「本命」「対抗」「大穴」——選挙報道の言葉は競馬新聞から広まった

言葉と論理の話
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「本命」「対抗」「大穴」「ダークホース」。選挙の開票速報で当たり前のように流れるこれらの言葉は、たどっていくとほとんどが競馬場と競馬新聞にたどり着きます。政治の言葉でもスポーツの言葉でもなく、馬券を買う人たちの言葉が、いつのまにかニュースの標準装備になっているわけです。

ただし、全部が競馬生まれかというとそうでもありません。競馬より何百年も前から日本語にあった言葉が、競馬新聞を通り道にして広まった例もあるのです。出どころを一つずつ確かめていきましょう。

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  1. ニュースの一文に、競馬の言葉はいくつ混ざっているか
  2. 「本命」「対抗」「大穴」は競馬新聞の印から広まった
    1. ◎○▲△には序列がある
      1. 印ごとの役割分担
      2. この印は日本独特のもの
    2. 「穴」はなぜ番狂わせを指すのか
      1. 辞書では「欠損」の意味が先に来る
      2. 損失が大もうけに反転する
  3. 「本命」は競馬より前からあった——陰陽道の星の名前
    1. もとは生まれ年で決まる星の名前
      1. 本命星・本命日
      2. 読みが変わり、意味が動いた
    2. いまの「本命」が置かれている場所
      1. 受験でも贈り物でも使われる
  4. 「勝ち馬に乗る」と「尻馬に乗る」——似た形、違う年齢
    1. 「尻馬に乗る」は十七世紀初めには使われていた
      1. 日葡辞書と江戸の浮世草子
      2. 意味は「考えずに同調する」
    2. 「勝馬」という言葉は近代競馬より古い
      1. 賀茂競馬と夏の季語
      2. 徒然草にも見物客が出てくる
    3. 後ろに乗るのか、勝つ側に乗るのか
      1. 二つの言い回しの分かれ目
      2. 乗りたくなるのは人の性質でもある
  5. ダークホースは小説から生まれ、選挙へ渡った
    1. 初出は一八三一年の小説
      1. 『若き公爵』のレース場面
      2. 「毛色が黒い馬」ではない
    2. 政治の言葉になったきっかけ
      1. 一八四四年、八回目の投票で決まった候補
  6. 英語のニュースも競馬の言葉でできている
    1. 勝ち方を語る言葉
      1. 手を下げても勝てる
      2. ワイヤーと鼻先
    2. 負けと賭けを語る言葉
      1. 「彼も走った」
      2. 賭け方が「全面的に」になる
  7. もう一歩深く——「デッドヒート」と「ハンデ」の出どころ
    1. デッドヒートは本来「同着」
      1. 無駄になったヒート
      2. 日本では接戦の意味に
    2. ハンデは帽子の中の賭けから来た
      1. hand in cap という遊び
      2. 強い馬に重りを載せる
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ニュースの一文に、競馬の言葉はいくつ混ざっているか

試しに、選挙報道にありそうな一文を作ってみます。

与党の本命候補に対し、野党は対抗馬を擁立。大穴と見られていた新人がダークホースとして浮上し、早くも勝ち馬に乗ろうとする動きが出ている。

この二文に競馬の言葉は五つ入っています。数えるより先に意味が通ってしまうあたりが、これらの言葉がどれだけ日常に溶けているかの証拠かもしれません。それぞれの本来の顔を並べておきます。

言葉競馬でのもとの意味ニュースでの意味
本命(◎)そのレースで最も勝つ可能性が高いと見た馬優勝・当選の最有力候補
対抗(○)本命を負かす可能性があると見た馬実力の見合う競争相手
単穴(▲)・大穴展開次第で上位を食う馬/大きな番狂わせ予想外の有力候補、番狂わせ
ダークホース実力が知られていない未知の馬予想外に台頭してきた人物
勝ち馬に乗る(比喩)勝つ側の馬に乗る有利な側について便乗する

「本命」「対抗」「大穴」は競馬新聞の印から広まった

この三つがセットで使われるのは、競馬新聞の予想印がそのまま三点セットだからです。記者が各馬に◎○▲△の記号を打ち、その記号に名前が付いている。名前のほうだけが新聞の外へ出ていきました。

◎○▲△には序列がある

印ごとの役割分担

◎は本命で、そのレースで最も勝つ可能性が高いと予想した馬に打ちます。○の対抗は、本命を負かす可能性があると見た馬。▲の単穴は、展開次第では本命・対抗を負かせるかもしれない馬を指します。△の連下(れんした)は、勝つのは難しいが二着以内はありうる馬です。

◎には「デンデンムシ」「グリグリ」という俗称もあります。二重丸の見た目そのままの呼び名で、こちらは新聞の外へは出ませんでした。

この印は日本独特のもの

◎○▲△で評価を表す方式は日本独特のものとされ、大正時代に関西の競馬を対象として発行された予想紙『中島高級競馬號(なかじまこうきゅうけいばごう)』が最初に採用したとされています。発行年は資料によって一九一九年とも一九二四年ともされ、そこは一致していません。いずれにせよ百年前後、同じ記号が使われ続けていることになります。

日本の近代競馬そのものは、それよりさらに前から始まっていました。確認できる最古の居留地競馬は一八六〇年の横浜元町、一八六六年(慶応二年)には日本初の常設洋式競馬場である根岸競馬場が開設されています。馬が走り、賭けが行われ、やがて予想する新聞が生まれる。その新聞の記号に付いた名前が日常語になった、という順番です。

「穴」はなぜ番狂わせを指すのか

辞書では「欠損」の意味が先に来る

「大穴」を辞書で引くと、語義は「大きな穴」「大きな欠損。多額の損失」の順に並び、そのあとに「競馬・競輪などで、大きな番狂わせ。また、それによる大もうけ」が来ます(デジタル大辞泉)。「経理に大穴をあける」の大穴が先で、馬券の大穴は後発です。

もともとは損のほうを指していた言葉が、賭けの場では「予想の穴」、つまり誰も手を出していない伏兵を意味するようになりました。

損失が大もうけに反転する

面白いのは、意味が反転していることです。穴=損失だったはずが、その穴を当てた人にとっては高配当になる。同じ一語が、外した側から見れば損、当てた側から見れば儲けを指しています。

選挙報道の「大穴」に損の匂いがまったく残っていないのは、当てた側の視点だけが日常語として残ったためと考えられます。

「本命」は競馬より前からあった——陰陽道の星の名前

三点セットのうち「本命」だけは、競馬新聞が生まれるはるか前から日本語にありました。しかも読みが違います。もとは「ほんめい」ではなく「ほんみょう」です。

もとは生まれ年で決まる星の名前

本命星・本命日

「命」を呉音で読んだ「ほんみょう」が本来の読みで、陰陽道(おんみょうどう)で生まれた年により決められている特定の星、あるいは生まれた干支(えと)を指す言葉でした。その星を本命星(ほんみょうしょう)といいます。

陰陽道(おんみょうどう)とは、古代中国の陰陽五行説をもとに日本で独自に発展した、暦や方角から吉凶を占う技術・思想の体系のことです。

生まれ年と同じ十二支の日は本命日(ほんみょうにち)と呼ばれ、病気に気をつける日とされていました。自分の運勢の芯にあたる星、という位置づけです。

読みが変わり、意味が動いた

この「ほんみょう」がやがて「ほんめい」と読まれるようになり、婚礼や旅立ちの吉凶を見るための言葉から、結果を予想するときの第一候補を指す言葉へと移っていきました。いつどの段階で読みと意味が切り替わったのかは、語源辞典でもはっきり示されていません。

ただ、「その人の運命を決める星」から「一番勝ちそうな馬」への移動には、占いと予想はもともと地続きだという事情が透けて見えます。

いまの「本命」が置かれている場所

受験でも贈り物でも使われる

現在の「本命」は守備範囲の広い言葉です。競馬や競輪で一着になると予想される馬や選手。選挙の最有力候補。さらに第一志望や一番のお目当てまで含みます。受験の本命校、就職活動の本命企業、バレンタインの本命チョコ。どれも「複数の候補の中の本丸」という同じ形をしています。

星の名前から出発した言葉が、ここまで守備範囲を広げた例はそう多くありません。

「勝ち馬に乗る」と「尻馬に乗る」——似た形、違う年齢

馬に乗る比喩には、もう一つ古株がいます。「尻馬に乗る」です。形がよく似ているせいで兄弟のように見えますが、記録に現れる時期はかなり離れています。

「尻馬に乗る」は十七世紀初めには使われていた

日葡辞書と江戸の浮世草子

尻馬とは、他人が乗っている馬の後ろの部分、あるいは前を行く馬の尻のことです。一六〇三〜〇四年の『日葡辞書(にっぽじしょ)』には、すでに「人の言説に付和雷同する」という意味で載っています。一六八七年の浮世草子『男色十寸鏡(なんしょくますかがみ)』にも「若衆のさしいでぐち咄のしり馬に乗(ノリ)たる見苦し」という用例が見えます。江戸の初めには、すっかり手垢のついた言い回しだったわけです。

日葡辞書(にっぽじしょ)とは、イエズス会の宣教師が日本語を学ぶために編んだ日本語‐ポルトガル語辞書のことです。当時の話し言葉が大量に記録されており、江戸時代以前の日本語を知る重要な資料になっています。

意味は「考えずに同調する」

尻馬に乗るは、よく考えずに人の言動に同調し、軽はずみな行動をとることを指します。褒め言葉ではありません。他人の馬の後ろにちゃっかり相乗りする図が、そのまま主体性のなさの絵になっている言い回しです。

「勝馬」という言葉は近代競馬より古い

賀茂競馬と夏の季語

一方の「勝馬(かちうま)」は、辞書を引くと最初の語義が「賀茂の競馬(くらべうま)で勝った馬」で、夏の季語として扱われています(精選版 日本国語大辞典)。近代競馬の優勝馬という意味が来るのは、そのあとです。

賀茂競馬は京都の上賀茂神社に伝わる神事で、堀河天皇の代の寛治七年(一〇九三年)、宮中の武徳殿(ぶとくでん)で五月五日の節会(せちえ)に行われていた競馬会式が同社に奉納されたことに始まると伝えられています。一九八三年には京都市の登録無形民俗文化財になりました。馬を走らせて勝ち負けを競う行事は、日本で九百年以上続いていることになります。

徒然草にも見物客が出てくる

『徒然草』第四十一段は、この賀茂の競馬を見に行った場面から始まります。人垣で見えないので木に登った男が、枝の上で居眠りを始める。あんな危うい場所でよく眠れるものだと兼好は驚き、命がいつ尽きるか分からないのを忘れて見物にふける自分たちも同じではないか、と話は転がっていきます。

競馬場の人間観察が随筆に残っているあたり、観客の顔ぶれは昔からそう変わらなかったのかもしれません。

後ろに乗るのか、勝つ側に乗るのか

二つの言い回しの分かれ目

「勝ち馬に乗る」は、有利な方につく、勝った方に味方して便乗する意味です(デジタル大辞泉)。「尻馬に乗る」との違いは、乗る位置ではなく、乗る相手を選んでいるかどうかにあります。尻馬は目の前を行く誰かに何となくついていく形、勝ち馬は勝ちそうな側を見定めて乗り換える形です。

辞書には「勝ち馬に乗る」の語源が示されておらず、比較的新しい言い回しとみられます。古い「尻馬」の型に、競馬の「勝ち馬」がはまり込んで生まれた——そう考える説もありますが、確かめられてはいません。

乗りたくなるのは人の性質でもある

優勢な側につきたくなる心の動きは、心理学でも扱われてきました。行列ができている店に並びたくなる感覚と根は同じで、多くの人が選んでいるという情報そのものが選択に影響します。勝ち馬に乗るという言い方が非難と実感の両方を含んで聞こえるのは、そのためでしょう。

ダークホースは小説から生まれ、選挙へ渡った

ダークホースは英語からの輸入品です。しかも出どころが競馬場そのものではなく、競馬を書いた小説だとされています。

初出は一八三一年の小説

『若き公爵』のレース場面

この語の最初の使用例として知られているのは、のちに英国首相となるベンジャミン・ディズレーリが一八三一年に発表した小説『The Young Duke(若き公爵)』です。誰も気に留めておらず、出走表で主人公が見てすらいなかった一頭が、観覧席の前を駆け抜けて勝ってしまう——そういう場面で dark horse が使われています。

「毛色が黒い馬」ではない

dark は毛色ではなく、素性が明るみに出ていないという意味の dark です。実力も血統も知られていないため、賭ける側がオッズを付けようがない馬を指しました。日本語の「大穴」に近い位置にいる言葉ですが、大穴が配当の大きさを見ているのに対し、ダークホースは情報の乏しさを見ています。

政治の言葉になったきっかけ

一八四四年、八回目の投票で決まった候補

政治用語としての初期の例が、アメリカのジェイムズ・K・ポークです。一八四四年の民主党大統領候補指名で、有力候補が競り合ったすえ八回目の投票でポークが指名され、本選挙でも勝ちました。前評判になかった人物が最後に勝つ形が、そのままダークホースの語義になります。

競馬場で生まれた言葉が小説を経由し、大西洋を渡って政治に定着し、さらに日本語のニュースにまで届いた。ダークホースという語自体がなかなかの遠征をしています。

英語のニュースも競馬の言葉でできている

競馬の語彙が日常語に流れ込む現象は、日本語だけのものではありません。英語には、言われなければ気づかないほど溶け込んだ競馬由来の表現が並んでいます。

表現競馬でのもといまの意味
hands down手綱を緩め、手を下げたまま勝てる楽勝で、文句なしに
win by a nose鼻の差で先着する僅差で勝つ
down to the wireゴール線上のワイヤーまでもつれる最後の最後まで決まらない
also-ran着外に終わった馬の表記敗者、目立たない存在
across the board同じ馬の一着・二着以内・三着以内すべてに賭ける全面的に、一律に
home stretch最終コーナーからゴールまでの直線物事の最終段階

勝ち方を語る言葉

手を下げても勝てる

hands down は十九世紀半ばの競馬報道から使われている表現で、後続を大きく引き離した騎手が手綱を握り込む必要がなくなり、手を下げたまま走り切る様子から来ています。追う必要がないほどの差、という具体が「文句なしの勝利」に転じました。

ワイヤーと鼻先

down to the wire のワイヤーは、どの馬が先に着いたかを判定するためゴール線の上に張られた細い線を指します。win by a nose の鼻は、馬体で最初にゴールへ届く部位が鼻だからです。どちらも判定という場面から出てきた言葉で、僅差を語る語彙が競馬に厚いことが分かります。

負けと賭けを語る言葉

「彼も走った」

also-ran は、レース結果で上位に入らなかった馬をまとめて「also ran(〜も走った)」と記載した書式に由来します。選挙の落選者を指す語としても定着しました。名前が個別に書かれず、走ったという事実だけが残る扱いが、そのまま敗者の比喩になっています。

賭け方が「全面的に」になる

across the board は、同じ馬の一着・二着以内・三着以内すべてに賭ける方式のことです。掲示板の一行を横断して賭けることから、「全面的に」「一律に」の意味になりました。賃上げが across the board で行われた、といった使われ方をします。

もう一歩深く——「デッドヒート」と「ハンデ」の出どころ

競馬由来のカタカナ語には、日本語に入る過程で意味がずれたものもあります。代表格がデッドヒートです。

デッドヒートは本来「同着」

無駄になったヒート

dead heat は、もとをたどれば同着や無効試合を意味する競馬用語です。十九世紀まで盛んだったヒート戦では、同じ馬たちが一つのレースを何度も走り、二回続けて勝った馬が優勝という方式が使われていました。一着同着になるとそのヒートでは勝敗が決まらず、走った意味がなくなる。その「死んだヒート」が語のもとです。

日本では接戦の意味に

日本語のデッドヒートは、ゴール直前の猛烈な競り合いを指す言葉として定着しました。同着になるほど競っている、というところから接戦の意味に寄ったとみられます。英語の dead heat には「大接戦」の語義はなく、日英でずれたまま両方が使われている語です。

ハンデは帽子の中の賭けから来た

hand in cap という遊び

ハンディキャップの語源は hand in cap、つまり「帽子の中に手を」です。二人が持ち物を交換するかどうかを、帽子に入れた手にコインを握るかどうかで示し、審判役が交換条件を決める賭け事でした。hand i’cap と縮まり、十七世紀半ばには handicap の形になったとされています。

強い馬に重りを載せる

一七五四年ごろには、強いほうの馬に余分な重量を負わせて条件を対等にする競馬の意味で使われた記録があります。審判が条件を調整して勝負を成立させる、という賭け事の骨格がそのまま競馬へ移ったわけです。「ハンデをもらう」という日常表現は、帽子とコインの時代から数えて三百年以上を旅してきたことになります。

競馬場から出ていった言葉は、もう競馬場には帰ってきません。本命は受験に、大穴は選挙に散らばりました。ハンデはゴルフや職場の会話にまで根を下ろしています。生まれ故郷を忘れたふりをして、いちばん有利な使われ方の側へ移っていく。言葉のほうが、とっくに勝ち馬に乗っているのです。

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