蚊帳(かや)は、寝床の上に吊って四方を囲う網の部屋です。窓を開けたまま、蚊だけを締め出して眠るための道具でした。その外に置かれた人が失うものは二つあります。ひとつは蚊から守られる一晩の安全。もうひとつは、網の内側で交わされる話です。辞書が「蚊帳の外」に書く二つの意味も、ちょうどこの二つに重なっています。
蚊帳は寝床を囲む「網の部屋」

四隅を吊って畳の上に立てる
蚊帳は布団に掛けるカバーではなく、箱の形をした網です。天井にあたる面の四隅から紐が伸びていて、それを部屋の四隅の金具に掛けて引っ張ります。すると寝る場所がまるごと網で囲われ、和室の中にもうひとつ部屋ができました。数え方も「一枚」ではなく「一張り」で、テントや幕と同じ仲間です。
すそは畳に敷いて隙間を閉じる
吊っただけでは下が空いてしまいます。そこで、すそは畳の上に広く垂らし、寝具や体の重みで押さえました。ここが浮いていると蚊は下からもぐり込んできます。蚊帳は「囲う」だけでは足りず、すき間なく「閉じる」ところまでやって初めて役に立つ道具でした。
窓を開けたまま眠るための麻の網
冷房のない時代、夏の夜に窓を閉め切るのは苦行でした。蚊帳は「窓を開けたまま蚊を防ぐ」という一点を引き受け、涼しさと安眠を両立させています。長く主役だった素材は麻です。熱がこもりにくいうえに張りがあり、目が詰まったりたるんだりしにくいので、箱の形を保ちやすいという利点もありました。
出入りはすそをあおって素早く
閉じた部屋なので、出入りのたびに穴が開きます。よく語られる入り方は、すそを下からさっとあおり上げ、めくれた隙間へ体を低くして滑り込むというもの。あおった布で近くの蚊を払いながら入る理屈です。もたついて蚊を招き入れると叱られた、という思い出話も残っています。
蚊帳はいつから日本にある?

『日本書紀』に出てくる蚊屋衣縫
『日本書紀』には、応神天皇が阿知使主(あちのおみ)を呉(くれ)へ遣わし、縫い物の技術者を連れ帰らせた話があります。彼女たちが呉衣縫(くれのきぬぬい)・蚊屋衣縫(かやのきぬぬい)の祖になった、というくだりです。奈良の織物業界は、この蚊屋衣縫の渡来を蚊帳生地の始まりとし、応神天皇の時代(270〜312年ごろ)と説明しています。
集団の名にある「蚊屋」は製造の記録ではない
ただし書紀が伝えているのは、縫い物の技術者が来たという話です。「蚊屋」は集団の名に含まれているだけで、蚊帳を作ったとまでは書かれていません。産地の伝承としてはよく知られた説明でも、この一文をそのまま製造の記録として読むのは行き過ぎでしょう。
『播磨国風土記』の賀野の里
もう一つの古い記述が『播磨国風土記』(はりまのくにふどき)の餝磨郡(しかまのこおり)にあります。応神天皇が巡行したとき、ここに殿を造って蚊屋を張った。だからこの地を「かや」と名づけた、という地名の由来話です。
風土記の地名説話は、天皇や神を主役に据えて土地の由緒を語る型が多く見られます。8世紀に蚊屋という道具が知られていたことは分かりますが、どこで作られたかまでは語っていません。
絹から麻へ、麻から木綿へ

素材が安くなるほど使う人が広がった
素材の移り変わりは、そのまま使う人の移り変わりでもあります。高価な素材の時代は身分の高い人の道具で、安い素材が出てくるほど庶民へ広がりました。
| 素材 | おもな時期 | 使い手と特徴 |
|---|---|---|
| 絹 | 奈良〜平安 | 貴族の寝所で使われた |
| 麻 | 室町〜江戸 | 奈良蚊帳・近江蚊帳の主力。張りがあり風を通す |
| 木綿 | 明治以降 | 安くなり、家庭へ一気に広がった |
| 化学繊維 | 昭和後期以降 | 軽くて安い。今の防虫蚊帳の主流 |
室町の贈答品だった奈良蚊帳
室町時代には「奈良蚊帳」の名が立ち、『大乗院寺社雑事記』(だいじょういんじしゃぞうじき)などに貴族や武士のあいだの贈り物として登場します。江戸時代に入ると奈良晒が幕府の御用達となり、麻の蚊帳生地が本格的に織られるようになりました。
※ 奈良晒(ならざらし)とは、奈良を中心に織られた上質な麻布のことです。江戸時代には幕府の御用達品として高く評価されました。
明治の木綿で庶民の夏の道具に
明治に入ると、安い木綿の蚊帳が出回ります。奈良では「大和木綿」や「大和絣」で培った技術がそのまま生かされました。麻よりずっと手の届く値段になったことで、蚊帳は一部の家の持ち物から、どの家にもある夏の道具へと変わっていきます。
蚊帳はなぜ緑色なの?

萌黄に紅の縁を考えた近江商人
麻の地は明るい茶色に近い生成りで、緑は後から足された色です。生地を萌黄色に染め、縁に紅い布を付ける。この組み合わせを考えたのは、近江商人・西川家の二代目甚五郎だと伝えられています。
※ 萌黄色(もえぎいろ)とは、春先の若葉のような黄みがかった緑のことです。「萌葱」とも書きます。
箱根の木陰で見た夢
西川家に伝わる話では、二代目が箱根を越える途中で木陰に休み、緑のつたかずらが一面に広がる野原の夢を見ました。この涼しげな景色を蚊帳の中に再現すれば、寝る人の気持ちが和むはず。そんな発想から萌黄の染めが生まれたとされています。道具の色が、機能ではなく気分から決まった珍しい例です。
創案は1628年の家督相続より後
萌黄蚊帳の始まりを慶長年間(1596〜1615年)とする解説もよく見かけます。一方、西川家の社史は、二代目が家督を継いだ1628年(寛永5年)以降の工夫として書いています。どちらにしても、江戸時代の早い時期に生まれた色だということは変わりません。
美声の売り子が夏の始まりを告げた
色が売れると、売り方にも工夫が凝らされます。江戸の町では、そろいの半纏を着た二人組の蚊帳売りが「蚊帳、萌黄の蚊帳」と節を付けて歩いたと伝えられます。売り子には声のよい人が選ばれたといい、この呼び声が聞こえると初夏だと分かったそうです。商品名の連呼というより、季節そのものを売る商いでした。
蚊帳の外に置かれると何を失う?

辞書が書く「蚊帳の外」の二つの意味
『日本国語大辞典』の語釈は二段構えです。一つ目は「ある物事が行なわれている場から外れていること」。輪に入れてもらえない、日常でいう仲間外れに近い意味です。
二つ目は「内部の事情を関知できない立場にあること」。同じ部屋にいても、決まっていく中身が自分にだけ届かない状態を指します。会議には呼ばれたのに、話は別の場所で決まっていた。そんな場面はこちらです。
外は一晩じゅう蚊に刺される側
一つ目の意味を支えているのは、中と外で夜の質がまるで違ったという単純な事実です。囲いの内側は蚊のいない安全地帯で、外は刺され放題でした。狂言『清水』では、鬼に化けた太郎冠者が主人に待遇の改善を迫り、その中に「夏の夜には蚊帳を吊らせろ」という要求が出てきます。奉公人には蚊帳が回らないこともあった、という暮らしの手触りが伝わるせりふです。
誰を中に入れるかは家の中の序列
蚊帳は安い道具ではなく、家族と奉公人の全員分をそろえられる家ばかりではなかったとみられます。誰を網の内側に入れるかは、そのまま家の中の順番でした。比喩として「蚊帳の外」が使われるずっと前から、文字どおり外で寝る人がいたことになります。
網ごしでは中の話が届かない
二つ目の意味に効いているのは、視線と声の隔たりです。細かい網を一枚はさむと、外から中の様子は見通しにくくなります。中で交わされる小声の相談も、外にはうっすらとしか届きません。布一枚の隔たりが、そのまま情報の隔たりとして働いていました。
英語では「輪の外」、日本語は「網の外」

英語の定番は out of the loop
同じ状態を英語で言うなら“out of the loop”が定番です。直訳すれば、情報が回る輪から外れていること。“left out in the cold”(寒いところに置き去り)という言い方もあります。輪や寒さでたとえる言語に対し、日本語は寝室に張った網一枚を持ち出しました。たとえに選ぶ道具は、その土地の夏の暮らしに左右されるようです。
辞典の用例は1981年の小説
『日本国語大辞典』が「蚊帳の外」に添えている用例は、沢木耕太郎『一瞬の夏』(1981年)の一節です。蚊帳が家庭から姿を消しつつあった時期の文章が、例文として選ばれています。
辞典の用例は「最初に使われた例」とは限らず、意味を示すのに向いた例が選ばれています。それでも、現物を知らない世代に向けて言葉だけが生き延びた一例ではあるでしょう。
蚊帳はなぜ家から消えた?

蚊そのものが減った
下水道の整備で蚊の発生源になる水たまりが減り、殺虫剤も広く使われるようになりました。家に入ってくる蚊が減れば、毎晩囲いを張る手間は割に合いません。蚊帳がまず負けた相手は、衛生環境の改善でした。
網戸と冷房が役目を引き継いだ
アルミサッシが広まると、窓に網戸を組み込めるようになります。「窓を開けたまま蚊を防ぐ」という蚊帳の役目は、そっくり窓の側へ移りました。寝床ごとに囲うより、入り口の窓で止めるほうが手間は少なくて済みます。
冷房が入ると、そもそも夏の夜に窓を開けなくなりました。風を通しながら蚊を防ぐという前提が消え、蚊帳の長所は行き場を失います。洋室が増えて、鴨居に紐を張れる部屋も少なくなりました。
1961年の奈良は92社・織機4,250台
需要の消え方は、産地の記録にはっきり残っています。奈良県織物工業協同組合によれば、昭和36年(1961年)の奈良の蚊帳生地は業者92社・織機4,250台。全国の1.3%にあたる年間22億円を生産していました。その需要が昭和後期に大きく落ち込み、家にあるのが当たり前だった道具は、思い出の中の道具になっていきます。
暮らしから消えても残ったもの

奈良の織機は台所のふきんへ
蚊帳は消えても、奈良の織機は止まりませんでした。目の粗い平織りの生地を重ねると、水をよく吸って乾きの早い布になります。今では蚊帳生地のふきんが産地を代表する品です。ほかにも次のような用途へ回っています。
- 襖の下地
- 農業で使う寒冷紗(かんれいしゃ)
- 自動車シート用やフィルター用の基布
- 網戸・ストール
※ 寒冷紗とは、目の粗い薄手の布のことです。農業では日よけや防虫のために作物へ掛けて使います。
アフリカでマラリアを防ぐオリセットネット
蚊帳という発想のほうは、海を渡りました。住友化学の「オリセットネット」は、ポリエチレンの糸にピレスロイド系の殺虫剤を練り込み、少しずつ表面へ出す仕組みの蚊帳です。2001年、長期残効型の蚊帳として世界で初めて世界保健機関(WHO)に効果を認められました。2003年からはタンザニアのアルーシャで現地生産が始まり、国際機関を通じて約100か国へ届けられています。
※ ピレスロイドとは、除虫菊の成分をもとにした殺虫成分の総称です。蚊取り線香や家庭用の殺虫剤にも使われています。
カヤツリグサの名は四角い枠から
道端に生えるカヤツリグサ(蚊帳吊草)は、茎の断面が三角形です。二人で両端から茎を裂いていくと、真ん中に四角い枠が現れます。その形を吊った蚊帳に見立てたのが名前の由来で、子どもの遊びとして広く親しまれてきました。
夏の季語に並ぶ「初蚊帳」と「蚊帳の別れ」
「蚊帳」は夏の季語で、そのまわりには青蚊帳・白蚊帳・麻蚊帳といった色や素材ごとの言葉が並びます。赤ん坊にかぶせる母衣蚊帳(ほろがや)まで呼び名がありました。その年初めて吊る日は「初蚊帳」、秋に仕舞うことは「蚊帳の別れ」。始まりと終わりの両方に言葉を用意するほど、この道具は夏の輪郭そのものだったわけです。
いま日本の家に蚊帳はほとんどありません。つまり私たちは全員、文字どおりの意味では蚊帳の外で眠っています。それでも「蚊帳の外に置かれた」と言えば通じるのは、道具より先に、外に立たされたときの心細さのほうが長生きしたからでしょう。網はなくなり、線だけが残りました。
参考
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