蚊取り線香を入れる陶器の豚には、蚊遣り豚(かやりぶた)という名前があります。なぜ豚なのかをたどっていくと、妙なことに気づきます。「豚を作ろうとした」という説明が、どこにも出てこないのです。
由来は一つに定まっていません。江戸時代の遺跡から出た実物、常滑(とこなめ)の職人に伝わる話、窯元が語る言い伝え。三つの筋道が並んで残っています。
豚になったわけを説明する三つの筋道

下の表は確からしさの順ではありません。証拠の種類がそれぞれ違うので、出土品にもとづく話と口伝えの話を分けて並べてあります。
| 説 | どんな話か | よりどころ |
|---|---|---|
| 徳利を横にした説 | 酒を入れる徳利(とっくり)を横倒しにした形が、鼻先とおちょぼ口のある豚に見えた | 江戸後期の出土品と、それを所蔵する博物館の解説 |
| 土管の口をすぼめた説 | 養豚場で土管に線香を入れて焚いたところ、煙が散るので口を狭めたら豚に似てきた | 常滑焼の職人に伝わる話 |
| 火伏せの神の説 | 火事よけの神とされたイノシシにあやかり、姿の近い豚が選ばれた | 萬古焼(ばんこやき)の窯元が語る言い伝え |
三つとも出発点は「豚」ではありません。徳利であり、土管であり、火伏せ(ひぶせ)の神です。豚はそこに重ねられた見立てのほうでした。
江戸の蚊遣り豚は何をいぶしていたのか

燃やしていたのは蚊取り線香ではありません。枯葉やおがくずです。蚊取り線香が生まれるより前から、豚の形をした蚊遣りは使われていました。
四谷・内藤町の遺跡から出た全長34.8センチの土器
新宿区立新宿歴史博物館は、内藤町(ないとうまち)の遺跡から出土した豚形の蚊遣りを所蔵しています。推定年代は19世紀の前葉から中葉。江戸時代の後期にあたります。
寸法は口径60ミリ、全長348ミリ、器高230ミリと記録されています。全長が35センチ近いので、いま雑貨店に並ぶ蚊遣り豚よりずいぶん大きな器でした。材質は土器です。
浅草の今戸焼(いまどやき)で作られたものだとする解説もあります。土産物の土人形と同じ素材で、いまのものより長細くイノシシに近い姿だった、という見方です。
大きいのは、枯葉やおがくずを入れたから
博物館の解説は、大きさの理由をはっきり書いています。中でいぶすものが枯葉やおがくずといったかさばるものだったから、というわけです。
渦巻き一巻きを吊るせば足りる現代の器とは、要求される容積がまるで違います。器の大きさは、中身の大きさで決まっていました。
豚の前は、土の火鉢で草木をいぶしていた
豚形が現れる前は、土でできた火鉢などが使われていたと同館は説明しています。煙で蚊を追い払うこの習わしは蚊遣り火と呼ばれ、平安時代までさかのぼるものでした。
※ 蚊遣り火(かやりび)とは、よもぎの葉・榧(かや)の木・杉や松の青葉などを火にくべ、その煙で蚊を追い払うことです。夏の季語にもなっています。
『徒然草』にも「六月の頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり」という一節があります。夏の夕方に白い煙が立つ景色は、鎌倉時代の人にも見慣れたものでした。
豚に見立てられたのは、もとは何の形か

三つの説はどれも、豚ではないものを出発点にしています。酒器の徳利、上下水に使う土管、そして火よけの神。順に見ていきます。
徳利を横に倒すと、鼻先とおちょぼ口ができる
新宿歴史博物館は、なぜ豚の形になったのかについて「徳利の形を横にして思いついたのではないでしょうか」と書いています。断定ではなく、実物を見た側からの推測です。
徳利を横に寝かせた姿を思い浮かべると、たしかに納得がいきます。ふくらんだ胴が体で、細くすぼまった注ぎ口が鼻面。口をすぼめれば煙もゆっくり出ていきます。実用と見た目が、同じ形の上で一致していました。
常滑の土管の口をすぼめた、という言い伝え
愛知県の常滑焼の職人には、別の話が伝わっています。養豚場で豚にたかる蚊に困り、土管の中で蚊取り線香を焚くようになった。ところが口が広すぎて煙が散ってしまうので、すぼめてみたら豚の姿に似てきた、という筋書きです。
常滑市は明治から昭和にかけて土管の生産量で日本一を誇った土地です。土管が手近にあり、豚もそばにいた。その組み合わせが土地の話として成り立つ背景になっています。
常滑焼の土産物として売り出したところ人気が出て、昭和20年代から30年代にかけて全国へ広まったとも語られます。ただし年代の裏づけは口伝えの範囲を出ません。江戸の出土品とは時代が百年以上ずれています。
火伏せの神イノシシにあやかった、という説
萬古焼の窯元が語るのは、また違う筋です。江戸時代、豚の野生種であるイノシシは火伏せの神としてあがめられていたといいます。
当時の蚊よけは草や木片を燃やす方式でした。火が燃え移る危険と隣り合わせです。そこで火事を防ぐ神にあやかり、姿の似た豚が器の形に選ばれたのではないか、と伝えられています。
この説だけは、形の連想ではなく願かけを理由にしています。ただしイノシシと豚を結ぶ点では、やはり「豚そのものを描きたかった」わけではありません。
多産や皮膚の厚さを結びつける話は、後から付いた見方
豚は子をたくさん産むので縁起がよい。皮膚が厚いので蚊に刺されにくい。こうした説明を目にすることもあります。
どれも出典がはっきりせず、形ができたあとで理由づけされた見方と考えるのが自然でしょう。由来を一つに決めたくなる気持ちが、後から物語を足していきます。
蚊取り線香が豚に入ったのはいつか

明治に入ってからです。器のほうが数十年から百年ほど先に存在していました。
| 時期 | 使われた道具 | 燃やしたもの |
|---|---|---|
| 平安〜江戸 | 土の火鉢や携帯用の蚊遣り具 | よもぎ・榧・杉や松の青葉 |
| 19世紀前葉〜中葉 | 豚形の蚊遣り(出土品) | 枯葉・おがくず |
| 1890年(明治23) | 棒状の蚊取り線香 | 除虫菊の粉を練った線香(約20センチ・約40分) |
| 1895〜1902年 | 渦巻き型の蚊取り線香 | 同じ線香を巻いたもの(約75センチ・約7時間) |
| 1950年代〜 | 機械で型抜きした渦巻き | 合成成分を配合した線香 |
除虫菊が海を渡ってきた明治19年
1886年、和歌山の上山英一郎(うえやまえいいちろう)が、米国の植物会社社長H・E・アモアから除虫菊(じょちゅうぎく)の種子を手に入れました。国立公文書館の展示解説にも記されている経緯です。
※ 除虫菊とは、殺虫成分ピレトリンを含む白い花の植物(シロバナムシヨケギク)です。ピレトリンとよく似た成分を化学的に合成したものを合わせて、ピレスロイドと呼びます。
上山は普及の旅の途中、線香を売る商人の話から着想を得ます。除虫菊の粉を線香に混ぜるという発想でした。栽培は和歌山や瀬戸内、北海道へ広がり、除虫菊は主要な輸出品の一つに育っています。
40分の棒から、7時間の渦巻きへ
1890年に生まれた最初の蚊取り線香は棒状でした。長さは約20センチ。40分ほどで燃え尽きてしまうので、寝ているあいだは何本も継ぎ足す必要がありました。
長持ちさせるために考えられたのが、巻いてしまうという手です。上山の妻ゆきの発案とされ、蛇のとぐろを見て思いついたとも伝えられます。渦を伸ばせば全長は約75センチ。一度火をつければ約7時間もちます。
この7時間は、人が眠る長さに合わせた設計だとされています。直径はおよそ12センチ。売り出した当初は2巻きずつ人の手で巻いていました。1943年に大同除虫菊が自動製造機を開発し、1955年ごろには型抜きの機械成形へ移ります。
明治28年と明治35年、二つの年が並ぶ理由
渦巻き型が生まれた年は、資料によって食い違います。国立公文書館の解説やメーカー自身のコラムでは明治28年(1895年)。一方で、着想が明治28年で発売は明治35年(1902年)だとする説明も広く見かけます。
7年という差は、試作を重ねた期間と読めば矛盾しません。ここでは「1895年に着想、1902年ごろに商品として世に出た」という幅で見ておくのがよさそうです。
いまの蚊遣り豚はどこで作られ、どう使うのか

産地は三重県です。四日市市と菰野町(こものちょう)でつくられる萬古焼が、蚊遣り豚では全国シェアの一位とされています。
四日市と菰野町の萬古焼が全国シェア一位
萬古焼は土鍋で知られる焼き物です。昭和34年ごろに高熱でも割れない陶土の開発に成功し、いまでは国内で作られる土鍋のおよそ8割を占めます。
火を扱う器に強いという性質が、そのまま蚊遣り豚にも生きました。熱がこもっても割れにくく、陶器は熱を伝えにくいので外側が熱くなりすぎません。四日市市と菰野町から全国へ出るのは、年に十数万個とされます。菰野町の松尾製陶所は1952年の創業で、蚊遣り豚を作り始めてから30年以上になります。
線香は針金で吊るし、内壁に触れさせない
窯元が案内する使い方は、思ったより細かいものです。付属の針金を線香の中心の穴に刺し、胴の中に宙づりにします。
- 針金の先を線香中央の穴に刺して吊るす
- 線香が内壁に当たらないよう、宙に浮かせる
- やけどを防ぐため、線香を引き出してから火をつける
- 取っ手を持てば、火をつけたまま移動できる
一巻きで7時間ほど燃え、そのまま灰になります。胴が受け皿を兼ねているので、灰は外へ飛び散りません。
作る窯元も、売れる数も減っている
電気式やリキッド式の蚊取り器が広まり、線香そのものの出番は減りました。菰野町でも、いま作っているのは数軒の窯元だけだと伝えられています。
それでも夏になると新聞やテレビが窯元を訪ねます。生産量ではなく、季節の合図として扱われているわけです。線香を立てずに直置きできる「すわり豚」のような形も作られています。
煙より手前で薬は飛んでいる

豚の口から出る白い煙は、蚊を追い払っている当のものではありません。効いているのは、目に見えない気体のほうです。
効いているのは燃えている場所の6〜8ミリ手前
線香が赤くなっている部分は700〜800度に達します。殺虫成分のアレスリンが飛び出すのは、そこではありません。6〜8ミリ手前の、およそ250度になった帯からです。
燃え切ってしまえば成分は壊れます。だからこそ要になるのは、火のわずかに手前という温度帯。煙は不完全燃焼でできた副産物で、成分そのものは無色のまま部屋に広がっていきます。
ピレスロイドを浴びた蚊は神経が興奮し、飛べなくなって落ちます。ノックダウン効果と呼ばれる現象です。煙が濃いほど効くわけではない、というのはここから来ています。
大正4年の広告と、江戸の出土品の食い違い
蚊遣り豚の登場時期については、大正4年(1915年)の新聞広告を根拠に「明治になって考え出された」と説明されることがあります。江戸後期とみられる出土品の年代とは、百年ほどのずれがある計算です。
広告が示すのは、商品として広く売られ始めた時期でしょう。作られていた時期と、売り物になった時期は別のものです。この記事では年代のはっきりした出土品を軸に置き、明治登場説はそう書かれることもある話として並べておきます。蚊よけの器そのものは、姿を変えながら千年以上使われてきました。
あらためて眺めると、蚊遣り豚は蚊よけの仕事を何一つしていません。煙を出すのは線香で、豚は灰を受け止めているだけです。役に立っていない部分だけが名前になり、夏の景色として残りました。徳利にも土管にも見えたはずの形が、いまでは豚以外には見えなくなっています。
参考
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