空がぱっと光り、少し遅れて音が鳴る。ひとつながりに見えるあの出来事を、日本語は「稲妻」「稲光」「雷」と呼び分けてきました。
光の部分を指すのが稲妻と稲光。光と音をまとめた現象そのものが雷です。では、空の放電になぜ「稲」の字が入っているのでしょうか。そこには、稲を実らせるのは雷だと信じた古い見立てが残っています。
稲妻・稲光・雷——同じ出来事の、どこを指しているか

三つとも同じひとつの出来事の名前です。違うのは、その出来事のどこを切り取っているか。指している場所の順に並べ替えると、関係がすっきり見えてきます。
| 言葉 | 指しているもの | 使われ方 |
|---|---|---|
| 稲妻(いなずま) | 放電の光の部分 | 「稲妻が走る」。速さのたとえにも使う |
| 稲光(いなびかり) | 放電の光の部分(稲妻とほぼ同義) | 「稲光が見えた」。見たままの描写向き |
| 電光(でんこう) | 放電の光(気象観測の用語) | 観測記録。熟語では「電光石火」 |
| 雷鳴(らいめい) | 放電の音の部分 | 「雷鳴がとどろく」 |
| 雷(かみなり) | 光と音を伴う放電現象そのもの | 「雷が鳴る」「雷が落ちる」 |
| 落雷(らくらい) | 雲から地上へ落ちる放電 | 被害や事故を語る場面 |
光・音・全体という三つの層。この並びが頭に入ると、あとの言葉も収まる場所がおのずと決まります。
「雷」は現象ぜんぶ、「稲妻」は光だけ

雷という言葉は、光も音も落下もひとまとめに引き受けます。稲妻が担当するのは、そのうちの光だけ。二つの境目は、ふだんの言い回しを試してみるとはっきりします。
見分ける物差しは「鳴る」と言えるかどうか
「稲妻が鳴る」とは言わない
「雷が鳴る」はごく自然な日本語ですが、「稲妻が鳴る」はどこか落ち着きません。稲妻という語に音の意味が含まれていないからです。反対に「稲妻が走る」「稲妻が光る」なら、すんなり耳を通ります。
「雷」は光にも音にも落下にも使える
雷のほうは守備範囲がずいぶん広い。「雷が光る」「雷が鳴る」「雷が落ちる」のどれもが成立します。おまけに「親父の雷が落ちる」という比喩まで引き受けているのですから、なかなかの働き者。
気象の観測では、光と音を別々に記録する
電光・雷鳴・雷電という三つの記録用語
気象台が雷を観測するときには、光を「電光」、音を「雷鳴」と呼びます。そして両方が観測されたものが「雷電」。熊谷地方気象台の解説では、この三つに強度の段階まで設けられています。
雷鳴なら「遠雷と認められる程度」から「人を驚かす」まで。電光は昼と夜で基準が分かれ、夜は「楽に正視できる程度」から「全身に光をあびる感じ」までの幅で記録されます。日常語では「まぶしかった」で済む差が、几帳面に刻まれているわけです。
※ 電光(でんこう)とは、雷放電のときに生じる光のことです。気象観測で使われる用語で、日常語の「稲妻」「稲光」にあたります。
光だけの夜も、記録には残る
遠い雷雲の光だけが届いて、音がまったく聞こえない夜があります。ふだんなら「稲光だけ見えた」で片づくところ。観測の世界では、それも書き分けるべきひとつの現象として扱われます。
稲妻と稲光は、どこが違うのか

辞書を引くかぎり、この二つはほぼ同じ意味です。どちらも空中の放電による光を指し、入れ替えても文の意味は変わりません。ただし、片方だけが余分に背負っている使い道があります。
意味はほとんど重なっている
どちらも「電光」と言い換えられる
国語辞典はどちらの見出しにも、空中電気の放電によってひらめく光という説明を与えています。「窓の外に稲妻が走った」を「稲光が走った」に替えても、伝わる情景は同じ。日常の場面で、正誤を気にして選び分ける必要はありません。
稲妻だけが持つ、二つ目の意味
『精選版 日本国語大辞典』は、稲妻の語釈に第二の意味を立てています。動作のすばやさや、時間の短さのたとえ。稲光のほうには、この用法が見当たりません。
同じ光を指す「電光」も、「電光石火」という四字熟語で素早さの代名詞になりました。光の速さを借りて動きの速さを言い表す——この発想は、言葉をまたいで働いているようです。
語感によって、自然に選び分けられている
「稲妻のような速さ」は言えるのに
「稲妻のような速さで駆け抜けた」は決まり文句として通用します。ところが「稲光のような速さ」は、意味は分かるのにどこか据わりが悪い。辞書の第二義がそのまま、言い回しの世界にも顔を出しています。
稲光は、見たままを写す言葉
稲光は「稲+光」という透けて見える組み立てで、目に映ったものをそのまま指します。比喩に転じにくいかわり、描写としてはまっすぐ。天気の話をしているときに口をつくのは、たいてい稲光のほうではないでしょうか。
なぜ「稲」の字が入るのか——稲の「つま」という見立て

稲妻の「妻」は、配偶者としての妻ではありません。古語の「つま」で、こちらはむしろ夫を指していたとされます。つまり稲妻とは、もともと「稲の夫」という意味の言葉でした。
「つま」は夫も妻も指した言葉
稲の夫(つま)から稲妻へ
古い日本語の「つま」は、男女どちらの配偶者にも使えた語だとされています。雷の光が稲を実らせる——その信仰から、雷は稲の連れ合いに見立てられました。のちに「つま」といえば妻を書くようになり、字だけが今の形に落ち着いたと考えられています。
「いなつるび」という、もうひとつの呼び名
同じ発想から生まれた古い呼び名に「いなつるび」があります。「つるび」は交配を意味する語だとされ、雷の光が稲の穂と結ばれて実らせる、という見方がそのまま名前になったもの。『日本書紀』では「雷電」の字にこの読みが当てられていたと伝えられています。
稲が実る頃に雷が多い、という観察
千年前の歌にも、秋の田と稲妻が並んでいる
この結びつきは、ずいぶん古くまでさかのぼれます。国語辞典が稲妻の初出例に挙げるのは、九〇五年から九一四年ごろに成立した『古今和歌集』の一首です。
秋の田の穂の上(うへ)を照らす稲妻の光の間(ま)にも我や忘るる
実った穂の上を、一瞬だけ稲妻が照らす。その光がひらめくほんのわずかな間さえ、あなたを忘れるだろうか——という恋の歌です。最古級の用例の時点で、すでに稲妻は秋の田とセットで詠まれていました。
稲妻は秋の季語、雷は夏の季語
この感覚は俳句の世界にも残りました。歳時記では、雷が夏の季語であるのに対し、稲妻は秋の季語として扱われます。同じ空の放電なのに、光を指す名前だけが稲の実る季節へ引き寄せられた格好です。
「雷が多い年は豊作」は、どこまで本当か

雷が稲を実らせるという見立てには、科学の側から説明を当てることもできます。ただし、当ててみると期待したほどの効き目は出てきません。
窒素固定という仕組みは、たしかにある
放電が窒素と酸素を結びつける
空気の約八割を占める窒素は、そのままでは植物に使えません。ところが雷の放電のような高エネルギーの場では、窒素が酸素と結びついて窒素酸化物に変わります。これが雨に溶けて地面へ降れば、たしかに肥料と同じ働きをするわけです。
※ 窒素固定(ちっそこてい)とは、空気中の窒素ガスを、生きものが利用できる形(アンモニアや硝酸など)に変えることをいいます。多くは土の中の微生物が担っています。
ただし、降ってくる量はごくわずか
問題は量です。土壌の研究者による見積もりでは、雷由来の窒素が地面に降る量は一年あたり一ヘクタールで〇・三キログラム程度とされます。家畜や排気ガスに由来して降ってくる窒素が同五キログラム前後とされることを思えば、雷の取り分はかなり小さい。世界全体で見ても、自然の放電による窒素固定は、微生物によるそれの何分の一かにとどまるという推計が一般的です。
では言い伝えは間違いなのかというと、そう決めつけるのも早計でしょう。雷が多い夏は日照や気温にも恵まれやすく、その年の稲がよく育つ理由は肥料以外にもあり得ます。古人が結んだ「雷と豊作」の線そのものは、案外まっすぐだったのかもしれません。
電気と生きもので、こんな実験がある
雷を落としてキノコを増やす
稲ではなくキノコで、雷に近い刺激を与える研究が岩手県で行われました。岩手大学の高木浩一氏らのグループは、菌を植えたほだ木に五万から十万ボルトの電気を一瞬だけ流す装置を考案。試した十種のキノコのうち八種で、発生量が増える結果が得られたと報じられています。
効果が大きかったのはシイタケとナメコで、シイタケは従来の栽培法の二倍以上、ナメコは八割増という数字が伝えられました。「雷の落ちた年はキノコがよく採れる」という各地の言い伝えを、装置で再現してみせた形です。
なぜ増えるのかは、まだ推測の段階
理由については、ひとつの見方が示されています。キノコが電気刺激を身に迫る危機と受け取り、子孫を残そうとして繁殖を活発にするのではないか——という説明です。あくまで推測の段階で、確定した答えではありません。それでも、言い伝えが実験台に載ったこと自体が愉快な話ではないでしょうか。
光と音のずれが、雷までの距離を教えてくれる

稲妻と雷鳴を別の言葉にした先人の区別は、実用の面でも役に立ちます。光と音では伝わる速さがまるで違うため、そのずれを数えるだけで雷までのおおよその距離がつかめるのです。
三秒でおよそ一キロメートル
光は一瞬、音は秒速約三四〇メートル
光は一秒間に地球を七周半するほどの速さで届くため、放電の瞬間とほぼ同時に目に入ります。いっぽう音が空気中を進む速さは、秒速およそ三四〇メートル。この差が、光ってから音が届くまでの間になります。
数えるときの目安
光った瞬間から秒を数え、その数に〇・三四をかければキロメートルが出ます。ざっくり「三秒で一キロ」と覚えておけば十分でしょう。
| 光ってから音までの秒数 | おおよその距離 | 受け取り方 |
|---|---|---|
| 1秒 | 約340メートル | ほぼ真上。すでに危険な範囲 |
| 3秒 | 約1キロメートル | 次の落雷が自分の所に来てもおかしくない |
| 10秒 | 約3.4キロメートル | 近い。避難を終えておきたい |
| 30秒 | 約10キロメートル | 離れているが、油断はできない |
「音が遠いから安全」ではない
雷鳴が届くのは十数キロ、ときに三十キロ超
雷鳴が聞こえる範囲は、ふつう十から十五キロメートルほどとされます。条件によっては三十キロ以上離れていても届くことがあるといいます。裏を返せば、かすかにでもゴロゴロと聞こえた時点で、雷雲はもうその距離まで来ているということ。
気象庁は「雷鳴が聞こえたら差し迫っている」と言う
気象庁は、雷鳴が聞こえるなど雷雲が近づく様子があるときは落雷が差し迫っているとして、ただちに安全な場所へ移ることを呼びかけています。鉄筋コンクリートの建物や自動車の中は比較的安全。やむを得ず木の近くにいる場合は、幹や枝葉から二メートル以上離れるようにと示されています。
そして、雷の活動がやんでから二十分以上たつのを待って動くこと。「光ってから音までが長いから、まだ大丈夫」という数え方は、避難の判断には向きません。距離を測る楽しみと、身を守る行動は別物と考えたほうが安全です。
雷には、もっとたくさんの名前があった

稲妻・稲光・雷鳴のほかにも、雷を指す言葉は数多く残されています。名前の多さは、人がこの現象をどれだけ気にしてきたかの記録でもあるのでしょう。
いかづち・なるかみ・はたたがみ
「かみなり」は「神鳴り」、つまり神が鳴らすものという理解から生まれた語だとされています。中世以降に広く使われるようになった言い方で、それ以前は「いかづち」や「なるかみ」のほうが一般的でした。
「いかづち」は、激しさを表す「厳(いか)」に、霊的な力を意味する「ち」がついた形と説明されます。さらに激しい雷には「霹靂神(はたたがみ)」という名前まで用意されていました。どの呼び名にも、神や霊の気配が入り込んでいるのが分かります。
雷が最も多い町は、秋ではなく冬に鳴る
年平均およそ四五日、日本一は金沢
稲妻を秋の季語にした感覚は、稲作の中心だった土地の実感によるものでしょう。ところが日本でいちばん雷の多い町を探すと、まったく別の季節が浮かび上がります。気象庁の平年値をもとにした集計では、雷を観測した日数の年平均が最も多いのは金沢で、およそ四五日。しかも多いのは夏ではなく、晩秋から冬にかけてです。
北陸では、雷がブリを呼ぶ
日本海側で冬に鳴るこの雷は、北陸で「鰤起こし(ぶりおこし)」と呼ばれてきました。これが鳴ると寒ブリの季節が来るという、稲ではなく魚に結びついた見立てです。同じ空の光が、土地によって稲の夫にもなれば、ブリを呼ぶ音にもなる。
稲妻は、洋菓子の名前にもなっている
光の速さを名前にする発想は、日本語だけのものではありません。洋菓子のエクレアは、フランス語で稲妻を意味する語です。表面の照りが光って見えるからという説や、クリームがはみ出す前に稲妻のように食べるからという説が語られています。
ひとつの出来事を、光と音と全体とで呼び分ける。考えてみれば、日本語はこの手の細分化をあちこちでやっています。雨・風・雪のいずれも、降り方や吹き方ごとに違う名前を持っている。稲妻という言葉が千年前の田んぼの記憶を抱えたまま今も使われているのは、その細やかさが積み重なった結果なのでしょう。
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