「腹の虫が治まらない」「虫の知らせ」のように、日本語には気持ちを虫のしわざにする言い方がたくさんあります。もとをたどると、昔の人は体の中に虫が棲み、病気や感情を起こすと本気で考えていました。戦国時代の医学書は腹の虫を63匹も描き、庚申(こうしん)の夜には虫を外に出さないよう徹夜した。その名残が言葉に残っているのです。
「虫の知らせ」「腹の虫」はどんな気持ち?

虫の知らせは理由のない胸騒ぎ
「虫の知らせ」は、根拠はないのに悪いことが起こりそうだと感じることです。日本国語大辞典が挙げる古い用例は、1781年の洒落本(しゃれぼん)『真女意題(しんめいだい)』。江戸時代の半ばには、もう今と同じ意味で使われていました。頭で考えた予想ではなく、体の奥から勝手に届く合図。その差出人が虫だったわけです。
腹の虫には三つの意味がある
辞書を引くと「腹の虫」には三つの意味が並びます。一つは回虫などの寄生虫。二つめは空腹のときにお腹を鳴らす虫で、1650年の俳諧集に用例があります。三つめが腹立ちを起こす虫で、明治の巖谷小波(いわやさざなみ)『当世少年気質』(1892年)に「ヂッと腹の虫を殺して」と出てきます。
本物の寄生虫と、お腹の音と、怒りの気持ち。この三つが同じ名前で呼ばれていたこと自体が、昔の人の体の見方をよく表しています。
機嫌と好き嫌いも虫が決める
「虫の居所が悪い」は、ささいなことで不機嫌になる状態を言います。体の中の虫がいつもの場所にいないから落ち着かない、という見立てです。「虫が好かない」は、理由をうまく言えないのに相手を好きになれない気持ち。どちらも自分でも説明のつかない心の動きで、そこに虫が呼び出されています。
昔の「虫」は昆虫だけではなかった

蛇は「長虫」、蛙も虫の仲間
日本国語大辞典は、古い「虫」を人・獣・鳥・魚貝以外の小さな動物の総称と説明しています。蛇は「長虫(ながむし)」と呼ばれ、蛙や蟹も虫のうちに数えられました。「蛇」「蛙」「蟹」に虫偏が付いているのは、その広い意味の名残と考えられています。
漢字の「蟲」は生き物全般を指した
もとになった中国の「蟲」も守備範囲の広い字でした。羽も毛も持たない生き物を「裸虫(らちゅう)」と呼び、人間をこれにたとえる言い方が『孔子家語(こうしけご)』に見えます。日本でも1632年の仮名草子に「裸虫の頭は人」とあり、人まで虫の仲間に数える発想が伝わっていました。
見えない寄生虫も同じ「虫」
目に見える小動物だけでなく、体の中の回虫のような寄生虫も「虫」です。日本国語大辞典は、この寄生虫の意味と並べて三尸のような想像上の虫も挙げています。本物の寄生虫と想像の虫が同じ一語にまとめられ、境目があいまいだったからこそ、体の中の虫という考えが自然に受け入れられたのでしょう。
原因の分からない病気はなぜ虫のせい?

近世には体に九つの虫がいるとされた
日本国語大辞典は「虫」の意味の一つに、体内にいて体や感情に影響を与えると考えられた虫を挙げています。近世には人の体に九つの虫がいると信じられていた、とも記されています。原因の見えない腹痛や気分の落ち込みは、この虫たちのしわざと説明されました。
疳の虫と「虫封じ」
子どもの夜泣きやかんしゃく、ひきつけは「疳の虫(かんのむし)」が起こすとされました。小さな子の病気の多くが「虫」と呼ばれたのは、寄生虫が主な原因と考えられていたためです。親たちは寺社で祈ってもらったり、お札を貼ったりする「虫封じ」で子どもを守ろうとしました。
虫唾は胃から上がる酸っぱい液
「虫唾(むしず)が走る」の虫唾は、胃から口に上がってくる酸っぱくて不快な液のことです。1603年に宣教師がまとめた『日葡辞書(にっぽじしょ)』にも載っている古い言葉。胸がむかつく感覚まで虫に結びつけるほど、虫は体の不調の説明役として身近だったのです。
戦国時代の医学書には腹の虫が63匹

『針聞書』は1568年の鍼の手引き
九州国立博物館が所蔵する『針聞書(はりききがき)』は、永禄11年(1568年)に摂津の茨木元行(いばらきもとゆき)という人物が書いた東洋医学の資料です。鍼(はり)の打ち方や体の図に加えて、病気の原因と考えられた虫の姿が色付きで描かれています。
描かれた虫は63種類。それぞれに名前があり、どんな症状を起こし、どう治すかが短く添えられています。
悩みの虫・大酒の虫という名前
紹介記事によると、肺に棲む「悩みの虫」は酸っぱいものが好物です。取り付かれた人は小さなことで悲しみ、世の中が嫌になるといいます。「大酒の虫」に取り付かれると大酒飲みになる。気分や癖まで虫のせいにする発想が、医学書の中で絵になっているのです。
お腹を鳴らすだけの無害な虫
なかには「鳴き寸白(なきすばく)」のように、お腹をごろごろ鳴らすだけで害のない虫もいます。両端が頭になった蛇のような姿で描かれているそうです。空腹のお腹の音を「腹の虫が鳴く」と言うのは、こうした虫の姿を思い浮かべるとよく分かります。治療には鍼や灸、漢方薬が勧められていました。
三尸の虫は何を告げ口する?

道教から来た三匹の虫
体の中の虫をいちばん具体的に語ったのが、道教の「三尸(さんし)」です。人の体には上尸・中尸・下尸の三匹が棲み、それぞれ頭・腹・足のあたりで害をなすとされました。中国・晋の時代の葛洪(かっこう)が書いた『抱朴子(ほうぼくし)』にも、この虫の話が出てきます。
庚申の夜に天へ昇って罪を報告する
三尸は庚申の日、人が眠っているすきに体を抜け出します。天に昇り、その人の過ちを神に報告するという筋書きです。報告された人は寿命を縮められると信じられました。悪いことをした人ほど早く死ぬ仕組みで、虫は体の中の見張り役でもあったのです。
平安の宮中でも続いた守庚申
この考えは早くに日本へ伝わりました。838年に唐へ渡った僧の円仁(えんにん)は、現地の人が庚申の夜に眠らない様子を「日本の正月庚申の夜と同じ」と書き残しています。10世紀には宮中でも恒例の行事として夜を明かしていました。
眠らずに過ごす庚申待ち

60日に一度の徹夜
三尸は眠っている間しか体を出られません。それなら庚申の夜だけ起きていればいい。干支の組み合わせは60通りなので、庚申の日は60日に一度、年に6回ほど巡ってきます。人々はそのたびに集まり、夜明けまで起きて過ごしました。これを「庚申待ち(こうしんまち)」と呼びます。
江戸の庶民には楽しい集まり
江戸時代になると、近所で「庚申講(こうしんこう)」という仲間をつくり、家を順番に回って庚申待ちを行いました。酒や料理を囲み、朝まで話し込む夜です。寿命を守るための信仰が、いつの間にか庶民の社交の場にもなっていました。
道ばたの庚申塔と三猿
庚申待ちを続けた記念に建てられたのが「庚申塔(こうしんとう)」です。15世紀後半には前身の板碑(いたび)が作られはじめ、江戸時代に盛んに建てられました。多くは青面金剛(しょうめんこんごう)という守り神と、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を彫っています。今も道ばたや寺社の境内で見かける石が、体内の虫の信仰の名残です。
気持ちを虫のせいにすると何が変わる?

自分と気持ちを少し切り離せる
「私が怒っている」と言う代わりに「腹の虫が治まらない」と言うと、怒りが少しだけ自分の外に出ます。荒れた気持ちを、体の中の別の生き物が騒いでいる状態として眺められるわけです。責任を虫に預けて、ひと呼吸おく。言葉の働きとして、そんな効き目があるようにも見えます。
泣き虫・本の虫は性質に棲む虫
虫は一時の感情だけでなく、人柄にも棲みつきます。すぐ泣く子は「泣き虫」、臆病な人は「弱虫」、読書に夢中な人は「本の虫」。辞書は「〜虫」を、ある性質の人を軽く見て言う言い方と説明しています。その気質を生む虫が中に居ついている、という見立てがまだ生きているのです。
「虫がいい」は身勝手な欲
「虫がいい」は、自分の都合ばかり考えるずうずうしさを指します。ここでの虫は、自分本位な欲のようなもの。浮気心を「浮気の虫」と呼ぶのも同じ発想でしょう。良くも悪くも、本人が抑えきれない気持ちには、だいたい虫が呼ばれてきました。
「獅子身中の虫」はお経から来た言葉

獅子を内側から食べる虫
「獅子身中(しししんちゅう)の虫」は、獅子の体の中に棲み、ついには獅子を死なせる虫のことです。仏典の『仁王経(にんのうきょう)』に、仏教を内側から損なう者のたとえとして出てきます。日本では法然の手紙(1212年ごろ)に例があり、今は組織の中で害をなす人を指します。「心中」と書くのは誤りです。
「虫の息」はかすかな命
今にも絶えそうな弱い呼吸を「虫の息」と言います。ここでの虫は気持ちではなく、小さな生き物のかすかさのたとえ。同じ「虫」でも、体の中の虫とは別の使われ方です。日本語の虫の言葉には、こうした系統の違うものも混ざっています。
英語ではお腹に蝶が舞う
体の中の生き物で気持ちを表すのは日本語だけではありません。英語の「butterflies in one’s stomach(お腹の中の蝶)」は、緊張でそわそわする感じを言う表現です。落ち着かない胸の内を、腹の中で羽ばたく蝶にたとえています。虫と蝶の違いはあっても、似た感覚は海の向こうにもあるようです。
三尸の告げ口を本気で恐れる人は、もういないでしょう。それでも怒りが収まらないとき、私たちは今も「腹の虫」に登場してもらいます。抑えきれない気持ちを体の中の小さな同居人に預ける知恵は、名前を変えずに残りました。虫の居所は、昔から変わらずお腹の中にあるのかもしれません。
参考
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