消防車の色を決めている国の告示には、「赤」ではなく「朱色」と書かれています。ただ、その色が選ばれた理由は条文のどこにもありません。最初に輸入された消防車が赤く、その色が走り続けたあとで決まりになった、というのが東京消防庁などの説明です。目立つ色という理由は、あとから重ねて語られてきたものとされます。
「朱色」はどの決まりに書いてある?

出発点は1951年の保安基準
根拠としてよく挙がるのは「道路運送車両の保安基準」です。1951年(昭和26年)にできた運輸省令で、緊急自動車について定めた条文があり、東京消防庁の解説もこの省令の第49条第2項に「朱色」が定められていると紹介しています。
※ 道路運送車両の保安基準とは、自動車の構造や装置が満たすべき安全上の条件をまとめた国の省令です。ブレーキや灯火から車体の寸法まで、公道を走る車の要件がここに集まっています。
いまの文言は細目告示の第75条
現在、色の名前が書かれているのは「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示」です。国土交通省が公開している第75条(緊急自動車)には、車体の塗色は「消防自動車にあっては朱色とし、その他の緊急自動車にあっては白色とする」とあります。世間で「法律で赤と決まっている」と言われるものの正体は、この一文です。
案内によって条番号が違うわけ
自治体の案内には「保安基準第49条」と書くものも、細目告示の「第75条」や「第231条」を挙げるものもあります。省令のほうは細かな基準を告示へ任せる形に整理されていきました。古い説明文が書き換えられないまま残っているのです。
告示の中でも数字がばらつきます。細目告示は、新車として指定を受ける車・新しく検査を受ける車・すでに使われている車と区分ごとに同じ規定を置き直す作りです。条番号が違っても、見ている章が違うだけで中身は同じ規定です。
条文が決めているのは色の名前だけ

警光灯とサイレンには細かな数字がある
同じ条文は、警光灯とサイレンについてかなり細かく数字を並べています。警光灯は前方300mの距離から点灯を確かめられる赤色のもの。サイレンは車の前方20mの位置で90デシベル以上120デシベル以下と決まっています。マイクは地上1mの高さに置くなど、測り方まで指定されているほどです。
塗色の条文に数値は一つもない
ところが塗色は「朱色」の一語で終わります。色見本も、明るさや鮮やかさの範囲も出てきません。どの朱色なのかを決めていないので、消防本部や車体メーカーによって赤みの具合が少しずつ違って見えることもあります。
「大部分」の一語が白い帯を許している
続く項目には、車体の塗色の大部分が朱色であれば基準に適合する、という一文があります。量を表す言葉は「大部分」だけです。何パーセントとは書かれていません。白い帯や部隊名の文字、銀色のはしごがあっても消防車として認められるのは、この一語のおかげです。
最初の消防車はなぜ赤かった?

1911年、大阪府がドイツ製を輸入した
東京消防庁の資料によると、日本で最初の消防ポンプ自動車は1911年(明治44年)に大阪府が輸入したドイツのベンツ製です。値段は当時の金額で1万円でした。保安基準ができる40年も前から、日本の道には外国生まれの消防車が走っていたことになります。
博覧会を見て横浜と名古屋が続いた
1914年(大正3年)の大正博覧会には、イギリス製とドイツ製の消防ポンプ車が出品されました。これを見た横浜市がイギリスのメリーウェザー社製を、名古屋市がドイツのベンツ社製を買い入れています。東京では1917年(大正6年)に、アメリカのラフランス社製で定員8人のポンプ車を初めて購入しました。
色はあとから条文になった
輸入した蒸気ポンプや消防車が赤かったので、日本もその色を引き継いだ。これがいちばん広く紹介されている説明です。法令が色を生み出したのではなく、走っていた色をあとから条文に書き込んだ順序になります。
なお、それ以前の消防の主役は蒸気ポンプでした。東京では1870年(明治3年)にイギリスから輸入し、1899年(明治32年)には市原ポンプ製作所が国産第1号を作っています。
東京消防庁が挙げる理由は三つ

輸入車の色・注意を引く色・炎の色
東京消防庁の解説は、理由を三つ並べています。外国から輸入した消防車が赤かったこと。赤が人の注意を引く色であること。そして炎の赤を思わせ、警火心(火の用心の気持ち)を呼び起こすことです。法令で定まった色名は「朱色」でも、ふだんは「赤」と呼ばれている、とも添えられています。
決め手の記録は残っていない
同じ解説は、輸入車の色を踏襲したという説明を「一般的」としながら、はっきりした理由は分からないとも書いています。国が「こういう理由で朱色に決めた」と記録に残しているわけではありません。三つの理由のうち、確かなのは輸入車が赤かったという順序のほうです。注意を引く・炎を思わせるという二つは、あとから意味を重ねた説明と読むのが慎重でしょう。
赤系が多いのは日本だけではない
ヨーロッパ大陸でも消防車は赤が主流です。ドイツでは火災赤(RAL 3000)や発光赤(RAL 3024)のように、色見本帳の番号で赤を呼び分けています。一方で、イギリスやスイスの一部ではレモンイエローの消防車も見られます。色の名前だけで済ませる日本の条文とは、決め方の細かさがまるで違うのです。
「赤がいちばん目立つ」は本当か

昼は555ナノメートル、夜は507ナノメートル
網膜には働きの違う二種類の視細胞があります。明るい場所で働く錐体(すいたい)細胞の感度は、およそ555ナノメートルの黄緑あたりで最も高くなります。暗い場所を受け持つ桿体(かんたい)細胞の山は、およそ507ナノメートルの青緑。波長の長い赤は、どちらの山からも外れた端にあります。
夕暮れになると赤は沈んで見える
薄暗くなるにつれて主役が錐体から桿体へ移ると、赤は相対的に暗く、青や緑は明るく見えるようになります。これがプルキンエ現象です。夕方の街で赤い車が黒っぽく沈んで見えるのは、目の側の切り替えが起きているからです。赤い光を感じにくい色覚の人には、赤い車体が灰色に近く見えることもあります。
目立つことと見分けられることは別
明るい昼の街なかなら、赤は背景から浮き上がって強く目を引きます。「目立つ色」という説明は、昼の条件では外れていません。ただ、緊急車両に必要なのは目に入ることに加えて、何の車かがすぐ分かることです。この二つを分けて考えると、次の話が見えてきます。
ライムイエローの消防車は事故が少なかった?

ダラスでは二色の消防車が走っていた
アメリカ・テキサス州のダラスでは、赤い消防車と黄緑がかったライムイエローの消防車が同じ街で使われていた時期がありました。検眼医のスティーブン・ソロモンらはこの状況を利用し、4年間の事故記録を色ごとに比べています。結果は1995年に学術誌『Journal of Safety Research』に発表されました。
赤い車のほうが約3倍ぶつかった
ワシントン大学の解説によると、赤(または赤と白)の消防車は、ライムイエローの消防車の約3倍の事故に関わっていました。ライムイエローの車の事故はけが人やレッカー移動も少なかったとされます。黄緑は昼も夜も人の目が捉えやすい色だ、というのがソロモンらの主張でした。
米国消防局は「見分けられること」を重く見る
それでもアメリカの消防車が黄緑に塗り替えられたわけではありません。米国消防局(USFA)が2009年にまとめた報告書は、色の候補にはいろいろな提案があるとしたうえで、より大切なのは運転者がその車を何の車か認識できることだと述べています。百年以上赤い消防車を見てきた人にとって、赤い大型車はそれだけで消防車の合図です。
安全を稼いでいるのは反射材

昼は蛍光色、夜は再帰反射材
車体の色の議論が決着しないなかで、各国が力を入れてきたのは色の上に足す素材です。米国消防局の報告書は、昼間は蛍光の黄緑やオレンジが見えやすく、夜はヘッドライトの光を光源の方向へ返す再帰反射材が効くと整理しています。反射材は車体の低い位置に集めると、近づく車のライトとよく噛み合うそうです。
アメリカは車の後ろ姿を規格にした
現場で停まっている消防車に後ろから車が突っ込む事故は、消防にとって大きな危険です。アメリカの消防車規格NFPA 1901の2009年版は、後ろ向きの面の50パーセント以上に、反射材のシェブロン(山形の縞)を貼るよう求めました。中心から左右へ45度下がる向きで、帯の幅は6インチ(150mm)。赤と黄色を交互に並べます。
イギリス生まれの市松模様
側面の目印として広まったのが、バッテンバーグと呼ばれる市松模様です。イギリス内務省の警察科学開発部門が1992年から1998年にかけて試験を重ね、高速道路を走るパトカー用にまとめました。雨や霧のなかでも、普通のヘッドライトに照らされて500m先から警察車両と分かることを目標にした設計です。
長野では40m先から見えるかを確かめた
日本の告示は反射材について何も言いません。朱色を大部分に残せば、上に何を貼るかは各消防本部に任されています。長野県の北アルプス広域消防本部は、信州大学と組んで反射材の効き目を確かめました。2021年の論文では、乗用車のロービームを約40m先から当てても反射材があれば車両を認識でき、バッテンバーグのように一定の面積を持つ模様が有効だと報告されています。
救急車が白いのはなぜ?

白も同じ一文が決めている
救急車の白は、消防車の朱色と同じ一文の後半で決まっています。消防自動車は朱色、その他の緊急自動車は白色。救急車は消防署に置かれていても消防自動車ではないので、白の側に入ります。こちらも決めているのは色の名前だけです。
日本の救急車の始まりは1931年
日本で最初の自動車の救急車は、1931年(昭和6年)に日本赤十字社の大阪支部に置かれたとされます。消防の救急車は1933年に横浜市の山下町消防署が最初で、翌1934年に名古屋市、1936年に東京市で救急業務が始まりました。こちらも、走り出した車があとから制度に組み込まれた流れです。
側面の赤い線は法令の外
白い車体に入っている赤い横線は、告示には出てきません。そのため色は自治体ごとに違い、青や黄緑の線を引くところもあります。大阪市の救急車は側面に赤い線を入れず、後ろのドアにだけ赤を使っています。白地に赤い線という見慣れた姿は、決まりではなく慣習が作ったものです。
塗色の決まりから外れる緊急自動車

覆面パトカーが成り立つ理由
「朱色または白色」の一文には、長いただし書きが付いています。筆頭は警察自動車です。検察庁が犯罪捜査に使う車、防衛省が緊急の出動に使う車も同じ扱いになっています。塗色の基準から外れているので、普通の乗用車と見分けのつかない色で走ってよい。覆面パトカーが法令の上でどう成り立っているかは、この一行に書いてあります。
往診の医師を運ぶ車まで書き込まれている
ただし書きはそこで終わりません。条文は一台ずつ用途を書き切る流儀なので、とても長くなっています。
- 刑務所などの矯正施設で緊急の警備に使う車
- 入国者収容所や地方入国管理局が警備に使う車
- 自宅で療養している重い病状の人のもとへ医師を送る車
- 公共用応急作業自動車と、海上保安庁の緊急自動車
- 不法に開設された無線局を探すために総務省が使う車
「朱」は石の名前から来た色

原料は辰砂という赤い鉱物
そもそも朱色は、絵の具の名前ではなく石から始まった色です。朱の顔料の原料は辰砂(しんしゃ)で、硫化水銀を主な成分とする鉱物。砕いて粉にすると鮮やかな赤になります。日本でも古くから、土器や墓の内部を赤く塗るのに使われてきました。
朱肉や鳥居に残る同じ色名
印鑑を押す朱肉、神社の鳥居の朱塗り、そして消防車の朱色。たどっていくと、どれも同じ石の名前に行き着きます。告示が「赤色」ではなく「朱色」と書いたことで、千年以上使われてきた色名がそのまま自動車の決まりの中へ入ってきたわけです。
赤いから緊急車両に選ばれた、という順序をつい思い描きます。けれども話は逆なのかもしれません。輸入された車がたまたま赤く、その色が百年以上走り続けたから、赤は「急いでいる車の色」として私たちの側に刻まれました。目の性能で選ばれた色というより、目のほうが慣らされた色。条文の「朱色」の二文字は、その百年を後から書き留めたものです。
参考
- 国土交通省「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示 第75条(緊急自動車)」
- 東京消防庁「消防車はなぜ赤い」
- 東京消防庁「蒸気ポンプから消防ロボットまで」
- U.S. Fire Administration「Emergency Vehicle Visibility and Conspicuity Study」(2009)
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