支・六曜などの文字を消す方針を伝えました。吉凶入りの暦が大手を振って売られるようになるのは、戦後になってからのことです。
六曜をいまも気にする人はどれくらいか

東京23区の調査では6割近くが「避けたほうがよい」
2006年、東京23区に住む1200人に「仏滅の結婚式や友引の葬式」について尋ねた調査があります。「それなりの理由があるのだから避けた方がよい」と答えた人は58.4%。「全くいわれのないことで気にする必要はない」は12.2%にとどまりました。
若い世代ほどこだわらない
聞き方を変えると、少し違う姿も見えます。大分市が2020年度に行った市民意識調査では、結婚式で大安や仏滅に「こだわる」と答えた人は18.7%でした。「こだわらない」の25.6%のほうが多く、10〜20歳代では「こだわらない」寄りの回答が54.1%に達しています。
気にするのは自分より周りの目
ただ、自分は気にしなくても、親族や参列者に気にする人がいるかもしれません。そう考えて大安を選び、友引を外す人も多いはずです。六曜はいまも、日取りをそろえるための共通のものさしとして生きています。
中国の占いから生まれ、明治政府に否定され、戦時中には消されかけた六曜。それでも残ったのは、当たるからではなく、人が日取りの感覚を分け合う道具だったからでしょう。大安かどうかより、誰と迎える一日かのほうが、ずっと大きな吉なのかもしれません。
参考
- 国立国会図書館「日本の暦」吉凶を表す言葉①六曜
- 荒川敏彦・下村育世「戦後日本における暦の再編(1)──「迷信的」暦註の禁止と復活」(千葉商科大学学術リポジトリ)
- 大分市 人権啓発資料「差別を生み出すもの① 昔から・・・みんなが・・・」
- 川崎市「かわさき北部斎苑利用の御案内(一般用)」
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