祝日は国の慶事を祝う日、祭日は皇室が神事を行う日を指す、戦前の休日の区分でした。祭日という区分は1948年の祝日法で廃止され、いまカレンダーで休みになる日はすべて「国民の祝日」です。ただ日付のかなりの部分は、名前と趣旨を変えて今の祝日に引き継がれています。
「祭日」はもともと何の日?

皇室が祭祀を行う日が祭日
祭日とは、皇室が神々や歴代の天皇を祭る祭祀(さいし)を行う日のことでした。国民が何かを祝う日ではありません。宮中で神事が営まれる日を、国全体の休みにするという組み立てです。この性格の違いが、のちに祭日だけが法令から消える理由につながっていきます。
1873年の布告が定めた8日の休み
出発点は1873年(明治6年)10月14日の太政官布告第344号です。太陽暦に切り替えた直後のこの布告で、次の8日が休みと定められました。
- 元始祭(げんしさい)=1月3日/新年宴会=1月5日
- 孝明天皇祭=1月30日/紀元節(きげんせつ)=2月11日
- 神武天皇祭=4月3日/神嘗祭(かんなめさい)=9月17日
- 天長節(てんちょうせつ)=11月3日/新嘗祭(にいなめさい)=11月23日
※ 太政官布告(だじょうかんふこく)とは、明治の初めに国の最高機関だった太政官が出した法令のことです。のちの法律や勅令にあたります。
春と秋の皇霊祭は1878年に加わった
1878年(明治11年)には春季皇霊祭(こうれいさい)と秋季皇霊祭が加わり、それぞれ春分日と秋分日に置かれました。歴代の天皇の霊を一人ずつ祭っていては手が回らないため、春と秋の2回にまとめたものです。翌1879年には神嘗祭が9月17日から10月17日へ移っています。旧暦の9月17日を新暦に置き直すと1か月ほど早まるため、月遅れの日取りにそろえたわけです。
祝日と祭日は名前で見分けがついた

布告の題名に二つの語が並んでいる
1873年の布告には「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」という題名が付いています。祭日と祝日は、制度の出発点から別々の言葉として並べられていたわけです。二つをまとめた「祝祭日」という言い方も、この並記から生まれました。会話でいまも使われる祝祭日は、もとは「祝日と祭日」の略にあたります。
「祭」の字が入る日が祭日
見分け方は単純で、名前に「祭」の字が入る日が祭日でした。元始祭・皇霊祭・神武天皇祭・神嘗祭・新嘗祭、それに先代の天皇を祭る日がこちらに入ります。一方の祝日は、紀元節・天長節や元日の四方拝(しほうはい)のような、国の慶事を祝う日です。宮中の宴の日だった新年宴会も、名前に「祭」は付きません。
先代の天皇の命日が祭日に入る

代替わりのたびに1日が入れ替わる
祭日のうち1日は、天皇が代わるたびに中身が入れ替わりました。先代の天皇の命日を祭る日が、必ず一つ組み込まれていたためです。明治の初めは孝明天皇の命日にあたる1月30日がその日でした。天皇誕生日である天長節も、同じように代替わりのたびに日付が動いています。
1912年と1927年の勅令で日付が動いた
1912年(大正元年)の勅令で、孝明天皇祭は明治天皇祭(7月30日)に差し替えられ、天長節は8月31日へ移りました。1927年(昭和2年)の勅令第25号では、明治天皇祭が大正天皇祭(12月25日)に代わります。天長節は4月29日になり、明治天皇の誕生日である11月3日が明治節として新しく加わりました。
※ 勅令(ちょくれい)とは、大日本帝国憲法のもとで、天皇の名によって出された命令のことです。議会を通す法律とは別の形式でした。
戦前最後の休日は12日あった
1927年の勅令が並べた11日に元日の四方拝を加えると、戦前最後の休日は12日になります。元始祭・新年宴会・紀元節・春季皇霊祭・神武天皇祭・天長節・秋季皇霊祭・神嘗祭・明治節・新嘗祭・大正天皇祭、そして四方拝です。四方拝は勅令の一覧に無いものの、古くからの慣例として祝日に数えられていました。この12日の体制が、戦後まで続くことになります。
祭日はいつ、どうやってなくなった?

1947年に皇室祭祀令が廃止された
祭日が消えるまでには、二つの段階がありました。先に廃止されたのは、宮中の祭祀の種類や日取りを定めていた1908年(明治41年)の皇室祭祀令(こうしつさいしれい)です。日本国憲法が施行される前日の1947年5月2日、皇室令をまとめて廃止する命令で効力を失いました。以後、宮中の祭祀は国の行事ではなく、天皇家の私的な行事という位置づけになります。
祝日法の附則にある一行
休日の側が切り替わったのは翌1948年です。7月20日に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」の附則には、「昭和二年勅令第二十五号は、これを廃止する」とだけ書かれています。祝祭日を定めていたのが、この勅令でした。祭日という区分は、この一行で法令から姿を消したことになります。
新しい祝日は9日から始まった
入れ替わりに定められた国民の祝日は、元日・成人の日(当時は1月15日)・春分の日・天皇誕生日(当時は4月29日)・憲法記念日・こどもの日・秋分の日・文化の日・勤労感謝の日の9日でした。12日から9日へ、休みはいったん減ったことになります。現在の16日まで増えたのは、その後の法改正の積み重ねによるものです。
「国民の」が付いたのは決める主体が変わったから
祝日法の第1条は「自由と平和を求めてやまない日本国民は」と書き起こされています。そのうえで、国民がこぞって祝い・感謝し・記念する日を定めると続けます。天皇の名で出す勅令から、国会が議決する法律へ移ったことが、そのまま名前になった形です。以後の追加も国会が担い、海の日は1995年、山の日は2014年の法改正で加わりました(休日になったのはそれぞれ1996年と2016年から)。
今の祝日のどこに祭日の日付が残っている?

戦前の休日と今の祝日を並べた表
廃止されたのは制度で、日取りそのものではありません。戦前最後の12日と現在の祝日を並べると、名前を変えて残った日と、休みでなくなった日がはっきり分かれます。
| 戦前の祝日・祭日 | 日付 | 現在 |
|---|---|---|
| 四方拝 | 1月1日 | 元日 |
| 元始祭 | 1月3日 | 休日ではない |
| 新年宴会 | 1月5日 | 休日ではない |
| 紀元節 | 2月11日 | 建国記念の日 |
| 春季皇霊祭 | 春分日 | 春分の日 |
| 神武天皇祭 | 4月3日 | 休日ではない |
| 天長節(昭和) | 4月29日 | 昭和の日 |
| 秋季皇霊祭 | 秋分日 | 秋分の日 |
| 神嘗祭 | 10月17日 | 休日ではない |
| 明治節 | 11月3日 | 文化の日 |
| 新嘗祭 | 11月23日 | 勤労感謝の日 |
| 大正天皇祭 | 12月25日 | 休日ではない |
12日のうち7日が、いまも同じ日付で休みです。消えた5日は、どれも宮中の行事としての色が濃い日でした。
春分の日と秋分の日は皇霊祭の日取りのまま
もっとも素直に残ったのが春分の日と秋分の日です。名前から「皇霊祭」が落ち、日取りの決め方だけが手つかずで残りました。祝日法の第2条を読むと、日付の欄は「春分日」「秋分日」としか書かれていません。天体の動きで年ごとに日付が変わるため、国立天文台が毎年2月に翌年の日付を官報で発表しています。
趣旨は誰の祖先でもよい日に変わった
祝日法は祝日ごとに短い趣旨を添えています。秋分の日は「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」。歴代天皇の霊を祭る日という限定が外れ、誰の祖先でもよい日に開かれました。春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」で、祭祀の面影はほとんど残っていません。
元日はもともと四方拝の日
1月1日も同じ形で残っています。戦前のこの日は四方拝といって、天皇が早朝に伊勢の神宮や四方の神々を遙拝(ようはい)する行事の日でした。いまは「年のはじめを祝う」という趣旨の元日になっています。四方拝そのものは、宮内庁の主要祭儀一覧にいまも1月1日の行事として載っています。
勤労感謝の日は新嘗祭の日

11月23日は1873年の卯の日
新嘗祭は、天皇がその年の新穀を神々に供える祭りです。本来は旧暦11月の2回目の卯(う)の日に行われていました。太陽暦に切り替えた1873年、新暦11月の2回目の卯の日にあたる11月23日が採られ、以後はこの日付に固定されています。毎年11月23日である理由は、暦を乗り換えた年のめぐり合わせに近いものです。
新穀の感謝から働くこと全体の感謝へ
祝日法での趣旨は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」です。国立天文台の暦のページは、旧新嘗祭の日を新穀に限らず労働全体への感謝を表す日にした、と説明しています。米の収穫を祝う日が、事務の仕事にも工場の仕事にも当てはまる日に読み替えられたわけです。宮中では今も同じ11月23日に新嘗祭が行われています。
文化の日と建国記念の日は別の道をたどった

文化の日は憲法公布の日
11月3日は明治天皇の誕生日、つまり明治節の日でした。ただし文化の日は、明治節の名前だけを変えたものではありません。1946年10月29日の閣議で、日本国憲法の施行日を翌年5月3日とし、そこから半年さかのぼった11月3日を公布日と決めています。文化の日の趣旨が「自由と平和を愛し、文化をすすめる」なのは、憲法公布の日という位置づけによるものです。
明治節と重なることを気にした声
国立国会図書館の資料によると、11月3日が明治節にあたることについて閣内には一抹の不安がありました。中華民国の代表も対日理事会の議長に書簡を送り、ふさわしい別の日を選ぶよう求めています。議長は11月3日に特別な意味は無いとして介入を見送り、総司令部からも異議は出ませんでした。
紀元節は1966年に建国記念の日として戻った
2月11日は事情が違います。1948年の祝日法に紀元節は引き継がれず、この日は平日になりました。休みに戻ったのは1966年の法改正で、名前は「建国記念の日」です。法律には日付を書かず「政令で定める日」とし、同じ年の政令で2月11日と決めるという二段構えでした。
日付は審議会の答申を経て決めた
この改正の附則は、政令を作るときは建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重するよう定めています。日付そのものが議論の的だった事情が、条文の形に残っているわけです。日付が法律に書かれていない祝日は、いまも春分の日・秋分の日・建国記念の日の三つだけです。
祭日の行事はいまも同じ日に続いている

宮中の主要祭儀に見覚えのある日付が並ぶ
休日としての祭日は無くなりましたが、祭祀は途切れていません。宮内庁の主要祭儀一覧には、元始祭(1月3日)・神武天皇祭(4月3日)・神嘗祭(10月17日)・新嘗祭(11月23日)が並んでいます。春季皇霊祭と秋季皇霊祭も、期日の欄は「春分の日」「秋分の日」です。休日でなくなった日も、宮中の日程からは消えていません。
先代を祭る日は「例祭」と呼ばれる
変わったのは呼び方です。かつて祭日だった孝明天皇祭と明治天皇祭は、いまは孝明天皇例祭(1月30日)・明治天皇例祭(7月30日)として行われています。12月25日の大正天皇例祭も同じ扱いです。昭和天皇が亡くなった1月7日には昭和天皇祭が営まれ、天皇誕生日の2月23日には天長祭が行われます。
神社の恒例祭にも同じ日付がある
全国の神社が毎年行うお祭りにも、旧祭日の日付が残っています。神社本庁が恒例祭として挙げるのは、歳旦祭(元旦)・元始祭(1月3日)・紀元祭(2月11日)・天長祭(2月23日)・昭和祭(4月29日)・神嘗奉祝祭(10月17日)・明治祭(11月3日)・新嘗祭(11月23日)などです。各神社でもっとも重い例祭だけは、鎮座の日や祭神ゆかりの日に置かれ、神社ごとに日取りが違います。
「祭日」という言葉が残るのはなぜ?

辞書は「国民の祝日」の俗称と書いている
制度が消えても、言葉としての祭日は健在です。デジタル大辞泉は祭日に五つの意味を載せ、その2番目が「『国民の祝日』の俗称」です。用例は「日曜祭日は休業します」。精選版日本国語大辞典も、明治以降に国が定めた休日を指した語で、戦後は俗に国民の祝日を指すようになったと説明しています。誤用ではなく、俗称として辞書に席があるわけです。
法令と年末年始の休みに祭日は出てこない
役所の休みを定める1988年の「行政機関の休日に関する法律」は、休みを三つに分けています。日曜日と土曜日、祝日法に規定する休日、12月29日から翌年1月3日までです。祝日法を引く形なので、祭日という語の出番はありません。年末年始のうち祝日は元日だけで、残りの日はカレンダーで黒い数字のまま役所が閉まっています。
「土日祝祭日休み」の祭日は国民の祝日のこと
店の営業案内や社内の文書では「土日祝祭日休み」という書き方をよく見かけます。祭日が法令に無い以上、ここでの祭日は辞書のいう俗称で、実際には国民の祝日と同じ意味で使われている場合がほとんどです。年末年始や会社独自の休みまで含むかは書き手次第なので、気になるときは書いた側に確かめるのが早道になります。
12月25日が休みだった20年間

大正天皇祭がクリスマスと重なった
1927年から1947年までの日本では、12月25日が休日でした。大正天皇が亡くなったのが1926年のこの日で、翌年の勅令で大正天皇祭として祭日に加えられたためです。先代の命日を祭日にする決まりが、たまたまクリスマスと同じ日を休みにしました。祝日法の制定で12月25日は平日に戻り、以後は休みになっていません。
1月3日と1月5日も休日だった
正月三が日のうち、祝日法で休みと決まっているのは元日だけです。ところが戦前は1月3日が元始祭、1月5日が新年宴会で、どちらも休日でした。いま1月3日まで休めるのは、行政機関の休日を定めた法律や会社の慣行によるものです。正月の休みが三が日で区切られる感覚は、祭日の制度より長生きしたのかもしれません。
「今日は祭日だから」と言うとき、口にしているのは法律に無い区分です。それでも、そう呼ばれる日をたどった先には、かつて祭日か祝日だった日付がちゃんと待っています。春分の日も勤労感謝の日も、宮中では今も同じ日に祭りが営まれています。言葉の指す先は、78年たっても大きくは外れていません。
参考
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